熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
<< February 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 >>

北海道民だけど品種で選ぶ

近所のスーパー行ったら、入口のところに、落花生がたくさん売ってるんですよ。その隣には赤鬼のお面があって、つまり、クリスマスが終わってお正月が終わって、次は節分、ってことなんですね。北海道の豆まきは、殻付き落花生ですからね。

ついつい、買ってしまったでありますよ。



いくつか並んでいた商品の中で、これだけが、品種名が書いてあったのです。落花生の品種なんて考えたこともなかったけれど、ヤフーニュースにご当地あるある!「千葉県民は落花生を豆の品種で選ぶ」を書いた鳥塚さんから、復興クリスマストレインのときに「中手豊」と「半立」を「食べ比べてみてください」といただいたら、もう、はっきりわかるんですね、違いが。

味だから好みは人によって違うでしょうけれど、ぼくは「半立」のほうがコクがあって美味しかった、ので、その旨を伝えたら、「九里よりうまい十三里半」なんて話になったのは、ぼくは川越育ちであり、鳥塚さんも同じ東上線沿線で育った方からでありまして、あの「九里よりうまい十三里半」の話は、まわりにいた人たちには、何の話してるかわかんなかったかもしれない。

そんなことがあったから「半立」の文字を見つけるや、つい、買ってしまったのでありました。ちなみに商品名は「千葉県産半立殻付落花生」、販売者の所在地は「千葉県山武郡横芝光町」でありました。

日常 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

今季最初の雪道ラン

昨日は村上春樹さんの誕生日で、なんと、もう、70歳なんですね。あの赤と緑の本が西門の近くの大学生協の書籍売り場に山積みになっていた光景は、今もそのまま目の前に浮かんできます。そのぐらいのインパクトがありました、が、当時のぼくは、ひねくれてましたから(今は違うのか?)、絶対に読まないぞ!と、手に取ることを拒否してました。

その頃、正月の冬のスポーツといえば、箱根駅伝ではなく、ラグビーでした。ぼくの同級生は清宮で、1つ下が堀越や今泉や吉田、なので、吉田がアカクロの選手を引きずってコーナーフラッグぎりぎりに飛び込んだときは、ぼくは、もう、社会人になってましたが、そういう時代を知っているから(そしてその後しばらくは明治のほうが強かったから)、明治が20年以上も優勝してなかったというのは、ちょっとした驚きでした。現役の学生は、明治が強かった頃を知らない、ってことだもんな。

そんな昨日の決勝戦は、危うく、見逃すところでした。

気持ちも新たに元日の東京郊外でランニングをスタートさせたものの、札幌に帰ってきてからはさっぱりだったもので、そろそろ本格的に再開させないといよいよもってまずいことになるぞと、冬ラン支度をしっかり整えて(じつはこの間の平日の夜に薄着で出たらえらく寒くて途中から風邪引くんじゃないかと心配になって走っていてもぜんぜん楽しくなかったので)、ちょっとその辺まで…と思っていたのが、いざ走り始めたら楽しくて楽しくて、結構な距離を走ったら、帰宅するや、バタンキュー(昭和の死語)。気がついたら眠っていたようで、目が覚めたら、もう、試合が始まっていたのでした。

明治大学のみなさん、チーム関係者のみならず卒業生の皆様も含め、おめでとうございます。22年は、長かったですね。

そして、今朝、ものすごく、下半身が痛いです(笑)。しばらくお休みした後に走ると股関節が痛くなるのがいつものパターンなのですが、今朝は、腿裏がじんわりと痛い、ということは、正しいフォームで走れていたってことかなあとは思うのですが、これでは、今朝はこんなに天気がよいのに(昨日は途中で吹雪かれた)、休まざるを得ないかなあ…ま、この冬は、冬の間の適切なトレーニング方法を見つけるための試行錯誤でいいと思っているので(大事なのは来年の今ごろのコンディションづくりですから)、様子見ながら、また、ぼちぼち、やっていきますわ。

昨日のランニングの途中で(北海道マラソンでいうと39kmぐらい?)

日常 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

If Winter comes, can Spring be far behind?

