熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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北海道マラソンまで258日

スノーランニングシーズンの到来。



少し前までは、昼間になると雪がとける→夜になると水になっていたところが凍るというサイクルがあって、とても走りづらかったのですが、この前の月曜日から観測上の長期積雪(いわゆる根雪)の状態になって(長期積雪は積雪が30日以上継続した状態だからまだ根雪になったとはいえないのですがこれだけ積もったらもう春まで消えないでしょう)、昼間の気温もあまり上がらなくなって積雪の表面がとけたり凍ったりすることもなくなりました。本格的な雪のシーズンになったから、除雪も入るようになりました(感謝)。

そうはいっても寒いことは寒い。不思議なことに雪が積もると積雪前に比べて寒く感じなくなるのですが(そういう意味では冬の精神的な辛さの第一関門突破って感じ)、こんなに晴れていても気温は氷点下。長い距離をたらたら走ったり歩いたりすると体が冷えて風邪をひいたりしかねないから、おそるおそる、ちょっと近所をひとまわり、ぐらいのつもりで出たのですが、意外にいけそうだったもんで、北大の縁(北海道マラソンのコースでいうと往路の12キロあたり)を経由して、北側から北大構内(北海道マラソンのコースでいうと復路の39キロあたり)へと入ってみました。

ランスマで亮さんが「ご入学」と言われていたのはこの辺。


ここを右に曲がると(夏なら気持ちのいい)木陰に入ります。


構内を抜けるまでに、すれ違ったランナーは、10人ぐらい。


雪が積もったというと「もうしばらく走れませんね」と言われることが多い今日このごろですが、かように、走っている人は、けっこう、います。本格的にやる人は屋内施設で走り込むのでしょうが、ぼくは、雪が消えるまでの間は、土日のどちらかに軽く走れればいいなあ、ぐらいの、適当な感じで、筋力が落ちない程度にやっていこうと思ってます。

というのは、去年の晩秋から今年の春にかけては、ほとんど走らなかった、けれど、北海道マラソンは制限時間内に完走できました。だから、冬の間はそんなに気合入れなくても、そこそこやっていれば、1歳の加齢の分はカバーできるだろうと考えています(念のため書き添えておくと、これは制限時間内にゴールできればいいという人の選択であって、タイムを目指すなら、そんなんじゃダメだろうと思ってます)。

なお、この記事のタイトルは、TVh「コンサにアシスト!」の、2017年12月8日放送の回(今季最終戦とシーズン終了のセレモニーのダイジェスト)のエンディングを真似させていただきました。


 

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蟹田駅の栄枯盛衰

先日の青森からの復路は、青森〜蟹田〜津軽二股/奥津軽いまべつ〜新函館北斗〜札幌というルートを使いましたが、このうち、蟹田〜津軽二股(より正確にいえば中小国信号場〜津軽二股)は、五能線同様、37年ぶりに乗った区間でした。

37年前に使った東北ワイド周遊券には、蟹田駅の途中下車印があります。



その頃の蟹田駅はローカル線の途中駅で、これといった印象も残っていないのですが、青函トンネルの開通以来、蟹田は、青森の次の駅(停車駅)として、記憶に残る駅となりました。北海道側から向かうときは、「かにた KANITA」の文字と真っ赤なカニのイラストが描かれた看板を見ると「ああ、本州に来たんだなあ」と思ったものでした。

特急列車の発着がほとんどなくなってしまった青森駅の寂れっぷりは、ホームの数が多いうえにホームが長いから(往時の賑わいを知っているだけに)痛々しくてならないのですが、蟹田駅もまた、北海道新幹線の開業で、ただのローカル線の駅に戻ってしまいました。



ただ、ここが特急も停車する主要駅だったのは青函トンネル開業以降の30年弱の間のことであり、それまではローカル線の駅だったからそこに戻っただけだと思えば、青森駅ほどの悲哀は感じることでもないのかもしれないのですが、とはいえ、北海道と本州の間を陸路で行き来するとき、いつも見てきた駅だけに、なんだか妙な感慨に耽ってしまいました。



