レース中に体が濡れ、寒くて体が震えたら、そこがレース終了の合図です。これは絶対に守ってください。この段階ならまだ軽度の低体温症ですので、自力で回復させることも可能です。そのために必要なのは、まずレースを降りることです。「回復させて、また走ろう」なんて考えないでください。
「レース中に体が濡れ、寒くて体が震えた」…昨日のぼくは、まさに、これでした。あの程度で低体温症というのはどうなんだ、気合が足りなかっただけじゃないか、みんな普通に走っているのに自分だけがなったのは準備不足だったんじゃないかと思ってましたが、この記事を読んで、考えが変わりました。自分の準備不足を悔やむあるいは責める必要はない。むしろ、正しい選択ができた自分に自信を持てばよいのです。
アクシデントは誰の身にも起こります。未然に防げればよいのですが、突然、まったく思いがけない形で襲ってくることもあります。大事なことは、そうなったときにどう対処するか?であり、今回は、そのためのいい勉強をさせてもらいました。
こういうことを書くと、言葉尻をとらえて「迷惑をかけておきながらいい勉強とは何事だ」といったことを言ってくる人が出てくる昨今ですが、もちろん、大会主催者や、何よりも現場で対応していただいた医師や看護師など救護スタッフのみなさまには、大変感謝しています。
※救護所で受けた処置については昨日のブログに書きました。適切以上の対応をしていただいたことに、あらためて、御礼申し上げます。本当に、ありがとうございました。
北海道の東北端、オホーツク海に面したJR北海道、釧網(せんもう)本線の無人駅が、軒並みに喫茶店や食堂、レストランに変身中と聞いて、カメラの荒さん(荒川好夫氏)と女満別へ飛んだ。87年10月19日の朝である。
(中略)
もともと北浜駅は、網走市内はずれの小駅だったが、キャッチフレーズどおり、駅のすぐ裏がオホーツク海。夏場はハマナスの咲く砂浜を楽しめ、厳冬は流氷で埋めつくされる。
1978年(昭53)ごろ、アイディアマンの駅長がいて、これほど環境に恵まれた駅を一人でも多くの人に知ってほしいと、海辺で貝殻を拾っては、手書きで通行証の文字や足型を入れて、北浜駅長の印を押し、入場券を買った人にプレゼントしてみた。
これがレールファンたちの口こみで伝わって、新聞、雑誌の取り上げるところとなり、貝殻通行証ほしさに立ち寄る車や貸切バス、はては網走からタクシーを飛ばしてくるカップルも現れる人気となった。
駅長は何代か変わったが、貝殻通行証は受け継がれ、入場券を買えば駅長の制帽をかぶって写真を撮れるといった特典も加わるうち、とうとう通行証の製作が追いつかなくなって、「バスの方には貝殻は差し上げられません」と掲示が出たこともある。
これほど評判になった駅だけれど乗降客そのものは少なく、国鉄は全国一律の規準に従って84年3月無人化。知恵のないことだと思っていたら、国鉄内部にも物分かりのいい人がおり、形式的には無人化するが、当分の間という条件で、北浜から網走ゆき乗車券と北浜駅入場券をコーティングしたペアきっぷなどを販売する要員を置き、貝殻通行証商法を続けたのだ。
しかし、JR転換が近づいて、いつまでも便法では具合いが悪くなったのか、完全無人化、藤江さんの簡易委託、喫茶店化となったのである。もちろん、貝殻通行証も引き継がれた。