熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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今後1週間程度は

厚真火発の復旧が長引きそうだとか、震源地から何百キロも離れたローカル線の運転再開が10日以上も先になるとか、ようやく元の生活が戻ってきそうなところで気持ちが萎えるような発表が相次いだ昨日でしたが、それでも、少しずつ(いや、だいぶ、かな?)、地震前と同じような生活を取り戻しつつはあります。

地震発生から3日目(=我が家の停電復旧の翌日)の土曜日、ランニングシューズを履いて、大倉山まで走りに出かけたら、道路にどんぐりがたくさん落ちてました。



札幌では、地震の前夜に台風が来ていて、夜中の2時過ぎ(あとから考えれば地震の25時間前)には、風の轟音で目が覚めて、その後は怖くてうるさくて眠れませんでした。ここにどんぐりや木の枝や葉っぱがたくさん落ちているのは、あの暴風の落とし物でしょう。この後、大倉山のジャンプ台の下まで行ったものの、ジャンプ台の上へと続いている遊歩道には倒木がたくさんあるそうで、ジャンプ台周辺は立入禁止になってました。

その台風は、関西地方を中心に各地に大きな被害をもたらし、関西では、今もなお避難所暮らしの方々がいらっしゃいます。さらにその前の西日本一帯の大雨や、九州の大雨などでも、まだ、生活を元に戻せない方は、たくさんいらっしゃいます。

北海道内にしても、多くの地域では元通りの生活が戻りつつあるものの、自宅が損壊した方もいれば、そこまでは行かなくとも断水などで自分の家に帰れない方もいます。停電や節電で生産活動や商売に大きな負の影響を受けている人もいます。身近な人を亡くした方も、残念ながら、大勢、います。

べつにバカ騒ぎをしてはいけないとは言わないけれど、頭の片隅には、そういう人もいるんだということは、つねに、置いておかなきゃいけないと思っています。自分自身がああいう目に遭うと、ともすると、自分にとってよいことが起きたときに、つい、ふだん以上のテンションではしゃいでしまいがちなんだけれども、そこでちょっとだけブレーキをかける。それが、世の中をよりよくしていく、お互いに住みやすい社会を作っていくことになるのではないかと思います。

そんなことは、震災があろうがなかろうが、日常的に身につけておかなきゃいけないこと、なのでしょうけどね。誰かのせいにしたり、誰かを責めたりするのではなく、そうかといって自分に責めを負わせるのでもなく、淡々と、粛々と、他人の存在に思いを馳せながら行動する、発言する。



地震発生直後、気象庁からは「今後1週間程度は最大震度6強程度の地震に注意が必要」との発表がありました。もう、あの地震からずいぶん経ったような気がするのに、まだ、今日でようやく、6日目です。おそろしく長く感じた停電は、じつは(たったの)2日間。あれで、時間の感覚が狂ったのでしょう。

気象庁の発表を信じるならば、そろそろ、大きな地震は収まってくれる頃。日曜日(大地震から3日目)の夜11時前に大きな揺れ(M5.0)が来たとき、多くの人が「あ!これが『今後1週間程度は注意が必要』なヤツか!」と思ったのではないでしょうか。あの後も、何度か(昨夜も)地震はあったものの、M5.0以上は、あの日曜日の夜が(今のところ)最後です。

節電とか言われると、電気をたくさん使う札幌ドームでサッカーなんかやっていいのか?と思ったりもしますが、そんなこと言われないように、サッカーやっててよかった!と言われるように、コンサドーレも、全力で、応援します(と言いながら、鳥栖戦も浦和戦も見に行けず、申し訳ないですが、ぼくはぼくの持ち場で頑張ります)。

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第1回日本最北端わっかない平和マラソン(番外編その2)

最初は、終わったらそのまま、礼文に行くつもりでした。

マラソンのスタートが9時ちょうどだから、5時間で走りきれば14時にはゴールできる。ゴールとフェリー乗り場の間はそれほど遠くないから、14時45分の礼文島香深港行きの船には間に合う。マラソン大会でもらったシャツを着て、首から完走メダルぶら下げて、稚内で走ってきたぜ〜とか言いながら、いつもの宿へ…

ところが、いざ当日が近づいてくると、はたして本当に間に合うのか?と、不安になってきて…ゴールからフェリー乗り場は歩いて15分ぐらいだろうから、5時間をオーバーしても船には間に合うだろう、というのは、いつもの自分であれば、という条件付きの話。5月の黒部でも、7月の函館でも、フルマラソンのゴール直後は、ほとんどまともに歩けなかった。函館に至っては雨で濡れた体を拭いて着替えるのに相当な時間を要した(立ったり座ったりがまともにできなかった)から、ゴールタイムが5時間を超えると、やっぱり、厳しいように思える。

それでも、フェリーターミナルまで、タクシーを使えば、なんとかなるかな?

だけど、そういったことを気にしながら走るというのは、楽しくないんじゃないか。自分がやりたくてやっているはずのことが、やらされていることになってしまうような気がする。もし、船に間に合わなくて、礼文に行けなかったら、稚内で宿を探すのか?行けたとしても、そんなボロボロの状態では、何もできないんじゃないの?

