熊式。2024-03-28T01:59:37+09:00大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。JUGEM午前0時の大争奪戦http://work.kuma-i.com/?eid=11980282024-03-28T00:43:00+09:002024-03-27T16:07:55Z2024-03-27T15:43:00Z本日3月28日は一昨年昨年と2年連続で全国ランナー評価第1位に輝いたオホーツク網走マラソンの今年の開催日である9月29日の前日の6か月前。すなわち、オホーツク網走マラソン前日の東横INNの会員予約が始まる日です。大会前夜のホテルはどこもめちゃくちゃな料金になるのは...issei旅と鉄道本日3月28日は一昨年昨年と2年連続で全国ランナー評価第1位に輝いたオホーツク網走マラソンの今年の開催日である9月29日の前日の6か月前。すなわち、オホーツク網走マラソン前日の東横INNの会員予約が始まる日です。大会前夜のホテルはどこもめちゃくちゃな料金になるのは毎年のこと、1万円以下で泊まれるのは東横インだけなので、今年も午前0時になると同時にサイトにアクセスし、かろうじて、喫煙ダブルを確保しました。
午前0時10分過ぎには、全館満室になりました。
午前0時になると同時に入って6か月先の9月28日が選択できるようになっていたのに空室なし表示が出たことに驚き、それであればとりあえず北見でいいから抑えておかねばと北見の予約をしてから再び網走の空室検索をしたら今度はちゃんと空室表示が出て、禁煙シングルにトライするも到着時刻を入力した次の画面で空室なしになり(そんなことあるのかと思うかもしれませんがあるんですよ)、また最初に戻って今度は禁煙ダブルにトライしたもののやはり同じことになって、喫煙ルームはキツいなあと思ったもののそんなことを言っている場合ではないので諦めて喫煙ダブルを予約した次第(予約確認メールの時刻は0時05分でした)。
北見の予約なんて余計なことしてなければ、せめて禁煙ダブルは取れたんじゃないかと思うんですが、そんなことは今さらどうしようもないわけで、喫煙のしかもダブルで料金が高いとはいえ(全国各地どこも宿泊料金が高騰しているから仕方ないのですが東横INNも高くなりましたねえ)、1万円以下の部屋を確保できたのだから、よしとしましょう。今年は2年連続ランネット評価第1位効果に加えてコロナ禍で参加を控えていた人も来るだろうから(それは流氷物語号×「オホーツクに消ゆ」を見ていてつくづく感じたこと)、もしかすると取れないんじゃないか、北見に泊まらざるを得ないのではないかと覚悟してました。喫煙でも、取れただけ、よかったです。過去の経験から「あきらめちゃダメ!」作戦で当日までの間に禁煙の部屋に変更できる可能性はかなりあるとみていますが、どうなることか。
去年は(去年も?)往復飛行機利用にしたらバチが当たって帰りは強制的に鉄道を利用させられることになったので、今年は帰りの飛行機はまだ取ってません。たまにはマラソンを終えた後も網走に泊まってゆっくりしてくるのも悪くないと思ってますが、こちらもどうなることやら、です。まだ半年も先の話だからね。
今年のオホーツク網走マラソンは10周年企画も用意されているそうで、楽しみです。
]]>祝!優勝!http://work.kuma-i.com/?eid=11980252024-03-24T20:11:00+09:002024-03-24T12:01:09Z2024-03-24T11:11:00Z場所前に芦野公園の桜と津軽鉄道の列車が描かれた化粧まわしを贈られた尊富士関(Web東奥2024年3月6日)と、能生中学校から新潟県立海洋高校に進んだ大の里関(えちごトキめき鉄道鳥塚社長の3月18日のブログで紹介されています)の「津鉄vsトキ鉄対決」が注目を集めた大相...issei旅と鉄道Web東奥2024年3月6日)と、能生中学校から新潟県立海洋高校に進んだ大の里関(えちごトキめき鉄道鳥塚社長の3月18日のブログで紹介されています)の「津鉄vsトキ鉄対決」が注目を集めた大相撲三月場所は、青森県五所川原市出身の尊富士関が優勝を飾りました。新入幕での優勝は110年ぶり(こういう数字が出てくる大相撲はやっぱりすごいと思う)、初土俵から10場所での優勝は最速記録のこと。おめでとうございました。
尊富士関は五所川原市の金木の出身です。金木というのは津軽鉄道の津軽五所川原駅(JR五所川原駅に隣接)から20分ほどの場所で、太宰治の出身地として多くの観光客を集める町です。
尊富士関が卒業した中学校がある場所は木造(きづくり=地名)で、木造といえば夏の甲子園で完全試合を食らいそうになりながら9回2死からデッドボールで完全試合を逃れた木造高校を思い出すのですが、それはあまりに古い話でありますね。木造はJR五能線で五所川原の隣の駅で、以前は木造町でしたが平成の大合併で「つがる市」になりました。
NHKのニュースに出ていた馬肉屋さんがあるのは、津軽鉄道で金木の一つ手前(津軽五所川原からだと津軽飯詰の次の毘沙門の次)の嘉瀬駅のすぐ近くで、嘉瀬駅の駅舎内で広告を見たことがあります(今はどうかわかりませんがたぶんまだ掲げられているのではないかな?)。
尊富士関の化粧まわしに描かれている芦野公園駅(無人駅、金木駅の隣の駅)には、駅舎を使った「赤い屋根の喫茶店『駅舎』」というお店があって、金木特産の馬肉を使ったメニューが並んでいます。
「激馬かなぎカレー」は長時間かけて馬肉を煮込んだ名物メニュー。
NHKの解説の伊勢ヶ濱親方の「止められないでしょ、これを止めたら後悔します」には泣きました。稀勢の里のことがあるから、出ないほうがいいんじゃないか、でも本人はどうしても出たいだろうな、どうするのかなと、昨日の夜から、ずっと、気になってました。今日のお昼すぎに出場のニュースが流れたときは、楽しみというより、心配しました。でもでも、決定戦まで行かずに、本割での優勝決定は、見事でした。決まった直後の笑顔がよかったよねえ。