北海道側から来ると、蟹田を出て、左側に海が見えてくるのが、もうちょっとで青森だ、って気持ちになって、楽しかったんだよなあ…な〜んていうのは、津軽線が行き止まりになって、走っているのがほとんどロングシートの電車という現状では、うまく伝えづらい感覚です。

ぼくにとっての蟹田のイメージは、これです。

でも、青い客車が走っていた期間って、意外に短いんですよね。

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初めての奥津軽いまべつ駅



奥津軽いまべつ駅は青森県内の駅ですが北海道新幹線の駅なのでJR北海道の駅です。だから、JR北海道の「わがまちご当地入場券」も売ってます。「わがまちご当地入場券」が北海道外で販売されている唯一の駅でもあります。

在来線(JR東日本の津軽線)の津軽二股駅が隣接していますが、別の駅です。新岩国に対する御庄みたいなものです、が、御庄と新岩国よりも、お互いの位置は、近いです。近いですというか、ほとんど同じ駅です。



上の写真の左側が新幹線のホームで、中央に見えるのが連絡通路で、その右側にそびえ立つのが奥津軽いまべつ駅の駅舎です。奥津軽いまべつ駅の入口は、ここにしかありません。そこが御庄と違うところで、奥津軽いまべつ駅の(1ヶ所しかない)入口と、津軽二股駅の入口は、ほとんど、並んでいるのです。

津軽二股駅の入口、といっても、看板が立っているだけです。



上の写真の左手前には、道の駅があるのですが、朝早かったので、まだ営業しておらず、この時間帯だと、この界隈で飲食物を購入できる唯一の場所は、奥津軽いまべつ駅の改札前にある自動販売機だけです。



下の写真で、左下にあるのが津軽二股駅(ホームが見えます)。



反対方向は、まるで鉄道模型のレイアウトのようです。



右のカーブしている単線の線路が津軽線。道の駅が営業しておらず、外は雨も降っていて、どこへも行きようのない状況だったのですが、こういうのを見ていると、飽きません(^^;

ここでは駅も観光スポットの一つとして扱われています。



倉庫の入口みたいなトイレの入口。



中から見ると、こうなってます(中は暖房が入ってました)。



待合室には雑誌が(病院の待合室みたいだ(^^;))。




貨物列車はホームの外側を通過。





その他、こまごま紹介しませんが、通路にはいろんなパネルが張ってあったりして、なんとも不思議な、かつ、おもしろい駅でありました。

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三度目の新函館北斗駅

先月の話の続き。



新函館北斗駅に初めて来たのは北海道新幹線開業日二度目は新千歳空港が大雪で閉鎖寸前だったとき。二度目のときは41°ガーデンのカフェ弁が買いたくてわざわざ乗り継ぎ時間をとったのに、列車で札幌から東京へ向かう人が溢れているという非常事態の日だったから「選べるカフェ弁」なのに選べなかったのですが、今回は、ゆっくり、選べました。



もっとも、ゆっくり選べるというのもへんな話で、スーパー北斗と新幹線の接続が悪いから、ここでゆっくりできるような時間ができてしまうわけで、それが本当にいいことなのかどうかは、なんとも言い難いところではあります(が、現状のダイヤがそうなっている以上、それを楽しめるような仕掛けを作っていく、というのも、大事なことでありますね)。

今回はほぼフルメニューが並んでいる状態で、そうなると、これはこれで、選ぶのが大変でありまして、せっかくだからサイドメニュー的なものを入れようかとか、サラダを入れようかとか、いろんなこと考えて(ぼくにしては珍しく)けっこう迷った末に、こんなチョイスになりました。



左側は2番の「炙りサーモンといくらSushi Bento」、右側は期間限定と書いてあった(ような気がする)ローストビーフとウニが入った「贅沢ダブルBento」。前回は、3つ選んだら量が多すぎて大変だったんで、今回は、2つにしておきました。