そんなふうに考えて、礼文へ行くのをやめることにしたのです。

が、終わってみれば、すべてが、間違ってました。



ゴールタイムは5時間をちょっとだけオーバーしたけれど、船には(乗ろうと思えば)余裕で間に合いました。上の写真で港を出ていこうとしているのが礼文島行きの船で、これを撮ったのは、フィニッシュ会場で食事して、川内選手と写真撮ってもらって、FINISHERのボードを掲げて記念写真まで撮った後。

時間は、十分すぎるほどに、あったのです。

函館マラソンのときは、ゴール直後は体が言うことをきかなかったのですが、今回は普通に歩けました。一方で、もし歩けなかったらタクシーに乗ろう、というのは、何を考えていたのやら、という話で、ゴール地点からフェリーターミナルへの曲がり角まではマラソンのコースなのだから(今まさに自分がそこを走ってきたのだ)、タクシーなんて使えるわけない。



完走メダルをぶら下げていつもの宿へ、というのも、完走メダルがメダルというより稚内珪藻土のコースターみたいな形状で紐が付いていない(箱に入っていた)のだから、仮にいつもの宿へ行ったとしても、そんなことは実現しなかった。

前にも書いたように、今回は、走ることを(ラン友2人を除いて)誰にも伝えていなかったのですが、その日の朝、天気はいいし、自分の調子も悪くないから完走できないことはなかろう、テツ系の方々が某イベントで道北にいるようだから「これから稚内で走ります」とフェイスブックに書いたら誰か来てくれるかも…と思って、スタート前の宗谷岬から(それほど期待もせずに)投稿をしたら、某イベントに参加していたらしい某氏が見事に釣られてくれて(笑)、ぼくのゴール後に、車で来てくれました。

スタートから5時間半が経過してコースが解放されてから、某氏の車で副港市場の港のゆまで(さっき走ってきた道を逆走する形で)運んでもらい、ランナー特典の入浴割引券(通常750円がランナーは500円)とリネン貸出無料券(フェイスタオルとバスタオルで150円が0円)を行使。おかげさまで、温泉の大浴場でさっぱりしてから帰ることができました。

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第1回日本最北端わっかない平和マラソン(番外編)

第1回だからいろいろ不備があるだろうと予想していたのに対して(お天気に恵まれた幸運もあって)きわめてスムーズな運営が行われた日本最北端わっかない平和マラソンでしたが、多少の混乱はありました。

その一つが、スタート地点の宗谷岬へのバス輸送の事前案内。

当初の案内では「バス乗り場は北防波堤ドームのみ」だったので、南稚内のホテルも空いていたけれど、稚内駅近くの宿を取っていました(予約時点では南稚内にはまだ宿泊料金の安いホテルもあった)。それが、直前になって「南稚内からもバスを出す」との案内が来て、なんだよ、それなら南稚内でもよかったじゃないか!と思ったけれど、時すでに遅し。

と、書いてから言うのもなんですが、大会全体からすれば、そんなのはたいしたことではありません。ちょっと高くついたけど、北防波堤ドームのフィニッシュ会場の周辺を前日にぶらぶらできたのは楽しかったし、前日の参加賞受取場所や当日のバス乗り場のすぐ近くに宿が取れたのは、楽だったから、べつに、文句を言っているわけではありません。

参加賞(Tシャツとタオル)の前日受取ができるフィニッシュ会場へは、稚内駅を出たら右の広い道を行くのが自然ですが、今回は、あえて、懐かしのフェリー乗り場への道を通ってみました。



今となっては、ここはまず通ることのない道ですが、2002年の中央レンバイ大火、2008年の利礼航路フェリー乗り場移転、2012年の稚内駅新駅舎全面開業を経て、すっかり様変わりしてしまった稚内駅周辺にあって、ここには、まだ、昭和の頃の面影があります。

大会前日のフィニッシュ会場



10年ちょっと前まで、ここには、利尻・礼文へのフェリー乗り場がありました。

2005年6月


2007年8月(下2枚とも)


大会当日(2018年9月)の、上の写真と同じ場所(角度は違います)



今回泊まったホテルの部屋の窓の外



この駐車場には、かつては、「せがわ」の建物がありました。



(これ↓は今回=2018年9月=の同じ場所)


「せがわ」は、1986年の8月、種村直樹レイルウェイ・ライター友の会のみなさんと、稚内から西大山経由枕崎までの乗り継ぎ旅をしたとき、稚内を出発する前夜に泊まった宿です。



(種村直樹『日本縦断鈍行最終列車』1986年刊)


今回の宿が、このときの宿(の跡地)の隣接地であることは、現地に行ってみるまで、知りませんでした。たまたま、ここで、しかも、自分の部屋の窓が、「せがわ」の跡地に面していたというのは、出来過ぎの偶然でした。それで大会当日は朝からあの青空なのだから、そりゃ、テンション上がりますって。

ついでにいえば、上の写真にあるように、その1986年の乗り継ぎ旅で最初に乗ったのは、国鉄天北線の鈍行列車でした。先日も書いたように、日本最北端わっかない平和マラソンの折り返し地点は、天北線の恵北駅(があった場所)の、すぐ近く。かつての天北線がどの辺を走っていたか?は、稚内空港を利用するたびに気になっていたものの、これまで、わざわざ調べることもなかったのですが、今回のコースの折り返しに「恵北」という地名があるのを見て、いろいろ調べて、ものすごくひさしぶりに、天北線に対する関心が蘇ってきています。



