熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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『日本男子♂余れるところ』高橋秀実

本の表紙

まずは「序章」の、ごく一部を、ご紹介:
《イザナキは自らの男根を「成り成りて成り余れる処」と呼んだ。肉体が形づくられていって余った部分がすなわち男根。参考までに、本居宣長はこれを「ふくれ出て身の外に贅るが如くなるを詔へり」(『古事記伝(1)岩波文庫 1940年)と解釈していた。餅にたとえると、焼いた時にぷくっと外にこぼれ出る部分なのだ。
 確かに余っている。
 私はズボンの膨らみを見つめた。》

うまいなあ。

表題の「余れるところ」とは、すなわち、そういうことです。平均8.3センチの謎。医学的なテーマになるのかと思いきや、民俗学的なほうへと進み、そうかと思うと、第6章は「絶頂巡礼」、すなわち、女性の話になったりする。ちなみに、序章は「仏説男根」、第1章は「包皮前進」で、ちょっと飛ばして第4章が「男色交換」。そっち方面の趣味のない者にとっては気持ち悪かったり、読んでいるだけで痛くなってきたりむず痒くなってきたり、なんだけど、そこを、下品にならずに、しかし高尚にもせずに、体を張って表現するあたりは、さすが高橋秀実さんならではの匠の技です。

ラストがいいんです。ネタバレになるから書かないけど、最後のページは、最後まで見ないで、最初から読んでいくと、最後の最後に、幸せな気持ちになれます。

いいじゃないの、興味本位だって。

 
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『アリ対猪木 アメリカから見た世界格闘史の特異点』



素晴らしい。まず、この本(米国で出版された原著)が発見されたことが素晴らしいし、米国での原著の出版からわずか1年後に、日本語訳が出たことが素晴らしい。

原題は "The Forgotten Fight That Inspired Mixed Martial Arts and Launched Sports Entertainment" − 忘れられた戦い、なのですね。あとがき(謝辞)で、著者は、こう書いています。

《饒舌な私の言葉に耳を傾けてくれたすべての人に感謝したい。ほとんどの人がモハメド・アリとアントニオ猪木の忘れられた戦いに強い関心を示してくれ、みんなの好奇心をかき立てられたことで、本書を著したいという願望がいっそう強まった。》(p.334)

忘れられた戦い?「猪木アリ状態」って言葉すらあるのに?そんな言葉は知らない人でも、一定年齢以上の日本人なら、アリと猪木が異種格闘技戦を行ったこと、それが(世間一般の多くの人にとっては)世紀の大凡戦であったことは、記憶の片隅に残っているはず、なのに?

この本の監訳者である柳澤健氏の解説に、その辺の事情の説明があります。

《モハメド・アリ対アントニオ猪木の異種格闘技戦が話題になるのは日本だけで、世界各国では、アリの輝かしいキャリアに汚点をつけた奇妙で退屈な試合、というのが共通認識だ》(p.343)

へ〜、そうなのか。

そういう中で、出版のタイミングがアリの逝去の直前になったのはたまたまなんでしょうけど、アメリカ人ジャーナリストが、長期にわたる綿密な取材を元に、こういう本を書いた。結論を先に言ってしまえば、巷間言われているように、あの試合は両者の技術が未熟だった、40年後の現在ではあたりまえになっている総合格闘技の技術体系が当時はまだまったくわかっていなかった、ということではあるのですが、そこへ至る検証の過程は、スリリングです。

アリ猪木の異種格闘技戦の話になると、新間寿氏が監禁されたとかルール問題とか、そうしたことばかりに焦点が当たる中で、この本では、たとえばジーン・ラベールに丁寧に話を聞いていたりするから、新事実がわかったとかの下世話な関心以上に、あの試合が何だったかが、今まで見たことのない角度から俯瞰できる。

ノンフィクションはかくあるべき、という、必読本であります。

 

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『知性の顚覆』橋本治

本の表紙

まずは「まえがき」を読んでください。10ページしかないんだから、全文をどこかで公開してもいいぐらいだ。「まえがき」を読んだだけで、この本がいかに刺激的であるかは、よく、わかります。そして、一気に読みたくなってしまいます。

しかし、だ。

なんといっても橋本治さんなのです。一気に読んでも、なんだかよくわからないのです。帯には「もやもやを晴らす快刀乱麻の書!」とありますが、むしろ、さっと通読しただけだと、もやもやが残ってしまう本です。だって、橋本治なのだから。

題名にある「知性の顚覆」とは、たとえば、こういうことです。

《「知性の顚覆」というと、知性が肥大化して積載荷重の限度を超えた船のように、バランスを崩して引っくり返ったように思われてしまうが、今回の事態は知性というものを支える基盤が、骨粗鬆症になったかのように脆くなって「陥没した」と言った方がいいような気がする。問題にするべきことは、知性の肥大化というようなことではなくて、「知性」というものに価値を見出す人間の数が減って、それほどの重さでもない「知性」を支えることが出来なくなって陥没現象を起こした−−「知性」の側がその基盤の劣化に気づけなかったことのような気がする。》(第六章 「経済」という怪物)