「石川県河北郡津幡町出身」と紹介される大の里関は中学校から高校は新潟県で過ごしており、昨日の14日目は富山県出身のいわば北陸からの刺客の援軍を受けながらも追いつけず、残念でした。でも、まだまだ、これからですよね。個人的には同じクマ属である(?)白熊関(福島県須賀川市出身で能生中学校〜海洋高校卒)も気になってます。須賀川市というのはぼくが生まれたところでもあります。
こんな楽しみ方ができるようになったのも、津軽鉄道さんやえちごトキめき鉄道さんとの縁ができたおかげです。いやぁ、地域鉄道って、本当にいいもんですね!]]>敦賀ロマンhttp://work.kuma-i.com/?eid=11980222024-03-24T06:05:00+09:002024-03-23T21:46:31Z2024-03-23T21:05:00Zぼくが生まれた頃、新幹線は新幹線でした。新幹線は東京と新大阪の間しか走っていなかったから、わざわざ東海道新幹線などと呼ぶ必要はなかったのでしょう。新大阪から岡山へ延長されたのはまだ小学校に入る前ですが、「ひかりは西へ」のキャッチフレーズは記憶にあります...issei旅と鉄道
東北・上越新幹線(と一体で呼ぶのも今となっては不思議な感じですが当時はそういう表現が普通でした)の開業の頃はもう高校生だったし、川越に住んでいて大宮は身近な場所だったから、はっきりと記憶にあります。幼い頃からずっと、祖母宅への行き帰りに東北本線を使っていたから(福島県内の病院で生まれたぼくが最初に乗った路線は東北本線でおそらくは急行列車=現在えちごトキめき鉄道で走っている観光急行のような列車=だったはずです)、そこから特急や急行がなくなるのは大事件でした。
少し前に東北・上越新幹線の開業時の列車名を思い出そうとしたものの、やまびこ、あおば、とき、まではすぐに思い出せたのに上越新幹線の速達タイプの名前がまったく浮かんでこなかったのは、自分の記憶も利用実態も東北に偏っていたからなのでしょう。そんなものはネットで調べればすぐにわかるものの、そこまですることでもないのと、思い出せないのが少し悔しかったこともあって放置していたのですが、先日の鳥塚社長のブログを見て、思い出しました。
トキエア 新潟−仙台線 就航か? | えちごトキめき鉄道社長(いすみ鉄道前社長) 鳥塚亮の地域を元気にするブログ
その後、東北・上越新幹線が上野発になり、御徒町で道路が陥没して、東京発になって、山形新幹線がミニ新幹線で開業して、という頃まではわりとよく覚えていますが、秋田、長野(行き)、八戸あたりになると、それまでに比べると鉄道への関心が薄れたのか、社会人として働くようになっていてそれどころではなかったのか、開業の順番すら怪しくて、長野行新幹線に初めて乗ったのは金沢延伸後だったし、秋田新幹線に至ってはいまだ乗ったことすらありません。旧田沢湖線には40年以上前に複数回乗っているのですが。
さらに、西鹿児島が鹿児島中央になり、八戸から新青森に延伸し、博多と新八代の間がつながり、金沢が終着になり、津軽海峡を越えて、西九州新幹線が開業しても、わざわざ初日に訪れる友人知人の様子をSNSで見てああそうなのかと思う程度で(さすがに地元の北海道新幹線は初日に乗りましたが)、西九州新幹線に至ってはこの文章をもう少し下まで書いてから思い出した(それで付け加えた)ぐらいの認識でしたが、今回の北陸新幹線の延伸には、これまでにない感慨を抱きました。
だって、敦賀ですよ。
これまでの新幹線の開業は、いずれも、在来線でも行ける(行けたのを知っている)ところばかりでしたが、東京から敦賀は、自分の記憶の中では直通列車がなかった区間です。その昔の「白鳥」に上野系統があったのは知っていますが、それは自分が生まれる前の話。ぼくが実体験として知っているのは、上野と福井を結んだ「越前」が精一杯です。
▼年表記がありませんが「越前」に乗ったのは昭和56年(1981年)のこと。
さらに遡れば、東京と敦賀の間には、国際連絡列車が走っていました。
▼時刻表復刻版1925年04月号より
まず新幹線があって、次にエル特急があって、寝台特急があって、その次に「連絡早見表」があって、その後から東海道線・山陽線を皮切りに各路線のページになるというのがぼくが慣れ親しんできた「国鉄監修 交通公社の時刻表」でしたが、1925年04月号(鐵道省運輸局編纂 汽車時間表 附汽舩自動車發著表 大正十四年四月號)は、まず「本土主要驛間聯絡」のページがあって、次が「海外聯絡」です。その最後にあるのが「日本・西比利亞間(浦塩経由)聯絡」で、東京から米原経由で敦賀へ向かい、敦賀からは浦塩斯徳行きの航路が週に1回あって、浦塩斯徳からは哈爾賓、さらには満州里へと至る接続時刻表が掲載されています。
敦賀駅の先にあった敦賀港駅までの海外聯絡(欧亜国際連絡列車)は、太平洋戦争が始まる直前まではあったらしい(←現時点で手元にちゃんとした資料がないため「らしい」と書いておきます)。
北陸新幹線の延伸区間に乗るとすれば、何かの用事で北陸方面へ行ったついでかなと考えていたのですが、いざ開業が迫って「敦賀」という文字を目にしたら(前から目にしてたはずなんだけど直前になってからなぜか)急にそんなことに気がついて、これは東京方面から通しで乗るべきではないかと考えたところで、そういえば来月には東海地方へ行く用事があったことを思い出しました(ぼくが遠くに行く用事といえばアレしかないんですけど)。
それは帰りに東海道新幹線に乗るのが楽しみでもあったから行くことにした用事であったのですが、東海道新幹線には(ふだんはほとんど縁がないのに)今年は1月にも2月にも乗ったからわくわく感が小さい。それなら塩尻経由はどうだと考えてから、そうだ、北陸まわりという手もあるじゃないかと調べたら、さすがは新幹線、なんと、米原から金沢、富山と大回りをしても、中央本線経由より速いのでした。
