熊式。2024-03-18T23:09:29+09:00大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。JUGEM思い出は美しすぎるとともに悔しすぎてhttp://work.kuma-i.com/?eid=11980192024-03-18T21:20:00+09:002024-03-18T12:36:29Z2024-03-18T12:20:00Z東京マラソン2024はもう遠い過去の出来事のはずなのですが、僕を忘れた頃に君を思い出にできないという手紙が届くがごとく、忘れかけていた先週金曜日になって日経夕刊の鏑木毅さんの連載「今日も走ろう」のタイトルが「『ランナーの日』東京マラソン」だったわけです。大...isseiランニング
鏑木さんが《ゴールの大手町の高級ショッピング街でカラフルな完走ポンチョをまとったランナーが誇らしげに闊歩する姿があった。「ランナーの日」という国民の祝日ができたのかと思うほど。その日、都心はマラソン一色になった》と書いている「完走ポンチョというのは、こういうものです。
今回はぼくは皇居側から有楽町へ地下道を抜けたのでこれを着た人たちが誇らしげに闊歩する姿を目にすることができなかったのですが、一昨年は、東京駅前がこれを纏った人たちで埋め尽くされた姿を目の当たりにしました。それはもう壮観としか言いようがなく、また、一昨年はまん延防止等重点措置下での開催だったので(何度も同じことを書きますがあの状況下で開催に踏み切った関係者のみなさまのご努力にはいくら感謝しても感謝しきれません)ランナー以外の人の数が相対的に少なかったこともあって、とくに多く見えたのだと思います。
金曜日にそんなのを読んじゃったものだから、この週末は、また、東京マラソン2024の録画を見ちゃって、あー、楽しかったなあ、また走りたいなあ…と思いつつ、やっぱり、多少ならぬ悔しさも出てきちゃうんだな。ろくに準備してなかった去年より2分半も遅いというのはダメだよなあ。やるだけのことはやったのだから、そこは納得してるんだけど、納得はしてもいいけど、満足はしちゃいけないというか、いや、まあ、1つ年を重ねているのだから2分半落ちるのは自然体のような気もするんだけど、勝負レースのつもりだった東京を3週連続の3週目にしたのは間違っていたんじゃないか、とか、もう2週間も経ってるのに、まだ、すっきりしてないんだな。
そんなもやもやは、たぶん、走れば、解消するんです。だけど、大阪で痛めた右足はまだちょっとへんだし、なにより屋外はまだまだ積雪が多くて、走れないことはないけれど走りづらい。そんなところを走っても楽しくない。とりあえずしばらくは大会がないから無理をする必要もないわけで、もうしばらく、ゆるゆると過ごすことにしましょうかね。]]>今日の15周年と36年前の15周年http://work.kuma-i.com/?eid=11980182024-03-17T19:46:00+09:002024-03-17T11:18:08Z2024-03-17T10:46:00Z近所の商業施設に行って買い物をしたら「15周年でお花を差し上げていますので、よろしければどうぞ」と言われ、ありがたく頂戴してきました。
2つあるのは、2つのテナントで買い物をしたら、それぞれ別々にくれたからです。
せっかくなのでデスクの上に置い...issei日常近所の商業施設に行って買い物をしたら「15周年でお花を差し上げていますので、よろしければどうぞ」と言われ、ありがたく頂戴してきました。
2つあるのは、2つのテナントで買い物をしたら、それぞれ別々にくれたからです。
せっかくなのでデスクの上に置いてみた。
15周年で思い出すのは、レイルウェイ・ライター開業15周年のこと。
毎日新聞社を辞めた種村さんが「レイルウェイ・ライター」として独立開業したのは、国鉄武蔵野線(府中本町〜新松戸)の開業日と同じ1973年4月1日。15周年記念イベントは1988年4月3日、会津鉄道で行われました。
当時学生だったぼくは実行委員会の一人だったのですが、当日のことはほとんど覚えていません(むしろ運営側だったから余裕がなくて覚えていないのかも)。ただ、強烈に記憶しているのは、最初の会合で「今度のイベントは参加者からお金を集めて行うものなのだから、これまでの友の会の行事で幹事を務めた経験があってもそれとは違うことをしっかりと心得てほしい」といったことを(実行委員会のメンバーには加わらなかった)社会人の方から言われたことです。電話のかけ方など社会との接し方はレイルウェイ・ライター事務所でのアルバイトである程度わかっていたつもりでしたが、15周年記念イベント実行委員会での仕事を通じて学んだこともたくさんありました。
実行委員会のメンバーの中心は時間があって動きやすい学生でしたが、代表には社会人を置くべきだろうという話になって、小田急電鉄の車掌だった高萩徳宗さんに務めていただくことになりました。
高萩さんは、その後、小田急電鉄を退職し、1999年に有限会社ベルテンポ・トラベル・アンドコンサルタンツを創業、現在は同社の代表取締役として体に障害のある方や高齢の方の旅のサポートを行うとともに、サービスコンサルタントとして活躍しています。ぼくは種村直樹レイルウェイ・ライター友の会時代はさほど親しかったわけではなく、15周年記念イベントの後はとくに接点はなかったように思うのですが、高萩さんが起業してテレビ番組に出演したり多くの著書を出されたりしていることは、友の会の会員から聞いて知っていました。
会津鉄道のイベントの後、高萩さんと再会したのは、10年ほど前でした。高萩さんが『いい旅のススメ』を出されたとき、札幌で講演会があって、そこに参加させていただき、Facebookで「友達」になりました。
それ以来、高萩さんのFacebookの投稿やブログなどを拝見していて、ときに高萩さんのブログを自分のFacebook上で紹介することもあり、先日も高萩さんの問題提起を自分のFacebookで紹介したところ、えちごトキめき鉄道の鳥塚亮社長から「高萩さんとは面識がないのですがブログで取り上げても問題ないでしょうか?Facebookの投稿が公開設定なので問題ないと思うのですが(以下略)」との問い合わせがありました。ぼくは、高萩さんがえちごトキめきリゾート雪月花を高く評価されていることを書き添えたうえで「問題ないと思います」と返信しました。その後、鳥塚さんは高萩さんに直接連絡を取ったようで、鳥塚さんのブログはこのような形で公開されました。
ノブレス・オブリージュ | えちごトキめき鉄道社長(いすみ鉄道前社長) 鳥塚亮の地域を元気にするブログ
36年も前に一緒に仕事をした(会社の仕事という意味での仕事ではないのですがあれは立派な仕事でした)だけで、それから何があったわけでもないのに、間を取り持つことになったのは、とても不思議な感じがします。そもそも自分が鉄道に関わる仕事をすることになって鳥塚さんとお付き合いしていることが不思議なのですが、人生にはいつ何が起きるかわからないのだから、真面目に生きなきゃいけないというか、最低限、へんなこと、悪いことをせずに生きていればいろいろとおもしろいことに出会えるのだなあと実感しています。