ご当地入場券は、みどりの窓口で売ってました。

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サプライズ in 青森

今年の2月、釧網本線に乗ったSクンの、見るもの聞くものすべてに驚くピュアな反応が羨ましく思えたのは、もはや自分にはそういう感動を素直に楽しめる力が残っていないのではないかと思っていたからでした。だから、先月、青森へ行ったとき、こんな程度のことでもいちいちはしゃぐ自分に、ああ、まだぼくにもこんな部分があったんだと、ちょっと、安心しました。

その1。新青森駅で、青森行きを待っていたとき。

ディーゼルカー

当然、701系電車だろうと、予想すらせずに待っていたら、気動車が来て、もう、大はしゃぎ(心の中で)。そんなもんは時刻表持って列車番号を控えておけばあらかじめわかることで、昔だったらそうしていただろうからこんなことがサプライズにはならなかったんでしょうけど、いいんです、楽しかったのだから。

その2。青森駅に着いたら、パステルカラーのかわいらしいのがいる。

青森駅

見に行った。

青森駅

こうやって見れば、雪国では別に珍しくもなんともないヤツなんですけど、この色は、とりわけピンク色は、インパクトあります。鉄道ファンならずとも、思わず、写真を撮りたくなるでしょ?

その3。上の写真を撮りながら、気づいた風景。

青森駅

反対側までまわって、見に行ってみた。

青森駅

ここでしばらく眺めてたら、先頭の赤い機関車(EF81 140)だけが切り離されて、この写真でいうと左のほうにフェードアウトしていってから、またこちらに戻ってきて、今度は黄色いラインの入った電車の手前の線路を左から右へと移動して、最終的には(連結するところは見てないけど)こうなりました。

青森駅

興味のない人にとっては、何がおもしろいのかさっぱりわからないのでしょうが、こんなことをしていたら、時間が余りそうだから本でも読みながらお茶でも飲もうかなんて考えていた時間は、あっという間に、過ぎ去っていくのでありました。

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8勝2分1敗

今季のコンサドーレの生観戦の結果です。J2からJ1への昇格を決めるプレーオフも終わり、J3が終わってJ2とJ3の入替も決まり、今季のJリーグは終了したところで、そういえば今年は負けた試合あんまり見た記憶がないなと気づいて、数えてみたら、今季の生観戦(リーグ戦)で負けた試合は1つだけでした。カップ戦を含めても、負けたのは、2試合だけです。

負けた1試合というのは、5月のガンバ大阪戦。コンサドーレがホームで負けた試合はそれ以外にもあるのですが、自分個人でいうと、6月のヴィッセル神戸戦は礼文島(フラワーマラソンは中止になって走れなかったのですが)、8月の横浜F・マリノス戦は仕事の都合(礼文島に行く直前でバタバタ)、10月の鹿島アントラーズ戦は道北出張中で、たまたま、見てません(べつに負ける予感がしたから見に行かなかったとかではなくて)。

逆に、勝った試合で見ていないのは、北海道マラソンの前日で体に負担をかけたくないがために行かなかったベガルタ仙台戦だけ。

これしか見ないのであれば、シーズンチケットは明らかに割高なのですが(サポーターズ持株会の招待券も持ってますからね<自分では使わずに友人を招待するのに使ってますが)、もはや、高いとか安いとか、どっちのほうが得だとか、そういう次元の話ではないので、たぶん、来季も、シーズンチケットを買うのでしょう。

案内も来ちゃってますから。

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ラン鉄

このところ忙しくて、睡眠時間は短くて、寒くて、雪が降って、降った雪が凍って、おまけに日も短くなって、要するに走れない理由はたくさんあって、この状態がずっと続くとそのうちランナーからフェードアウトしていってしまうのかもしれません。

しかし、日曜日の昼下がり、お昼を食べてうとうとしかけてたらiPhoneにメッセージが届いて、1つ下のHくんが湘南国際マラソンを3時間ちょっとで走った、というのを見れば、ああ、やっぱり走らなきゃ、と思わされるわけです。