惜しむらくは紙のきっぷは発券できないであろうことで、「敦賀→大宮」の文字の記されたものを(写真でもいいから)残そうと思うとチケットレスが使えないことになり、運賃・料金がかなり高くなってしまいます。高いお金を払ってまで紙のきっぷを手元に残そうとは思わないわけで、そもそもかつての国際連絡列車は米原経由だったのですから東京から敦賀といっても違うわけで、そこまでこだわるつもりはありません。でも、ルートは異なるとはいっても、東京と敦賀が一本の列車で結ばれるということには、青函トンネルを介して上野と札幌が結ばれたこととはまた異なる感慨を抱くのであります。
えきねっとトクだ値が取れなければ普通にきっぷを買うことになるだろうから(そこもまた必ずしも安いきっぷにこだわっているわけではない)、そうしたら「敦賀→大宮」の文字が表記された紙のきっぷを手にすることになると思われ、それならそれも悪くないと考えれば、えきねっとトクだ値が取れるかどうかを心配することもなかろうと都合よく解釈する自分はまったくもってオメデタイ人だと思うばかりであります。]]>『方舟を燃やす』http://work.kuma-i.com/?eid=11980242024-03-23T07:36:31+09:002024-03-22T22:36:31Z2024-03-22T22:36:31Z『方舟を燃やす』2024年2月25日発行
《口さけ女はいなかった。恐怖の大王は来なかった。でも疫病が流行し、今日も戦争は続いている。》
《1967年の飛馬が育った時代は、みんなノストラダムスの大予言を信じてUFOを待ち、コックリさんに夢中になった昭和のオ...issei読書方舟を燃やす』2024年2月25日発行
《口さけ女はいなかった。恐怖の大王は来なかった。でも疫病が流行し、今日も戦争は続いている。》
《1967年の飛馬が育った時代は、みんなノストラダムスの大予言を信じてUFOを待ち、コックリさんに夢中になった昭和のオカルトブーム真っ最中だった。》
本屋さん(日之出ビルの文教堂書店=かつてのリーブルなにわ=の2階のような地下1階)で見て、これは読まなきゃいけないなと思いました。読みたい、というより、1967年生まれでノストラダムスの大予言の年には32歳なんだなと(もしかしたらそこで自分の人生は終わるのかなと)ぼんやりと考えていた(こともある)自分にとっては読むべき本だと思いました。作者の角田光代さんも1967年生まれだったはずだから、同時代を生きてきた人として、何か通じるものがあるはずだ、と。
でも、いや、だから、というべきか、読み進めていくのは、なかなかに、苦しいことでした。地方都市で育った主人公と自分とは生きてきた世界が違うはずなのに、彼の考えていること、やっていることが、自分そのものに見えてきたりする。まるで自分の思い出したくない記憶を無理やり引っ張り出されているような気持ちになることもしばしばでした。もう一人の主人公である女性にしても、自分の周囲に似たような人はいないはずなのに、あちこちで、ああ、そういうことだったのかと思い当たることが出てきて、そのたびに立ち止まらざるを得なくなる。とにかく、読んでいくのが苦しい。
それでも小説なのだから、最後には何か希望が見出されるに違いないと信じて、少しだけがんばって読み続けました。そこにどんな結末が待っていたのかは本を読んでいただきたいのですが、陳腐なハッピーエンドでもドラマティックなどんでん返しでもないことだけは書いておきます。そういう作品ではないのです。でも、やっぱり、小説の力ってすごいなと、ひさしぶりに、感じました。
方舟を燃やす ←amazonへのリンクです。
]]>まだ流氷http://work.kuma-i.com/?eid=11980232024-03-22T19:37:00+09:002024-03-22T10:38:36Z2024-03-22T10:37:00Z昨年の3月21日(春分の日)は、釧網本線の網走〜知床斜里間に団体臨時列車「海明け物語号」が走りました。
海明けとは何か?というと、気象庁のウェブサイト(天気予報等で用いる用語>海氷)では「全氷量が5以下になり、かつ沿岸水路ができて船舶の航行が...issei旅と鉄道
海明けとは何か?というと、気象庁のウェブサイト(天気予報等で用いる用語>海氷)では「全氷量が5以下になり、かつ沿岸水路ができて船舶の航行が可能になった最初の日」と定義されています。では「全氷量」とは何か?というと「観測地点における視界内の全海域(港内を含める)に対して、海氷の占める割合。10分位で表す」というのが気象庁の定義です。
「海明け物語号」で配布されたパンフレットでは、こんな説明でした。
《オホーツク海を覆っていた流氷が去り、船が沖へ出られるようになることを、地元では「海明け」と呼びます。流氷が運んできた豊富なプランクトンを食べ、たっぷりと栄養を蓄えた、毛ガニやホタテなどの海産物。流氷がもたらす豊かな恵みを感じる、待ちわびた春。そんな歓びの季節を、釧網本線の車窓から楽しむ観光列車です》
網走の海明けの平年値は、1981〜2010年平均では3月20日でしたが、1991〜2020年平均では3月15日と、5日早まりました。海明けの観測は2021年に終了しましたが、最後の観測となった2021年は3月5日でした。
「海明け物語号」が走った昨年3月21日も、流氷はとっくに去ってました。
ところが、今年は、こんな時期になっても、網走市観光課のSNS(おいしいまち網走)によると《例年であれば、少しずつ春の息吹を感じる時期ですが、今年は流氷が絶好調です》とのことで、遠くに見える程度ではなく、手前の海岸線までびっしり海を埋め尽くす流氷の写真が上がっています。
今年は流氷の接岸が早くて、ぼくが最初に訪れた2月の最初の週末は個人的には何十年ぶりかという見事な流氷に出会うことができました。それで「今年は流氷の当たり年だ!オホーツクへ急げ!」とばかりに喧伝したら2月後半には流氷が離れてしまい、最初が早かった分、終わるのも早いんだね、なんて話になっていたのが、もうお彼岸だというのに、また真冬のような流氷が押し寄せているわけで、やっぱり今年は流氷の当たり年であったようです。