高萩さんの最新刊は『旅の作法』。昨今はやりの見開き2ページワンテーマのようなマニュアル本あるいは自己啓発本ではなく、体験に基づいたエッセー集です。章ごとのまとめのような言葉もなければ図表もないから、内容の解釈は読者に委ねられていますが、それであるがゆえに、人生を豊かにしてくれる本です。未読の方、ぜひぜひ、ご一読を。
]]>今日、札幌ドームでhttp://work.kuma-i.com/?eid=11980172024-03-16T18:04:00+09:002024-03-16T09:09:50Z2024-03-16T09:04:00Z
前節が浦和相手でも18,000人だったから今日は1万人ぐらいなんじゃないか、もしかすると1万人切っちゃうんじゃないかと心配してましたが、14,000人入ってよかった。4試合目でようやく得点が入ったのもよかった。こういう流れになっちゃうと、シーズン...issei
前節が浦和相手でも18,000人だったから今日は1万人ぐらいなんじゃないか、もしかすると1万人切っちゃうんじゃないかと心配してましたが、14,000人入ってよかった。4試合目でようやく得点が入ったのもよかった。こういう流れになっちゃうと、シーズン初ゴールは原康介か田中克幸だろうなと思ってました(<後から言うなよ!)。ホントはこういう流れにならないうちに取るべき人が取らなきゃいけないんだろうけど、浅野はPKを止められちゃったし(今日じゃなくて2節前の鳥栖戦の話ね)、武蔵にはゴールが生まれそうな雰囲気がまったくないからなあ…。
本来は有利になるはずのホームゲームなのに、今日はピッチが完全に敵になっちゃってたのはとても残念。芝の状態がどうこうはお互いさまとはいえ、今日は完全に不利になっちゃってました。ドリブルが途中で止まるんだもの。でも、いつも言ってますけど、運不運というのは年間を通じて帳尻が合うようにできているので、ちゃんとやっていれば、そのうち運が味方してくれる日も来ることでしょう。粘り強く戦っていきましょう。
しかしやっぱり武蔵はどうすんのかな?このまま行くのかしらん?次の試合までは2週間あるから、うまくリフレッシュできることを、祈るや切。
こういう日はネット見ちゃダメですよ。]]>土曜日だけどサンデー毎日http://work.kuma-i.com/?eid=11980162024-03-16T06:23:34+09:002024-03-15T21:23:34Z2024-03-15T21:23:34Zサンデー毎日3月24日号は3月13日発売でした。北海道内は雑誌の発売日が通常は2日遅れなので(大雪で列車が止まったりするとさらに遅れることもある)、昨日=3月15日発売でした。
今もまだ東大合格者数の高校別ランキングなんてのをやってるのかと少し驚くとともに...issei旅と鉄道
今もまだ東大合格者数の高校別ランキングなんてのをやってるのかと少し驚くとともに、そういえば亡父もこの種の週刊誌をよく買っていたなあと思い出しました。ぼくが大学に入るか入らないかの頃だから、40年ぐらい前の話ですが。
そんな特集記事が読みたくてわざわざ買ったわけではなく、目的はこちらの記事でした。
「『流氷物語号』で流氷を見る旅」と題した巻末カラーページで、杉山淳一さんが「流氷物語号」の魅力を紹介しています。東大合格者ランキング号は売れるそうで、そういう号に「流氷物語号」の記事を載せていただいたのは、とてもありがたいことです。今年はもう終わりましたが、来年の冬は、この記事を見た読者のみなさんが流氷シーズンにオホーツク流氷ラインを訪れてくれることでしょう。
こちらも杉山淳一さんの記事。こちらはネットで無料で読めます。
堀井雄二『オホーツクに消ゆ』の“殺人現場”を走る人気観光列車「流氷物語号」とは? 伝説の“涙彫二ポポ”も登場 | 文春オンライン
なんでもかんでも無料で読めるようになるのは必ずしもよいことだとは思わないのですが、いわゆるコタツ記事でなく、しっかりと取材をして、それも短時間ではなく長期にわたる取材の成果をまとめた記事を多くの人が目にする機会ができるのは、それはそれで、よいことです。文春オンラインのほうはどちらかといえばゲーム愛好家目線で書かれていますが、サブタイトルにある「もうひとつの物語」は、ゲームをやらない人にも楽しんでいただける内容です。記事中にあるように、2021年2月という全国的に旅行自粛が叫ばれていた時期に、「オホーツクに消ゆ」デザインの流氷物語号をフルスペックで(=車内サービスありで)運行したからこそ今があるのであり、あのとき、JR北海道や網走市が、列車を運休にしなかったどころか、観光ボランティアが乗務する形での運行を認めたことは、まさしく「英断」であったと思います。]]>はたしてファンなのかhttp://work.kuma-i.com/?eid=11980152024-03-15T06:16:00+09:002024-03-15T03:59:25Z2024-03-14T21:16:00Z明日、新幹線が敦賀まで延びることは、もちろん知ってます。
でも、この数日、SNS上で多くの友人知人が今週末に北陸方面で出かけると書いていることがそれとは結びついていなくて、なんか今週はやたらと北陸へ出かける人が多いんだな、ぐらいの感覚でした。北海道...issei日常明日、新幹線が敦賀まで延びることは、もちろん知ってます。
でも、この数日、SNS上で多くの友人知人が今週末に北陸方面で出かけると書いていることがそれとは結びついていなくて、なんか今週はやたらと北陸へ出かける人が多いんだな、ぐらいの感覚でした。北海道内にいる人がキハなんとかがどうこうと書いているのも同じで、ピンとこない。
だからといってダイヤ改正に関心が向いていないのかといえばそんなことはなくて、来週になると乗車券往復割引きっぷやすずらんオプション券がなくなって北斗が全車指定席になることは強く認識しています。なぜかというと、それらは仕事に直結するからで、今週はすずらんだと安く行けるけど来週になったら前日までにえきねっとで買わなければならないよね、という話は、身近なところではしょっちゅう出てくる話です。
敦賀の話は遠すぎて実感がないとか、キハなんとかの車両の話にはもともとあまり関心がないとか、そういうことはあるにせよ、根本的には、過去の3月に比べれば忙しくないとはいっても、やっぱり、年度末でやらなければならないことがたくさんあって、頭の中がそっちで満たされていて余計な情報が入ってくる余地がない、ということなのでしょう。こう見えても(?)、意外に真面目なのです。
あとはいまだ続く東京マラソンロス。大会が終わってから10日も過ぎてからようやくテレビ中継の録画を見て、ああ、終わっちゃったなあと思いました(見終えてから少し泣いた)。ゴール後のインタビューで、オリンピック出場を逃した選手たちが次の目標を問われて(そんなこと聞くなよ!)「まだわからない」と答えるのを見ながら、そうだよなあと思いました。トップアスリートと一緒にするなと言われそうですが、ぼくも、そうでした。今はそれなりに日数が経過しているから、サブフォー目指してまたがんばろうと気持ちを切り替えられてますが、でも、まだ、東京マラソンロス的なものがあって、頭の中のメモリ容量が通常より小さくなっているのだと思います。そこに期末仕事が入ってくれば、遠くの出来事に思いを寄せる余地はますます狭まります。
とりあえずは仕事して、明日は札幌ドームへ行きましょう。
