熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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写真集『札沼線の記憶』

ステイホームで片付けをしている方も多いようですね。
モノが減れば、また、スペースも生まれることでしょう。

新たにできた空間に、写真集『札沼線の記憶』はいかがでしょう。
ふだんからお世話になっている方々による、素敵な写真集です。

写真集の表紙

2020年5月6日は緊急事態宣言の(最初の)期限の日であるとともに、札沼線のうち北海道医療大学〜新十津川間の最終日でもあります(それにしても「宣言」の「延長」って、言葉として、ヘンだよな〜)。

写真集表紙の下に記された説明文

実態としては4月17日をもって廃止されたも同然なのですが、形式上は5月6日までは運休、5月7日が廃止日です。

5月1日に放送されたNHK(北海道ローカル)「ひるまえナマら!北海道」は、特集「さようなら!そしてありがとう…私たちの札沼線」でした。これも、その時点ではまだ列車が走っている、5月6日の最終運行が目前に迫っている、という前提で企画された番組だったのかもしれません。

テレビ画面

この地図には描かれていませんが、函館本線と札沼線の間には石狩川という大河川があります。明治時代に札沼線の敷設を国に陳情、請願した団体の名称は「石狩川右岸鉄道速成同盟会」でした。

しかし、やっぱり、函館本線との距離は、近すぎた。
田中和夫先生の名著『北海道の鉄道』(2001年)には、昭和10年の開業当初から、札沼線の末端区間は利用が少なかったとの記述があります。
 

開業当初(引用者注:昭和10年10月)の石狩沼田−桑園間113キロの所要時間は、客貨混合列車で4時間30分前後だった。石狩橋本駅付近と函館本線の滝川駅の距離は、石狩川を挟んでいるとはいえ、わずか3キロだった。このため自動車を利用して函館本線の駅から直接乗車する旅客や発送貨物も多く、中徳富(現・新十津川)−桑園間を除いた区間は乗降客も貨物の発着も少なく、閑散としていた。
そうした閑散さに目を付けられたのか、札沼線のレールを樺太(サハリン)東海岸北方の気屯線と古屯線の敷設に転用するため、石狩沼田−石狩当別間を昭和18年10月以降休止し、逐次レールが撤去された。
戦後、地域住民から復元運動が起こり、札沼線復元促進期成会が結成されて活発な運動が展開された。その結果、石狩当別−浦臼間が昭和21年12月、浦臼−雨竜間が昭和28年11月、雨竜−石狩沼田間が昭和31年11月に、ようやく元通りになった。10年がかりでの復元だった。
(田中和夫『北海道の鉄道』(2001年)p.213)


太平洋戦争後に復元された区間のうち、新十津川−石狩沼田間は、昭和47年6月に廃止されました。復元完成から15年半、ですが、国鉄諮問委員会が廃止を勧告したのはさらにその4年前の昭和43年9月でした。昭和31年に敷いた線路を10年ちょっとで剥がすなんて、むちゃくちゃな話に見えますが、それは令和の時代から見た感想であって、当時はどうだったのかは、さまざまな文献などから想像するしかありません。

ぼくにとっての札沼線の記憶。

1987年7月22日。当時は「しんとつわ」でした。
(「しんとつわ」に改称されたのは1997年4月)
新十津川駅



2007年1月27日。雪晴れ。
窓の外の雪景色
新十津川駅 上の写真と同じ角度から
新十津川駅のホーム 上の写真と同じ角度から
新十津川駅の外観

2009年9月5日。大先輩お二人とご一緒させていただいた日。
昭和47年に廃止された雨竜駅の跡地を示す石碑
昭和47年に廃止された石狩追分駅の跡地を示す石碑

NHK「ひるまえナマら!北海道」の 特集「さようなら!そしてありがとう…私たちの札沼線」では、札沼線のミュージックビデオの紹介もありました。番組で流れたのは「伊藤すてじろう『左様なら』- Sutejiro Ito "Sayonara" MV 【学園都市線・札沼線の歌】 」で、YouTubeを見たら、これとは別に、フルバージョン(4分24秒)もありました。

もともと予定されていた最終運行日までは、あと、2日。
在りし日の札沼線に思いを馳せながら、静かに、5月6日を迎えたいと思います。

 
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