熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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ドラマチックトレイン

6月15日深夜(16日未明)のキハ183の輸送の様子が、昨日のSTVニュース(どさんこワイド)で放送されました(SLと特急 あびら道の駅にやってきた 被災地の復興けん引 北海道安平町(北海道))。ニュース動画の中で「輸送業者」として登場するアチハ株式会社には、その前のD51も運んでいただきました(道の駅「あびらD51ステーション」にSL移送 安平=北海道新聞どうしん電子版)。

作業終了後、アチハで今回の輸送を担当された方々とお話をする機会がありましたが、みなさん口々に(人によっては興奮気味に)お話されていたのは、D51の輸送を見守る安平町の地元住民のみなさんの歓迎ぶりに感激した、ということ。

先日も書いたとおり、D51の輸送日時は非公表ではあったのですが、もともとD51が保存されていた旧安平町鉄道資料館ではその前日から大型クレーンが入ってD51を吊り下げるなどの作業が行なわれていたのですから、近くにお住まいの方であれば、今夜あたりかなあ、ぐらいの想像はついたはず。上のリンク先の動画にもあるように、輸送当日、安平町追分の市街地では、大勢の地元の方が、D51が旧資料館から道の駅へと運ばれていく様子を見守りました。

アチハさんによれば、鉄道車両の輸送時に大勢のギャラリーがいることは珍しくないらしいのですが、今回は、とくに、沿道に詰めかけた地元の方々の興奮や熱気、歓迎ムードが伝わってきたとのことで、D51を積載したトレーラーの運転手さんは、市街地に入った途端に沿道の人の数が急増したこと、とりわけ大勢のお子さんが目を輝かせているのを見て、できるだけ長い時間D51を見せたい!と思い、市街地を抜ける間だけ、本来はやらない減速をしたそうです。

さすがは新しい道の駅の名称に「D51」を冠するだけのことはある町です。この町では、蒸気機関車が、鉄道が愛されています。鉄道で発展してきた町だけあって、キハ183設置に向けた一連のプロジェクトの中でお会いしてきた方の多くが、家族や親戚の誰かが国鉄で働いていた方でした。

STVニュースの見出しにもある「被災地の復興けん引」は、他の地域で暮らす人からみれば「どうして鉄道車両を展示することが復興のけん引なんだ?」と疑問に思うことかもしれません。でも、この町にとっては、鉄道車両は、復興のシンボルとなり得るのです。

復興、というのも、また、最近ではずいぶん軽い言葉になってしまったような印象があるのですが、今回の一連のプロジェクトでお付き合いしている安平町役場の方々の中には、いまだにほとんど休みを取れていない方もいらっしゃいます。また、役場の方は、みなさん、昨年9月6日の地震から1ヶ月ぐらいの間の記憶が飛んでいるというお話をされます。まだまだ、大地震の被害からの立て直しは続いており、そのためにプライベートを犠牲にしてでも身を粉にして働いている方が、たくさんいらっしゃいます。

道の駅あびらD51ステーションを核とした観光振興(役所的にいうと交流人口の増加)は、まだまだ、これからですが、まずは車両が搬入されて一区切りがついたところで、関わった方々と話をしてみると、いろんなところにドラマがありました。現場はいつでもドラマチックなのです。

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長い昼

昨日(6月16日)、道の駅あびらD51ステーションへの車両設置が完了しました。

キハ183スラントノーズ車と、D51 320が、並びました。



キハ183はこの場所で固定ですが、D51は、基本的には、車庫内で展示されます。昨日は、公開初日ということもあり、時間を限定してですが、屋外での展示も行なわれました(上の写真は屋外展示した時間帯に撮影したものです)。屋内から屋外へ、その逆に屋外から屋内へと、この大きな蒸気機関車が動いたときには、あちこちから歓声やため息が聞こえ、あらためて、動く蒸気機関車の観光資源としての威力を見せつけられた思いです。

D51の輸送の話はまた後日書くとして、キハ183の輸送は、15日(土)の昼間に大型クレーンでキハ183(2両)を2台のトレーラーに積むところから始まって、16日(日)の午後に旧安平町鉄道資料館の車庫に保管するまで、2日がかりの大仕事でした。昨日も書いたように、2両のキハ183は安平町への移設とともに北海道鉄道観光資源研究会から安平町教育委員会へと寄贈されたのですが、JR北海道苗穂工場を出場するところから安平町に設置するまでは、北海道鉄道観光資源研究会の持ち物でしたから、輸送が安全かつ円滑に実施されるよう、北海道鉄道観光資源研究会のメンバーが輸送ルート上のいくつかのポイントに分散して待機し、撮影及び沿道の安全監視を行いました。

ぼくは、それらには参加せず、自宅にいて、メンバー間を行き交う情報の交通整理をやってました。自宅にいたのだから現地組より楽だったはずなのですが、とはいえ、キハ183を積んだトレーラーが苗穂工場を出発したのは(予定より遅れて)日付が変わってから、2台のトレーラーが安平町に到着して所定の位置に駐車して落ち着いたのは午前3時近くでしたから、そして、その間はずっとスマホの画面とにらめっこで現地情報の把握に務めていましたから、作業が終わったからといってバタンキュー的に寝ることはできない(眠りの質を高めるためには就寝直前にスマホの場面を眺めないというのは本当のことなのだと実感しました)。3時を大きくまわってから、なんとなくうとうとしたような気がして、ハッと気がつけば6時過ぎ。

でも、現地組は、みなさん車中泊(といっても実態はほぼ徹夜)。楽をしているオレがぶつぶつ言ってるわけにゃあいかんぜよ、というわけで、バタバタとブログ記事を書いて(それが昨日の「安平町鉄道車両輸送大作戦」です)、そのうちに現地からの情報が入ってきて、キハ183の設置作業が意外に早く進んでいるようだったので、急いで出かけて、現地に着いて、みなさんへろへろのはずなのにそれがゆえにテンションが高いという状態でいろいろやってて、そうこうするうちに作業がすべて完了して、作業が終わったと思ったら大雨が降ってきて(天気予報では前日から大雨だと言っていたのがここまではほとんど降らなかったのだ)、ほんの短い間だけ雨が上がった時間帯を使って今回のプロジェクトに関わった人全員がD51とキハ183の前に並んで記念撮影をして…などなどで、最後の最後は(意図したわけではなく結果的にそうなったのですが)一昨年の11月に初めて安平町役場と交渉をしたときの研究会メンバー3名と、そのときに対応してくれた役場の方4名で、これまでのことを振り返りつつ、今後の課題などについて話し合い、追分21時24分発の特急スーパーとかち10号で帰ってきたことでありました。

「オレ1時間しか寝てないから飲んだらすぐ寝るよ」と言っていた**さんは、最後のお店でも(みんながビールを飲んでいる中で)焼酎の水割りを飲んで、語ってました。あの元気の源はどこから来るのか。ああいう姿を見せられちゃうと、年下のぼくは、大変だとか疲れたとか言えないのですよ(^^;

いろいろ、おもしろい話、興味深い話、楽しい話、嬉しかった話、などなど、たくさんのお話を、多くの方から聞くことができました。その中には、書いていいもの、書いたほうがいいもの、書いてはいけないもの、書けないもの、などなど、これまたいろいろなお話があるのですが、その辺は、もう少し、頭の中を整理してから、折に触れて、ご紹介できればと思っています。

長い一日が終わりました。
みなさま、ありがとうございました。

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安平町鉄道車両輸送大作戦

本日未明、道の駅あびらD51ステーションに、キハ183-214が到着しました。現時点ではまだトレーラーの上にありますが、本日このあと、展示される線路の上への移設が行なわれる予定です。

以前にも書きましたが、JR北海道のキハ183系ディーゼルカー(スラントノーズ型)の終焉を前に、車両を残そう!という話が出たのは一昨年(2017年)の3月31日の夜でした。ぼくは、たまたま、その場に居合わせちゃったもので、そこから否応なくこの動きに巻き込まれていったのでした。

これも以前に書きましたが、JR北海道からの車両譲渡(のためのクラウドファンディング開始)の条件は、提示された期限までに、保存場所を確定させることでした。ところがその場所がなかなか見つからず、もうキハ183に関係のないところでもなんでもいい、もはやこれまでか…と、時間切れぎりぎりのところで、最後の最後に出てきた候補地が、安平町でした。

安平町役場を訪れ、最初の話し合いをしたのは、その年の11月。



ここからはとんとん拍子で話が進み(その後も含めて安平町役場の仕事の速さはすごかった!)、キハ183スラントノーズ車は、1981年の本格デビュー(石勝線開業)時にその登場を町を上げて祝った町であり、国鉄蒸気機関車の終焉の地であり、そして明治時代から鉄道の町として拓けてきた町である安平町(旧追分町)の、新たに開業する道の駅に、しかも、蒸気機関車の隣という、最高の場所に、置いていただけることになりました。

道の駅の基本設計は、ぼくらが最初に安平町役場を訪ねた一昨年11月には、すでに、できあがっていました(このときの計画ではキハ183ではなく客車が展示されることになっていました)。安平町鉄道資料館の蒸気機関車(D51 320)を道の駅に移設し、そこで展示することも決まっていたのですが、安平町は、大きな課題を抱えていました。

ものすごく重たいD51を、どうやって移動させるのか?

D51を分解して、車輪やボイラーを分割すれば、重量は軽くなります。京都鉄道博物館の開業前、交通科学博物館に展示されていた蒸気機関車を移設する際には、そうした方法が使われています。しかし、安平町追分のD51 320は、まだ、動くのです。だから、分解はしたくない。

D51 320の重量は、テンダーを切り離しても、70トン以上あります。キハ183の2倍以上です。鉄道資料館から道の駅への移動の際には、線路を横切らねばならない箇所もあります。踏切を通過するにしても、あるいは跨線橋を渡るにしても、踏切や跨線橋がその重さに耐えられるのか?そもそも、そんな重たいものを、クレーンで吊り上げてトレーラーに積むことは可能なのか?

どうしたらいいでしょう?

キハ183の保存場所の話をするために訪れた安平町役場で、そうした話を聞いて、それならばと紹介したのが、鉄道車両輸送ではおなじみ、北海道鉄道観光資源研究会では北斗星車両の輸送時にもお世話になったアチハさんでした。

その翌月(2017年12月)、大阪から、アチハさんが来てくれました。



安平町追分SL保存会の方々の説明を受けながら、鉄道資料館の車庫に格納されたD51 320を、何も言わずにじーっと見ていたアチハの部長さんが、突然「これは、日本一だね…日本一きれいな機関車だ…」と呟いたのは、今でも脳内で音声が再生できるほどの、鮮明な記憶です。



寒空の下、輸送ルートの調査。



鉄道資料館がある小さな公園の敷地内に重機を搬入することは可能なのか?重機を入れられたとして、D51を載せた大型トレーラーは住宅地の中の狭い道路の角を曲がれるのか?線路を越えるにはどうすればよいのか?…

そうした課題に対し、アチハさんは「ここをこうすればいけるんじゃないかな」と、事も無げに、回答を出していきました。できないことは考えずに、どうすればできるのか?だけを追求し、ときには役場の方に「ここの角の縁石を削ることはできますか?」とまで尋ねたほどでした(最終的には縁石を削ることはせずに済みました)。

役場に行ったら、担当の方が携えていた資料の中に、この本がありました。



安平町にはもともと鉄道資料館がありましたが、こちらの所管は教育委員会。一方、車両の輸送を扱うのは道路関係の部署で、こちらの担当の方は、鉄道とは無縁です。その方が、この、いかにもマニア向けっぽい本を持ってきたことに驚かされました(さきほど書いた交通科学博物館から京都鉄道博物館への蒸気機関車の輸送のことは、この本の中に書いてあります)。

その後、さまざまな調整や関係当局への届出等々があって、輸送計画が決まり、さあ、あとは運び出すだけだ、というタイミングで、昨年(2018年)9月6日の地震が発生。車両の搬入は延期せざるを得なくなり、道の駅の開業には間に合わなくなったことで、安平町では、それならいっそのこと車両輸送をイベントにしようかといった話も出ていました。今年4月の道の駅の開業後、車両の輸送はいつ行うのか?との問い合わせが、安平町役場に多数寄せられていたとのお話も聞いています。

でも、それは、できなかった。車両の積み込みや積み下ろしは、危険と隣り合わせの作業です。輸送の最中は、万が一、移動車両に接触でもしたら、大変なことになってしまいます。とても珍しいものであるがゆえに、とても多くの方が詰めかけることが予想され、そこで何も起きないようにするには、大掛かりな警備が必要です。そうなれば、多額の経費がかかってしまいます。それは、小さな町にとっては、負担が大きすぎました。

役場の方々は、道の駅へのD51の搬入を楽しみにしている町民のみなさんに輸送の日時を伝えられなかったことを、心苦しく感じていたと思います。6月13日の深夜、D51が道の駅に到着した直後の道の駅あびらD51ステーションのフェイスブックの投稿には、その苦悩があらわれていました。

【主役が到着しました】 皆様、大変お待たせいたしました。 先程、D51ステーションの主役「D51 320」が到着いたしました。 多くの方よりお問い合わせを頂いておりましたが、住宅地や市街地を通過するため、日程をお伝えすることができず、本当に申し訳ございませんでした。線路へ移動し、鉄道資料館内に格納するまで今しばらくお時間をいただきますが、まずは無事に運搬を終了いたしましたことをご報告申し上げます。 よく来たね!320!お疲れさま!

専属の広報担当などいるはずもない、限られた数の担当者が何から何までやっている、小さな町です。D51の輸送を無事に終えたときは、もう、くたくたであっただろうと思います。そんな中でも、こうした文章をしたため、町民のみなさんに情報を公開できなかったことへの理解を求めるとともに、リアルタイムの高揚感も伝えていることには(この投稿には動画も付いていました)、本当に感心しました。

今回、目立ったのはD51とキハ183でしたが、それ以外にも、鉄道資料館にあった客車や貨車、ディーゼル機関車などの移動もあり、全車両の移動に関わる作業は、ほぼ1週間がかりの大プロジェクトでした(完全終了するのは本日夕方の予定です)。このプロジェクトの実施にあたって、北海道鉄道観光資源研究会は、キハ183以外の部分でも、記録撮影や沿道の安全見守りなどの面で、お手伝いをさせていただきました。その際、北海道鉄道観光資源研究会で保有していたキハ183はともかく、D51をはじめとする他の車両の作業や輸送に関しては、あらかじめ決めた撮影班だけが撮影に当たり、他のメンバーは撮影しないこととするとともに、撮影班のメンバーも撮影したものは個人的には使わない、撮影したものはすべて安平町に提供する、といったルールを定めて作業に当たりました。車両の輸送中、沿道で見学や撮影をされた皆様には、安全な輸送にご協力いただきましたこと、感謝申し上げます。

さて、これまで北海道鉄道観光資源研究会が保有していたキハ183は、今回の移設とともに安平町教育委員会に寄贈され、今後は、安平町の地域団体が活用していくことになります。屋外展示ゆえにさまざまな問題が出てくることと思いますが、今後も美しい姿が保たれるよう、このブログをお読みの皆様におかれましては、道の駅あびらD51ステーションを訪れ、安平町にたくさんのお金を落としていってください。ここからは、また、新たなステージの幕開けです。

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『国鉄・私鉄・JR 廃止駅の不思議と謎』

本の表紙

廃線跡探訪ブームの先駆けとなった宮脇俊三さんの『鉄道廃線跡を歩く』が出たのが1995年。その次に、2001年の牛山隆信さんの秘境駅本、さらに牛山さん+栗原景氏の(表紙の小幌駅の写真があまりに印象的な)『秘境駅』が2008年に出て、秘境駅ブームが到来。これらはもはやブームを過ぎて一つのジャンルとして定着した感があります。

そして、『秘境駅』から10年余を経て、廃止駅の時代がやってきた!

…というわけでもないのでしょうが、廃止駅というのが一つのジャンルになる時代になったのだなあ、ということには、日本における鉄道(とりわけローカル鉄道)がいよいよもって本来の役割を終えつつあることに対する寂しさを感じる一方で、かつての賑わいのシンボルを後世に伝えようとする動きが各地で起きていることには文化的な成熟も感じます。

栗原景氏のまえがき「駅が廃止されるということ」から:
《地域の人々に親しまれた駅が、廃止される。列車は姿を消し、駅名標や、時刻表も取り外される。駅舎やホームが取り壊され、そこに駅があったということすらわからなくなってしまうこともある。廃止を迎えた駅は、列車に乗り降りする施設としての役目を終え、「廃駅」となる。(中略)だが、駅の役目は、廃止されても終わらない。そこに駅があったという事実は、多くの人の記憶に残る。駅は多くの人が日常的に利用した公共施設。廃止された跡も、そこにかつて人々の生活があり、産業があったという証しになる。施設の跡、周辺の家屋、地形など、様々な痕跡が、その土地の歴史を次の世代に伝えていく。》

この本の中で貫かれているのは、そうした考え方です。なぜその駅は廃止されたのか、そこにその駅があったことにはどのような意味があったのか。そして、駅が廃止された後に、地域の方々が新たな観光資源や産業遺産として、いかに廃止駅を活用しているか。その奮闘の様子がいきいきと描かれ、廃止駅といっても捨て去ってしまうのはもったいないですよとの思いが、とてもよく伝わってきます。

こうした本は、とかく美しい成功事例の羅列になりがちですが、この本には、うまくいかなかった事例も収められています。長野県の信濃川田駅(2012年4月1日廃止)の項では、こんなことが書かれています。

《信濃川田駅には、地元の人々の要望によって「屋代線トレインメモリアルパーク」構想が立てられ、長野電鉄が保存していた9両の車両が留置された。しかし、車両を保存・維持するノウハウに乏しかったことや、車両にアスベスト(石綿)が使われていることが判明したことなどから保存を断念。(中略)単純に駅を保存するといっても、現代の基準に合った耐震補強を行い、人が集まる施設として維持していくのは難しい。信濃川田駅は、郷愁だけでは駅を残していくことはできないということを教えてくれる。》

とてもよい本です。
鉄道愛好家だけでなく、地方創生に関心のある方にもおすすめです。

★この本の目次
第1章 「廃止駅=超過疎」とは限らない!?廃止駅に隠されたびっくりエピソード
第2章 廃止になったのに、元気を増した?いまも…いや、いまこそ観光客が多く訪れる廃止駅
第3章 有志の方々のおかげで私たちも楽しめる 鉄道車両が動態保存されている廃止駅、美しく保存されている廃止駅
第4章 そんなところに駅があったの?都心にもある!廃止駅
第5章 まだまだあるぞ 廃止駅を取り巻く驚きの事情
 

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6月15日 「αと旅するオホーツク釧網本線」石黒明氏ギャラリートーク

明日(15日(土))の午後、「石黒明作品展 αと旅するオホーツク釧網本線」のギャラリートークが開催されます。13時〜14時と15時〜16時の2回、会場は、ソニーストア札幌の正面玄関を入ってすぐ左手、南一条通りに面した場所。

こちらから事前予約をすれば座席を用意してくれるそうですが、予約なしでも立ち見で参加できる由(事前予約には、My Sony IDが必要です〜持っていない場合は、新規登録すれば、事前予約が可能です)。

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