]]>またセールhttp://work.kuma-i.com/?eid=11980142024-03-14T18:58:00+09:002024-03-14T10:41:36Z2024-03-14T09:58:00ZANAの国内線航空券タイムセールが今日からスタート。対象は5月7日から7月19日までの搭乗分です。
今回も、これまでと同様に、前日17時過ぎにメールで案内が来ました。今回の販売対象の中には7月の3連休が含まれており、ぼくはその時期に東京へ行かねばならないもの...issei旅と鉄道ANAの国内線航空券タイムセールが今日からスタート。対象は5月7日から7月19日までの搭乗分です。
今回も、これまでと同様に、前日17時過ぎにメールで案内が来ました。今回の販売対象の中には7月の3連休が含まれており、ぼくはその時期に東京へ行かねばならないものの飛行機は高いだろうからどうしようかな、行きか帰りだけでも日をずらすか、どうせ高いならたまには陸路で行ってみるか、などなど、あれこれ考えていたのですが、札幌〜東京便はほとんどの便が10,540円で、時間帯によっては8,440円という運賃も設定されており、助かりました。
先月から今月にかけてのフルマラソン3連戦は、最初の京都の往路(東京で用事があったので新千歳→羽田ANA)が8,410円、復路(伊丹→新千歳JAL)が9,510円。2週目の大阪は往路(新千歳→伊丹ANA)こそ少し高かったものの(そうはいっても14,310円なのでANA便としては十分に安いのですが)、復路(伊丹→新千歳JAL)は前週と同じく9,510円。3週目の東京は往復ともANAで、往路が8,440円、復路が9,540円でした。いずれも期間限定セールのおかげです。
さらに先の話をすれば、GWはさすがに安くはならないだろうと高額の支払いを覚悟していたのが、2月29日に連休中の国内線を安く販売するというタイムセールが一日だけ行われて、羽田→新千歳のANA便が8,440円で取れました。
そんなに安いのであれば予定していなかったところにも行ってみようか、でも最近はどこに行ってもホテルが高いんだよな、東横INNですら最近は1万円超が普通になっちゃったからなあと思いつつ、某所の東横INNの空室を調べてびっくり。
なんとなんと、東横INNも、いつの間にか、早期予約割引を設定していたのですね。混雑時期に東横INNらしからぬ高い料金をつけるようになった一方で、ちゃんと値引きもやっていたとは、さすがです。
]]>津軽鉄道津軽飯詰駅博物館&レイルウェイ・ライター種村直樹 汽車旅文庫 今月は3月17日開館ですhttp://work.kuma-i.com/?eid=11980122024-03-12T20:20:29+09:002024-03-12T11:20:29Z2024-03-12T11:20:29Z毎月第3日曜日の10時から14時まで開館する津軽鉄道津軽飯詰駅博物館&レイルウェイ・ライター種村直樹 汽車旅文庫は、今月はこんどの日曜日=3月17日に開館します。
日差しが明るくなって少しずつ春が近づいているのを感じますが、津軽鉄道名物のストーブ列車は今...issei旅と鉄道
日差しが明るくなって少しずつ春が近づいているのを感じますが、津軽鉄道名物のストーブ列車は今月末まで運行中です。ストーブ列車は津軽飯詰駅にも停車します。ぜひ、津軽飯詰駅で途中下車してみてください。
フルーツのみならずクリームがとてもおいしいフルーツサンドは毎回好評のためすぐに売り切れてしまうので、事前のご予約をおすすめします。
なお、急な変更などの場合もありますので、お出かけの際には念のため飯詰を元気にする会のホームページでご確認ください。]]>傘もささずに福住http://work.kuma-i.com/?eid=11980112024-03-10T17:30:00+09:002024-03-10T10:52:50Z2024-03-10T08:30:00Z思い出語らず大阪
というわけで、今日は札幌ドームでコンサドーレの今季ホーム初戦を見たのでありますが、東京マラソンロスあるいは流氷物語号ロスで(?)ロスインディオスと何も考えてないヒトになっていたぼくは、フードのついていないコートを着ていったのに帽...issei日常
というわけで、今日は札幌ドームでコンサドーレの今季ホーム初戦を見たのでありますが、東京マラソンロスあるいは流氷物語号ロスで(?)ロスインディオスと何も考えてないヒトになっていたぼくは、フードのついていないコートを着ていったのに帽子も持っておらず、試合終了後、もちろん傘も持ってなくて、バサバサと春の湿った雪に濡れながら地下鉄福住駅まで歩いて帰りました。人混みに積雪で歩道が狭くなっていることもあってなかなか進まず、そのうち頭や首が濡れてきたら、冷たい雨の大阪マラソンで低体温症になったときの記憶が甦ってきてちょっと怖くなってきたことに驚き、いまだあれは疲れて休みたかっただけだったのではないかと考えようとする自分がいるのですが、この程度の冷たさでも思い出してしまうのだから、やっぱりあれは無理だった(=自ら救護所に入って棄権したのは正しかった)と思いました。それにしてもこんなふうに記憶が甦ってきてしまうというのは困ったことで、あの記憶を払拭するには、どこかで一度、雨のレースを走らなきゃいけないのかもしれない。あるいはもう少し暖かくなってきたら、あえて雨の日に走ってみるのがいいのかも。
昨日は天気も悪くなかったし右足の違和感もだいぶ消えてきたから走ろうかとも思ったのですが、しばらく休んでくださいと言われたので完全休養にしたら、かなりぐだぐだになって、生活のリズムが崩れました。それで気がついたのは、食べるものを気にしなくてよくなると途端に太りそうなものを口にするようになる、ということで、まあ、たまにはそういう日があってもいいんですけど、やっぱり次の目標に向けてちゃんと生活を管理したほうがいいのだろうなあと思ったことでした。
去年の東京マラソンの後は、4月か5月にはサブ4で「走れるだろう」と考えていたつもりだったのですが、今になって振り返ればサブ4で「走らなきゃいけない」と考えてしまっていて、体の疲れもさることながら、心理的にずっと緊張状態にあったことのほうが、その後に大きな影響を与えたのだろうと思います。そのうえ6月にはコロナ後では最大の旅をしたことで自覚以上に疲労が蓄積していたと想像され、そんな状態なのに函館マラソンのフルを帽子も日焼け止めもなしで走った(帽子は持っていたのに間違えて荷物の中に入れたまま預けてしまった)ことで、具合が悪くなったのでしょう。記録を見ると、函館マラソンの3日後(水曜日)の夜に「喉が痛いような気がする」と書いてあって、その翌々日(金曜日)の朝に37℃だったので仕事を休み、その3日後(翌週の月曜日)に熱は下がったからそろそろ仕事に復帰しようかと思っていたら咳き込んだときに本格的ぎっくり腰になって、結局、ランニングを再開したのは函館マラソンから27日後のことでした。