さらについでにいうと、ラジオの気象情報でよく出てくる「稚内市沼川」というのも、この辺です。天北線にも沼川駅がありました。天北線の駅でいうと、声問(今回のマラソン大会の私設エイドで冷えたスイカをいただいたところ)の次が恵北(折り返し地点)で、その次が樺岡、その次が沼川でした(さらにその次が曲淵で、その次の小石までの間が日本の鉄道の最長駅間距離だったから、鉄道好きのみなさんの中には小石〜曲淵をセットで記憶している方も多いのではないでしょうか)。

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第1回日本最北端わっかない平和マラソン(その4)

(その1)はこちら
(その2)はこちら
(その3)はこちら

29kmに2度目の給食ポイント。



並んでいたのはドリンクゼリーと梅干し。明治(SAVAS)がスポンサーになっているからドリンクゼリー、なのでしょうが、これはちょっと意表をつかれました。二つ持っていっていいですよというので、ありがたく二ついただき、小休止しながら給水所のボランティアの方々やランナーの方々としばし立ち話。

この辺まで来ると、給水所で一緒になったり、ときどき歩いているところを抜いたり抜かれたりという顔ぶれがほぼ同じになってきて(人数が少ないからお互いが認識できる)、この風はきついですねえ、とか、あと10キロちょっとだね、とか、そんな感じで、給水所やコース上で、ときどき、話をしてました。これは過去に出たマラソン大会では一度もなかったことで、ぼくにとっては、とても楽しい経験でした。

27kmで走れなくなったのは、忘れていた向かい風が大きな原因ではあるのですが、その辺から、急速にお腹がすいてきたのも、また、テンションが下がった要因でした。ポケットに入れていた井村屋スポーツようかんを口にしたものの、今度は口のまわりがべとべとして気持ち悪い(と感じるのは自分がイライラしているからなのですが)。そういう中での29kmの給食と給水でしたから、これには、とても救われました。

30km関門。30分以上の余裕でクリア。



1週間前の北海道マラソンを(ほぼ)歩かずに完走できたことでフルマラソンの走り方がわかった(ような気がしていた)ので、このまま最後まで行けるんじゃないの?この調子だったら北海道マラソンのタイムを上回れるかも…などと、色気を出したのがよくなかった(のか、風のせいか、コースのアップダウンのせいか、前週からの疲労のせいか、わからんけど)。27kmで歩き始めたときには、残りの距離と制限時間を計算して、さすがに制限時間をオーバーすることはなかろう、でも、せめて5時間は切りたいと思っていたのが、30km関門を抜けたら、もう、どうでもよくなってました(笑)。とにかくゴールすればいいや、5時間とかこだわると、またきつい思いをしなきゃいけない。それはいやだ。

そんな折れかけた気持ちを再び奮い立たせてくれたのが、31kmの看板の脇で声援を送ってくれた男性。今年の北海道マラソンの参加賞シャツを着ていたから、先週、走った方なのでしょう。しっかりとこちらに顔を向けて「ここまで30キロも走ってきたんだよ!よくがんばったよ!あと少し!」と叫んでもらったのは、嬉しかったなあ。そうだよ、残り10キロちょっとじゃないか。ぼくらは、宗谷岬からここまで、30キロ以上も走ってきたんだ。

声問の私設エイドでは、冷たいスイカとポカリスエットをいただきました。こういうときに冷えたスイカがいかにきくかは、北海道マラソンでも感じたこと。ありがとうございます、スイカいいんですよね〜などと、エイドの方や、ランナーと話していたら、テーブルの向こう側でスイカを出してくれていた方が、後ろから来る人たち(の方向)に目をやり「風船の人たちが来たね」

5時間のペースランナー集団に抜かれました(笑)



しばらく走ったり歩いたりしているうち、宗谷丘陵の往復区間でしばらく一緒に走っていた人が追いついてきて「5時間にあっさり抜かれちゃいましたね(笑)…ここで抜かれたのは悔しいなあ…せめて35kmまでは抜かれたくなかったのに…こんなことは初めてですよ」「この向かい風だから仕方ないですよ、この風で、タイムは20分ぐらい違うんじゃないですか」

35km関門は残り29分でクリア。



オレンジたくさん食べていきなさい!
みんな「生きかえる」って言ってるよ!



そう言われて差し出されたオレンジを一つ食べて、あまりにうまいので、もう一つ。

「風が大変みたいだねえ」
「そうですね、でも、あと少しですから」
「がんばって!」

宗谷バスの潮見待合所の手前で国道から離れて、埠頭の中の倉庫や工場が立ち並ぶエリアへ。民家はないところなのに、それぞれの会社の方々が沿道に出て声援を送ってくれる。ぼくの少し前を走っている女性が、そういう人たちのすべてに「ありがとうございます!」と声を出していて、すごいなあと思って話をしてみたら、この方、なんと、台湾の方でした。どう見ても走れそうもない美しくないフォームなんだけど(笑)、悔しいかな、オレより速いのだ。ときどき引き離されるんだけど、彼女もときどき止まるから、また追いつく。そうすると「もう少しですね」とか「がんばって」とか、こちらを見て微笑んでくれる(サングラスかけてるから目線は見えないけど)。

