熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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つれづれなるままに、夜行列車の話

昨日のブログに書いた松山千春の動画で、千春が「足寄1枚」と言って切符を買う場面。よく考えてみるとこれは(2017年の視点で見ると)すごいことで、足寄までの乗車券を買えば、それだけで、札幌から足寄まで帰れるのです。

動画の中の窓口には、「寝台券・指定券等はみどりの窓口でお求めください」と書いてあります。寝台券や指定券は、それほどに、特別なものだったのでしょう。

札幌から足寄まで、乗車券だけで帰れたのは、夜行の鈍行列車があったからで、この列車には(寝台車が連結されていたために=寝台券を売るときに名前がないと困るので)「からまつ」という列車名が付されていました。当時の北海道だと、このほかに、函館〜札幌間にも夜行の鈍行列車がありましたが、こちらはすべて座席車だったので、列車名は付いていません(で、そっちはぼくも乗ったことがあります)。

寝台車が付いていたのであれば、寝台車に乗りたいか…というと、この動画を見て、寝台車に乗りたいとは、まったく、思わないのですねえ。思えば、北海道ワイド周遊券で旅をしていた頃、上野から青森まで、あるいは帰りの青森から上野まで、寝台車に乗るという発想は、まったく、なかったのです。そりゃカネがなかったからだろうと言われれば、まあ、そうかもしれませんが、でも、ぼくは、青森からわざわざ秋田・山形まわりの《津軽》で帰ったこともあるぐらいで(もちろん座席車で)、当時の価値観としては、《ゆうづる》《はくつる》などの寝台特急に乗って早く着くことにはありがたみを感じてなかった、ということなのでしょう。

じゃあ何がよかったのかといえば、長く列車に乗っていられる、ということで、だから、札幌から釧路行きの夜行の鈍行列車で旅をしている人々の姿を見ると、すごく、うらやましくなってくる(しかも、これ、まだ石勝線開業前ですから、根室本線まわりなんですよね)。

その延長線上にあるのが《北斗星》で、北斗星はフランス料理だのロイヤルだのが人気の要因だった、みたいな印象になっちゃってるかもしれないけど、どうして北斗星に乗りたかったかといえば、上野から札幌まで、乗換なしで、一本の列車で行けたからだったんじゃないかと思うのです。もし、北斗星に座席車が付いていたら、寝台車ではなくそっちを選んだかもしれない。

最後の最後になって、急行《はまなす》が指定券も寝台券も取りづらい人気列車になったのだって、日付を越えて夜通し走ってくれること、夜が明けると別の場所に行っていることが楽しかったからであって、べつに設備が豪華だったからではない(というか、そもそも豪華じゃなくて、車両はもうボロボロでした)。

豪華列車というのか、クルーズトレインというのか(鉄道会社は自ら「豪華」とは言ってないような気がするんだけど)、それらがちょっと違うのは、そこなんだろうな。かつての夜行列車の旅が楽しかったのは、列車に乗って移動ができたからで、同じところに戻っちゃうのは旅じゃない。列車は好きだけど、本当に好きなのは汽車旅、みたいなことで。

そして、夜行列車は、客車でなければならないのです。駅に停車したときには、エンジンの音もモーターの音も聞こえない。そして、動き出すときには、機関車が客車を引っ張る、がくん、という衝撃が来る。

JRの会社間を走る列車を新たに設定するとなると大変そうなんだけど、たとえば北海道内だけでも、夜行列車は、作れるんだよなあ。もちろん線路が残っていることが大前提なんだけれども、札幌から釧路でも、網走でも、稚内でも、十分、夜行が走れる距離なんですよねえ(現にバスは夜行便が走っているわけで)。函館だとちょっと短いかもしれないけど。
 
気動車でもいいんだけどさ、客車で、なんとかならんかなあ。客車を見つけてくるのみならず、機関車をどうするか、機関車を運転できる人をどう確保するか(機関車を運転できる人はどんどん減ってきてますからねえ)、いざやろうと思えば、そう簡単なことではないはわかるんだけど、そんな列車が、一本ぐらい、あってもいいよなあ(といっても、この時代にあっては、一本だけ他と違う列車を仕立てるというのが、これまた、大変なことではあるのですが…そんなことはわかったうえで、夢を膨らませてます…現実的な話ばかりしていると「できない」ってことばかりになっちゃいますから…)。