というより、もう少し積極的に、今は雨も雪も降ってないんだし、この数日に比べれば気温がプラスになってるだけマシなんだし、大きな道であれば路面の雪もほぼ消えているのだから走りに行こう−と、考えたのでした。

ただ、ここんとこぜんぜん走ってないからそんなに本格的には走れないだろうし、路面状態のことを思うと本格的に走ろうという気も起きないので(これは言い訳ではなくリスク管理(のつもり))、それならば適当に行ってみようと、GPS時計も持たずに(=タイムも距離も計測することなしに)、iPhoneとSAPICAだけ持って、それなりの寒さ対策をして、ひさしぶりの(いいかげんでテキトーな)ランニングに出てみた次第。

西15丁目の交差点で、2018年版の雪ミク電車に初遭遇。



追いかけてみたものの、キロ6分半程度(たぶん)では(信号のタイミングもあって)なかなか追いつかず、次の信号で追いつくかなと思うとまた離されてしまう、の繰り返しで、結局、追いついたのは、西8丁目電停の停車中でした。



お約束の4丁目十字街。



次は、当然、すすきの交差点のニッカのおじさん前で…というつもりだったのに、さすがに駅前通りはそれなりの人通りがあって(上の写真でわかるように時刻は15時40分頃です<12月の札幌なのでもう暗くなりかけてます)、走るわけにもいかず、信号に何度か引っかかったこともあって、ニッカのおじさん前カーブには、間に合いませんでした。信号のことを考えると、もしかすると、地下街経由のほうが、よかったのかもしれない(けど、ランナーそのものの格好で地下街を歩くのも、へんだ<駅前通りだって十分にへんなんだけど)。

交差点のカーブは間に合わなくとも、その先のすすきの電停では停車時間があるから余裕で追い越せて、資生館小学校前(西創成)の先のカーブの先の横断歩道の途中、中央分離帯のところで待機。



ちょっと背景がうるさいけど、サイドビュー。



札幌市電に沿って走るのはおもしろいんだけど、だんだん暗くなってきて気温が下がってきたのか足元がうっすらと凍り始めているうえに、市電沿いの道は歩道部分が狭くてランナーは通行のじゃまになるからこういう時間帯に走るのは気が引ける…ので、ショートカットして、西15丁目へ向かったら、コカ・コーラのクリスマス電車に遭遇。



反対側からは、探偵さんが登場。



ひさしぶりのランニングとしては寒くなくてちょうどよかったんですけど、やっぱり足元が滑るところが多くて、へんな気を遣うのが疲れます。もう少し雪が積もって、気温も下がって(上がらなくなって)、積雪が圧雪になって締まってくると、走りやすいのですが。

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幸せなエンディング

1999年にJリーグが2部制になったとき、ぼくは国立に住んでいて、まだ東京スタジアム(味の素スタジアム)はなかったから、Jクラブのホームスタジアムでいちばん近くにあったのは等々力で、1999年のJ2の開幕戦は、等々力に川崎フロンターレ対アルビレックス新潟を見に行ったのでした。当時すでにコンサドーレ札幌のサポーターズ持株会に入ってはいたけれど、この年のコンサドーレの開幕戦は大分(まだビッグアイはなくて市陸だった)だったから、行くという選択はなかった…のですが、この翌年のコンサドーレの開幕戦は鳥栖で、それは見に行ってしまうのだよなあ(それでエメルソンの衝撃ハットトリックを目撃するわけです)。

さらにさかのぼることその2年前、1997年は現在のJ2に相当するカテゴリはJFLで、JFLの上位にいたのは(この年に圧倒的な強さで優勝する)コンサドーレ札幌のほか、川崎フロンターレ、東京ガス、本田技研といったチームでした。この年のコンサドーレとフロンターレの試合はホーム・アウェイの2試合とも終盤に点が入って延長にもつれこむ激闘となり、2試合ともコンサドーレが制した…というのは、もはや伝説に近い、オールドファンの語る試合になっているのかもしれません。