とはいえ、もう、がんばるのは、限界か…



しかし!まだ、40kmの手前にも、エイドがあるのだ。



ドリンクやフードもありがたいんだけど、それ以上に、「もう少しですよ」「がんばってください」と、笑顔で声をかけてもらえるのが嬉しい。

40kmポイントを通過。



もう残りわずかなんだけど、うろこ亭さんの前に「私設エイド」。



つぶ焼きをいただきました。


(もう少し早ければメロンもあったらしい)

「鮭とばもどうぞ」と言われたけれど、ここで鮭とばはきついと思ったので、お気持ちだけいただきました(で、すぐ先で、ぼくの隣を走っていた人が「トバが噛み切れない!」と笑ってました)。

ついに、ここまで、来ました。



礼文へ行くときにかならず通る、フェリーターミナルへの曲がり角。
ここまで来れば、ゴールは、もう、すぐそこ。

さすがにここからはちゃんと走ろう。

最後ぐらいはまじめに走ろう。
でも、全速力で走っちゃうのはもったいない。

地元の方や観光客の方が声援を送ってくれている中、速すぎない程度のスピードで走りました(と自分では思ってたんだけど、40kmから先のラップタイムをみると、この終盤は前週の北海道マラソンよりも速く走っていたようです)。

稚内駅前を通過してからは、何度も「楽しかった〜」と言いながら、沿道の人にまで「楽しかったです!ありがとう!」とか言いながら走ってました(笑)。全日空ホテルの前には、作.AC北海道のみなさんが待っていてくれて、作田徹さんに声をかけてもらいました(真駒内のときもそうなんですが、あの、ゴールのほんの少し手前の絶妙のタイミングがいいんですよね〜そんで、また、作田さんの力強さが、いいんだ〜あれで最後のパワーをもらえるんです)。

どん詰まりのT字路を右に曲がれば、あとはゴールを目指すだけ。ここには、稚内南中学校の女子生徒が並んで待っていてくれて、声援を送ってくれる。ただただ、ひたすら、感謝、感謝。ここまで走らせてくれてありがとう、みなさんのおかげでたくさん楽しませてもらいました。

これは自分がゴールした後に撮りました(稚内南中学校の応援)。



前方を見れば、フィニッシュ地点にはゴールテープが張られていて、誰かがゴールテープを切ると、また次のゴールテープが用意されている。それならばと、スピードを落として、前の人との間隔を少しあけてから、一人で気持ちよく、ゴールテープを切らせていただきました。

こんな感じ



完走証をもらって、記念品をもらって、フィニッシュ会場の地元グルメブースで、帆立カレーや、川内優輝選手が食べていた宗谷牛ハンバーグを食べて、ソフトクリームを手にしたままの川内選手と一緒に写真を撮ってもらって(川内選手は前週にニューカレドニア・モービル国際マラソンを走ってます)、といった具合で、ゴール後も、フィニッシュ会場で、のんびり過ごせました。



ただ、レースとしては、これだけずっと向かい風が続くと(ワンウェイだから逆にずっと追い風の可能性もあるわけですが)、厳しいです。観光的な要素で楽しませるにしては、エイドで名物料理の提供があるわけでもなく、いまいちです。

だけど、なぜか好きになってしまう温かさが、この大会には、ありました。

じゃあ来年も出るのか?というと、即答はしかねます。というのは、今回は好天だったからよかったけれど、これが、いつもの稚内、ぼくがよく知っている稚内だったら、と思うと、この42.195kmは、スタート地点での待機も含めて、ただの苦痛でしかないようにも思える…とか言ってるけど、あんたあんな波の高い日に礼文島の海岸線を(わずか18kmですけど)走ってるじゃないかと、頭の中でリトル大熊が言ってる声も聞こえてきます。

ホテルの料金が高いのもきついけど、これだけ楽しませてもらえるのだから、そこは、稚内の経済に貢献するということで、多少の高さは許容するかな…。北海道マラソンの翌週という日程は、大会の趣旨に鑑みれば動かしようがないだろうから、どうしようもない。今回、ちゃんとどっちも制限時間内に走れたのだから、来年は1歳、年を取るとはいえ、1年間、ちゃんと練習を積めば、大丈夫だって。

とても楽しく、温かい大会でした。
みなさま、ありがとうございました。

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第1回日本最北端わっかない平和マラソン(その3)

地震から2日半が経って(というかまだそれしか経ってないのか!と驚きますが)、生活も落ち着きつつあるので、あんまり地震でどうのこうのと書いてばかりいるのもどうかと思うので、普通の話題に戻します、ってことで、少し間が空きましたが、稚内のマラソン大会の話の続きです。(その1)(その2)では、まだスタートしてなかったので、実際にはここからがマラソンの話です。

(その1)はこちら
(その2)はこちら

スタートしてからずっと続く、右に海があって、左は(たまに)人家、という風景は、まるで、礼文島で香深から船泊へ走っているような感じ(道路の幅はこっちのほうがずっと広いけど)。人数が多くないからスタート直後の渋滞もなく、最初から気持ちよく走れるものの、横または斜め前から風が吹いていて、海側に出ると風が直撃します。海側のほうが眺めはいいんだけど、陸側を走らないと体力を消耗しそう。

すぐ前を走っていたランナーの被っていた帽子が後ろに飛んでいき、本人あわてて立ち止まるも少し後ろにいた人が拾ってあげる、という場面もありました(ぼくは、今回は、帽子はかぶらずに走りました〜帽子は飛ばされるから気をつけてね、できればかぶらないほうがいいですよと、礼文島にいるとき旅行者にしょっちゅう注意していることを、朝、ホテルを出るときに思い出して、帽子はやめたのでした)。

距離表示は1キロごとにあります。



この道は、宗谷岬から稚内へ向かう唯一の道。観光的にも生活的にも主要道路なのに、それを(片側だけとはいえ)通行止めにしちゃうというのはすごいことです(ゆえに制限時間がやや厳しめの5時間30分なのでしょう)。



おお、利尻が見えてきた!