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「あしょろいちまい」

フェイスブックで教えてもらいました。

1979ドキュメント松山千春(7) (YouTube)

当時のテレビ番組です。雪の札幌駅で、若き日の松山千春が「足寄1枚」と窓口氏に言って、「本別・足寄間ゆき」という切符を買い、乗るのは5番線から22時20分に発車する釧路行普通列車「からまつ」。

まあ、とにかく、見ましょう。

豪華列車も悪くないけど(カネがあれば乗りたいけどさ)、やっぱり、基本は、座席の夜行列車だよなと思いました(ただしガラガラでない程度に空いていることが条件<びっしり満員だったらやっぱりイヤだよ)。

足寄まで行く千春さんが、夜明けの駅で乗り換える場面が、これまた、ぼくの記憶を呼び起こすわけで、ぼくは、1987年の夏、レイルウェイ・ライター氏とともに、早朝というにも早すぎる午前3時56分の池田駅に降り立っています。


(種村直樹『気まぐれ列車に御招待』実業之日本社,1989年)

甦ってくるのは、下車したという事実だけではなく、そのときの風景、空気、色合い、などなど、そのときその場所にいた自分そのものです。YouTubeの中の千春さんからは8年も後のことなんだが、しかし、2017年からみれば、30年前か38年前かの違いでしかない、けど、それは、やっぱり、違うんだな(ということがわかるような年齢になったってことなんだなあ)。

「わ〜た〜しの ひと〜みが ぬれているの〜わぁ〜」と、つい口ずさんでしまう(と「泣いたり し〜 な〜 いぃ〜」まで歌ってしまう)世代のヒトとしては(世代の問題ではないか)、この動画を最初から見たくなってしまうわけで、そしたら、最初のほうには、真駒内屋外競技場でのコンサートがありまして、これはまた違う意味で、見入ってしまうのですね。ああ、ここから入っていくんだよ、この坂がキツいんだ…とか。

BIG SUMMER SCENE '79 野外コンサート「大空」から38年後の同じ場所



YouTubeの動画の中で松山千春が歌い、大勢のファンが熱狂している場所で、ぼく、ついこの間、スポーツドリンクもらうために並んでました(そのときの様子が上の写真=ハーフマラソンのゴール直後)。

話を戻して、最初の動画の札幌駅の場面ですが、動画の中にちらっと出てくる天井にぶら下がった案内表示、札幌市営地下鉄はこの数年でだいぶああいったものが新装された(されてしまった)印象なんですが、札幌駅のバスターミナルには、けっこう、古い案内表示が残ってます。バスターミナルには、まだ、高架化前の札幌駅の雰囲気が、色濃く残ってます。それと、あの雰囲気が感じられるのは、バスセンターですかねえ(バスセンターは都会の中の秘境的雰囲気すらある)。

それにしてもと思うのは、札幌駅が高架になったのはJRタワーよりもさらに15年も前の話であるわけで、つまり、高架になる前の札幌駅の姿は、いまの30歳ぐらいの人でも知らないってことなんだよなあ。なんだかへんな気分だなあ(^^;

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今日の発券の発見

先月、札幌駅で《大雪》〜《ライラック》の乗継特急指定券(という区分があるわけではないのですが)を買ったら、1枚の指定券(網走→札幌)に《大雪》と《ライラック》の両方の座席が記載された券片が出てきた−という話はこのブログにも書きましたが、今日、えきねっとで予約(購入)済の同じ乗継特急指定券を引き取りに行ったら、今回は、《大雪》と《ライラック》が別々に出てきました。

指定券 網走→旭川、旭川→札幌の2枚

前回はRきっぷだったのに対し、今回は特急券のみの購入という違いはあるものの、「指定券」だけを発券しなければならないという条件は同じであるわけで、なぜこのような違いが生じるのか。前回は有人窓口(みどりの窓口)で購入したのに対し、今回はえきねっとで購入して札幌駅の発券機で受け取ったからなのか…と書いてはいるものの、だからどうしたってことではなくて、別にどっちでもいいんですけど、ただ、同じきっぷを買っているのに違う形態というのが、なんとなく、気になってるだけです。

どちらかの列車だけを変更する可能性を考えると、2枚に分かれていたほうがいいのかなと思いつつ、しかし、基本的にはどちらかだけを変更するということは考えにくいわけで、やっぱり、1枚になってるほうがいいな。紛失リスクも減るし。
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次はフラワーマラソン