もうトシなんだからね。シーズンオフは積極的に作らなきゃいけないのですよ。マラソンを始めてからは雪が積もる冬が自然とシーズンオフになっていたのが、一昨年の3月に東京マラソンに出たら意外にやれることがわかって、もっとも一昨年の東京マラソンはそんな時期に大会に出るのが初めてだったから調整方法がわからなくて直前に腰痛になってしまい(雪道で転んだ+仕事が忙しい時期なので長時間座っていたため)やめようかと思ったぐらいに状態の悪い中で走ったのですが、その経験があったから、昨年はかなりいろんなことに気をつけて望外の結果が得られて、その勢いで春から夏へと進んでいったのですが、それまではいつもなら休んでいたはずの時期にも休まないままだったから6月から7月にかけてあんなことになっちゃったんだと、昨日、去年のメモを見直していて、思いました。7月がそんな状態では、北海道マラソンは走れるわけないって(去年の北海道マラソンは15kmで棄権しました)。
そういうことを考える機会が得られたのだから、昨日のだらだらな休日も、それはそれで、有意義だったのでしょう。
今日は本州でフルマラソンを走っているチームメンバーの走りをアプリで応援しつつ、名古屋ウィメンズマラソンのテレビ中継を途中まで見て(後から結果を知って7年前の名古屋で云々と言われ続けていた安藤選手が優勝してPB更新したことを知りとても嬉しかった)、それから札幌ドームへ行ったのですが、先発はともかくサブに実績のある選手がほぼいないメンバーだったから、正直なところ、惨敗を覚悟してました。それが、終盤はむしろ押し込んでいて、ドーム内が手拍子で満たされるような展開だったので、負けてこんなことを言うのもなんですが、まあいいかと思って帰ってきました。ただ、あのピッチは、どうにかならんかったのかな。ボールは止まるわ、ドリブルしてる選手は躓きそうになるわで、剥がれたところを選手が埋めるなんてのは、J1レベルではひさしぶりに見たような気がします(以前はよくあったけど)。それと、ホームの初戦で相手が浦和でも観客数が1万8千人台というのは、ちょっとショックだわ。負けたことよりそっちのほうが気になるぐらい。
地下鉄大通駅にこんな大きな広告を出してるのにね。
攻め勝つと言ってるわりには3試合やって無得点なのはいかがなものか、ですが、2018年だって開幕3試合は1分2敗、4試合目で昇格組の長崎にアディショナルタイムの得点でどうにか勝ったといった具合だったのが、終わってみれば4位だったのだから、まだまだ、これからですって。30年近くも応援していれば、開幕3試合終わって下から2番目だからといって、だからどうした?なのであります。]]>ロス疑惑2024http://work.kuma-i.com/?eid=11980102024-03-09T07:00:00+09:002024-03-08T22:03:50Z2024-03-08T22:00:00Z東京マラソンと流氷物語号が同じ日に終わってしまった。
東京から帰ってきたのが月曜日の夜で、火曜日も水曜日も何事もなかったように普通に仕事していたものの、必要最小限のこと以外は何もやる気にならず、ぼんやりとしていても仕方がないからさっさと寝ると、そ...issei日常
東京から帰ってきたのが月曜日の夜で、火曜日も水曜日も何事もなかったように普通に仕事していたものの、必要最小限のこと以外は何もやる気にならず、ぼんやりとしていても仕方がないからさっさと寝ると、そのまま朝までずっと寝ていて、夜中にも早朝にも目が覚めることがない。年を取ると夜中に目が覚めたり、早寝すると夜中に起きてしまって眠れなくなったりするものですが、そんなことはなく、ひたすら寝ているわけです。起きれば仕事には行くけれど、それ以外は何をやるにも億劫で、何かに心を動かされることもない。
東京マラソンロスに流氷物語号ロスが重なって、虚脱状態に陥っているのではないか。
それなら去年だってそうなっていてもおかしくなかったはずなのに、去年はなぜそうならなかったのかと、去年の今ごろのことを振り返ってみれば、東京マラソンが終わっても4月に別の大会が控えていたし(もともとはこの4月の大会で自己ベストを狙うつもりだったのにその前に自己ベストが出ちゃったんだよね)、流氷物語号が終わっても3月21日に海明け物語号があった。それに去年の流氷物語号の運転は2月の最後の日曜日が最後で、東京マラソンより1週間早かった。
…と、昨夜までは、考えていたのですが。
今朝、最近にしては珍しく、早朝、まだ暗いうちに目が覚めて、まだ起きなくてもいいだろうと寝ていたかったのに、眠れなくなっちゃったんだな。
脚が痛くて。
いやはや、こんなことが、フルマラソンを走ってから6日後に起きるとは。
フルマラソンの当日や翌朝、脚が痛くてよく眠れないことは過去にもあったけれど、6日後は初めてです。具体的にいうととりわけ痛い感じがするのは腿裏、つまり、マラソンで(うまく走れているときに)いちばんよく使うところです。そんなところが6日後に痛くなるわけはないから、たぶん、これまでも、痛かったのでしょう。ただ、意識していなかっただけで。
なんのことはない。東京マラソンロスでも流氷物語号ロスでもなく、ただの疲れだったんじゃないの?金曜日までそれなりに仕事して、それなりになんとかなって、緊張が解けたところで、疲れが出てきたんじゃないんですかね。
考えてみたら、ロスインディオスと虚脱感だったら、次のマラソン大会の検討なんかしてないわな。検討したどころか、参加を迷っていた某大会にエントリーしちゃったもんね。昨日だって、この週末からはちゃんとランニングに復帰しなきゃと思いつつ、でもまだ大阪で痛めた右足が気になるし、オフなしにずっとやってきたのだから今週末ぐらいは休んだほうがいいんじゃないかと自分に言い聞かせたりしてたぐらいで、抜け殻でもなんでもないんだって。
マラソンの控えていない毎日は自由な毎日で、寝る時間も起きる時間も、デスクワーク中の姿勢も、飲むものも食べるものも、何も気にする必要がないのですが、やっぱり、なんか、張り合いがないかもしれない、というのが、京都・大阪・東京の3連戦を終えて感じることで、3連戦はさすがにきついけど(去年の秋はうまくいったけれど冬は条件が異なるからきついんだね)、まだまだ続けていこう、またサブ4を目指して頑張ろうと決意した土曜日の朝、なのでありました。]]>東京マラソン2024(その5)http://work.kuma-i.com/?eid=11980082024-03-08T18:44:46+09:002024-03-08T09:44:46Z2024-03-08T09:44:46Z32kmの日本橋から銀座へと入っていくあたりでは、かなり疲れが出てました。それでもチームメンバーが沿道にいるはずだから歩くわけにはいかないと頑張って走り続けたのですが、メンバーの姿が見えない。あとで聞いたところでは応援ナビが固まってぼくを捕捉できなくなり、...isseiランニング
沿道といえば、ここまでいちいち書いてませんが、あちこちで見知らぬ方から「コンサドーレがんばれ」「コンサがんばれ」「札幌ナイスラン」などなど声をかけてもらいました。秋葉原では「こーんさどーれ!」とコールまでもらいました。みなさん本当にありがとうございました。
チームメンバーがいなくてがっかりしたわけでもないのでしょうが、セイコーの時計塔を曲がって33.5km収容関門用の黄色いバス(はとバス)がたくさん止まっているところで、ついに歩いてしまいました。が、後ろから来た人に「コンサファイト!」と声をかけられ、顔を上げれば背番号88BABAのコンサドーレユニランナーさんの笑顔が。
走らないわけにいかないでしょう!