今からでもまだ間に合います。どうしても流氷が見たい!という方は、今すぐ、網走を目指しましょう!]]>彼岸の中日なのでhttp://work.kuma-i.com/?eid=11980212024-03-20T12:50:00+09:002024-03-20T03:52:49Z2024-03-20T03:50:00Zおはぎを買ってきました。
年度末の仕事のゴールが見えてきてホッとしたのか、あちこち痛くて、大変です。いちばん痛いのは首から肩のあたりで、いわゆる寝違えのような状態になっていて、体を起こしているときは肩こりの激しいやつ、ぐらいの感じなのですが、横に...issei日常
年度末の仕事のゴールが見えてきてホッとしたのか、あちこち痛くて、大変です。いちばん痛いのは首から肩のあたりで、いわゆる寝違えのような状態になっていて、体を起こしているときは肩こりの激しいやつ、ぐらいの感じなのですが、横になるのは大変で、横になったらなったで頭を動かそうとするととんでもなく痛いから動かせない。相変わらずの腰痛もあって、これはもうこの時期の年中行事みたいなものだからどうしようもない。それでも日常生活はなんとかなってますが、やっぱり、しばらく休めと言われているのでしょうね。もういいトシなのですから、これだけ動いてきたらいろんな疲労が蓄積していないほうがおかしい。
もっとも、外を走ろうにも、いまだ積雪が多すぎて、ちょっとその辺まで出かけるのですら億劫な現状です。さっぽろお天気ネットの「札幌の降雪量の記録」によると、今朝9時現在の積雪深は73cmの由。ちなみに去年の同じ日の同じ時刻は5cmで、去年は今日(3月20日)が積雪の終日かつ長期積雪(根雪)の終日でした(雪・積雪・長期積雪(根雪)の初日、終日の観測状況−札幌管区気象台)。もっとも、去年の根雪の終わりは平年より13日も早かったのですが、3月20日の札幌の積雪は平年値でも50cmだから、現在の積雪は平年比でも約1.5倍なのであります。
今シーズンの最初はなかなか雪が降らなくて、どうせシーズン通しての累積積雪量は例年通りになるのだろうから、降り始めが遅いということはどこかで一昨年のような日常生活に支障をきたすレベルの豪雪が来るのではないかと心配していたのですが、一昨年ほどのひどいことにはならないまま、3月になりました。でも、3月になっても、雪が降るのよね。統計的にどうなのかはわからないけれど、自分の記憶的には、3月の半ばになってもこんなに雪が降っているというのは珍しいような気がします。
さっぽろお天気ネットの「札幌の降雪量の記録」には累積積雪量のグラフもあります。
なんとまあ、シーズン当初はずっと平年値を下回っていた累積降雪量は、3月に入って平年値を超えているのでした。現在の平年値は1991年〜2020年の平均だから、平均気温が年々上昇していることを考え合わせれば直近値は平年値を下回ることのほうが自然なのではないかと思うわけで、実際に過去10年間で累積降雪量が現在の平年値を上回ったのは1回(2016-17年)しかない。
積雪は多いままでも気温の変化はやっぱり3月なんで、昼間はとけてザクザク(場合によっては水浸し)になった箇所が、夜になると凍って、そりゃもう大変です。昨日の夜なんて、あれ?もしかして今日は夏靴を履いてきちゃったのか?と思うほどに滑ったもんなあ。
それもこれも、しばらくはおとなしくしていなさいということなのだろうと解釈しておくことにします。]]>あと10日!キハ28-2346の修繕。夢の「鉄道パーク」建設への第一歩を共に。http://work.kuma-i.com/?eid=11980202024-03-19T18:59:00+09:002024-03-19T22:43:19Z2024-03-19T09:59:00Zいすみ鉄道気動車保存会によるクラウドファンディングプロジェクト「キハ28-2346の修繕。夢の「鉄道パーク」建設への第一歩を共に。」は、残りあと10日です。1千万円の目標に対し、現時点で8百万円の手前まで来ました。
プロジェクトの意義や、なぜクラウドファン...issei旅と鉄道キハ28-2346の修繕。夢の「鉄道パーク」建設への第一歩を共に。」は、残りあと10日です。1千万円の目標に対し、現時点で8百万円の手前まで来ました。
プロジェクトの意義や、なぜクラウドファンディングで資金を募るのか?については、ぼくがここで中途半端な講釈を垂れるよりも、プロジェクトページを読んでいただくのがよいと思います。ただ単に「やりたいことに対する資金が足りないからクラウドファンディングを始めました」ではなく、さまざまな資金調達の方法がある中でなぜクラウドファンディングを選んだのかということが真摯に語られていることにも注目して、読んでみてください。そして、できれば、無理のない範囲で結構ですので、クラウドファンディングに参加してください。
ぼくがなぜこのクラウドファンディングに参加し、目標達成まであと少しというところでこうしてブログで取り上げているのかというと、もちろんプロジェクトの意義には賛同していますが、これまでにお世話になった方々が関わっていたり、あるいは、プロジェクトを紹介したりしているから、ということに尽きます。実際にお会いした方々が勧めているのだから、それはやっぱり答えなきゃいけないよねと、それだけのことです。これからの時代は、そういう時代になっていくのだろうと思っています。
