熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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昭和56年の東武熊谷線

東武熊谷線という不思議な鉄道路線の存在を知ったのは、種村直樹『時刻表の旅』(中公新書550,昭和54年8月刊)を読んだことがきっかけでした。

本の表紙とフィルムのパッケージ

東武熊谷線といえば、太平洋戦争中に太田の中島飛行機工場と高崎線を直結するために計画され、東武日光線の線路を一部撤去して建設を進めるなど突貫工事を進めるも利根川を越えられずに終戦となり、戦時中に開業した熊谷側は盲腸線として運行を続けるも昭和58年5月末限りで廃止になった−という歴史が(愛好家の間では)知られていますが、その熊谷線がなぜ『時刻表の旅』と題した本に登場していたのかというと、東武熊谷線は、時刻表に掲載されていた距離(営業キロ)と実際の距離とが違っていたからで、この本では、その謎を解き明かすために種村氏が現地を取材した様子が紹介されています。

路線図
(『時刻表の旅』P.131掲載)

《『時刻表』をにらんでいるだけでは分からないのだが、市販されている運輸省鉄道監督局監修の『民鉄要覧』(年刊)などを参考に、実測キロ数と営業キロを比較すると、ずれが出てくるのだ。熊谷線熊谷−妻沼間は実測キロ10.1キロに対して、『時刻表』に載っている営業キロは14.3キロで1.4倍。(中略)地図を広げると、東武熊谷線は、なんとも妙なローカル線である。国鉄高崎線の熊谷駅からまっすぐ北へ、利根川右岸の妻沼までのびているが、熊谷で国鉄線と秩父鉄道線に接続しているだけで、東武線の本体からは孤立している。『大時刻表』には熊谷線の項にディーゼルカーの絵がついており、東武唯一の非電化線と分かる。》(『時刻表の旅』p.129〜130)

ぼくは、昭和56年から57年にかけて、何度か、熊谷線を訪れました。

この写真↓はフジクローム(リバーサルフィルム)で撮影
熊谷線の列車

終点の妻沼駅。

駅舎

「熊谷線廃線反対」という大きな看板がありますが、その下の小さな文字は「東武交通労働組合」。右側の電話ボックスの脇にある縦書きの看板は「交通非常事態 命を守る交通ルール」。

熊谷線で使われていた気動車は、この3両。

ホームに停車中の列車
屋外で留置されている車両
車庫の中の車両

この頃は、まだまだ、「こんにちは、写真を撮らせてください」と言えば、何の手続きもなしにこういうところまで入れました。「本当はダメなんだけどね〜」と言いながら入れてくれるところも、結構、ありました。

熊谷−妻沼の文字が書かれた車両の側面

まだ廃止の話は具体化していなかったからか、鉄道ファンは皆無。

車内の風景

計画上の起点は妻沼よりさらに先、川の向こうの群馬県側の東小泉駅であったことを示す距離標(キロポスト)。

東小泉起点と書かれた標柱

妻沼の一つ手前の大幡駅。

停車中の列車

さらに一つ手前(熊谷の次)の上熊谷駅。

停車中の列車を俯瞰で

上の写真、大幡駅と上熊谷駅の写真で色合いが異なっていますが、大幡駅の写真はリバーサルフィルム(フジクローム)、上熊谷駅のはネガフィルムです(上にも書きましたがこのブログ記事の上から2つ目の走行写真もフジクローム)。40年近く経っても、リバーサルは、しっとりした、いい色を出してくれます。

大幡駅のホーム

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