でも、やっぱりきつくて、日比谷通りに入ってすぐ、また歩き始めたら、今度は背番号99のコンサドーレユニランナーさんが声をかけてくれました。99番がすーっと先に行ってしまった後、少し距離が離れてからでしたが「ありがとう!」と呼びかけたら、背番号99のランナーさんは、前を向いたまま、左手を上げてくれました。
そんなわけで、30kmを過ぎてからは励まされるばかりになっていたのですが、30kmまでは、Jリーグのチームのユニフォームを着たランナーさんを追い越すとき、苦しそうな人には、ぼくもけっこう声をかけてました。背番号と名前の入ったユニフォームを着た人が多いから、選手の名前を呼んで、「ファイト!」とか「がんばりましょう!」とか。みんな疲れているだろうに、ちゃんとこちらに顔を向けて「ありがとう!」と返してくれます。応援しているチームは違っても、みんな仲間なのですね。
88番と99番に抜かれた少し先で、沿道の人が「コンサドーレ多いな」「たまたまじゃないの」と言っているのが聞こえました。はい、その通りです、たまたまです。でも、X(旧ツイッター)には「マリノスとコンサドーレとカープが桁違いに多い」といった投稿もあったから、このときの3人連続はたまたまにしても、実際に多かったのかもしれません。まあ、カープは、どこのマラソン大会に行っても多いんですけど。
35kmあたりで道路の反対側(復路側の歩道)から「おおくまさ〜ん!」と呼ばれたような気がして、「ありがとう!」と返事をしたものの、誰だか全然わからず、心当たりもなかったから、別のオオクマさんなんじゃないか、あるいは、大久保さんだったんじゃないかと思ってました。同じようなことは前半の上野か秋葉原あたりでもあったのですが、どなたか心当たりのある方がいらっしゃいましたら、認識できず申し訳ございませんでした。
37km過ぎ、田町駅前。
このとき「サブ4は無理かも」と口にしちゃったんだ、たしか。
逆に言うと、ここまではまだ諦めてなかったのだ。35kmの通過タイムは想定を4分も超過していたからもう諦めるしかないのに、35km以降はキロ6分以上に落ちる想定にしていたから、ここから5:40/kmぐらいで走ればまだ取り戻せると思ってました。2週間前の京都マラソンは、残り3kmになってからでも5:40/kmで走れましたから。
田町駅のすぐ先の折り返し直後には、Jリーグのいろんなチームのユニフォームの方がいらして(東京マラソン財団の公式アカウントでも紹介されてました)、コンサドーレのフラッグを振っていた方からは、なんと!「な〜にもおそ〜れず むねをはりたた〜かえ♪」とチャントまで歌っていただきました。ありがとうございました!
40km付近で、笑顔のHくんが登場。そうか、さっき反対側で「おおくまさ〜ん!」と呼んでくれたのは、Hくんだったのか!Hくんとはコロナ禍の初期に会ったのが最後だから4年ぶりぐらいだったはずで、もうタイムはどうでもよくなっていたのだから立ち止まって少し話をすればよかったと今は思いますが、あのときはまだ何かを追いかけていたんだよな。自己ベストだったのか、自己ベストは無理でも4時間10分は切らなきゃと思っていたのか、思い出せないけど、とにかく、レースを捨てちゃいけないと考えてました。いつもは目標未達が明らかになるとレースを投げちゃうのに、今回は、最後までがんばれました。
さらにその先ではオレンジ色のシャツに身を包んだチームメンバー(サブ3.5ランナー)が並走してくれました。並走といっても、こっちがすっかり疲れ切っているから、完全に並んで走るのではなく、彼が先に走っていってぼくを待っていてくれることの繰り返しでした。
サブ4どころか自己ベストも難しくなって、こんなにいい条件なのにこんなタイムでしか走れないのでは東京マラソンに出た意味がないじゃないか…という気持ちがなかったとは言わないものの、そんなことはどうでもいいぐらいに、幸せでした。去年もそうだったのですが、日比谷公園の脇、帝国ホテルの前あたりの、広々とした通りを走っていると、タイムなんかどうでもいい、まだまだ走っていたい、ずっとこの幸せな世界の中にいたいと思えてきます。東京マラソンは今回で終わりのつもりだったのに、また来年も出たい!と思いはじめた自分に驚きました。
話が前後しますが、4:00のフラッグを付けたペースセッターには、数寄屋橋(33km付近)で抜かれました。33kmですでに4時間切りは非現実的になっていたわけです(それでも諦めなかった自分をほめたい<ようやく馬鹿になれた)。4時間以降のペースセッターはネットタイムなのでぼくの後ろにも4:00のフラッグのペースセッターがいたのですが、こちらの人たちにも日比谷公園の脇で抜かれました。ただ、これは沿道で待っていた人たちにはいい目印だったらしく、アプリ(応援ナビ)でぼくのゴール予想タイムが4時間ちょっとになっていたから、4:00のフラッグの人たちが通過したのを見て、もうすぐぼくが来るだろうと待ち構えることができたようです。
丸の内仲通り、残り900メートル。
ここで初めて、沿道側に寄って行って、立ち止まりました…と本人は思っていたのですが、動画を見ると(この写真は動画を加工したものです)、少しスピードを緩めただけでした。ずっと走ってきていると、これが立ち止まったと思えちゃうんだな。
で、今さら気づいたのは、自分では「ずいぶん歩いちゃったなあ」と思っていても意外にそうでもないのはそういうことなんだということで、あの区間はけっこう歩いちゃったなあと思っていても結果を見ると意外にタイムが落ちていないということは、よくあります。歩いたことのインパクトが強すぎて、実際にはそれほど歩いていないのに、自分の頭の中ではものすごく歩いた、という記憶に変換されるのでしょう。
東京マラソンの最後の丸の内仲通りは、何度走っても最高です。東京マラソンそのものが最高なんだけど、ラスト1kmの丸の内仲通りは狭いコースの両側に人がびっしりで、たくさん声をかけてもらえて、最高に気持ちがいい。脚が動かなくなっていたぼくが立ち止まったら(これも自分的記憶の「立ち止まった」だから実際には止まってなかったのかもしれないけど)、沿道の人(どこかのランニングチームの人)が「あとちょっと!がんばろう!」とスマイルをくれました。そんなふうに応援されたら、また、走るしかないじゃないですか。コース幅が狭くて沿道応援の人たちとの距離が近いから、沿道とランナーの一体感が半端ないのよ、東京のラスト1kmは。
そんなわけで、今年も楽しく走らせていただきました。せっかくの東京なのだからタイムなんか気にしないで途中で写真を撮ったり給食もちゃんと取ったりしながら走ればいいんじゃないかと、スタート前、ちょっとだけ考えてましたが、終わってみれば、4時間を切れなくても去年のタイムに届かなくても、そんなことはどうでもよかった。全力を出しきった、やれるだけのことはやったのだから、いいんです。
ぼくより後ろのブロックの人(=サブ4)に撮ってもらいました。