ぼくなりにこの本のメッセージを解読すれば、このままじゃまずいぞ、いや、もう手遅れかもしれない、でも、気づいた人はせめて抵抗してくれ、そうしないとぼくらの将来は崩壊しちゃうぞ、ってことなんだと思ってます。だから、少しでも気になった人は、読んでください。図書館に入るのを待つとかじゃなくて、ちゃんと、買って、読みましょう。
 

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『鉄道少年』佐川光晴

実業之日本社文庫4月の新刊。



ちょっとミステリーっぽい要素も入った小説ですが、あらすじはともかく、鉄分濃い同世代の方々には、まず、第2話「中央線快速電車」の次の一節をご紹介します。

《一九八五年一月以降、山手線、京浜東北線、中央・総武緩行線がそれまでの103系車両から、銀色のステンレス車体に色帯という205系や209系へとシフトしていくなかで、中央線快速ではずっとオレンジ一色の201系だけが運行していた。E233系が導入されたあとも、201系は走っていた。しかし、二〇一〇年十月十七日、ついに201系は中央線快速から引退した。…(中略)…わたしも悲しかったが、201系の引退によって、首都圏JRの主要な通勤電車がすべてステンレス製の車体へと変わったことのほうに強いショックを受けた。電車の色やかたちは風景に溶け込んでいる。中央線快速からオレンジ一色の201系が消えたとき、わたしは東京が別の街になった気がした。大げさでなく、あの日、東京の鉄道に残っていた大切なものがついになくなってしまったのだ。…(中略)…通勤型車両では、103系と201系がすばらしいと思っている。103系は山手線などの駅間距離が短い路線をターゲットとして開発された。一方、201系はより高速での運転を可能にする通勤型電車として開発された。当時の最新技術が惜しみなく導入されており、とくに制御システムに関しては、201系の段階でほぼ完成の域に達したとさえ言っていいと思う。…(中略)…JR東日本が開発した車両は車内が広く、座席や照明にも細かな気配りがされているのがよくわかる。しかし、乗り物としての存在感が希薄で、かなりの重さがあるはずの物体が高速で移動しているという実感が伝わってこないのだ。》

201系って、こんな電車です。



ラストラン記念(入場券セット)は、頼んでもいないのに、母が買っておいてくれたものです。

これは、去年、大阪に行ったときのスナップ(関西ではまだ現役です)。



小説の目次はこんなふうになってます。



第1話「青函連絡船羊蹄丸」の中には《青森駅には六時十七分に着き、乗り継ぎの青函連絡船は七時半に出航した。》という一文もあります。そうです、わかる人はわかる、ぼくらが北海道ワイド周遊券を持って旅に出たときのパターンです。青森駅での乗り継ぎ時間が1時間以上もあるのは、この間に寝台特急列車が到着するからで、七時半に出航する青函連絡船はその特急列車に接続しているからです…ということを、この一文読んだだけで、語りたくなってしまいます。

第3話「東海道線211系」の次の一節も、いいです。

《多くの鉄道ファンが知っているのは、乗客を乗せて線路を走行している電車の姿だけだ。…(中略)…在来線に乗っているときは、線路脇に保線区の作業員を見かけるたびに、わたしは小さく頭をさげた。一般のひとが鉄道員についてイメージするのは、運転士や車掌や駅員くらいのものだろう。…(中略)…今では、レール・枕木・バラストのチェックや補修はコンピューター制御の検査機械や振動式の動力機械によって行なわれている。…(中略)…現在でも、目視やハンマーによる打音でレールに異状を見つけたときには、保線区の作業員がツルハシをふるう。風の日も、雨の日も、雪の日も休むわけにはいかない。まさにからだを張って鉄道の安全を守っているわけで、保線区の作業員が作業をしている傍らを通過するときには自然と頭がさがった。》

先月の新刊なので、本屋さんに行けば、まだ、新刊コーナーにあると思います。すぐれた小説であることは言うまでもありませんが(そんなものはぼくがどうこう言う部分ではないです)、鉄道に対する思いという面でも、すごくうまく表現された作品です。

 

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『凜』蛭田亜紗子



しばらく何も読めないんじゃないかと思うぐらいの衝撃を受けました。と言いながらも、この本を読み終えた直後から、また別の本を読んではいるのですが、フィクション、ノンフィクションを問わず、何を読もうとも、心が動かなくなっちゃってます。

網走在住の友人いわく「女郎から網走の名誉市民になった方の話」。この間、網走に行ったとき、彼が教えてくれて、飲み屋を出た後で「ここは遊郭の跡地です」なんて話もしながら、とにかくこの本のことを絶賛していたので、それならとにかく読んでみるかと、軽い気持ちで手にとってみたら、これが、すごかった。

きれいな言葉でまとめてしまえば、厳しい環境に置かれながらも逞しく生きていく大正時代の北海道の人々の話、ということになるのでしょうが、描かれているのは、北海道の開拓の負の側面であり、性と暴力です。映像では表現できない、また、ノンフィクションでも描くことのできない、小説ならではの世界です。具合が悪いときに読むと耐えられないかもしれない。でも、目を背けるわけにはいかない。こういう中で、こういうふうに逞しく生きてきた人たちがいたから、ぼくらは、いま、こうして生きているのです。

 

蛭田 亜紗子
講談社
¥ 1,674
(2017-03-15)

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