昨日は、よく降りました。
 


3日の夜に札幌に帰ってきたときは、拍子抜けするほど積雪がなかったのに。

(下の写真は1月5日午後撮影)


数字でみると、1月4日の朝9時の札幌の積雪は26センチだったのが、昨日の正午は56センチ。一昨日の朝の時点では平年比76パーセントだったのが、あっという間に平年値を超えてしまいました。それでも、累積降雪量はまだまだ平年値を大きく下回っているから、そのうちどこかでドーンと豪雪が来るのでしょう。

これは毎年書いてるような気もしますが、冬至を過ぎても、日の出の時刻は、なかなか、早くはなりません。冬至の日の札幌の日の出は7時03分ですが、今日の日の出は7時05分と、むしろ、遅くなっています。

でも、もうちょっと、なんだ。



2019年カレンダー「オホーツク鉄道ガイド」に記載されている網走の日の出の時刻をみると、1月1日から15日まででは3分しか早くならないのが、1月15日から30日まででは12分も早くなることがわかります。ついでにいえば、2月は1ヶ月で一気に40分も早くなって、3月になると50分も早くなる。今はまだ日の出は7時過ぎで、このブログを書いている6時台前半(ちょうどNHKラジオ第一で厚真町の話をしている)では外は真っ暗なんだけど、2ヶ月後には、もう、日の出が5時台になっている。

ときどき書いているように、札幌の秋から冬にかけての日の短さは、移住組にとっては心身に影響するほどよろしくないことで(ちょうどいまNHKラジオ第一でやっている厚真町の話のテーマは移住者です)、とりわけ、ぼくは早朝活動派なので、夜がなかなか明けないことはツラいのですが、それも、もう、あとちょっとの我慢です。
日常 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

夢から覚めて

昨日、30年前に見た夢の話を書きました。昨日書いたように、30年前の夢は、まさにそのとき、現実になっていたものです。夢が現実に反映されるのだとすれば、鳥塚さんがたくさん書いてくれた今年の夢も、これから、現実になっていくのでしょう。

初夢 妄想特急(2019.01.02)
初夢 妄想特急 その2(2019.01.03)
初夢 妄想特急 その3(2019.01.04)
初夢 妄想特急 最終章(2019.01.05)
初夢 妄想特急 「夢の続き」(2019.01.06)

新しい年になって1週間が過ぎ、もう、夢を見ている場合ではないのですが、さりとて目の前のことばかりやっていると何の進歩もないままに1年が過ぎ去ってしまうので、新しいスケジュール帳(兼・日記帳)を前に、今年の目標や予定を整理しています。そういうことは年明け早々にやるべきだと思うものの、年明け早々はいろいろとやることがあるわけで、そして、いろいろとやることがあるというのはいろんな人との関係が維持されているということであるわけで、そうやって考えれば、やるべきことが先送りされているように見えても、それはかならずしも悪いことではありません。

ほうふ【抱負】
心の中にいだきもっている計画や決意。「新大臣の−を聞く」「将来の−を語る」
(スーパー大辞林3.0=iPhoneアプリ版=から)


心の中を公開する必要はないし、心の中というのは公開しないほうがよい場合も少なくないですから、全部を公開はしませんが、ずっとブログやってきて、ブログを見た方から助けていただいたこともたくさんあるので、今年の抱負を(可能な範囲で)書いてみましょう。

■マラソン
制限時間内の完走ならば(4時間以下のガチ大会でない限りは)去年と同レベルの準備で十分可能、なのですが、昨シーズンの終盤(北海道的シーズンなので日本全国標準的には今シーズンの始まり)で飛躍的に記録が伸びたことを思うと、さらにタイムを縮めたいとも思います。そのためには、これまでのような適当な練習ではなく、本格的なランナーみたいな練習量にしないといけないわけで、そうするには普段の生活から変えなきゃいけない。そこまでするのか?と思う一方で、去年までハーフしかやってなかったヒト(ハーフの記録はぼくよりもずっと速い)からいただいた年賀状に「今年はフルに挑戦します」と書いてあって、最初のフル(北海道マラソンか?)で負けるのは悔しいから、やっぱり、去年の真駒内マラソンでもらったランニングダイアリーを使って、PB更新目指して、がんばります。

■旅に出よう
数年前から公私ともに遠出の機会がすっかり減っていたのが、去年は、マラソン大会に出ることで、旅行の頻度が高まりました(川内優輝選手が「毎週レースに出る本当の理由は旅行が好きだから」と語っているように、各地で走ることは旅に出ることにつながるのです)。去年の年初は、じつは、いろんな理由で、しばらくの間は頻繁に出かけるのは難しいだろうなと考えていたのに、終わってみれば、思いのほか、あちこちに、しょっちゅう、出かけてました。今年は、逆に、いろんな理由で、遠出の機会は多くなりそうなのですが、心のふるさとである最北の離島への旅は、ちょっと、難しくなるかもしれません(フラワーマラソンは出ますよ)。