キハ28-2346の修繕。夢の「鉄道パーク」建設への第一歩を共に。]]>思い出は美しすぎるとともに悔しすぎてhttp://work.kuma-i.com/?eid=11980192024-03-18T21:20:00+09:002024-03-18T12:36:29Z2024-03-18T12:20:00Z東京マラソン2024はもう遠い過去の出来事のはずなのですが、僕を忘れた頃に君を思い出にできないという手紙が届くがごとく、忘れかけていた先週金曜日になって日経夕刊の鏑木毅さんの連載「今日も走ろう」のタイトルが「『ランナーの日』東京マラソン」だったわけです。大...isseiランニング
鏑木さんが《ゴールの大手町の高級ショッピング街でカラフルな完走ポンチョをまとったランナーが誇らしげに闊歩する姿があった。「ランナーの日」という国民の祝日ができたのかと思うほど。その日、都心はマラソン一色になった》と書いている「完走ポンチョというのは、こういうものです。
今回はぼくは皇居側から有楽町へ地下道を抜けたのでこれを着た人たちが誇らしげに闊歩する姿を目にすることができなかったのですが、一昨年は、東京駅前がこれを纏った人たちで埋め尽くされた姿を目の当たりにしました。それはもう壮観としか言いようがなく、また、一昨年はまん延防止等重点措置下での開催だったので(何度も同じことを書きますがあの状況下で開催に踏み切った関係者のみなさまのご努力にはいくら感謝しても感謝しきれません)ランナー以外の人の数が相対的に少なかったこともあって、とくに多く見えたのだと思います。
金曜日にそんなのを読んじゃったものだから、この週末は、また、東京マラソン2024の録画を見ちゃって、あー、楽しかったなあ、また走りたいなあ…と思いつつ、やっぱり、多少ならぬ悔しさも出てきちゃうんだな。ろくに準備してなかった去年より2分半も遅いというのはダメだよなあ。やるだけのことはやったのだから、そこは納得してるんだけど、納得はしてもいいけど、満足はしちゃいけないというか、いや、まあ、1つ年を重ねているのだから2分半落ちるのは自然体のような気もするんだけど、勝負レースのつもりだった東京を3週連続の3週目にしたのは間違っていたんじゃないか、とか、もう2週間も経ってるのに、まだ、すっきりしてないんだな。
そんなもやもやは、たぶん、走れば、解消するんです。だけど、大阪で痛めた右足はまだちょっとへんだし、なにより屋外はまだまだ積雪が多くて、走れないことはないけれど走りづらい。そんなところを走っても楽しくない。とりあえずしばらくは大会がないから無理をする必要もないわけで、もうしばらく、ゆるゆると過ごすことにしましょうかね。]]>今日の15周年と36年前の15周年http://work.kuma-i.com/?eid=11980182024-03-17T19:46:00+09:002024-03-17T11:18:08Z2024-03-17T10:46:00Z近所の商業施設に行って買い物をしたら「15周年でお花を差し上げていますので、よろしければどうぞ」と言われ、ありがたく頂戴してきました。
2つあるのは、2つのテナントで買い物をしたら、それぞれ別々にくれたからです。
せっかくなのでデスクの上に置い...issei日常近所の商業施設に行って買い物をしたら「15周年でお花を差し上げていますので、よろしければどうぞ」と言われ、ありがたく頂戴してきました。
2つあるのは、2つのテナントで買い物をしたら、それぞれ別々にくれたからです。
せっかくなのでデスクの上に置いてみた。
15周年で思い出すのは、レイルウェイ・ライター開業15周年のこと。
毎日新聞社を辞めた種村さんが「レイルウェイ・ライター」として独立開業したのは、国鉄武蔵野線(府中本町〜新松戸)の開業日と同じ1973年4月1日。15周年記念イベントは1988年4月3日、会津鉄道で行われました。
当時学生だったぼくは実行委員会の一人だったのですが、当日のことはほとんど覚えていません(むしろ運営側だったから余裕がなくて覚えていないのかも)。ただ、強烈に記憶しているのは、最初の会合で「今度のイベントは参加者からお金を集めて行うものなのだから、これまでの友の会の行事で幹事を務めた経験があってもそれとは違うことをしっかりと心得てほしい」といったことを(実行委員会のメンバーには加わらなかった)社会人の方から言われたことです。電話のかけ方など社会との接し方はレイルウェイ・ライター事務所でのアルバイトである程度わかっていたつもりでしたが、15周年記念イベント実行委員会での仕事を通じて学んだこともたくさんありました。
実行委員会のメンバーの中心は時間があって動きやすい学生でしたが、代表には社会人を置くべきだろうという話になって、小田急電鉄の車掌だった高萩徳宗さんに務めていただくことになりました。
高萩さんは、その後、小田急電鉄を退職し、1999年に有限会社ベルテンポ・トラベル・アンドコンサルタンツを創業、現在は同社の代表取締役として体に障害のある方や高齢の方の旅のサポートを行うとともに、サービスコンサルタントとして活躍しています。ぼくは種村直樹レイルウェイ・ライター友の会時代はさほど親しかったわけではなく、15周年記念イベントの後はとくに接点はなかったように思うのですが、高萩さんが起業してテレビ番組に出演したり多くの著書を出されたりしていることは、友の会の会員から聞いて知っていました。
会津鉄道のイベントの後、高萩さんと再会したのは、10年ほど前でした。高萩さんが『いい旅のススメ』を出されたとき、札幌で講演会があって、そこに参加させていただき、Facebookで「友達」になりました。
それ以来、高萩さんのFacebookの投稿やブログなどを拝見していて、ときに高萩さんのブログを自分のFacebook上で紹介することもあり、先日も高萩さんの問題提起を自分のFacebookで紹介したところ、えちごトキめき鉄道の鳥塚亮社長から「高萩さんとは面識がないのですがブログで取り上げても問題ないでしょうか?Facebookの投稿が公開設定なので問題ないと思うのですが(以下略)」との問い合わせがありました。ぼくは、高萩さんがえちごトキめきリゾート雪月花を高く評価されていることを書き添えたうえで「問題ないと思います」と返信しました。その後、鳥塚さんは高萩さんに直接連絡を取ったようで、鳥塚さんのブログはこのような形で公開されました。