その年、フロンターレはわずかに及ばずJリーグには上がれなかったのですが、その最後の試合は、ソウルでワールドカップ予選を見てから早朝に成田に帰ってきたその足で見に行って、まだ今みたいに他会場の速報をすぐに手に入れる手段はなかったから、試合後に選手がうなだれながら並んだのを見て、ああ、だめだったんだと思った…というのが、20年前の話。

それから20年経って、川崎フロンターレがJ1優勝を成し遂げたというのは、当時は(そんなわけで近かったこともあって)わりとフロンターレの試合を見ていただけに、感慨深いものがあります。

フロンターレが20年経って優勝したのだから、その頃は同じようなところ、というよりも、むしろ、先行していたコンサドーレが、20年後に優勝しないとは限らない、と思うわけであります。20年後なら、まだ、ぼくも、生きているでしょう。

自分が生きている間にコンサドーレが一度ぐらいJ1で優勝争いしてほしい、というのは、だいぶ前から、ときどき言っていることだったのですが、ここへ来て、優勝争いといわず、ACL制覇ぐらいまで夢見てもいいんじゃないかと思えてきました。

今季、コンサドーレは、16年ぶりのJ1残留を果たしました。

16年前は、終盤はさっぱり勝てなくなって、最終戦に至ってはホームの札幌ドームで試合をしながら終了間際に藤ヶ谷陽介が股抜きシュートを決められて(決めたのは大柴健二<懐かしいな)、暗転した中でスポットライトを浴びながら岡田武史が監督退任の挨拶をしていたときに罵声が飛んでいた、なんてことを思い出します。あのときは、試合なんかそっちのけで、岡ちゃん辞めるんだって!のほうに注目が集まっちゃってて、今になって思い返すとちょっと信じられないことなんだけど、試合<岡ちゃんって感じで、空気がふわふわしちゃってました。

その点、昨日の試合は、四方田さん監督退任は決定的な状況だったけれど、そして2点を先行しながら(最初のジェイの得点はスーパーゴールでしたねえ)追いつかれてしまう嫌な流れだったのに、残りわずかの時間で福森晃斗→横山知伸の勝ち越しゴール。あれはホームの観客、雰囲気が決めさせてくれた得点だったと思います。もちろんやっているのは選手だから、選手の頑張りなんだけれども、それを後押しするスタジアムの空気というのを、この何年かの間、とりわけ四方田さんが監督になってから、野々村社長が、スマートなリーダーシップのもとに、時間をかけて作り上げてきた結果であったとも思うのです。

試合後のセレモニーで、四方田監督が、心のこもった、力強い言葉で、まだまだコンサドーレのためにやっていきたい、といったことを語り、さらに、野々村社長のスピーチの中では、ペトロビッチ新監督候補のビデオメッセージが大型ビジョンに映し出されて、こんな日本語訳が表示されました→《四方田さん!貴方は昨年札幌をJ1へ昇格させ、そして今年はJ1残留を成し遂げた。素晴らしい功績を、心から讃えたい!私は貴方と共に札幌で仕事がしたい!何より貴方のサポートが必要だと思っています!》

これで、どうして四方田さん辞めさせちゃうの?ミシャでいいの?というモヤモヤが、払拭されました。ペトロビッチと聞くと、勝負弱いとか、広島から浦和に自分のよく知っている選手を移籍させたとか、そんな印象があって、そこがモヤモヤだったんだけど、四方田さんというコンサドーレの財産を活かしたうえで、さらにチームを上に導いてくれるならば、それは、素晴らしいことです。コンサドーレは、まだ、タイトルにこだわるチームじゃない。それならば、優勝できないミシャだって、いいじゃないか。

うまく行っている状況をあえて壊すのは、とても、勇気のいる決断です。それは、ともすれば博打になりかねないのに、今回の監督交代は、中長期を見据えたもの=四方田「監督」を育てていく=であり、四方田さんをスタッフに残したという点では、リスクヘッジもできている。これは、なかなかできないことです。コンサドーレは、じつに稀有な人材を得ました。そして、それは、野々村氏をここまでに育て上げたサポート企業の功績でもあります(ここはもっと強調されてもいいところだと思う<まだ早いかな?)。