3年続けて出たからもういいかと思わないでもないけれど、やっぱり出てみたいような気もする。旅費がかかるといっても、今回なんて、ANAのセールのおかげで、往路の千歳→羽田は8,440円、復路は9,540円なのだから、大阪から新幹線で来るより安かったのですよ。来年もセールがあるかどうかはわからないし、チャリティの仕組みも年々変わってきていて来年どうなるかはわからないけれど、東京マラソンのチャリティは年に一度、寄付について考えるよい機会でもあるので、少なくとも大会要項が発表になったらまた検討することになるに違いない。他の大会に出るのをやめてその分の参加費や旅費をまわしてでも、東京は、出る価値のある大会なのですよ。
みなさん、ありがとうございました。]]>東京マラソン2024(その4)http://work.kuma-i.com/?eid=11980072024-03-08T07:19:23+09:002024-03-07T22:19:23Z2024-03-07T22:19:23Z雷門前は、一昨年、サブ5ペースで走ったときは大撮影会状態でしたが、サブ4ペースだと立ち止まっている人がいないどころか、カメラを手にしている人すら皆無。東京マラソンは最初から最後まで人がいないところはないのですが、最も密集度が高かったのはこの辺り、雷門から...isseiランニング
20km過ぎの給水所でジェルを取り出し、開封しようとしたらうまく切れず、どうして切れないのかと焦るあまりにさらに切れなくなって、ちょっと余計な時間を使ってしまったのは誤算でした。うまく切れなかったのは手袋をしたままだったからで、外せばよかった、というのは後で気づいたこと。手袋着用という普段やらないことをやるからには、こうした細かいところまでシミュレーションをしておくべきでした(ということがわかったのは今回の収穫だとして前向きにとらえよう)。
中間点を過ぎて、森下駅前で沿道にYさん発見。今朝「市ヶ谷に行く予定」とメッセージをもらっていたのに見つけられなくて気になっていただけに、突然の登場がうまく受け止められず、驚きとか嬉しさとか感激とかいろんな感情がごちゃ混ぜになったまま、何も声を出せずに手を振っただけで通過してしまいました。あとで聞いたらぼくのペースが速くて市ヶ谷では追いつかず、森下まで来てくれた由(で、これまたいま書きながら気づいたのですが、新宿→市ヶ谷→森下は都営新宿線で一本なんですね)。
22km過ぎ、清澄白河駅近く。半袖に手袋のサンパイオ状態。
富岡八幡宮前で折り返して、門前仲町で右に曲がって、首都高の下をくぐるあたりで、ああ、去年はここで歩いちゃったんだよなあと思い出しました。去年よりおさえて走っていたことはあるにせよ、今年は歩こうなどとはまったく考えることはなかったので、走力は去年よりも上がっていたのかもしれなくて、そうだとすれば、フィニッシュタイムが去年より遅かったのは、気にしなくてもいいのかもしれない(ということもまた、いま、ブログを書きながら気づいたことですが)。
30kmは想定通りに通過できたものの、右のふくらはぎが痛くなってきて、ペースを維持するのが苦しくなってきました。これはおそらく2週間前の京都マラソンで上り坂が続いたときの疲れが抜けきっていないためで、でも京都を走らなかったら積雪のないロードを走る機会が失われて、練習不足でもっと走れなかった可能性のほうが高いだろう、だから京都を走ったのは無駄ではなかったのだ…と、このときは思っていたのですが、またまた今になって考えてみれば、京都の翌週の大阪はふくらはぎは気にせずに走れていたのだから、京都の疲れではないはず。どうしてあんなことを考えたんだろうな。
さらに今にして思えば、あの辺で足が攣らなくてよかったです。ふくらはぎの妙な痛みは、あとから思えば、攣る寸前でした。単純に疲れなのか、ミネラル不足なのか。気温は低かったけれど日差しは強かったから、じわじわと体力が奪われていたのかもしれない。
30km給水所そば。駅でいうと水天宮前の近く。
半蔵門線だと清澄白河の次が水天宮前だったのだということに、これもまた今こうしてブログを書きながら気づきました。
東京マラソンの給水所は5km以降、7km、10km、12km、15km、17km…と設定されていることになっているのですが、実際にはそのポイントよりも数百メートル先にあることがほとんどで、少し戸惑いました。おまけに一つの給水所がやたらと長い。上の写真の場所は30km給水所のすぐ先ですが、実際には30.8kmぐらいの地点です。
(続く)]]>東京マラソン2024(その3)http://work.kuma-i.com/?eid=11980062024-03-07T07:03:00+09:002024-03-06T22:06:14Z2024-03-06T22:03:00Z
スタートブロックはFブロックでした。
これ以上ないマラソン日和!
スタートラインを越えたのは号砲の8分39秒後。意外に早かった。
マーティ・フリードマンは近すぎるとよくわからない(笑)。...isseiランニング
これ以上ないマラソン日和!
スタートラインを越えたのは号砲の8分39秒後。意外に早かった。
マーティ・フリードマンは近すぎるとよくわからない(笑)。
今回、自分で撮った写真はここまでです。というのは、ランニンググローブ(平たく言うと手袋)を着用していてそのままではiPhoneを操作できなかったからで、ランニングパンツの後ろポケットからiPhoneを出すだけでも手間なのに、そこに手袋を外すという動作まで加わるとなると、面倒なことこのうえない。途中、雷門、スカイツリー、東京タワーなどなど、魅力的な風景はたくさんあったものの、今回は写真よりもタイム優先で走りました。
タイム優先だったから左の手首に巻かれたランニングウォッチ(ガーミン)に目をやる回数はいつもより多かったのですが、高い建物の多い東京都心部ではGPSの電波が安定しないのか、4:45/kmだの6:40/kmだのといった数字が出てきて、使いものになりませんでした。スタート直後は自分の見える範囲に3時間45分のペースセッターがいて、曙橋あたりで4時間のペースセッターが自分に追いついてきた、というぐらいの中を走っていたのだから、6分40秒なんてのは絶対にあり得ない。
おもしろかったのは、4:00のフラッグ(こんなやつ)を掲げたペースセッターの近くを走っていると、沿道から「サブフォーがんばれ!」とか「4時間行けるよ!」とか、4時間切りを意識した声援があちこちから飛んでくるのですね。もちろんこちらはそのつもりで走っているのですが、沿道からそう言われると、より一層、「そうだ、4時間を切るのだ!」との思いが強くなります。
15kmを過ぎたところで無人の反対側の走路に先導車の姿が見え、ほどなくしてトップのランナーが駆け抜けていきました。
おっ、これは、もしかして、作.AC北海道の2人に会えるんじゃないか?