ノブレス・オブリージュ | えちごトキめき鉄道社長(いすみ鉄道前社長) 鳥塚亮の地域を元気にするブログ
36年も前に一緒に仕事をした(会社の仕事という意味での仕事ではないのですがあれは立派な仕事でした)だけで、それから何があったわけでもないのに、間を取り持つことになったのは、とても不思議な感じがします。そもそも自分が鉄道に関わる仕事をすることになって鳥塚さんとお付き合いしていることが不思議なのですが、人生にはいつ何が起きるかわからないのだから、真面目に生きなきゃいけないというか、最低限、へんなこと、悪いことをせずに生きていればいろいろとおもしろいことに出会えるのだなあと実感しています。
高萩さんの最新刊は『旅の作法』。昨今はやりの見開き2ページワンテーマのようなマニュアル本あるいは自己啓発本ではなく、体験に基づいたエッセー集です。章ごとのまとめのような言葉もなければ図表もないから、内容の解釈は読者に委ねられていますが、それであるがゆえに、人生を豊かにしてくれる本です。未読の方、ぜひぜひ、ご一読を。
]]>今日、札幌ドームでhttp://work.kuma-i.com/?eid=11980172024-03-16T18:04:00+09:002024-03-16T09:09:50Z2024-03-16T09:04:00Z
前節が浦和相手でも18,000人だったから今日は1万人ぐらいなんじゃないか、もしかすると1万人切っちゃうんじゃないかと心配してましたが、14,000人入ってよかった。4試合目でようやく得点が入ったのもよかった。こういう流れになっちゃうと、シーズン...issei
前節が浦和相手でも18,000人だったから今日は1万人ぐらいなんじゃないか、もしかすると1万人切っちゃうんじゃないかと心配してましたが、14,000人入ってよかった。4試合目でようやく得点が入ったのもよかった。こういう流れになっちゃうと、シーズン初ゴールは原康介か田中克幸だろうなと思ってました(<後から言うなよ!)。ホントはこういう流れにならないうちに取るべき人が取らなきゃいけないんだろうけど、浅野はPKを止められちゃったし(今日じゃなくて2節前の鳥栖戦の話ね)、武蔵にはゴールが生まれそうな雰囲気がまったくないからなあ…。
本来は有利になるはずのホームゲームなのに、今日はピッチが完全に敵になっちゃってたのはとても残念。芝の状態がどうこうはお互いさまとはいえ、今日は完全に不利になっちゃってました。ドリブルが途中で止まるんだもの。でも、いつも言ってますけど、運不運というのは年間を通じて帳尻が合うようにできているので、ちゃんとやっていれば、そのうち運が味方してくれる日も来ることでしょう。粘り強く戦っていきましょう。
しかしやっぱり武蔵はどうすんのかな?このまま行くのかしらん?次の試合までは2週間あるから、うまくリフレッシュできることを、祈るや切。
こういう日はネット見ちゃダメですよ。]]>土曜日だけどサンデー毎日http://work.kuma-i.com/?eid=11980162024-03-16T06:23:34+09:002024-03-15T21:23:34Z2024-03-15T21:23:34Zサンデー毎日3月24日号は3月13日発売でした。北海道内は雑誌の発売日が通常は2日遅れなので(大雪で列車が止まったりするとさらに遅れることもある)、昨日=3月15日発売でした。
今もまだ東大合格者数の高校別ランキングなんてのをやってるのかと少し驚くとともに...issei旅と鉄道
今もまだ東大合格者数の高校別ランキングなんてのをやってるのかと少し驚くとともに、そういえば亡父もこの種の週刊誌をよく買っていたなあと思い出しました。ぼくが大学に入るか入らないかの頃だから、40年ぐらい前の話ですが。
そんな特集記事が読みたくてわざわざ買ったわけではなく、目的はこちらの記事でした。
「『流氷物語号』で流氷を見る旅」と題した巻末カラーページで、杉山淳一さんが「流氷物語号」の魅力を紹介しています。東大合格者ランキング号は売れるそうで、そういう号に「流氷物語号」の記事を載せていただいたのは、とてもありがたいことです。今年はもう終わりましたが、来年の冬は、この記事を見た読者のみなさんが流氷シーズンにオホーツク流氷ラインを訪れてくれることでしょう。
こちらも杉山淳一さんの記事。こちらはネットで無料で読めます。
堀井雄二『オホーツクに消ゆ』の“殺人現場”を走る人気観光列車「流氷物語号」とは? 伝説の“涙彫二ポポ”も登場 | 文春オンライン
なんでもかんでも無料で読めるようになるのは必ずしもよいことだとは思わないのですが、いわゆるコタツ記事でなく、しっかりと取材をして、それも短時間ではなく長期にわたる取材の成果をまとめた記事を多くの人が目にする機会ができるのは、それはそれで、よいことです。文春オンラインのほうはどちらかといえばゲーム愛好家目線で書かれていますが、サブタイトルにある「もうひとつの物語」は、ゲームをやらない人にも楽しんでいただける内容です。記事中にあるように、2021年2月という全国的に旅行自粛が叫ばれていた時期に、「オホーツクに消ゆ」デザインの流氷物語号をフルスペックで(=車内サービスありで)運行したからこそ今があるのであり、あのとき、JR北海道や網走市が、列車を運休にしなかったどころか、観光ボランティアが乗務する形での運行を認めたことは、まさしく「英断」であったと思います。]]>はたしてファンなのかhttp://work.kuma-i.com/?eid=11980152024-03-15T06:16:00+09:002024-03-15T03:59:25Z2024-03-14T21:16:00Z明日、新幹線が敦賀まで延びることは、もちろん知ってます。
