熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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『昭和解体 国鉄分割・民営化30年目の真実』

本の表紙

国鉄の分割民営化の経緯に詳しいわけではないから、この本で明らかにされた「真実」については、評価できません、が、分割民営化を、鉄道事業はどうあるべきか、交通政策は…という観点からではなく、国鉄という組織のあり方、とりわけ労使関係を一方の軸に置き、もう一方の軸に政府・与党の意図を置くという視点で描かれたノンフィクションとしては、他に類をみない重厚な作品だと思います。勉強になりました。

ただ、これはあとがきにも書いてあるのですが(したがって著者も自覚していることなのですが)、国鉄改革(解体)においていわば敗者となった側の中には取材を受けてもらえなかった方がいることから、いわゆる改革三人組の登場頻度が高く、その結果、分割民営化は正しかったとの色合いが、やや、濃く滲んでいるかなあとは感じました。まあ、でも、それはそれで、ひとつの見方でありまして、別の人が読めばそんなふうには思わないかもしれない、という程度の感想です。

「序章」の一部を引用してみます。

《国鉄の分割・民営化は、二五兆円を超える累積債務(これに鉄建公団の債務、年金負担の積立金不足などを加えると三七兆円)を処理し、人員を整理して経営改善を図ることがオモテ向きの目的であったが、そのウラでは、戦後GHQの民主化政策のもとで生まれた労働組合、なかでも最大の「国鉄労働組合」(国労)と、同労組が中核をなす全国組織「日本労働組合総評議会」(総評)、そしてその総評を支持母体とする左派政党・社会党の解体を企図した、戦後最大級の政治経済事件でもあった。
 国鉄の経営が単年度赤字に陥ったのは、東海道新幹線が開業した昭和三十九年(一九六四)。それから二十年余。公共企業体「国鉄」は、労使の対立と同時に、労働組合同士のいがみ合い、国鉄当局内の派閥抗争、政府、自民党内の運輸族や、組合の指示を受けた社会党の圧力などが複雑に絡み合い、赤字の解消や経営の合理化などの改革案は常に先送りされ続けた。その結果、莫大な累積債務を抱え、ついに「分割・民営化」という”解体”に追い込まれ、七万人余の職員がその職場を失うことになったのである。》

序章「日本の鉄道でいちばん長い日」のすぐ後、第一章のすぐ前のページには「国鉄の労働組合の組織変遷図」があって、第一章「田中角栄と細井宗一」、第二章「磯崎総裁の『マル生運動』と国労の反撃」、第三章「政府・自民党vs.国鉄労使」、第四章「走り始めた国鉄解体」、第五章「運輸族・三塚博の秘密事務局員」、第六章「中曽根『風見鶏内閣』誕生」、第七章「国体護持派と改革派の暗闘」、第八章「改革派、絶体絶命」、第九章「最後の主戦場」、第一〇章「猛き者ついに滅びぬ」、と続き、終章は「国鉄落城−新時代への出発」。そして、あとがきには、こうあります。

《百五十年近い日本の鉄道史にとって、「国鉄解体」は新しい時代への出発点にすぎなかった。「国労、総評、社会党潰し」を狙った中曽根政権にとって、「分割・民営化」は大成功であったが、新しく発足した六旅客会社や貨物会社にとっては、多くの経営課題を残したままの”見切り発車”でもあった。(中略)「分割・民営化」という国鉄改革は今なお”道半ば”なのである。JR各社それぞれの「三十年史」が、新たな視点で書かれることを期待したい。》

 
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分割民営化30年 いまあらためて『日本国有鉄道最後の事件』を読む

最初に断っておきますが、いまさら30年前の判断が間違いだったからああしろこうしろと、過去のことを断罪するつもりはありません。ただ、これからのことを考えるにあたって、国鉄の分割民営化から30年という節目に、しかもJR北海道の路線存続が話題となっている中では、30年後に同じことを繰り返さないためにも、当時のことを振り返っておくのも必要かと考え、このようなテーマを取り上げた次第です。

