熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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初めての札沼線 昭和62年7月22日(雨)

札沼線の非電化部分、北海道医療大学〜新十津川間47.6kmが、4月17日限りで事実上の廃止。形式的には5月6日までは運休、5月7日をもって廃止となりますが、国の緊急事態宣言を受けて、急遽、4月17日の定期列車が最終運行列車となったことは、多くの方がご承知のとおり。


ぼくが初めて札沼線全線(札幌〜桑園〜新十津川)に乗ったのは、昭和62年(1987年)7月22日のこと。ぼくの旅のスタイルは当時も今もあんまり変わってなくて、時刻表と手帳とカメラを手に、いわゆる「乗り鉄」でもなければ「撮り鉄」でもなく、あくせくすることなく、ただ列車に揺られていることが多いのですが、当時はまだフィルムカメラの時代ですから、今から思うとどうしてこれしか撮ってないのかというぐらいに写真は残っていません。


なにしろ、いきなり、新十津川駅です。



ここまでどうやって来たのか?というと、札幌9時31分発の普通列車で10時00分あいの里教育大着、なぜかそこから10時08分発の折返し列車で戻って篠路10時14分着、篠路10時34分発の普通列車(キハ27 216)で石狩当別10時57分着、11時04分発の普通列車に乗り換えて新十津川には12時28分着。



当時でも、新十津川まで行く列車はすでに3本しかなく、いずれも石狩当別始発で、7時54分発、11時04分発、17時29分発でした。


石狩当別から新十津川まで乗ったのは、キハ54 504。



さっきからキハ27だのキハ54だの書いてますが、最近、そろそろ処分しなきゃと封を開けたダンボール箱の中から当時の旅の記録が発見され、そこにいちいち乗った列車の時刻と列車番号と乗った車両の番号が記録されていたために、そんなどうでもいいことがわかるようになりました。2つ上の写真でぼくが首から下げているのはボールペンで(わざわざ東急ハンズかどこかまで買いに行ったんだよ)、胸ポケットには手帳が入ってます。


もともとの予定では新十津川から歩いて滝川へ向かうつもりだったのが、雨が降っていてたので変更して(と当時のメモに書いてある)、新十津川12時34分発の折返しに乗り(ということは新十津川の滞在時間は6分しかなかったのだ<それが嫌だから滝川まで歩いていくつもりだったのでしょう)、12時57分着の浦臼で下車。



当時のメモには「駅前に人の姿が見えない、町を歩いている人がいない」と書いてあります。30年以上前でも、もう、そんな感じだったんだなあ…


浦臼からはJRバス石狩本線で滝川へ。



当時、石狩沼田から新十津川の近くを通って滝川へ行くバスは1日7往復あり、乗りつぶし派(いつも言うけどこの頃「乗り鉄」という言葉はなかった)にはそのルートが知られていましたが、それとは別に、浦臼〜滝川間のバスもあり、こちらは1日12往復もありました。ぼくが乗ったのは浦臼駅13時30分発でしたが(537-1018<こんなことまでメモしてある)、その後も、14時05分発、14時35分発、15時25分発と、今では信じられないほどの頻度で路線バスが走ってました。


日本シリーズみたいな飾り付けの滝川駅には14時分着。



この後、滝川14時36分発のL特急ライラック16号で札幌に戻り、札幌で8日後のイベントの打ち合わせをして(というあたりも30年以上前から同じようなことやってたんだなあと思うわけで)、打ち合わせが終わった後は、地下鉄の一日乗車券を買ったからだと思うんですがわざわざ南北線で麻生まで行ってから徒歩で新琴似に出てまた札沼線(キハ56 141)で札幌に戻って、地下鉄で大通経由琴似まで行ってからJRの琴似駅へ歩いて琴似からは普通951レ(小樽発岩見沢行、オハフ51 40)〜札幌〜普通1824M(札幌発千歳空港行、クハ711-109)〜新札幌、地下鉄の新さっぽろから大通に戻って札幌市営地下鉄を完乗し、札幌21時50分発の急行利尻(6号車スハフ14 559)で稚内へ向かい、翌朝、利尻島、そして礼文島を訪れるのでありました(ここで離島へ行くあたりが、やっぱり、いわゆる「マニア」の行動ではないよなあと、自分で思うのでありました)。


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