礼文島で開催される最北フラワーマラソンの参加申し込みは、礼文町のホームページから申込書をダウンロードして必要事項記入・押印のうえ礼文町役場に郵送する、という仕組みで、毎年、申込書を郵送しても本当に受け付けられているんだろうか?という(ほんのわずかな)不安が当日まであったりなかったり、であったのですが、今回、初めて、メールをいただきました。

フラワーマラソンのエントリー完了を知らせるメール文

去年の申込書にそういう欄があったかどうか覚えていないのですが、今年の申込書には「町外の方はメールアドレスを記入してください」的な記載があって、なるほどこういうことだったのかと、これで納得しました。参加費無料なのにここまでしていただいて、本当にありがとうございます。

今年のフラワーマラソンにはゲストランナーの参加もあるそうで、楽しみです。

双葉食堂の丼
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行列のできないジンギスカン店

豊平川ハーフマラソンの晩にジンギスカンを食べたと書いたら、どこへ行ったのかと何人かの方から尋ねられたので、あえて店名は書きませんが、見る人が見ればわかる写真を載せておきます。

ジンギスカン鍋とカウンターとビール半分ぐらい入ったジョッキ

札幌には何度来ているKクン(前回は米風亭に連れていった)が「ジンギスカンが食べたい」と言ったもので、さて、予約なしで入れる店でいい店ってどこかあるだろうか?と軽く悩みつつ、とりあえず行ったことのある店で間違いのない店を目指してみたら、ここは、すんなりと入れたのでありました。

ぼくらが出たときには店の外に待ち人がいたから空席のある状態で入れたのは運がよかったのかもしれない、とは思うものの、なにしろ大型連休の真っ只中でしたから、超有名なあのお店は長蛇の列(そんなところに行くつもりははなからないんだけどたまたま脇を通ったら「なんだこりゃ!」というぐらいの人の数に「ああそうかここは***か」と気づかされた)、駅前通りのススキノの交差点を過ぎたところのお店にもたくさんの人が並んでいて(ここは知らなかったんですけどあんなに観光客が並んでるってことは有名なのか?<地元の人って意外にそんなものです)、お店に着くまでの間は、もし入れなかったら次はこうしようというシミュレーションを頭の中で繰り返しておりました。

そんな中でも、こういうふうに、待たずに入れるお店があって、しかも、雰囲気もいいし、なによりウマいし、どうしてみんなここに来ないであっちに行列してるんだろ?と思ったんですけど、インターネットが普及してからというもの、観光客が特定のお店に集中するという傾向はものすごく強くなっているわけで、インターネットが普及してから、ということは、いまの20代の人なんかだと最初からそういう状況しか知らないってことなんでしょうけど、ネットで情報を集めて間違いのない選択をするというのは、はずさない代わりに大当たりを引き当てることもないわけで、それはやっぱりつまらないよなあ…と、旅の情報といえばユースや列車内での口コミ頼みという世界で育ってきたぼくは思ったりするわけです。

そんなことを言うと、そういう口コミ情報が現在はネットという場に変わっただけだ、とか言われそうなんですけど、ネットというのは不特定多数が参加する衆人環視の場であって、旅先で対面で得る情報とは、違うんだよなあ。かつてのパソコン通信(ニフティのフォーラムの電子会議室)なんかは、ハンドルネームとはいえ参加者が特定されているという意味で、旅先で得た口コミ情報の世界に近かったと思うんですが…という話を始めると長くなりそうなので、今日のところはここまで。
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黄砂の日

給水がダメダメだったと大会レポに書かれまくっている豊平川マラソンでありますが、個人的には北海道マラソンの予行演習としていい勉強をさせてもらえた大会でした。一日遅かったら(=昨日だったら)雨と風に苦しめられただろうし、さらに一日遅かったら(=今日だったら)黄砂でひどい目に遭っていたはずで、給水所にコップがないという(ある意味レアな)体験をさせられても、一昨日でよかったのです。

今日は朝からものすごい風の音が聞こえるなあと思ってたら、お昼前あたりから我が家の窓の外に見えるはずの手稲山が見えなくなってきて、今はすぐ手前の山々ですら、白く霞んでます。北海道内では今シーズン初の黄砂である由。