それはいいんだけど、よ〜く見てみると、利尻の右下に市街地が見えて、ぼくらはこれから、あそこまで走らなきゃいけない。そう思うと気が遠くなるけれど、走らなきゃいけない。

人家は少ないけれど、少ないなりに沿道に人は出ていて、みなさん声援を送ってくれるので、ぼくはいちいち何か答えて(叫んで)たら、少し前を走っていた女性に振り向かれて「すごい元気ですねえ」。「あ、うるさくてすみません」「いえいえ、こちらも元気をもらえて、嬉しいです」

丘の上で風車がぐるぐるまわってる。



それだけ、風が吹き続けている、ということです。だからこの場所には風車がこんなに立っているわけで、半月前に礼文で足元まで波をかぶるような道を18km走ったときに比べればこれでもはるかにマシだ…と、このときは、まだ、余裕をかましていたんですが…

給水ポイントが手前に示されているのはありがたい。



ぼくみたいなランナーの場合、最後まで歩かなかった、という(村上春樹的な)総括の中の「歩かなかった」に、給水所でのストップは含まれないので(笑)、もういやだ、歩いてしまいたいと思ったときのよりどころが「次の給水所までは止まらず歩かずに走り続ける」なのですが、次の給水所がどこにあるかは、一応、スタート前に頭には入れておくものの、走り始めたらそんなのいちいち思い出せないから、こういうふうに示してもらえるのは、ものすごくありがたい。

同じような道路を淡々と走って、15km関門は余裕で通過。



人数が少ないから、広い道路を独占した気分にもなれる。


(行く手の右側に利尻富士が見えます)

走りながら途中で少しお話した人は「ほかの大会と違って走っている人が少ないからペースをつかみづらい」と言ってました。たしかに、そういう面もあるかもしれないけれど、ほかのランナーとの接触をまったく気にせず走れるのは、とても楽です。

17kmの手前で、沿道にいたボランティアの方から「もう少しで風がなくなりますよ」と言われてからまもなく、海沿いの道から左に曲がって内陸部へ入ったら、風がやんで、むしろ、蒸し暑い。

江戸屋山道の入り口みたいな感じ
(比較の基準がいちいち礼文島)


(反対側の先頭を走っているのは3時間のペースランナーです)

緩いけれどだらだらと続く上り坂で、歩き始める人もちらほら。キロ6分30秒ぐらいのペースで淡々と走っていたぼくは、歩いている人たちを追い越して、気持ちよく走っていたのですが、後から思えば、この上りの負担が、脚に来たのかもしれません。

上りきったら左右には牧草ロール。



この往復約10kmは、宗谷岬〜稚内市街地だけだと42.195kmに足りないからやむなく入れたのだろうと思っていたのですが、いやいや、とんでもない、この区間の眺めは、じつに素晴らしかった!

事前にグーグルストリートビューでチェックしたときは、左右の見通しのきかないつまらない道に見えたのですが、実際に自分の足で走ってみれば、遠くに利尻富士も望むことができて、宗谷丘陵の周氷河地形が実感できる、その昔の天北線の車窓から見た風景を思い起こさせるような、雄大な眺めが広がっていました。

この辺は人家が皆無なので応援の人はいなくて当然なのですが、ところどころにボランティアの方がいたり、自衛隊の方がいたりで、みなさん声をかけてくれるので、楽しく走れました。

往復区間の途中の21.6km地点で、最初の給食ポイント。



プログラムには「※給食は準備した数量がなくなり次第、終了させていただきます」と書いてあったから、何もないことも覚悟していたのですが、ちゃんとバナナがありました。

ぱっと見、周囲に人家はなさそうなんだけど、農家のおばちゃんが応援に出てきてくれていて、手を振っているのかと思ったら明らかに手のひらをこちらに向けているのがわかったので、左に寄ってハイタッチ。



折り返し地点が第2関門。閉鎖時刻の27分前でクリア。




この折り返し地点のすぐ先が、かつての天北線の恵北駅があったあたり。

とても賑やかな応援で迎えてくれました。



まただらだらの上り坂が続いて、ふたたび牧草ロール。



左右の見通しがきかなくなって下りに入るあたりで、左から「ぶ〜ん」という音が聞こえてきて、あ、そうか、もうこのすぐ先が稚内空港の滑走路なんだと気づかされました。まったく姿は見えないんだけど(だから何も知らないとあの音には不安を感じるかもしれない)、この時刻であれば、千歳便のQ400が離陸準備をしているはず。