ぼくが彼らとすれ違えるとすれば日本橋から蔵前一丁目の間、わずかに3.5kmほどの区間しかありません。だから、レース前は、難しいだろうと思ってました。
でも、これなら、会えるかもしれない。
作.AC北海道の2人は女子のトップの少し後ろだろうと予想し、新谷仁美選手を含む集団とすれ違ってからしばらく、反対側の走路に視線を送りながら走っていたら、おお!澤井玄選手がやってきた!聞こえるかどうかわからないけれど名前を呼んだら、すれ違いざまに右手を上げてくれました。しばらくして、山中一輝選手がやってきて、ここでも名前を呼んだら、わざわざ振り向いて手を上げてくれました。彼らは誰に呼ばれたのかわからなかっただろうけれど(笑)、思いが伝わってよかったです。
こちらもどうぞ→東京マラソン2024│作.AC北海道
(続く)
]]>東京マラソン2024(その2)http://work.kuma-i.com/?eid=11980052024-03-06T18:45:00+09:002024-03-06T09:46:57Z2024-03-06T09:45:00Z東京マラソン前日は東京ビッグサイトで受付。
前日(土曜日)の12時30分過ぎに行きました。
アスリートビブス引換窓口は待ち人ゼロ(ぼくは4番でした)。
リストバンドを巻かれます。
これがないと、当日、スタートエリアに入れません。
エキス...isseiランニング
前日(土曜日)の12時30分過ぎに行きました。
アスリートビブス引換窓口は待ち人ゼロ(ぼくは4番でした)。
リストバンドを巻かれます。
これがないと、当日、スタートエリアに入れません。
エキスポもあるけれど、今回は、前日に脚を使うのはできるだけ避けたい。
大会によってはすべてのブースの間を通らないと(=人混みの中を歩いていかないと)受付会場の外に出られないエキスポ会場もあって、スポンサーさんが大事なのはわかるけれどこれでは逆効果ではないか?と思うこともあります。その点、東京マラソンEXPOはよくできていて、ブースに寄らない人の通路が確保されているから、ほぼスルーすることも可能です。要は、0か1か、ではなく、EXPOを楽しみたい人も、EXPOには興味のない人も、どちらも満足できるような設計にすればよいだけのことで、それができている東京マラソンは、やっぱり国内最高の大会です。
一夜明けて、大会当日、日曜日。
朝の勝負食として、網走銘菓ニポポもなかをバッグに詰めて、新宿へ。
朝ごはんではありません。朝ごはんは普通に食べたうえでのニポポもなかです。
スタートブロックに並んでから食べました。
スタートエリアに入ったのは8時ちょっと前でした。東京マラソンはスタートエリアに入る前に手荷物検査があって、金属探知機をくぐらねばなりません(空港の保安検査場と同じ仕組み)。検査をスムーズに行うためなのか、今回の手荷物預け袋は大規模大会では見たことのない小ささで、中に入るのは着替えとタオル程度でした。
当日朝からの水分補給はトイレ対策としてOS-1のみにしました。ただし、ペットボトルはスタートエリアには持ち込めないので、スタートエリアに入ってからは給水所の水をクエン酸と一緒に少しだけ飲みました。また、膀胱は冷えると容量が減るとのことなので、スタートするまでの間は使い捨てカイロをお腹のあたりに入れて、冷えるのを避けました(その結果、今回は一度もトイレに寄ることなくゴールできました)。
【参考】
フルマラソンの尿意は我慢できる!?内科専門医が対策を解説 − RUNNET − 日本最大級!走る仲間のランニングポータル
さらに、これまた冷え対策として、手袋を着用しました。手袋というのは寒いから使うものだと思っていたのですが、マラソン選手の手袋はそうではないらしいと気づいたのは、今年の箱根駅伝のテレビ中継を見ていたとき。箱根駅伝の選手は大半がノースリーブのシャツで、アームカバーもしていないのだから、さほど寒さを感じてはいないだろうに、手袋をはめている(北海道的に言うと「履いている」)選手が少なくない。それで、なぜ手袋?と調べてみたら、体の先端部分が冷えると血のめぐりが悪くなって体全体に影響するから、手は冷やさないほうにしたほうがいい、ということらしい。
それで、1月のハーフマラソン(昭和記念公園)ではひさしく使っていなかったランニンググローブを引っ張り出して試してみて、違和感なく走れた。
▼1月13日@昭和記念公園
それで、今回もこれを使うことにしました。
閑話休題。前週の大阪で低体温症になったのは、手袋も原因だったのかもしれないと、いま、このブログを書きながら気づきました。体の先端部分を冷やさないようにする手袋ですが、冷たい雨に晒され続ける中では、逆効果だったんじゃないか。大半のランナーは低体温症にはなっていない中で自分が救護所のお世話にならざるを得なくなったのはどうしてなんだろう?他のランナーと何が違ったのだろう?と、いまだにもやもやしているのですが、大半のランナーは手袋を着用していないのに対し、自分は手袋を着用していたことが、その答えなんじゃないか?