『日本国有鉄道最後の事件』は、レイルウェイ・ライター種村直樹氏による初の書き下ろしミステリーです。発売されたのは今から30年前、1987年の2月末。



種村氏は、種村直樹レイルウェイ・ライター友の会機関誌第45号(昭和62年3月1日発行)で、この作品を執筆した背景を、こう綴っています。

《公共企業体日本国有鉄道消滅を前に、初めての書き下ろしミステリー『日本国有鉄道最後の事件』を徳間書店から刊行しました。(中略)解体されてゆく国鉄への想いを、推理小説の形を借りて描いてみたいと考えだしたのは、もう4年も前の'82年春ごろで、タイトルはすぐ決まりました。(中略)'82年春は臨調の国鉄問題討議が大詰めになり、その間に国鉄労使の悪慣行摘発などが行なわれ、ヒステリックな国鉄攻撃が行なわれていました。異常な状況下の臨調答申と小説の事件の時制を合わせればよいと考えたのですが、ペンをとらないうちに分割民営へ向けた答申が7月に出てしまい、メモをキャビネットに放り込んだまま月日が経ちました。(中略)本業に追われて手がつかないうちに国鉄再建監理委員会の答申が出るなど、国鉄をめぐる事態は、どんどん進んでゆきました。'86年7月の衆参同日選挙で自民党が圧勝すると、国会審議を待たずに'87年4月1日の国鉄分割民営が規定事実になり、タイトルを生かせるタイムリミットが刻々近づきます。(中略)4年前に臨調答申が行なわれたころ、もし国鉄分割が強行されれば、労使ともども騒然とするだろうと予測したのはみごとにはずれ、小説だけ一人歩きした格好になりました。》

ぼくは、この本が刊行された当時、種村事務所のバイト君でしたが、正直なところ、この種村先生の想いというのは、よくわかっていませんでした。それは、いまにして思うと、種村先生の想いが、ではなく、そもそも国鉄の分割民営化の経緯がよくわかっていなかったからです。

その辺のことがある程度わかってから、あらためて、読み直してみると、なるほど、そういうことだったのかと思う箇所が、たくさんあります。

いくつか、引用してみます。
(あくまでもフィクションなので、固有名詞は架空です)

《私たちは、これまで、さまざまな角度から国鉄の分割民営化について話し合ってきました。その結果は、国鉄の再生の道は非分割民営化であるべきではないかということになりました。国鉄当局も前総裁のもとで、昨年早々、いったん非分割民営化案をうち出したのですが、政府首脳とそこにおられる佐田さんたち国鉄再建監視委員会の筋書きに沿って、事態はどんどん分割民営化に進んでいきました。気がついたときは、外堀ばかりか、内堀まで埋められて、無条件降伏といったありさまでした。我々の考えが甘かったのです。まさか、こんな大問題がまるっきり政府自由党のペースで進むとは、予想だにしませんでした。だれも反対できない一部労使の悪慣行がやり玉にあげられ、マスコミを含めた世論が、国鉄に冷たくなったのが致命的でした》

《星野先生も日ごろから御指摘のように、赤字の責任の大半は、新幹線などの設備投資に伴う長期債務にある。それは、佐田さん、あなたもご存じのはすだ。そして、その投資は、皆、政府自由党に押しつけられたものだ。そうしたことに一言も触れないで、ただ、今の国鉄は瀕死の重病人だから大手術が必要などという子供だましの理屈をかざして、解体を強行する。こんなことが許されていいのですか。佐田教授には悪いが、再建監視委員会の受け売りである分割民営化法案は、さまざまな問題を残している。あんなものは、体のいい作文、数字のつじつまを合わせただけのものです。とくに大きな問題は、国鉄を赤字に追い込んだ大きな原因である政府介入の問題が全く検討されなかったことです。あまつさえ、整備新幹線は含みを持たせる形で温存し、新会社もできないのに勝手に着工を決めて押しつけようとしている》