ここまでは、ちゃんと、走ってました。

往復区間を終えて、ふたたび海沿いの道路に戻ったところで、すっかり忘れていた真正面からの風が襲いかかってきました。あの往復区間に入るまでだって風を受けて走っていたのに、体がその感覚を忘れていたから、ものすごくきつい風に感じる(と思ったんだけど、どうやらこの時間帯はスタート時よりもかなり風が強くなっていたらしい)。だめだだめだ、まだ30kmにも達してないじゃないか、止まるな歩くな脚を動かせと、頭の中で必死に唱えたのですが、27km地点で、ついに、歩いてしまいました。完全に、気持ちが折れました。

28kmの看板の脇に、給水所まであと1kmの表示。



よし、そこまでは走ろうと決意して、あれ?そういえば、オレ歩いてるのに誰にも抜かれてないぞ?なんでだ?と振り向いてみたら、みんな、歩いていた(笑)。



これは終わってからわかったことなのですが、こんなグダグダな走り(歩き)をしていたのに、ぼく、中間地点から30kmまでの間に、かなり順位を上げているのですよ。その後も、30km→40kmで少し順位を落としたものの、40kmからフィニッシュまでの間に落とした順位を取り戻して、結果、フィニッシュの順位が全コース中ベストの順位でした。ラップを見ると、中間地点までは前週の北海道マラソンとほぼ同じ(2秒違うだけ)なのが、後半でガクッと落ちているんだけど、それでも順位を上げているということは、ここからペースダウンしたのはぼくだけじゃなかった、あの向かい風は多くのランナーを苦しめたのだということを、終わってから、あらためて感じました。

左側から飛行機の音が聞こえてきて、羽田空港からの便が着陸。



稚内空港の滑走路ってこんなに近くだったんだ。頭の中には、なぜか、36年前に天北線の列車の車窓から見た稚内空港が原野の中の小屋みたいだった映像として蘇ってきました。

前を見れば、ずっと右に見えていた利尻富士が、左前方に移動していました。



(続く)

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『海馬島脱出』

稚内のクラーク書店に平積みになっていた本。



こういう本が目立つところに置かれていたりするから、稚内のクラーク書店はおもしろい。そして、応援したい本屋さんなのです。

タイトルの「海馬島」は、礼文島の北にある無人島ではなく、樺太(サハリン)のそばにある島です。「モネロン島」のほうが、わかりやすいかもしれません。



昭和20年8月15日以降も戦闘が続いていた樺太で、ソ連兵の目を盗んで海馬島から北海道へと脱出を図った人たちの手記やインタビューを集めたのが、この本です。脱出は数回にわたって、さまざまな船で、また、さまざまなルートで行われたようで(その辺は証言者や記録によってまちまちで正確なことはわかっていない由)、脱出船の中には、礼文島の船泊に立ち寄ったものもあります。

稚内のクラーク書店で買ったものの、しばらく放置(積ん読)状態だったのですが、大地震で停電した日の昼間、電気復旧を待つ以外にやることもないときに、読みました。この本に書かれていることに比べれば、停電で困っているなんてたいしたことじゃないと思いながら、読んでました。

こういう本を読むたび、ぼくは何も知らないんだなあと思わされます。北海道の人がときどき話題にする、いわゆる三船遭難事件にしても、ぼくは、恥ずかしながら、北海道に引っ越してくるまで、知りませんでした。

もはや、あれもこれもと幅広く手を出すよりも得意な分野で世の中に貢献する年齢なのだろう…と思う一方で、こういう本に接すると、やっぱりまだまだ勉強だ(そして勉強したことは次の世代に語り継いでいかねばならぬ)とも思います。

 

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突然被災者

何か災害が起こるたびに使われる「被災地」「被災者」という言葉が嫌いです。「被災地」「被災者」という言葉には、自分たちは普通に生活してますけどみなさんかわいそうですね、というニュアンスを感じてしまうのです。

だけど、いざ、自分がそういう立場になってみたら、これは、やっぱり、被災者だ。

被災といっても、自宅が崩れたわけではないし、避難所に行かねばならないわけでもない。でも、二晩にわたって、突然、電気も水も使えなくなって、いつ元に戻るのかがわからない、というのは、災害に遭ったのと同じです。

電気が復旧して、テレビを見て初めて「わ!こんなことになってたのか!」と実感する、というのは、想像していたとおりですが、びっくりしたのは、NHK以外は、なんだかの芸能人の交通事故の話とか、体操協会がどうこうとかってのをやっていたことでした。おいおい、それどころじゃないだろ、というか、よくそんな話をする気分になれるなと思うけど、これが、北海道と「内地」の距離なのでしょう。

こっちは、自分自身がさっきまで電気も水もない(そしてそれがいつ元に戻るかわからない)生活を強いられていて、今もまだそういう人が身近なところにたくさんいて、町に行けばあちこちで本来は路上販売などやっていない飲食店が、おにぎりなどを売っていたりする。食材の調達もままならない中、限られたメニューで営業しているお店もある。もちろん、まだお店を開けていないところも多いし、開店しているコンビニだって日配品は皆無、だけどたくさんのお客さんがレジに並んでいる。

そうした中でテレビをつけると、ものすごい違和感、なのですね。

同じことはフェイスブックでもそうで、ぼくの「友達」は北海道の人が多いし、北海道の人は自分の状況を伝えたりここへ行けばこんなものがありますといった情報をシェアしたりしているから、タイムラインの大半はそうした内容なんだけれども、そこに、ときどき、(申し訳ないけど今のぼくから見ると)ノーテンキな(としか思えない)話題が出てくる。それがだいぶ前のものなら仕方ないけれど、わりと近いときに投稿されたものだったりすると、ああ、この人は、ぼくらとは別の世界で生きている人なんだなと思ってしまう。

そんなのは「被災者」のワガママ、なんですけどね。

かたやで、「被災地」「被災者」とセットで出てくる「絆」だのなんだのいうのは、これまた、気持ち悪くて仕方ないんだけど、いざ自分がそういう場所に置かれてみると、みんながそれぞれにできることをやっているということに(これまた使いたくない言葉なんだが)感動させられてしまうのですね。自分の住む家は電気も水道も復旧したとはいえまだ大変な人もたくさんいる、ということもあるし、自分が弱っていて、気持ちのどこかに、わかりやすい「泣ける話」を望んでいるからでもあるのでしょう(ということは、自分では認めたくないんだけど、そうなのだと思う)。

かくいう自分は、知人のお店(居酒屋)で焼き鳥とおにぎりを出しているというので、わざわざ出向いて、買ってきました。当たり前だけど、コンビニで売ってるご飯ものとか、サトウのごはんとかとは、ぜんぜん違う。焼き鳥も、すごく美味しい。泣かなかったけど、食べながら、こういうときは泣いてもいいのかもしれないと思いました。

この種の手書き掲示は、あちこちで見かけます。



みんなが、ぎりぎりのところで、できることを頑張ってます。



この「充電無料」は、日の出ビルの地下の文教堂書店さん(かつての「ルーブルなにわ」)。ぼくは充電は不要だったんですけど、この心意気にこたえようと、新書と文庫本を計3冊、買いました。

昨日(地震翌日)の北海道新聞。



こんなこと書くと、また「札幌の人とそれ以外の人は違う」とか嫌味を言われるかもしれないけど、この紙面の大見出しが、ぼくの実感です。テレビ見てると、厚真(北海道では「あづま」と濁って読む人が多い)の土砂崩れ現場や新千歳空港が取り上げられることが多いようですが、「道内全戸停電」こそが、リアルタイムでの、多くの人の関心でした(念のため書き添えておきますが土砂崩れで生き埋めになっている人はどうでもいいと言っているつもりはありません)。

胆振で地震があって、どうして釧路や網走が停電してるんだ?北海道540万人がみんな停電だって?北海道って東北6県の合計よりも広いんだよ、それが全部停電してるってどういうことだよ?と、みんな、うろたえたわけです(ある意味、妙な興奮状態だったともいえるかも)。この感覚が、道外の人には、たぶん、伝わってない。でも、それは、そういうものなのだろうとも思ってます。

地震発生当初、最大震度で名前が出ていたのは安平町。



我が家は、電気も水も使えなかったとき、冷蔵庫に入っていた安平町のチーズに救われました。正直、こんなふうに食べてしまうのはもったいないような品なのですが、冷蔵庫が冷蔵庫でなくなってしまった以上、そのままでは悪くなるから、思いきって、食べました。

安平町には、昨年来、本当にお世話になっています。それなのに、また、この非常事態で、このチーズでお世話になってしまい、借りっぱなしの気分です。これからは、その恩返しをしていかねばならぬと考えています。

まだまだ大変なみなさんもたくさんいます。
大変なんだけど、大変だとばかり言っていても、前には進みません。
みんなで力を合わせて、がんばっていきましょう。
 
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北海道大停電(まだ続いてます)

※9月7日12時30分追記:我が家の電気・水道は復旧しました。

地震発生は昨日の午前3時8分ごろ。縦揺れなのか横揺れなのかわかんない。寝てて起きて「あ、これ、うちが潰れて死ぬんじゃないか」と、一瞬、思いました。

あちこちでガシャンガシャンと音がしていたので、家の中を確認したら、ガラスや瀬戸物が割れたところはなさそうだけど、本棚の中身がごそっと落ちてる。

でも、今になってみると、(亡くなっている方もいるので表現が難しいのですが)そんなのは、たいしたことじゃなかった。

すぐにテレビをつけて、状況がわかってきて、パソコン持ってきてネットにつないでいたら、まずテレビが消えて、ほんの少しのタイムラグがあって家の中の電気が消えました。正直、停電というのはまったく想像してなかった。ただ、あの東日本大震災のとき以来、寝るときはかならず枕元に懐中電灯(最近は充電式のランタン)と乾電池式ラジオを置くことにしていたので、まずはランタンで最低限の灯りを得て、iPhoneで情報収集。

午前3時台の段階で、フェイスブックのお友達情報から、函館や釧路まで停電していることがわかって、ぼくのまわり(インフラマニア多数)では、もう、その時点で、苫東厚真発電所がアウトなのだろうと言われてました。それがわかってたのに、翌朝になって、まだ、当日夜の会合の開催可否の決定はお昼まで様子をみてからにしよう、なんて言ってたのだから、最初は、その程度の認識だったのです。

もちろんその日の夜の会合なんて中止ですし、お昼頃には、もう、携帯電話がほとんどつながらなくなっていて、ショートメールのやり取りすらままならない状況で、中止決定の判断のための打ち合わせも、その伝達も、難しくなってました。

明るくなるまでは、不安だったなあ。

でも、地震発生後の最初の朝の時点では、まだ、それほど深刻に考えてなくて、どっちかというと、二晩続けて寝かせてもらえないのかよ…だったんですよね。みんな忘れかけてるかもしれないし、道外の人はまったくわからないでしょうけど、その前夜も、午前2時頃から、台風の風の轟音で、眠れなかったのです(関空が水没した台風のことです〜その影響で一昨日=地震の前日=は倒木が撤去できず電車は止まってました)。

明るくなって、そのときはまだ携帯電話の電波は正常だったからアプリでNHKニュースを見ていたら、ぐらぐら揺れはじめて、それからほどなくして緊急地震速報。ニュースは厚真町の現場ばかりで、停電の話がぜんぜん出てこない。どうも、自分の感覚とずれている。これはマスコミ批判ではなく、マスメディアというのはそういうものなのでしょうね。

北海道内全域が停電していて、その原因が厚真火発だというのがニュースになったのは、だいぶ後でしたけど、でも、自分のまわりでは、停電から30分後には、もう、そんなことじゃないのか?という話になってましたから。

朝の時点で考えたのは、それなりに体力がある(一応はフルマラソンを2週連続で完走した)ぼくが力尽きるようになったときは、もう、みんなダメになったときだろう、だから買いだめはやめよう、水や食料は必要な人が使えばいい。ぼくはできるだけ体力を使わないようにじっとしていればいい、ということ。山で遭難したみたいなものですね。動かなければいいんです。

食料は、冷蔵庫の中に、納豆とかチーズ(安平町産)があって、こんなもんどうせダメになるんだから食べてしまえばいい。水は備蓄(毎日汲み替えている)が2リットルある。昨日買った豆乳も2リットルある。1日か2日ならどうにかなる。そもそも、体力あるんだから、1日や2日、何も食べなくたって死なないって。

それで昨日一日過ごしたんですけど、午後の早い時間帯で、近所で電気が通ったという情報を聞いた後、いくら待っても電気が復旧せず、暗くなってきたときは、さすがにへこみました。あー、また、この状態で夜を過ごさなきゃいけないのか…

その間もかすかな救いだったのは、多くの方々からメッセージもらったことでした。ふだん付き合いの薄い人からも、たくさん、メッセージが来て、ご近所さんからは「水を持っていきましょうか」と言われたり。いちいち泣きそうにはならないけど、たくさんの人とつながっている、ということで、だいぶ、救われました(書いてて気持ち悪いけど、そうなんだから仕方がない)。

夜は寝るしないよね。暗いんだから。

外を見れば、前夜は曇っていた空がきれいに晴れて、札幌の星空という珍しいものを見ることができました。これもまた貴重な機会だと思ってましたが、今後しばらく、星空を見ると、嫌な気持ちになるのかなあなんて思ってみたり。

ラジオでは「今夜中には奈井江発電所も復旧させて」と言っていたから、朝になればどうにかなるんだろうと思ってたのに、朝、起きたのは、外が明るくなったからで、電気はやっぱりついてない。ただ、通信状態はだいぶ改善されて、普通にやりとりができるようになってて、フェイスブックを開いたら、あちこちから「電気復旧」の知らせが入っている、けれど、まだ、3分の1ぐらいだとラジオで言っている。

広い北海道の、3分の1、ですよ。

札幌市内だけてみても、何々町の何丁目が復旧、ではなく、何々町の何丁目の中でみても復旧してるところとそうでないところがあったりする。どういうことなんですかね?

こんなところにいるよりは、すべて復旧した会社に行ったほうが楽だろうと思い、充電できるものすべてと、空のペットボトルを持って、歩いて会社へ向かったら、なるほど、我が家から数百メートルのエリアは、自販機が普通に動いている(水を買いました)。途中のコンビニは、開いていたり開いていなかったりで、中には開店を待って並んでいるところもありました。

普通に営業しているセブンイレブンで、すぐ食べられるものを購入。



これだけあれば、まあ、明日ぐらいまでは、しのげる。
さすがに明日までには電気は復旧するだろう(と思いたい)。

そんなわけで、会社に出てきて、充電して、トイレ使って(自宅は流れないですから)、水を補給して、という現状です。フルマラソンを2週続けて完走するぐらいの体力はあるんで(<しつこいよ!)、健康状態は問題ありません。

電気や水道が復旧したみなさんから「何かあれば遠慮なく」との連絡も、たくさん、いただいてます。本当に、ありがとうございます。体力は問題ないから、気持ちの問題だけです。折れずにやれるのは、みなさんのおかげです。

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無事報告(大地震)


うちの中のモノはぐちゃぐちゃに崩れてますけど、とりあえず身体は無事です。


ただ、いきなりの停電には参った(上の画像でわかるように地震からしばらくは電気ついてたのですが)。真夜中だし。何かのときのために寝床に置いておいたモンベルの充電式ランタンが役に立つことになるとは。



24時間前は台風の暴風の轟音で起こされて眠れず、今度は大地震。3時過ぎの停電はキツいぜ(まだ停電中)。ときどき余震来るし。


(忘れないうちに補足)

緊急地震速報は揺れてから来た。怖かった。ガシャン!とか音するし。こりゃどこかで震度5とか震度6だろうなと思った。有珠山か何かが噴火したのかと思った。などなどは地震直後の話で、その後の停電がきつい。真っ暗。フェイスブック見てると、たいして揺れてないところまで北海道のかなり広い範囲で停電してるみたいなのが不安で。

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