人生初ハーフマラソンから2日経っても、いまだに、脚は痛いです。ふくらはぎは痛くないけど、腿の裏がひどい。昨日は、これに加えて、背中の上のほうの肩甲骨のあたりがものすごく痛くて、さらに当日の夜は日焼けの火照りもひどかったから、当日(=一昨日)の晩は、よく眠れず、それなら翌日(=昨日)はおとなくしていればよいものを、札幌ドームに出向いて北海道コンサドーレ札幌の試合を見に行っていたから疲れはとれず、ブログはお休みしてしまいました。

それが、ぼくの、大型連休だった。

…と、純くんふうに書いてみました。

コンサドーレ都倉選手のタオル、豊平川マラソンの参加賞のタオル、京浜東北線電車のストラップ、四国の観光列車の箸袋、べっこう飴を割るためのハンマー

純といえばそっちなんですけど、上の写真の豊平川マラソンの参加賞のタオルを見たときに思い出したのが純でした。カムバックサーモン、カモンカモン純。映像は思い出せなくても、この歌は、自然と口をついて出てくるんだから、音楽ってすごいな。

豊平川マラソンのダメージは、そういうフィジカルなものはもちろんあるんですけど、脚が痛いとか言いながら昨日の札幌ドームの帰りは(わざわざ途中で地下鉄を降りて)けっこうな距離を歩いたりしてるわけで、じつはメンタルなのかもしれません。後半の途中から、コース上をトボトボとと歩く先行ランナーのみなさんの姿は今も鮮明に浮かび、それを見ながら「ああ、歩いていいんだ、オレも歩こう…」と足を止めて歩いたり走ったりを繰り返した自分に対する敗北感。それを少しでもリカバーしたかったのに、外が(黄砂で)真っ白で、出て行く勇気がない。そこで、これもまた、言い訳なのかもしれない、とか考えているのは、でも、次へ向けてのエネルギーを溜めている時期なのだと思うことにしましょう。

豊平川マラソンでありがたかったのは、きっかけを作ってくれたKクンが、ゴール間近でぼくの名前を書いたボードを掲げてくれたことに加え(ああいうお祭り的要素があるのがいいんだよねえ)、ゴール後に合流するや、「はい、完走記念」と言いながら、個人的記念品をくれたことでした。それが、上の写真に載せた、京浜東北線103系ストラップ(大宮行)、四国まんなか千年ものがたりの箸袋、加美代飴(写真はハンマーのみ)の3点セット。初ハーフの記念品として、大事にします。

それで四国まんなか千年ものがたりの話とか、伊予灘ものがたりの話とか、いろんな話をとりとめなく聞くじゃないですか。で、思ったのは、ぼくらは北海道にいて、やっぱり、ハンデがあるんです。四国まんなか千年ものがたりの評判がいいからといって、そう簡単には行けないわけです。JR九州のD&S列車を制覇するようなことは、不可能とはいわないけれど、たとえば首都圏に住んでいる人に比べれば、圧倒的に、体験値が低くなってしまうわけです。見に行けばいい、乗りに行けばいいといっても、そう簡単ではないのです。道内全域をケアするだけだって大変なのに、ましてや四国だの九州だのは、おいそれとは行けません。それでも無理してでも行くべきだという考え方もありましょうが、それはそれとして、ぼくらは、北海道にいる者は、そういう環境に置かれているのだということは認識しておかなきゃいけない(すごく端折って言うと「謙虚であらねばならない」ってことです)。

でもね、できることは、すべて、やりきらなきゃいけないんです、ということで、昨日のスーパー都倉の話。昨日の試合でMVPをもらってゲームスポンサーのエゾデンさんから家庭内電力1年分という副賞をもらったのは宮澤裕樹だけど、モストインプレッシブプレーヤーは、都倉賢。古い言葉を使えばハンサムまたは二枚目(現代語を使うとイケメン)で長身でムキムキで塾高から慶應で奥様はセレブ(?)で、同じ男としてみたら、イヤなヤツじゃないですか(笑)。だけど、その都倉が、ピンチになると、自陣まで猛ダッシュで戻ってきて相手ボールをカットしたりしてるんですよ。もうスタミナ残ってるわけないのに、アディショナルタイムに、進藤ががんばって奪ったボールを(進藤はそのために入ったのだからあのぐらいはやって当然なのだがああいう場面も想定してなのか兵藤→進藤という交代をした四方田さんはやっぱりすごいぞ)、足先でつついてチェンジオブペースで相手のペナの中まで運んで、そこからまた外に戻して、ファウル受けてマイボールにする、っていうのを、自分ひとりでやっちゃってるんだ。