《「この線、雄頓南線というんですか、これを廃止したのは国鉄です。再建監視委員会が廃止を提言したわけではない。むしろ再建監視委員会は、ローカル線を残すためにも国鉄の民営分割化による再出発が必要だと議論してきた」
「それは建前でしょう。ローカル線を残すような具体的な方策を分割民営化法案と一緒に提示しなければ、なんにもならない。輸送密度という数字と、採算だけを考え、一律に廃止してもいいというものでは絶対ない。この雄寒町の人々のように鉄道が生きる支えであるような地域で、数字だけを物差しにして線路をはずすのは、あまりにも短絡しすぎる。町を捨てよ、ということと同じなのです。バスにすればいいというもんじゃないんです。何より悲しいのは、そうした地元の心を全く顧みようとしなかった、佐田さんたち再建監視委員会や政府の態度です」》

《私は、鉄道は単なる交通手段ではなく、その国のひとつの文化だと思います。交通弱者と呼ばれる人たちでも、好きなときに好きな所へ安全に行ける。それが鉄道なのです。一度失った文化はもう返ってきません》

《「君は感傷で言っているだけじゃないか。そんなことでは我が国の鉄道は守れないのだ。事態はそこまで悪化している」
「たしかに私が今言ったことは鉄道の理想の姿を追う者の感傷かもしれません。しかし、鉄道の改革を志すなら、まず鉄道のあるべき姿から考えるべきじゃないのですか。それから理想と現実を秤にかけながら改革してゆくべきじゃないのですか」
星野が口をはさんだ。
「藤田君のような考え方にも耳を傾けねばいかん。赤字を放置しておくのは論外だが、ヨーロッパには、鉄道は文化であるという考え方があるんだな。だから、国鉄の赤字を政府が穴埋めするというコンセンサスができあがっているんだろう」
栗原が言った。
「私もヨーロッパに行ったとき、そう思いました。皆が、鉄道の赤字をあたりまえだと思っているように感じられました」》

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やっぱりJ1

しびれました。簡単には勝たせてもらえないね〜

スコアボード 札幌 2-1 広島

などと軽口を叩けるのは、もちろん、勝ったからです。べつに勝てないと思ってたわけじゃないけれど、相手は広島だし、引き分けなら、まあ、いいか、ぐらいに考えてました。

J1なんだなあと思うのは、いろんなところからシュートが飛んできて、しかもちゃんと枠内に飛んでくるのですね。失点しなかったのは、それをがっちりキャッチするソンユンのおかげです(開幕のアウェー仙台戦のポロリの反省が生きている)。守備面でも、J1なんだなあと思うのは、コンサドーレもそれなりにチャンスは作ってたと思うんですけど、林卓人(広島の選手として札幌ドームでプレーするのは15シーズン前の稲妻レッグラリアート以来?)が、簡単には入れさせてくれないんだ。

序盤、左サイドがミキッチにやられまくりのときは、こりゃどうなることかと思ったけど、幸いにして都倉の先制点が早い時間帯に決まったこともあってか、途中からはそこそこ対応できるようになって、その辺も、J1だなあと思うわけです。

思い出すのは1998年のJリーグ昇格直後、当時高卒3年目だった吉原宏太がプレーのスピードや判断のスピードに戸惑っていた(それがよくわかった)ことで、現在のコンサドーレも、ちょっと、そんな感じがないこともない、だけに、ここでしっかりと勝てたのは、大きいと思うのですね。これでいいんだ、って思えるでしょ。これが負けっぱなしになると、自信まで失われて、本来の能力すすら(もともと他のチームよりは劣っているのに)出せなくなってくるんだが、今シーズンは、それは、なさそうです。

終盤、われらが監督が金園に替えて河合を入れ、最後にケンゴを入れたあたりは、去年の今ごろやったアウェーの清水戦を思い出しました。あの試合で、四方田監督、ひとつ高いところに上がったように思うんですが、今日の勝利も、あれに通じるものがあるんじゃないかなあと、これは、ちょっと、期待込みで。

コンサドーレ必勝弁当の栞 オレンジを食べて広島を食う

最後のほうは、こうなったら、もう、おれたちで勝たせなきゃダメでしょ、サポーターの力で勝たせるんだ!と考えながら、手拍子打ってました。なんだかんだいっても、ギリギリのところで勝負を決めるのは気持ちであり、空気なんです。選手たちに勇気と自信を与え、最後に運が巡ってくるような空気を作るのは、ぼくらの役割なのです。