■コンサドーレを応援しています
マラソンやるようになってコンサドーレと接する時間はどんどん減っているのですが(ランニングの時間をどうやって捻出したのかと考えるにネット情報の閲覧やテレビ観戦を含めたコンサドーレ関連の時間を減らして時間を作ったとしか思えない<意識的にそうしたのではないけれど結果としてそうなっている)、それでもやっぱり、シーズンチケットは買わないわけにはいきません。去年なんてホームゲームでも行かない試合がたくさんあって、シーズンチケットは計算するまでもなく割高なのですが、これをやめたらますます行かなくなってしまうに違いない。コンサドーレやJリーグの事情には(さらに)疎い人になってしまうかと思いますが、気持ちはサポーターですので、見捨てないでください。

■身軽になる
体重もそうですが(現在はかなり重くて自分的上限ギリギリです)、長い間、放置されている荷物を減らします。もともと自宅にあったモノに加えて、以前に事務所を借りていたときの備品や資料、東京の家(マンションの部屋)を売ったときに東京から来た大量の荷物が、すべて、自宅にある状態なのだから、そりゃ、家中がモノで溢れかえるわけです。サッカーではスペースを作らなければパスがつながらないのと同じで、生活においても新たなスペースを作らなければ新たな何かは手に入らないのです。

そんなふうに考えていくと、さらに時間を捻出するためにも、ネットとの付き合い方は、少し、変えなきゃいけないかなあと思ってます。この時代にあってネットを遮断するなんてのは、自分の現在位置を後退させることになりかねないのですが、これまでとは違った立ち位置に自分の身を置く必要があるのだろうなと考える新しい年の始まり、なのであります。

日常 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

昭和最後の日から30年

今からちょうど30年前、1989年=昭和64年1月7日の朝6時半過ぎのことは、とてもよく覚えています。これは今でも母がときどき言うことなのですが、ぼくは、起きるなり「天皇陛下が亡くなった夢を見た」と、母に言ったのです。

Wikipediaによると、当日は午前5時24分から「容態深刻報道」がNHKで流れていたそうですが、その朝、我が家ではまだテレビもラジオも付いておらず、寝床でそうした放送を耳にすることはなかったはずなのですが、ぼくの頭の中に、どこか遠くで流れていた音声が聞こえていたのかもしれません。脳の働きはいまだ未解明なことが多いのだから、そういうこともあり得るのではないかと思います。

「天皇陛下崩御」のニュースを知ったのは、埼京線の電車の中でした。その頃、ぼくは川越に住んでいて、身分はまだ大学生で、その日は朝から大宮でバイトだったので、午前8時前後は、埼京線に乗っていました。車内で珍しくラジオを聞いていたのは、自宅を出る前に「危篤」のニュースに接していたからなのでしょう(その辺はまったく記憶にない)。

いまだよく出てくる小渕官房長官の「平成」は、生で見たような気もするけれど、朝からバイトに行っていて、その日の14時36分(発表時刻)にテレビを見ていたというのは、どうにもよくわからない。でも、見たような気がする。

その翌日、平成元年の初日となる1月8日は、種村直樹先生の事務所の新年会でした。1月の第2日曜日の午後、竹ノ塚の先生の事務所(仕事場の上の階にあった書庫的な部屋)で新年会が開催されるのが毎年恒例になっており、ぼくは当時は事務所のバイト君だったから(大宮のバイトとは別です)、新年会の準備要員として、朝から竹ノ塚に行ってました。

あの頃の「空気」は、今となっては40代以上の人でないとわからないと思うのですが、とにかく、なんでもかんでも、自粛、でした。その前年の、昭和天皇の病状が深刻な状態になられてからずっと、世の中は、自粛でした。あれほどの自粛ムードは、自分の人生の中では、後にも先にもありません。

そんな中での昭和天皇崩御の翌日、新年会用のお酒が無事に事務所に届いたとき、種村先生が「無事に届いてよかったな」と冗談を口にしていたことを思い出します。今となっては意味不明の冗談ですが、当時は、あの状況下で新年会を開くのは不謹慎だとの誹りを受けるんじゃないかと心配するぐらいに、世の中は「自粛」だったのでした。


 

日常 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -