熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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道の駅あびら D51ステーション 明日オープン

安平町の「道の駅あびら D51ステーション」は、いよいよ、明日、オープンです。営業時間は9時から18時まで。オープン直後は混雑が予想され、混雑時には右折での入場はできなくなるそうですので(案内=PDF)、ご注意ください。

「道の駅」ではありますが、安平町追分という鉄道のまち(国鉄蒸気機関車終焉の地)に位置し、施設内には「D51鉄道資料館」をはじめ鉄道に関連したコンテンツもたくさんありますから、蒸気機関車華やかなりし頃を偲びつつ、追分駅まで列車で行ってから、追分駅から徒歩で訪れるのも、おすすめです。「道の駅あびら D51ステーション」は、追分駅から、じゅうぶん、徒歩圏内です。

ちょうど1年前、2018年4月18日は、北海道鉄道観光資源研究会の一員として現地を訪れ、鉄道車両(D51蒸気機関車とキハ183北海道型特急ディーゼルカー)の移設に関する打ち合わせを行った日でした。



思えば、キハ183スラントノーズ型をクラウドファンディング使って保存しよう!という話が持ち上がったのが2017年(2年前)の3月31日の夜。その後、わりと早くにJR北海道さんから「場所が決まれば譲渡は可能」とのお話をいただいたものの、受け入れてくれる場所がなかなか見つからず、もう時間切れ寸前のところで安平町役場におじゃましたのがその年の11月6日のこと。

その時点で道の駅の設計図はもう出来上がっていて、蒸気機関車を置く場所も決まっていて、そこに新たにディーゼルカーを置くなんてのは普通なら嫌がられるはずなのに、安平町の瀧町長(当時・現在は退任)や及川教育次長(当時・現在は町長)をはじめ、役場のみなさんは、驚異的なスピードで仕事を進めてくれました。

安平町から正式にOKが出て、安平町役場の方々とともにJR北海道本社へ正式依頼にうかがったのは、最初の訪問からわずかに23日後の11月29日。そして、これを受けて、クラウドファンディングの準備を始め、クラウドファンディングサイトが立ち上がったのが昨年の元日、2018年1月1日。ここで、思いのほか多額のお金を全国のみなさまから頂戴し、キハ183を道の駅に移設できること、2両目のキハ183を(従来の)安平町鉄道資料館に格納することができることが決まったのが、2018年3月30日。

そして、ちょうど1年前の今日、現地で、具体的な話をしたのです。



安平町のみなさん、道の駅オープン、おめでとうございます。

及川町長、役場の**さん、ご多忙な毎日かと思いますが、北海道マラソンまでは、あと129日です。今年の夏も、一緒に、がんばりましょう!



※写真はいずれも2018年4月18日撮影。

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開業目前!道の駅あびら D51ステーション

道の駅あびら D51ステーションは、いよいよ、4月19日金曜日にオープンします。昨年9月に発生した北海道胆振東部地震の影響で、蒸気機関車(D51 320)と北海道型特急ディーゼルカー(キハ183)の移設は6月以降に延期になりましたが、D51が保管される予定のSL倉庫の内部を車両がない状態で見られるのは今だけです。

4月19日から21日までと、4月27日から5月6日までの間は、オープニングイベントが開催されます。リンク先にも紹介されておりますが、まだ蒸気機関車が入っていないSL倉庫では、北海道鉄道観光資源研究会の特別パネル展「北海道の鉄道のあゆみ」を開催いたします(6月8日まで)。

開業当初は大変な混雑が予想され、駐車場へ車を入れるのも大変かと思いますので、汽車旅派のみなさまにおかれましては、室蘭本線追分駅から歩いて行かれることをおすすめします(追分駅から道の駅までは、無理なく歩いていける距離です)。蒸気機関車が活躍していた頃に思いを馳せながら(ぼくだってそんな時代は知りませんが想像しながら)、追分駅で列車を乗り降りしてみてはいかがでしょうか。

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2019年の札幌ライオンズ

昨日のブログの続きみたいな話。

宮の森のジャンプ台の下まで行くたびに、ライオンズYHってどこにあったんだろう?と気になっていたのですが、最近ダンボール箱の中から発掘されたユースホステルハンドブックで、場所が判明しました。

ユースホステルハンドブック 1994-95


どうしてこんなところに宿泊施設があったのだろう?と思うぐらいに不便な場所ですが、当時のユースホステルというのは、そういうものでした。ユースホステルは宿泊客(=若者)にとっては社会勉強をする場所であり(お客さんとしてもてなされる場所ではない!)、100人規模の人数も受け入れることができる施設…というのが最優先だったから、立地は、二の次でよかったのです。

これが、札幌ライオンズYHがあった場所(撮影日:2019年4月7日)。



下から見ると、こんな感じ。



上の写真の手前は、YHハンドブックの地図に記載されている「駐車場」の部分で、ライオンズYHがあったのは、その奥の、少し高くなっていて、柵があるところです。

今になってみると、札幌市内のユースも、一つぐらいは、泊まっておけばよかったかなと思ったりもするのですが、北海道ワイド周遊券で旅をしていた頃は、札幌で泊まるぐらいなら札幌発の夜行列車の自由席に乗ってました。

札幌で泊まるとすれば、道内時刻表の広告ページでおなじみのハイランド。

道内時刻表1987年8月号


シングル3,100円より(オール込料金)、という表記が、時代ですなあ。まだ、この頃は、消費税はないですから。ちなみに、ハイランドも現在はすでになく、コインパーキングになっているところが跡地ではないかと思われます。

こちらは、道内時刻表87年8月号と、89年8月号。



この頃、道内時刻表の表紙は、夏になると、いつもこれでした。
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特急はちおうじ

こんな特急列車が走る時代になったのだなあ…



東京発八王子行き、特急はちおうじ、全車指定席。

特急列車らしさがあるのは全車指定席であることと、12両編成であること、ぐらい。特急列車といえば、グリーン車や食堂車を連ねた長い編成で、長距離区間を少ない停車駅で走るもの…って、あんたいつの時代の話してるんだよ!

「はちおうじ」は、列車名です。この3月のダイヤ改正で登場しました。



このところ中央線沿線に足を運ぶ機会が多いので、中央線の特急列車が全車指定席になる旨のポスターは何度となく目にしていたのですが、よくわからなかったのは、全車指定席といいながら席の指定を受けなくても乗れます、との説明。さりとてパンフレットを手にして読み込むほどの興味もなく、頭の中で「?」が残ったままになっていたのですが、特急はちおうじ9号の車内に入った瞬間、わかりました。



座席の上にランプがあって、これが緑色になっているところは指定席が売れている席、赤色のところは指定席が売れていない席であることを示しています。指定席を持っていない人は、赤いランプのところに座ればいい。こんなことは、JR東日本管内で日常的に電車を利用している人にとっては当然のことなのでしょうが(普通列車のグリーン車にSuicaで乗ってピッとタッチするとランプが緑に変わる仕組みはもうかなり前からありますからね)、そうでないぼくにとっては、想像の範囲外でありました。

かつての感覚でいえば、東京・新宿〜立川・八王子なんて距離で特急になんか乗らないし、ましてや指定席料金を払うなんてもったいなくてできなかったはず。特急「はちおうじ」の指定席特急料金は、正規料金だと1,010円(運賃よりも高い)。でも、事前に(列車の乗車前に)買えば750円、さらに、えきねっとチケットレスサービスを使えば650円(さらにさらに6月末まではキャンペーン価格で450円)。ぼくは、当然、えきねっとチケットレスサービスで乗ったのですが、チケットレスといいながらQRコードが発行されるわけでもなく、はたしてどうやって指定券の所持をチェックするんだ…と疑問に思っていたから、車内に入って座席上のランプを見た瞬間、ああ、そういうことか!と、自分の無知さ加減を思い知らされたのであります。



短い時間とはいえ、ゆったりと座れる特急列車の旅は、楽しいです。キラキラと(ときにギラギラと)した光が流れていく都会の夜更けの車窓を眺めていると、まるで夜行列車に乗っているかのような感覚になってきます。指定された席は先頭車だったから、駅通過時にはミュージックホーンが聞こえてくるのもまた楽しい。

夜行列車がなくなったことは残念ですが、死んだ子の年を数えるようなことはやめて、今の時代の鉄道旅情を探していけばいいんだなと気づかされた、短い特急列車の旅、でありました。

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知られざるさよなら運転

本日、北海道内では(愛好家的には全国的にも)JR旧夕張線の新夕張駅〜夕張駅間の廃止や、釧路の太平洋石炭販売輸送臨港線の石炭輸送列車の廃止が、大きなニュースとなっていますが、函館バスの太櫓線も、本日をもって、1950年の運転開始から69年の歴史に幕を下ろしました。

太櫓(ふとろ)というのは、種村直樹氏の「日本外周気まぐれ列車の旅」の、ハイライトの一つとなった場所です。種村氏が書かなかったら「太櫓」なんて、知ることはなかった。

種村直樹『気まぐれ列車に御招待』(実業之日本社,1989年)から:


《バスは海岸線沿いの狭い道へ下り、波しぶきをかぶりそうな感じでゆっくり走る。軒の低い家が何軒か並んでは途切れ、また黒い岩礁がつづく。弁天岬の標示が見え、小さな漁港の先に雪まみれのチョコレートケーキのような岬が首を出していた。ここを歩きたいという衝動に襲われたとたん、バスはトンネルに突っ込んだが、なんと手掘りのままの洞窟だ。ほどなく道の両側に民家、商店、役場のような建物など驚くほどしっかりした家並みが現れ、バス停は太櫓(ふとろ)と読めた。
太櫓の集落を抜けると、また岩礁。息をのんで見つめるうち鵜泊漁港となり、ここが終点かと思ったら、バスは急坂に挑んで段丘上に出た。開拓部落のような数十軒の民家がひっそり雪をかぶり、人影も動く。別世界へつれ込まれたような思いだ。
(中略)
弁天岬から手掘りトンネル、太櫓の集落、鵜泊とつづくこの地に心をひかれた。これといって何がありそうな気配もないが、このまま北檜山へ戻っては、うしろ髪を引かれそうだ。》(同書、p.228-229)

太櫓線の最終便は、夕張や釧路のような賑わいにはほど遠いものの、地元の方々が集まって、手作りのヘッドマーク〜「69年間 ありがとう 函館バス 太櫓線」の文字が描かれたもの〜を掲げて、美しい夕焼けの海岸線を走ったそうです。長年にわたって地域を支えてきた路線バスにとっては、幸せな終焉だったことでしょう。

長い間、お疲れさまでした。
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