自分を犠牲にして、っていう言葉がありますけど、昨日の都倉は(昨日だけじゃなくて札幌に来てからの都倉はずっとそうなんですけど=)自分の仕事はちゃんとやったうえで、さらに、自分に求められていないであろう仕事まで、みんなのために、仲間のために、まさに身を粉にして、走りまくり、ボールを追いかけていた。あんなカッコイイ奴にあんなカッコイイ仕事されたら、豊平川マラソンで疲れて走れなかったとか、そんなこと言ってる場合じゃないです。ああいうのは、最近の流行り言葉では「泥くさいプレー」って言うんでしょうけど(コータはTVhで「献身的」と言っていた)、ぼくは、ああいうのが、かっこいいと思います。そして、みんなのために頑張る、っていうのが、いまのコンサドーレには、すごく、合ってるんだよなあ。

さて、休憩するか
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初めてのハーフマラソン



今年は冬場にほとんど走ってないからとにかく完走することが最大の目標で、とにもかくにも完走はできたのだから目標達成ではあるのですが、気分的には惨敗です。

初めてランニングシューズを履いてから3年ちょっとの間に

2014礼文島フラワーマラソン(5km)24分12秒
2015礼文島フラワーマラソン(10km)50分37秒
2015札幌マラソン(10km)55分20秒
2016礼文島フラワーマラソン(10km)47分28秒
2016北海道マラソン(ファンラン11.5km)1時間05分57秒

と、5つの大会に出て、出るたびに、経験者のみなさんから「早くハーフやりなさい」「フルでもいいところ行けるよ」と言われ続けてきました(ただしフラワーマラソンは実測距離はこれよりも短いので参考記録です)。自分でも、去年の北海道マラソンのファンランで、直前はほとんど練習してないのに10kmだと57分25秒で走れていて、しかも序盤の大渋滞あってこのタイムだから、それなりには走れるのではないかなあと思ってました。

ただ、なにしろ、今年の冬は、仕事が忙しくて、忙しいから体力が落ちているはずだから寒い中で走ったら風邪を引きやすいんじゃないかと警戒して、そのうえ自分が倒れたら仕事が止まってしまうから困るという妙な責任感(?)もあって、ほとんど走ってない。だから、5月に豊平川マラソンというハーフの大会があるのはわかっていたけれど、そこは準備不足で無理だろう、まずは6月の礼文島のフラワーマラソンに合わせて練習を積んだうえで、7月の函館マラソンのハーフに出よう−というのが、当初の計画でした。

ところが、2月に先輩ランナーの某君(関東地方在住)が来札した折、米風亭でそんな話をしたら、彼が豊平川マラソンに出るとの話を聞かされ、同時に、函館マラソンは暑い時期だから厳しいと思うとの助言もあって、調べてみたら豊平川マラソンは制限時間がない大会であり、それなら出てもいいかなと考え直し、函館マラソンのエントリー(2月中旬)は見送って、それでも、5月5日の豊平川マラソンまでに走り込みができる自信がなかったので豊平川マラソンの申込は保留し続けて、最終的に申込をしたのは、参加申込締切ぎりぎりの3月の終わりでした。制限時間のない大会なんてそうそうないだろう、初めてのハーフマラソンなのだからそういう緩い大会がちょうどいいんじゃないか、ましてや練習不足なのだからまずは制限時間のない大会で21.1kmを走るというのがどういうものなのかを体験しておくのがいいんじゃないか…というのが、1ヶ月以上に及ぶ熟慮(または棚上げ)の結果でした。

4月の前半は体調を崩して走れず、そのうちに大会当日が近づいてくるとへんな走り方をして疲労を溜めたりどこかを痛めたりしたら嫌だと思っちゃったりして、結局、ハーフマラソンの距離を実体験することもできないまま、5月になり、3日からは5連休で初日の憲法記念日はとてもよいお天気だったもののコンディションを整えないと不安なのでどこへも遊びにも行けず(行く気にもならず)、翌4日も自宅に引きこもっているつもりがあまりにも暑いので少し身体を慣らしておかないといけないんじゃないかと不安になってランニングするのと同じ格好で近所を散歩してみたらどうしようもなく暑くて、当初は予定していなかった帽子着用、アンダーシャツなしで当日に臨むことになったのでありました(結果的にはこの前日シミュレーションはやっておいてよかった<あれをやってなかったらコンサドーレの黒色の入ったシャツにアンダーシャツまで着て出ていてもっと悲惨なことになっていたと思う)。