まだ勝ち点とか順位の話をするのはぜんぜん早いけど、でも、そんなふうに思えるのも、勝てたからなんです。これが負けていたら(負けていれば17位か18位だったわけで)、もしかしたらこのままずっと勝てないんじゃないかとか、余計なことを考えてしまうものです。逆に、セレッソに引き分け、サンフレッチェに勝ちってことで、J1に上がってもやっぱり(去年と同じで)ホームなら負けないんだって思えてくる。ホント、とてもとても意味のある、今シーズンを15位以上で終えられたならば、あの広島戦の勝利が…と振り返ることになるんじゃないかと思うような、そんな試合でありました。

次のホームゲームは4月8日土曜日19時から、FC東京戦です。

次のホームゲーム案内
 
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ひさしぶりの袖が浜駅



あまちゃん第138回、袖が浜駅のホームに立ったユイちゃんが「私もう、ここから一歩も出ない!東京なんか行かない!私に会いたければ、みんな北三陸に来ればいいんだもん!」と、アキちゃんに向かって叫ぶシーンが、とても好きです(で、いまこれを書くにあたって、ひさしぶりにその場面を見たんですけど、その台詞の後で、ユイちゃんのアップの後ろに北鉄の列車が入ってくるところ=望遠で引っ張っているからユイのアップのすぐ後ろにいい感じでボケた三陸鉄道の36形気動車が入ってくる=は、ここだけで泣きそうになってしまうほど、いいですね〜)。

そして、第151回で、太巻さんが北三陸にやってきて、アキちゃんは「ユイちゃんが言ってだ通りになったべ」と言うわけです。わざわざ東京へ行かなくとも、向こうからやってきて、出会ってしまうんです。

そんなことを思い出した日、でありました。
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存在価値

北海道コンサドーレ札幌は、今シーズン、「タイのメッシ」と言われているチャナティップ選手を獲得しました(契約は7月から)。それに関して、フットボールサミットのコンサドーレ特集号で、コンサドーレの野々村社長が、こんなことを言ってます。

《もちろん、今でも北海道にたくさんのタイの人たちが訪れていますが、プラス、そのチャナティップが、大きな動機付けになるし、インバウンドのお客さんを増やすとか、北海道に来る魅力がもう一つ増えることになると思います。そうするとそのコンサドーレが強いとか弱いとかじゃなくて、地域のためにこういうことをやってくれているんだ、と多くの人に分かってもらえると思うし、そこも大事だと思います》



会社が地域に必要とされる、社会から求められるというのは、こういうことなのでしょう。従来のよくあるフレームの中で考えると、タイのスター選手を獲得する→タイの企業からのスポンサードが期待できる、というところまで、なのですが、野々村さんは、それをきっかけにタイの人が札幌や北海道を知ってくれて、北海道に行きたいと思うようになって、さらにタイの人たちが北海道に来てくれれば、コンサドーレが北海道の役に立っていることになるし、それが北海道の人に理解してもらえるようになればコンサドーレは北海道の人から必要とされる存在になっていく、ってことを言っている(のだと思います)。

そこまで行くには、時間も手間もかかります。だけど、それをやっていかなきゃいけない。長い歴史を持つ会社は、それをやってきたから、世の中の景気がどうこうに左右されることなく、長い間、存続してきたのでしょう。いわゆる「老舗」の中にいる人たちにとっては、そうしたことは、もはや、血肉になっているのでしょう。でも、新興企業は、意識して、やっていかなきゃいけない。新興企業ってのがどのくらいのものかはわかんないけど、300年の歴史を持つ会社からみれば、いまの会社のほとんどは、新興企業です。世の中がガタガタしたときに、それでもこの会社は守らなきゃいけないと会社の外の人が思ってくれるぐらいでないと、老舗なんて言葉は使えません。