でも、この数日、SNS上で多くの友人知人が今週末に北陸方面で出かけると書いていることがそれとは結びついていなくて、なんか今週はやたらと北陸へ出かける人が多いんだな、ぐらいの感覚でした。北海道...issei日常明日、新幹線が敦賀まで延びることは、もちろん知ってます。
でも、この数日、SNS上で多くの友人知人が今週末に北陸方面で出かけると書いていることがそれとは結びついていなくて、なんか今週はやたらと北陸へ出かける人が多いんだな、ぐらいの感覚でした。北海道内にいる人がキハなんとかがどうこうと書いているのも同じで、ピンとこない。
だからといってダイヤ改正に関心が向いていないのかといえばそんなことはなくて、来週になると乗車券往復割引きっぷやすずらんオプション券がなくなって北斗が全車指定席になることは強く認識しています。なぜかというと、それらは仕事に直結するからで、今週はすずらんだと安く行けるけど来週になったら前日までにえきねっとで買わなければならないよね、という話は、身近なところではしょっちゅう出てくる話です。
敦賀の話は遠すぎて実感がないとか、キハなんとかの車両の話にはもともとあまり関心がないとか、そういうことはあるにせよ、根本的には、過去の3月に比べれば忙しくないとはいっても、やっぱり、年度末でやらなければならないことがたくさんあって、頭の中がそっちで満たされていて余計な情報が入ってくる余地がない、ということなのでしょう。こう見えても(?)、意外に真面目なのです。
あとはいまだ続く東京マラソンロス。大会が終わってから10日も過ぎてからようやくテレビ中継の録画を見て、ああ、終わっちゃったなあと思いました(見終えてから少し泣いた)。ゴール後のインタビューで、オリンピック出場を逃した選手たちが次の目標を問われて(そんなこと聞くなよ!)「まだわからない」と答えるのを見ながら、そうだよなあと思いました。トップアスリートと一緒にするなと言われそうですが、ぼくも、そうでした。今はそれなりに日数が経過しているから、サブフォー目指してまたがんばろうと気持ちを切り替えられてますが、でも、まだ、東京マラソンロス的なものがあって、頭の中のメモリ容量が通常より小さくなっているのだと思います。そこに期末仕事が入ってくれば、遠くの出来事に思いを寄せる余地はますます狭まります。
とりあえずは仕事して、明日は札幌ドームへ行きましょう。
]]>またセールhttp://work.kuma-i.com/?eid=11980142024-03-14T18:58:00+09:002024-03-14T10:41:36Z2024-03-14T09:58:00ZANAの国内線航空券タイムセールが今日からスタート。対象は5月7日から7月19日までの搭乗分です。
今回も、これまでと同様に、前日17時過ぎにメールで案内が来ました。今回の販売対象の中には7月の3連休が含まれており、ぼくはその時期に東京へ行かねばならないもの...issei旅と鉄道ANAの国内線航空券タイムセールが今日からスタート。対象は5月7日から7月19日までの搭乗分です。
今回も、これまでと同様に、前日17時過ぎにメールで案内が来ました。今回の販売対象の中には7月の3連休が含まれており、ぼくはその時期に東京へ行かねばならないものの飛行機は高いだろうからどうしようかな、行きか帰りだけでも日をずらすか、どうせ高いならたまには陸路で行ってみるか、などなど、あれこれ考えていたのですが、札幌〜東京便はほとんどの便が10,540円で、時間帯によっては8,440円という運賃も設定されており、助かりました。
先月から今月にかけてのフルマラソン3連戦は、最初の京都の往路(東京で用事があったので新千歳→羽田ANA)が8,410円、復路(伊丹→新千歳JAL)が9,510円。2週目の大阪は往路(新千歳→伊丹ANA)こそ少し高かったものの(そうはいっても14,310円なのでANA便としては十分に安いのですが)、復路(伊丹→新千歳JAL)は前週と同じく9,510円。3週目の東京は往復ともANAで、往路が8,440円、復路が9,540円でした。いずれも期間限定セールのおかげです。
さらに先の話をすれば、GWはさすがに安くはならないだろうと高額の支払いを覚悟していたのが、2月29日に連休中の国内線を安く販売するというタイムセールが一日だけ行われて、羽田→新千歳のANA便が8,440円で取れました。
そんなに安いのであれば予定していなかったところにも行ってみようか、でも最近はどこに行ってもホテルが高いんだよな、東横INNですら最近は1万円超が普通になっちゃったからなあと思いつつ、某所の東横INNの空室を調べてびっくり。
なんとなんと、東横INNも、いつの間にか、早期予約割引を設定していたのですね。混雑時期に東横INNらしからぬ高い料金をつけるようになった一方で、ちゃんと値引きもやっていたとは、さすがです。
]]>津軽鉄道津軽飯詰駅博物館&レイルウェイ・ライター種村直樹 汽車旅文庫 今月は3月17日開館ですhttp://work.kuma-i.com/?eid=11980122024-03-12T20:20:29+09:002024-03-12T11:20:29Z2024-03-12T11:20:29Z毎月第3日曜日の10時から14時まで開館する津軽鉄道津軽飯詰駅博物館&レイルウェイ・ライター種村直樹 汽車旅文庫は、今月はこんどの日曜日=3月17日に開館します。
日差しが明るくなって少しずつ春が近づいているのを感じますが、津軽鉄道名物のストーブ列車は今...issei旅と鉄道
日差しが明るくなって少しずつ春が近づいているのを感じますが、津軽鉄道名物のストーブ列車は今月末まで運行中です。ストーブ列車は津軽飯詰駅にも停車します。ぜひ、津軽飯詰駅で途中下車してみてください。
フルーツのみならずクリームがとてもおいしいフルーツサンドは毎回好評のためすぐに売り切れてしまうので、事前のご予約をおすすめします。