前置きが長いですけど、そうはいっても、去年の北海道マラソンは、ほぼノー練習で、10kmを57分台で走れているわけです。去年の豊平川マラソンの記録を見ると、最後のゴールのタイムは3時間超で、3時間超というのはどういうタイムかというと1キロ8分半で走っても3時間であるわけで、仮に1キロ8分ペースだとすれば、前半を1キロ6分ペースで走った場合には後半の10キロちょっとを1キロ10分でもいいわけで、1キロ10分というのは時速6キロだからちょっとした早歩きレベルであるわけで、完走(完歩?)は問題なかろうと思ってました。でも、とにかく練習してないから、まずは完走が目標、ではあるけれど、次の目標として、5時間の半分の2時間半、さらにその次の目標として2時間15分、あわよくば2時間(1キロ5分40秒ペースで走ればいける=北海道マラソンのファンランでは最初の大渋滞以外はそのぐらいで走れていた)を狙っていたのです。

だから、惨敗。

だって、2時間20分45秒、なのですから。

完走という目標は達成したし、その次の最低目標である2時間半もクリアはしたんだけど、最後のほうは、もう、ほとんど、歩いてました。あんなに歩いても2時間20分台でゴールできるんだというのはちょっとした驚きではありましたが、あのトボトボ歩きは、惨敗感たっぷりです。

10kmの通過タイムは1時間00分11秒で、これは途中であえてペースを落としたところもあることを考えれば、悪くはないタイムです(とはいえ、上に書いた過去の記録からすると、やっぱり、遅いことは遅いんだよなあ<練習不足なんだよなあ)。だけど、10kmから20kmは、1時間13分03秒もかかっちゃってる。平均したら1キロ7分18秒。

ぼくよりもはるかに早くゴールした某君(ゴール手前でぼくの名前のボードを掲げてくれていた(笑))の話や、ネットの書き込みなどを見ると、今日の札幌の夏のような暑さと、給水所の不手際(1箇所ではコップがなくて手のひらの上に水をもらった(^^;))、給水所の少なさといった要素から、かなり過酷な条件のレースではあったようで、尊敬するベンチャー経営者にしてマラソンランナーであるKさんが「ハーフで初めて途中で歩いた」と言っていることなどを考え合わせると、後半のタイムの落ち方はある程度は仕方のないことのようではあるけれど、ぼくは、まだ、そういうことを言い訳にできるレベルではないです。

上に書いたように、ぼくが(自分の練習ではなく大会で)いちばん長く走ったのは、去年の北海道マラソンのファンランの11.5km。今日の折り返し点を過ぎたところで、あ、ここまで走れた、ここからは1キロ8分でも十分にゴールできるんだなと安心しちゃったのと、かたやで、この先は未知の世界だとへんに意識しちゃったことで、13kmぐらいから、足が動かなくなっちゃったんですね(これも、某君いわく、給水がなかったから今日の条件ではやむを得ない、とのことではあるのですが)。

さらにその先で、件のコップなし給水所のあたりから、コース上を歩く人があちこちに出てきて、それを見てるうちに、あ、歩いちゃっていいんだ、と思っちゃったんですね。それまでも、コースアウトして歩いている人は散見されたものの、コースの上で歩いている人はあんまりいなかったのに、もう、そこらじゅうで、みんな、歩いちゃってるの。ここは(某君いわく)給水不足の影響だろうということで、それは、そうなのかもしれない。でも、未知の世界に入った途端に、動けなくなっちゃったのは、やっぱり、ぼくの練習不足です。だから、やっぱり、惨敗感が、すごくあるんです。

それと、給水所の問題は別としても、自分自身の事前の水が不足してたんだろうなあとも思います。緊張もあったんだろうけれど、スタート直後から口の中がからからで、最初の給水所が待ち遠しくて仕方がなかった。そのうちに(最初の給水所の後だったと思うんですけど)手足に痺れが出てきて、あれ?どうしちゃったんだろう?と(そんなに心配はしなかったものの)ちょっと気になった時間帯があって、あれも、水分不足だったんじゃないかと思います。

そういうことは、やってみないと、わかんないですからね。練習だけでは、わからないからなあ…とはいうものの、その練習すらまともにやってないんだから、ぜんぜん、やりきった感がないのよね。