個人としても、組織としても、自分が世の中から必要とされるためには何をすればよいのか、どうすべきなのか。必要とされる存在を目指しつつ、そこをビジネスと絡めていくってことをやっていかなきゃいかんのだよなあと、サッカーの本を読んで思ったことでありました。
 

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礼文島 民宿海憧のホームページがリニューアル

長年お世話になっている礼文島民宿海憧のホームページが新しくなりました。美しい写真が並ぶ中、不肖私がiPhoneで撮った写真も2つほどあったりします。

去年のフラワーマラソンのゼッケンと6月のカレンダー レブンアツモリソウの写真

今年の最北フラワーマラソンは6月3日土曜日開催(参加申し込みはまだ始まってません)。ちょうどその頃は、上の写真のカレンダーにも使われているレブンアツモリソウが見頃でもあります。ただ、マラソン大会やるぐらいなんで、ちょっと肌寒いぐらいの日も少なくないです。山の色も全体的にまだ茶色っぽい。

もうそこらじゅうがお花だらけで、わーすごい!って感じなのは、6月下旬から7月上旬です。とはいえ、一般的には、その時期に旅行をするというのは、なかなか、難しいわけで、じゃあ一般的に休みがとりやすい8月はどうなんだというと、8月は8月で、青空と緑がとてもきれいです。9月になると、より澄んだ空気が、とても気持ちがいい。

民宿海憧のホームページには、いろんな情報が載ってますんで、まずは、のぞいてみてください。群馬県民限定サービスクーポンもあります。

 
杣田 美野里,宮本 誠一郎
北海道新聞社
¥ 1,296
(2012-05)

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西村京太郎が描く冬の釧網本線

現時点での西村京太郎氏の最新刊です(『札沼線の愛と死 新十津川町を行く』は2月25日初版第一刷発行、こちらは3月10日第1刷)。

書店の店頭に並んでいる状態(=帯が付いている状態)だと、わかりにくいのですが、表紙カバーの下の部分には、タンチョウが描かれています。

西村京太郎の本の表紙

タイトルにもあるぐらいだから、タンチョウが重要なキーワードの一つになるのですが、ミステリーなので、これ以上の内容の紹介は、しません。

第三章「釧網本線」の中で、十津川警部は、こんなことを語っています。

《釧網本線というのは、完全な、観光路線だね。終点の網走も、こちらの始発駅の釧路も、観光都市だ。そのほか、百六十六・二キロの周辺には、釧路湿原があるし、摩周湖もある。さらに途中で降りれば、カヌーを操って釧路川を、往復することもできる。運がよければ、列車の中から、タンチョウヅルやエゾシカを見ることもできる。昨日は、運がいいことに、キタキツネを見ることができたよ。》

ここで何か突っ込みたくなるマニアな人たちもいるでしょうが(^^;)、ちゃんと、次の台詞で、別の登場人物の言葉で、十津川警部の話の間違い(というほどの間違いでもないけど)がフォローされているのが嬉しいところです。

《これは釧路駅で、駅員から聞いたんだが、釧網本線というのは、本来は、網走が始発駅で、今、われわれがいる、釧路駅は終点らしい。だから、網走発釧路行きの方が、下りなんだ。今度、われわれが乗ることになっている『快速しれとこ』は、上りの、列車ということになってくる。》

釧路駅

いまや貴重な、国鉄型民衆駅(かつては地下にもお店がありました)。ずっと、このまま残してほしいけど、さすがにくたびれてきてるし、もはやこんな巨大な建物は不要だろうから、いずれ、取り壊しってことになるんだろうなあ…

 

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西村京太郎が描く札沼線と新十津川

ミステリーなので内容は紹介できませんが

西村京太郎の本の表紙

まず、この表紙に、感心しました。いや、そこは感心するところじゃなくて、当然のことなんだけど、これは、ちゃんと、札沼線の写真なのですね。背景があれだからこれはどこの駅で…という話以前に(それもわかる人はわかるんだろうけど)、この表紙の写真のディーゼルカー(電車ではない)の前面に「401」って書いてあるじゃないですか。これが、札沼線の証なのです。