なお、急な変更などの場合もありますので、お出かけの際には念のため飯詰を元気にする会のホームページでご確認ください。]]>傘もささずに福住http://work.kuma-i.com/?eid=11980112024-03-10T17:30:00+09:002024-03-10T10:52:50Z2024-03-10T08:30:00Z思い出語らず大阪
というわけで、今日は札幌ドームでコンサドーレの今季ホーム初戦を見たのでありますが、東京マラソンロスあるいは流氷物語号ロスで(?)ロスインディオスと何も考えてないヒトになっていたぼくは、フードのついていないコートを着ていったのに帽...issei日常
というわけで、今日は札幌ドームでコンサドーレの今季ホーム初戦を見たのでありますが、東京マラソンロスあるいは流氷物語号ロスで(?)ロスインディオスと何も考えてないヒトになっていたぼくは、フードのついていないコートを着ていったのに帽子も持っておらず、試合終了後、もちろん傘も持ってなくて、バサバサと春の湿った雪に濡れながら地下鉄福住駅まで歩いて帰りました。人混みに積雪で歩道が狭くなっていることもあってなかなか進まず、そのうち頭や首が濡れてきたら、冷たい雨の大阪マラソンで低体温症になったときの記憶が甦ってきてちょっと怖くなってきたことに驚き、いまだあれは疲れて休みたかっただけだったのではないかと考えようとする自分がいるのですが、この程度の冷たさでも思い出してしまうのだから、やっぱりあれは無理だった(=自ら救護所に入って棄権したのは正しかった)と思いました。それにしてもこんなふうに記憶が甦ってきてしまうというのは困ったことで、あの記憶を払拭するには、どこかで一度、雨のレースを走らなきゃいけないのかもしれない。あるいはもう少し暖かくなってきたら、あえて雨の日に走ってみるのがいいのかも。
昨日は天気も悪くなかったし右足の違和感もだいぶ消えてきたから走ろうかとも思ったのですが、しばらく休んでくださいと言われたので完全休養にしたら、かなりぐだぐだになって、生活のリズムが崩れました。それで気がついたのは、食べるものを気にしなくてよくなると途端に太りそうなものを口にするようになる、ということで、まあ、たまにはそういう日があってもいいんですけど、やっぱり次の目標に向けてちゃんと生活を管理したほうがいいのだろうなあと思ったことでした。
去年の東京マラソンの後は、4月か5月にはサブ4で「走れるだろう」と考えていたつもりだったのですが、今になって振り返ればサブ4で「走らなきゃいけない」と考えてしまっていて、体の疲れもさることながら、心理的にずっと緊張状態にあったことのほうが、その後に大きな影響を与えたのだろうと思います。そのうえ6月にはコロナ後では最大の旅をしたことで自覚以上に疲労が蓄積していたと想像され、そんな状態なのに函館マラソンのフルを帽子も日焼け止めもなしで走った(帽子は持っていたのに間違えて荷物の中に入れたまま預けてしまった)ことで、具合が悪くなったのでしょう。記録を見ると、函館マラソンの3日後(水曜日)の夜に「喉が痛いような気がする」と書いてあって、その翌々日(金曜日)の朝に37℃だったので仕事を休み、その3日後(翌週の月曜日)に熱は下がったからそろそろ仕事に復帰しようかと思っていたら咳き込んだときに本格的ぎっくり腰になって、結局、ランニングを再開したのは函館マラソンから27日後のことでした。
もうトシなんだからね。シーズンオフは積極的に作らなきゃいけないのですよ。マラソンを始めてからは雪が積もる冬が自然とシーズンオフになっていたのが、一昨年の3月に東京マラソンに出たら意外にやれることがわかって、もっとも一昨年の東京マラソンはそんな時期に大会に出るのが初めてだったから調整方法がわからなくて直前に腰痛になってしまい(雪道で転んだ+仕事が忙しい時期なので長時間座っていたため)やめようかと思ったぐらいに状態の悪い中で走ったのですが、その経験があったから、昨年はかなりいろんなことに気をつけて望外の結果が得られて、その勢いで春から夏へと進んでいったのですが、それまではいつもなら休んでいたはずの時期にも休まないままだったから6月から7月にかけてあんなことになっちゃったんだと、昨日、去年のメモを見直していて、思いました。7月がそんな状態では、北海道マラソンは走れるわけないって(去年の北海道マラソンは15kmで棄権しました)。
そういうことを考える機会が得られたのだから、昨日のだらだらな休日も、それはそれで、有意義だったのでしょう。
今日は本州でフルマラソンを走っているチームメンバーの走りをアプリで応援しつつ、名古屋ウィメンズマラソンのテレビ中継を途中まで見て(後から結果を知って7年前の名古屋で云々と言われ続けていた安藤選手が優勝してPB更新したことを知りとても嬉しかった)、それから札幌ドームへ行ったのですが、先発はともかくサブに実績のある選手がほぼいないメンバーだったから、正直なところ、惨敗を覚悟してました。それが、終盤はむしろ押し込んでいて、ドーム内が手拍子で満たされるような展開だったので、負けてこんなことを言うのもなんですが、まあいいかと思って帰ってきました。ただ、あのピッチは、どうにかならんかったのかな。ボールは止まるわ、ドリブルしてる選手は躓きそうになるわで、剥がれたところを選手が埋めるなんてのは、J1レベルではひさしぶりに見たような気がします(以前はよくあったけど)。それと、ホームの初戦で相手が浦和でも観客数が1万8千人台というのは、ちょっとショックだわ。負けたことよりそっちのほうが気になるぐらい。
地下鉄大通駅にこんな大きな広告を出してるのにね。
攻め勝つと言ってるわりには3試合やって無得点なのはいかがなものか、ですが、2018年だって開幕3試合は1分2敗、4試合目で昇格組の長崎にアディショナルタイムの得点でどうにか勝ったといった具合だったのが、終わってみれば4位だったのだから、まだまだ、これからですって。30年近くも応援していれば、開幕3試合終わって下から2番目だからといって、だからどうした?なのであります。]]>