というわけで、今回は、途中で「どうしてオレこんなことしてるんだろう、なんでこんなところ出ちゃったんだろう」と思うようなこともなく、むしろ、トボトボ歩いたり走ったりを繰り返しながら、次はこんなことがないように練習するぞ〜と思ったことでありました。

それと嬉しかったのは、今回は結局コンサドーレの通称「函館ユニ」で走ったんですが、コンサドーレのシャツで走っている人があちこちで声かけてくれて、あれは、励みになりました。

豊平川マラソン出場者は、今日だけ、苗穂駅前の蔵の湯が100円で入れるってことで、某君と、反省会がてら、入りに行き、その後、彼と、美味しいジンギスカンを食べてきました(有名店は大行列でしたがちょっと離れたところの専門店は余裕で入れました)。内容的には惨敗ですけど、一応、完走できて、一緒に走った仲間と(レベルは違いすぎるぐらいに違うんですが)風呂に入ったりジンギスカン食ったりできるってのは、ありがたいことです。

あー、楽しかった!!!
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『鉄道少年』佐川光晴

実業之日本社文庫4月の新刊。



ちょっとミステリーっぽい要素も入った小説ですが、あらすじはともかく、鉄分濃い同世代の方々には、まず、第2話「中央線快速電車」の次の一節をご紹介します。

《一九八五年一月以降、山手線、京浜東北線、中央・総武緩行線がそれまでの103系車両から、銀色のステンレス車体に色帯という205系や209系へとシフトしていくなかで、中央線快速ではずっとオレンジ一色の201系だけが運行していた。E233系が導入されたあとも、201系は走っていた。しかし、二〇一〇年十月十七日、ついに201系は中央線快速から引退した。…(中略)…わたしも悲しかったが、201系の引退によって、首都圏JRの主要な通勤電車がすべてステンレス製の車体へと変わったことのほうに強いショックを受けた。電車の色やかたちは風景に溶け込んでいる。中央線快速からオレンジ一色の201系が消えたとき、わたしは東京が別の街になった気がした。大げさでなく、あの日、東京の鉄道に残っていた大切なものがついになくなってしまったのだ。…(中略)…通勤型車両では、103系と201系がすばらしいと思っている。103系は山手線などの駅間距離が短い路線をターゲットとして開発された。一方、201系はより高速での運転を可能にする通勤型電車として開発された。当時の最新技術が惜しみなく導入されており、とくに制御システムに関しては、201系の段階でほぼ完成の域に達したとさえ言っていいと思う。…(中略)…JR東日本が開発した車両は車内が広く、座席や照明にも細かな気配りがされているのがよくわかる。しかし、乗り物としての存在感が希薄で、かなりの重さがあるはずの物体が高速で移動しているという実感が伝わってこないのだ。》

201系って、こんな電車です。



ラストラン記念(入場券セット)は、頼んでもいないのに、母が買っておいてくれたものです。

これは、去年、大阪に行ったときのスナップ(関西ではまだ現役です)。



小説の目次はこんなふうになってます。



第1話「青函連絡船羊蹄丸」の中には《青森駅には六時十七分に着き、乗り継ぎの青函連絡船は七時半に出航した。》という一文もあります。そうです、わかる人はわかる、ぼくらが北海道ワイド周遊券を持って旅に出たときのパターンです。青森駅での乗り継ぎ時間が1時間以上もあるのは、この間に寝台特急列車が到着するからで、七時半に出航する青函連絡船はその特急列車に接続しているからです…ということを、この一文読んだだけで、語りたくなってしまいます。

第3話「東海道線211系」の次の一節も、いいです。

《多くの鉄道ファンが知っているのは、乗客を乗せて線路を走行している電車の姿だけだ。…(中略)…在来線に乗っているときは、線路脇に保線区の作業員を見かけるたびに、わたしは小さく頭をさげた。一般のひとが鉄道員についてイメージするのは、運転士や車掌や駅員くらいのものだろう。…(中略)…今では、レール・枕木・バラストのチェックや補修はコンピューター制御の検査機械や振動式の動力機械によって行なわれている。…(中略)…現在でも、目視やハンマーによる打音でレールに異状を見つけたときには、保線区の作業員がツルハシをふるう。風の日も、雨の日も、雪の日も休むわけにはいかない。まさにからだを張って鉄道の安全を守っているわけで、保線区の作業員が作業をしている傍らを通過するときには自然と頭がさがった。》