わりと最近撮ったキハ40 401の写真
キハ40の実物写真

雪をかぶって見えにくくなってますが、401と書いてあります。

新十津川町の話は渡辺一史氏の力作『北の無人駅から』にも詳しい記述がありますが、何はともあれ、現地に行ってみるのがいちばんいい。

新十津川町開拓記念館

ぼくがここを訪れたのは、2009年の9月です。
新十津川町の人々が「母村」と呼ぶ奈良県の十津川村の水害の話、そこからいかに逃れてきていかに開拓を進めてきたかといったことが具体的に紹介されている、きわめて真面目な、記念館(というか博物館に近い展示施設)です。

出雲大社にも行きました。

出雲大社

《運転手が、連れていったのは、出雲大社だった。巨大な鳥居をくぐると、茅ぶきの立派な社殿が見えた。島根県の出雲大社と同じ、大きなしめ縄が張られている。(中略)奈良の十津川村の人たちも新十津川町の人たちも、すべて、出雲大社教の教徒になった。そこで、新十津川町には、立派な出雲大社が建てられ、出雲大社分院と、呼ばれている。》(『札沼線の愛と死 新十津川町を行く』第二章 終着駅は無人駅)

もっとも、その2009年は車利用でした。

札沼線の列車に乗って新十津川を訪れたのは、2007年の1月が最後です。

雪に覆われた新十津川駅

ついこの間のような気がしてたけど、もう、10年前なのか…

雪のホームに停車中の列車

 

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自然体

10年ぐらい前、スタジアムでいつもご一緒していたみなさん=もともと知り合いでもなんでもなくていつも同じような場所で見ているからなんとなく一緒に見るようになった方々=は、年を経るにつれて、仕事の都合だったり、ご家族の都合だったりでスタジアムに現れなくなり、中には完全に音信不通になってしまった人もいます。

それでも、年に1回だけは、という方もいて、その方が昨年見た試合が、よりによって、昨シーズン(結果的に)札幌ドームでの唯一の敗戦となった試合でした。せっかく来ていただいたのに申し訳ありません…と、ぼくが謝るのは完全におかしいんですが、そう言いたくなってしまう。それが去年の10月で、「来年はJ1だから(そのときはまだJ1確定してなかったけど)開幕戦はかならず来ますね」と言い残してお帰りになられたのでしたが、それから5ヶ月経った昨日の早朝、メールが来て、いわく、介護をしているご家族が体調を崩して今日は行けなくなりました、と。

そのとき、思いました。

行きたくても、どうしようもない事情で行けない人もいる。ぼくは(多少仕事が忙しかったりはあるものの)行こうと思えば行けるんだから、行きたくても行けない人の分まで云々なんて背負い込む必要はないけれど、行けるだけでも、幸せなことなんだ。



チームができて22年目のシーズン、ぼくが初めて生で試合を見たのは2年目だからそこから数えると21年目で、札幌に引っ越してきてシーズンチケットを買うようになってからだと今年で16年目。そりゃ、飽きますよね。かたやで、いまはインターネットという別世界が見えちゃうから、熱心なサポーターの人たちの言動というのが視界に入ってきて、ときになんだか付いていけないな〜と思ったり、もういいかと思ったりもする。自分自身も、以前ほどには関心が持てなくなってる。

でも、それは、普通のことなんだよなあ。人生いろいろ、年月の経過とともに自分の生きているステージが変わっていけば、背景にある大道具小道具も変わるし、脇役が端役になったり舞台の袖に消えていったりすることもある。

泣きたいのに笑ったり冷たいフリをしたりするのは、やっぱりあなたが好きだから。全試合見なきゃいけない!なんてことは考えずに(でもシーズンチケット買ってるんだからできるだけ見たいけど)、自然体で付き合っていけばいいじゃないの、見に行ける立場にある人(=ぼく)が行かない(行けない)理由を探してるのは、行きたくても行けない人に申し訳ない…ということは、じつは、昨日のブログに書くつもりだったんですが、ブログ書くときになったらすっかり忘れてしました。それは自分が目の前の試合にのめり込めていたってことで、それが自然体ってことなんだろうな。
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