熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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霧多布への出入口が浜中駅から茶内駅に変わる

今日から10月。いろんなことが変わる中で、長年にわたって運行されてきた浜中駅〜霧多布間の路線バス(くしろバス)が昨日をもって廃止となり、代わりに、茶内駅〜霧多布間で浜中町営バスが運行を開始しました。

浜中町の中心部である霧多布からの路線バスが発着していた浜中駅は、その名の通り、長い間、浜中町を代表する駅であり、浜中町民にとっては、全国各地への玄関口でした。

1989年4月、まだ駅員さんがいた頃の浜中駅に掲げられていた運賃表。

駅に掲げられた運賃表

左から3列目にある「本州方面」を見ると、「青森」「秋田」に続いて「陸中山田」という、陸中山田には申し訳ないけれどずいぶんと格の違う駅の名前があります。その下は「仙台市内」「東京都区内」と続いていますから、ここに「陸中山田」があるのは、当時、浜中駅で陸中山田駅までの切符を買う人が少なくなかった、ということなのでしょう。

浜中町と岩手県山田町とは、サケマス延縄漁業が盛んだった頃、山田町の漁船が霧多布の港に出入りしたり、また、山田町の水産加工会社が霧多布に工場を設置したり、といった、つながりがありました。山田町から浜中町に嫁入りした人、あるいは逆の人も、たくさん、いたのでしょう。東日本大震災の後は、浜中町から山田町へと支援物資が送られています。

しかし、霧多布と浜中駅を結ぶ路線バスが、霧多布と全国各地をつなぐための欠かせない存在だったのは、もう、今は昔の話です。いまや、霧多布から浜中駅経由で全国へ出かける人は、ほとんど、いないでしょう。

10年ほど前、ぼくが霧多布の仕事をしていたときでも、地元の人は、鉄道を利用する場合、自家用車で釧路へ出てそこから札幌行きの特急に乗る、と言っていました。ぼくは、いつも鉄道で行き来していましたが、霧多布との間を自家用車で送り迎えしてもらった駅は、浜中駅ではなく、ひとつ釧路寄りの、茶内駅でした。茶内のほうが釧路に近いから、というよりは、霧多布からは、茶内駅のほうが、浜中駅よりも、便利だったからです。

それなのに、なぜ、根室本線と霧多布を結ぶバスは浜中駅に発着していたのか?

1985年発行「きりたっぷ旅行べんりマップ」(200円)
べんりマップの表紙
(このテイスト、懐かしいでしょ)

この中に描かれている、霧多布と茶内駅とを結ぶ道は「ジャリみち」です。バスどころか、自家用車だって、よほどのことがなければ走らなかったのではないかと思います。

イラスト地図

こちらはそれから3〜4年後のものと思われる、NTT発行のガイドマップ「きた北コール北海道 厚岸・浜中ブラブラ版」。

パンフレットの表紙

この中では、霧多布と茶内を結ぶ道路が「MGロード」として描かれています。

イラスト地図

とはいえ、上のイラスト地図では、浜中駅が大きく表記されているのに対し、茶内駅はよく見ないとわからないぐらいに、駅のマークも、駅名も、小さな表記です。MGロードの沿線には何もないのに対し、霧多布と浜中駅を結ぶ道路の脇には、浜中観光ホテルがあり、こちらがメインルートだったことがうかがえます。

浜中観光ホテルは、浜中ユース・ホステル(YH)の隣にあったので、お風呂(牛乳風呂)だけ入りに行ったことがあります。今はユースもホテルも、建物すらありません。

パンフレット表紙
パンフレット中身

1989年3月のMGロードは、まだ、ぴっかぴかの道でした。車が通ることはほとんどなく、「クマが出るから気をつけてね」と言われながら歩きました。

MGロードの看板
湿原を貫く道路

MGロードを歩いた後は、茶内駅に出て、隣の浜中駅まで列車に乗って、浜中駅から霧多布行きのバスに乗って、浜中YHへ向かったはず。今にして思うと、ものすごい時間の無駄使いです。何があるかわからないけれど(たぶん何もないんだけど)、ただ、地図に道が書いてあるから歩く、ということが楽しかったのは、インターネットがなかったからなんだろうなあ。