でも、こういうふうに、うまくまわり始めたのは、なんといっても選手あってのことだし、昨年、今年と、大胆な選手起用で勝負勘を身につけてきた四方田さんが、きちんと結果を残してくれたからです(何度も言うけど最大のターニングポイントは去年の3月のアウェーの清水戦だったと思います〜その後、深井一希に前線でチェイシングさせたり、いろんなことやってきましたねえ)。もし、去年の途中で四方田さんがぼろぼろになってチームを去っていたり、あるいは、今シーズンだって、あの6連敗のときに四方田さんを解任したりしていたら、あるいは、あれ以上の負けが続いて降格になってしまっていたら、また、リセットでした。

クラブが潰れかけて、絶望的な中で、むりやり希望を見出すしかなかった2003年のオフから、14年かかって、ようやく、ここまで来ました。今朝の道新スポーツの1面記事の最後は《J1リーグは、最終節で川崎がかしまを追い抜き、逆転優勝を決めた。いつの日か、札幌もその頂を目指すことになるだろう》と結ばれています。去年までなら、何を言ってるんだか…だったはずですが、今は、それが、けっして非現実的ではないと思えます。

この気持ち、20年見ている人なら、わかってもらえますよね?
(ちょっと力入りすぎた文章書いちゃってるなあと思ってるもので…(^^;))

ここんとこしばらくユニホーム買ってなかったんですけど、来季のユニホーム(早くも一昨日から予約開始となってます)は、予約開始日にまるいに行って、もう、お金も払ってきました。



まあ、スタジアムで着る用、というよりは、マラソン用、だったりするわけですが(笑)。背番号をつけなかったのは、5000円かかるっていうのもあるんだけど、それ以上に、どうせゼッケンつけて見えなくなっちゃうんだから、って理由です。来季のは黒いラインが太くなってて、真夏の直射日光を浴びる北海道マラソンには向いてないような気もするんだけど、来年の北海道マラソンは記録更新ではなく楽しく走ることを目指すつもりなんで(タイム的には今年と同じで十分)、マラソンのことだけ考えると水色のアウェーユニがすごくいい感じなんだけど、アウェー用だけ買うのも邪道だし、かといってホームとアウェーの両方を買うのも大変なんで(来季のシーズンチケットも買わねばならんですからねえ)…という具合に、もう飽きた、醒めました、みたいなふりをしていても、結局、コンサドーレはやめられないんだなあ。

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キハ183系のカレンダー

11月28日の北海道新聞にも掲載されたキハ183系のカレンダー(どうしん電子版)、札幌市内各地で販売中です。自分の目で見た限りでは、紀伊國屋書店札幌本店の入ってすぐのところ(カレンダーコーナーのいちばん手前=HBC女子アナカレンダーの隣)、札幌駅西改札横の土産物売場(四季彩館)の奥のほうに置いてありました。書店以外では、麻生のほの家さんでも取り扱っているそうです。

追分駅で並んだ国鉄色初期型と青い500番台は貴重な一枚。



ぼくにとってのキハ183系初期型(いわゆるスラントノーズ)は、石勝線の印象が強烈です。乗った回数でいえば石北本線(オホーツク)のほうが圧倒的に多いと思うのですが(ぼくが札幌に移ってきたときはもう石勝線系統は283系が入ってました)、千歳空港駅(現在の南千歳駅)が開業して北海道内の長距離列車の運転系統が函館中心から札幌中心に変わり、石勝線が開通して帯広・釧路方面へのルートが滝川経由から新夕張経由に変わり、紅葉山が新夕張に変わり…といった動きをリアルタイムで経験していることが、初期型=石勝線のイメージになっているのだと思われます。

リアルタイムで、とはいっても、当時の自分にとっては北海道は遠い憧れの地でした。でも、石勝線の開業は、当時の自分にとって、十分に衝撃的な出来事だったのです(そのことは以前にブログに書きました)。
 

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