大阪の途中、給水のときにドリンクが少しこぼれて手袋が濡れたことがあって、その後しばらく手が冷たかったので(ということがあったのを今になって思い出した)、今回の東京では、途中の給水のときは、かならず手袋を外すようにしました。考えてみれば、雨の大阪はドリンクをこぼさなくとも手袋は濡れていたはずで、でも走っている間は気づかない(気にならない)だけで、雨に濡れた手袋を長時間着用し続けたことで手が冷たくなってしまい、体全体が冷たくなることにつながったのではないか…と、1週間以上が過ぎてから、はじめて気づきました。
まあ、それも、経験、だな(と、前向きに考えよう)。
(続く)]]>東京マラソン2024(その1)http://work.kuma-i.com/?eid=11980042024-03-05T20:23:00+09:002024-03-05T12:14:15Z2024-03-05T11:23:00Z東京マラソン2024(2024年3月3日)
今年もチャリティランナーとして出場させていただきました。
記録
4時間06分32秒(ネットタイム)
マラソン男子 11990位/26700人
年代別順位 1740位/5154人
【5kmごとのラップ】
27分22秒−26分50秒−27分08...isseiランニング東京マラソン2024(2024年3月3日)
今年もチャリティランナーとして出場させていただきました。
記録
4時間06分32秒(ネットタイム)
マラソン男子 11990位/26700人
年代別順位 1740位/5154人
【5kmごとのラップ】
27分22秒−26分50秒−27分08秒−26分57秒−29分09秒−29分52秒−31分45秒−32分49秒−ラスト2.1975km 14分40秒
前半ハーフ 1時間55分02秒
後半ハーフ 2時間11分30秒
日テレジータスの「東京マラソン2024 車いすマラソン&フルマラソン全員フィニッシュ生中継」で自分の名前が出たときに画面に表示されたフィニッシャー24名のうち12名は外国人、完走者全体でも35296人中13297人(37.7%)が外国人と、外国人ランナーの姿が多く見られた大会でした。ゴール後にはSix Star Finisherメダルを下げたランナーもたくさんいました。
上の写真を撮ってくれたのも外国人の女性ランナーで、ぼくは最初は小さくガッツポーズしていただけだったのですが「手を高く上げて!」「メダルを持って!」「もっと笑って!」といろいろ要求されて、こんな調子こいた写真になりました(笑)。
ただ、自分の走りは、それとは別です。中間点では「残りのハーフを5:50/kmならサブ4か、余裕だな」と思っていたのに、後半、見事なまでに失速しました。東京のコースはスタートしてすぐに下りになることもあり、これでも前半はおさえていたつもりで、30kmまでは想定通りでした。でも、そこから先は持たなかった。
「フルマラソンのタイム=ハーフマラソンのタイムの2倍+20分」という計算式に従えば、直近のハーフが1時間53分だったぼくが4時間06分でゴールできたのはけっして失敗ではないのですが、ウェザーニュースのシミュレーション通りに31kmから33kmは向かい風になったことを除けば絶好のマラソン日和だっただけに、やっぱり、悔しい。
課題はシンプルです。最大の懸念だった膝痛は出なかったし、ハーフのタイムは50代後半になってからも上がっているのですから、記録を伸ばしたいのであれば終盤に失速しないようにすればいい。つまり、練習量を増やせばいい。
でもでも、大会そのものは、むちゃくちゃ楽しかった!東京マラソンは今回でおしまいのつもりだったのに、40kmあたりの日比谷通りは、また来年も出たい!と思いながら走ってました。鏑木毅さんがSNSで「圧倒的な祭典感」と評していたのは言い得て妙で、走りながらこんなに幸せな気持ちになれる大会は、東京マラソンのほかにはありません。
そして、今回は、北海道マラソンでも経験がないぐらいに、多くの友人が沿道で応援してくれていました。知らない人からも、たくさん、応援してもらいました。最後の丸の内仲通りでは、もう、泣きそうでした。
今回の相棒は2月に発売されたばかりのEvoRide SPEED 2(WIDE)。
厚底だけどカーボンプレート非搭載。
テンションの上がるカラーリングとデザイン!
この1年ほどの間、勝負シューズはS4でした。S4は、最初から最後まで5:20〜5:30/kmをキープできるハーフマラソンではとても走りやすいのですが、フルの終盤では足が痛くなったり膝が痛くなったりすることがありました。カーボンプレートの反発もさることながら、幅の狭いS4は自分には合わないのではないかと薄々感じつつも諦めきれなかったのですが、1週間前の大阪で生じた右足の違和感が消えないこと、去年の大阪マラソンはGEL-KAYANO28(EXTRA WIDE)という初心者向けあるいはトレーニング用のシューズだったのに4時間09分台で走れたことを考え合わせて、今回はカーボンプレートよりも幅広であることを優先させることにして、エボライドスピード2のワイドをほぼぶっつけ本番で使いました。右足が痛かったにもかかわらず、レース中は痛みが気になることもなく最後まで気持ちよく走れたのだから、この選択は正しかった。
(続く)
]]>ストーブ列車で県民対話集会http://work.kuma-i.com/?eid=11980012024-03-03T21:16:00+09:002024-03-03T12:21:03Z2024-03-03T12:16:00Zぜひ見てください!とメッセージが届いたので、見ました。
#23 初めてのストーブ列車で県民対話集会を行いました。青森県知事宮下宗一郎
昨年6月の青森県知事選挙は、それまで5期20年務めてきた前知事の引退に伴い、新人4人の争いとなりました。結果は、前知事の後...issei旅と鉄道
#23 初めてのストーブ列車で県民対話集会を行いました。青森県知事宮下宗一郎
昨年6月の青森県知事選挙は、それまで5期20年務めてきた前知事の引退に伴い、新人4人の争いとなりました。結果は、前知事の後継と目されていた候補が破れ、宮下宗一郎氏の圧勝でした。
保守分裂の青森県知事選挙2023 推薦決定覆り自主投票で結果は | NHK政治マガジン(2023年5月18日)
宮下宗一郎 人口5番目のむつ市長が青森市長を破った訳は 青森県知事選挙 | NHK政治マガジン(2023年6月5日)
その宮下知事が五所川原まで出向いて、津軽鉄道のストーブ列車の客車内で県民対話集会を行った、というのが、冒頭に書いた動画の内容です。動画の時間は10分45秒です。
「飯詰を元気にする会」の岡田千秋会長が津軽飯詰駅をPR。
津軽鉄道の客車内での知事との対話というから「津軽鉄道は地域の足として重要」「観光資源として大きな価値がある」「だから存続できるよう支援してほしい」等々かと思いきや、沿線の子どもたちの教育の話が出てきてびっくり。ローカル線=交流人口・関係人口という自分の発想がいかに貧困であったかに気づかされました。
知事がいらっしゃるときは、種村直樹さんが何者か、誰かちゃんと説明してあげてください。
もちろんその後には津軽鉄道名物のストーブ列車の紹介や、客車内のストーブの上でスルメを焼いて食べるといったストーブ列車疑似体験もあって、宮下知事からは「すごく魅力あるコンテンツ」との発言があったのですが、それだけじゃないんだ。
やっぱり、そこなんですよね。国が、県が、鉄道会社が、ではなくて、沿線住民が津軽鉄道のことを自身の問題としてとらえ、どうすれば津軽鉄道がよくなるか、津軽鉄道を活用することで地域をよりよくしていくためにはどうすればよいかを考えて、実践しているのです。
その根本には「津軽鉄道を廃線にするわけにはいかない」との思いがあるとはいえ、だからといって、鉢巻締めてエイエイオー!みたいなことではなくて、沿線のみなさんは自分たちの暮らしを楽しくするために、やりたいことをやっているのです。自分たちだけでなく、まわりの人たちもみんな笑顔であったほうが、自分たちも、より、楽しい。だから、みんなを笑顔にすることをやろう、といったことが、自然にできていて、一緒にいるとその気持ちが伝わってくるがゆえに、知事からこんな発言も出たのでしょう。
ぼくたちが(勝手に「たち」にしてしまいましたが毎月のように飯詰を訪れている種村直樹レイルウェイ・ライター友の会元会員をはじめとする常連さんのことです)誰からも頼まれてないのに飯詰へ足を運ぶのは、そこに幸せがあるからです。幸せを感じて帰ってきたらその幸せはまわりにいる人にも伝わり、みんなが幸せになっていく。
鉄道は、夢と希望を乗せて走るのです。
#23 初めてのストーブ列車で県民対話集会を行いました。青森県知事宮下宗一郎
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