1989年3月の茶内駅
駅の建物

2018年5月の茶内駅
駅の建物

あれから三十余年。新しくできたばかりだと思っていた道路は昔からあった道路になり、マイカー保有率が上がって、人の流れが大きく変わっていたのに、そうした変化に取り残されたまま昔ながらのルートを走っていたバスのルートが、ついに、これまで路線バスは(たぶん)一度も走ったことのないルートに変わったことは、じつに、感慨深いものがあります。

ルートの変更とともに、バス事業者は、これまでのくしろバスから、浜中町に変わりました。民間のバス事業者、とりわけ地方では、運行を支えている補助金が減額され、運転手不足という問題にも直面しています(運転手不足の背後には大型二輪免許保有者の減少&超高齢化という事情があります)。そして、今回、新たに開設された、茶内駅と霧多布を結ぶバスは、土日祝は、デマンド運行です。前日までに予約をしておかないと、乗ることができません。予約者がゼロならば、運行されません。

今回のバス路線の廃止と開設で、浜中町の代表駅は、浜中駅から茶内駅に変わりました。もはや、どちらが代表駅であろうが、根室本線を使って町の外へ出ていく人はほとんどいないでしょうし、逆に、根室本線を使って浜中町を訪れる用務客や観光客もきわめて少数だろうと思いますが、それでも、根室本線と霧多布をつなぐルートが維持されたことは、嬉しいことです。

全国各地と2本のレールでつながっている鉄道という軸があって、そこへ通じる公共交通があれば、少年少女は、大人の力を借りなくとも、遠くへ出かけることができます。遠いところから来た旅行者が訪れて、駅や、車内で同じ空間に居合わせることによって、その土地にはないものがもたらされます。それは、お金、経済効果云々だけではなく、もっと大きな、地域の将来を支えていく基盤づくりにもつながっていくことだと思います。そう考えれば、鉄道や路線バスを公的なお金で維持していくこと=維持費用を広く薄く負担すること=の意味も変わってくるはずです。

浜中駅で出発を待つ霧多布行きのバス 1988年8月
バス

同じ場所の霧多布行きバス 2018年5月
バス

浜中駅 1988年8月
駅の建物

浜中駅 2018年5月
駅の建物

浜中ユースのあった榊町から霧多布へと下るバスの車内 1989年3月
(この頃は当たり前のように地元のお客さんが乗ってました)
バスの車内

廃止されたくしろバス浜中線の行先表示 2018年5月
バス側面の行先表示

★余談1:一昨年、浜中駅と霧多布を結ぶ路線バスに、約30年ぶりに乗って、かつては列車の発着に合わせて運行されていたのが1日3本、しかも平日のみの運行になっていたことに驚き、これはもはや廃止不可避なのだろうと感じたことは、このブログに書きました(浜中駅のご当地入場券を買いに行く|2018.05.04)。

★余談2:バスが町営になったことを書こうと「浜中町営」と入力したら、Google日本語入力は「浜中町営軌道」を候補に出してきました。浜中町営軌道が廃止となったのは1972年。それから半世紀近く経って、また、浜中町内の公共交通は、全面的に町営に戻ったわけです。

★余談3:浜中町を代表する駅が浜中駅であったことは上のイラスト地図からもわかるのですが、それは霧多布へと道路が通じていたのが浜中駅であったからで、茶内駅も、根室本線では主要駅の一つでした。1973年11月の時刻表をみると、急行列車は、浜中駅と茶内駅の両方に停車していました。

時刻表の表紙
根室本線の時刻表

根室8時30分発の急行ニセコ2号は、なんと、函館行き!上のページの後は、釧路で25分停車を経て、池田、帯広、芽室、新得、富良野、芦別、滝川、岩見沢に停車して札幌(17時53分着・18時00分発)で7分停車、さらに、小樽、余市、倶知安、ニセコ、黒松内、長万部、八雲、森、そして終着の函館に23時05分着。富良野経由なのは当然わかってましたが、札幌から先は千歳線のページを見て「あれ?ないぞ!?」と思ってしまった2020年のぼくなのであります。

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