先月の新刊なので、本屋さんに行けば、まだ、新刊コーナーにあると思います。すぐれた小説であることは言うまでもありませんが(そんなものはぼくがどうこう言う部分ではないです)、鉄道に対する思いという面でも、すごくうまく表現された作品です。

 

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誘惑スレスレ

忘年会やりましょう→新年会やりましょう→プロジェクト終わったらお疲れさん会やりましょう…などと言っているうちに、はや半年。連休の谷間なら仕事が詰まってどうしようもないってこともなかろうと、昨夜、ようやく実現。お店はおなじみの場所ではあるけれど、いつもとちょっと違うメンバーだからか、あんまり他人にしたことのない話を、けっこう、語ってしまいましたねえ。

大勢でわいわいやるのも好きだけど(そういうときってぼくはわりと黙ってみなさんの話を聞いてるほうだと本人は思ってます)、こういうふうに少ない人数でじっくりやるのも好きです。で、そういうときは、この人、ウーロン茶しか飲んでないのに、よく、喋るよね(^^;

昨夜は、そんな場面でありました。
十数年前の話とか、話しながら、自分でも、ひさしぶりに思い出したよ。

最近は、以前みたいに終電を気にせずに…ということは少なくなって、地下鉄があるうちに帰ることがほとんどなのですが、そうすると、地下鉄を降りた後に、誘惑がたくさんあるわけです。タクシーに乗っちゃえば自宅前で降ろされるからいいんだけど、地下鉄だと、駅から自宅までの間にコンビニという闇夜に輝く魔境があって、ついつい、そこで、プリンとかドラ焼きとかシュークリームとか買っちゃうんだな。

しかし、この間、自分のあまりの走れなさに情けなさと悔しさを覚えて以来、また、食べるものに気を付け始めていて、厳格な糖質制限とはいわないけれどプチ糖質制限ぐらいはすることにして(ものすごく忙しかったときは気にならなかったんだけど生活のリズムがわりと普通に戻ると食後高血糖が眠気につながることを実感として思い出した)、だから昨夜も締めの蕎麦は頼まなかった。野菜炒めは、肉も含めて、食ってもいいんだ。

そんなわけで、コンビニの光に引き寄せられることなく(よし今日のオレはよくやったと心の中で自画自賛しながら)帰宅したら、リビングのテーブルの上に、さらなる誘惑が待っていた。

第3センターのレシートと月寒あんぱんの箱

箱の中に残っているのはわかっていて、まだそんなに遅い時間でもないし(閉店22時ですから)、ついでにコーヒーもいれて…と考えて、冷凍庫からコーヒーを取り出したところで、やめました。ダメだダメだ、ここでこんなの食べたら台無しだ(何が台無しになるのかわからんけど)、今日だけと思っても一度やったら習慣化してしまうのだ、それにこの時刻のコーヒーは夜中のトイレにつながる(=睡眠の質を落とす)からダメだ、とか、アスリート気取り(笑)の発想で(わたしコーヒー飲んで眠れなくなったことはないんですがコーヒーは利尿作用があるからレース前は飲んじゃダメだとこの間読んだ本に書いてあった<相変わらずの頭でっかちです)、誘惑を断ち切ったのでありました。

時間を少しだけ巻き戻して、昨夜、お店を出た直後のことですけど、「ここから稚内行きのバスに乗るんですよ〜」なんて言いながらあの角を曲がったら、バスセンターの狭い待合室には、大きな荷物を持った人が、大勢、いました。やっぱり、連休なんですねえ。あの時刻からは、22時30分に根室行きがあって、その後に23時発の稚内行きがあって、もしかして誰かいるかなあと一瞬だけ思いましたがこんな時期では誰もいるはずもなかろうと、そのまま帰宅したのでありました。ススキノ方面に曲がってもう一軒、というには、昨夜は、寒すぎました(けど、今日は、もう、暑くて、暑くて…というのは日差しの下にいるときだけで、日陰に入ると、むしろ風が冷たく感じるぐらいです、が、屋外の日除けのない場所での活動は、熱中症に注意してくださいレベルです)。

それでさっき宗谷バスのホームページ見て気づいたんですけど、稚内行きのバスの予約開始日は、いつの間にか、3ヶ月前になってたんですねえ。お盆に行くなら来週には予約しなきゃいけません。汽車旅派としては鉄道を使うべきなのでしょうが、自分の使える時間が限られてくると、やっぱり、夜行便=バスが便利なのだなあ。
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