熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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マスクとスーパースター

Number1000号の表紙はイチロー元選手。
1000号だからね。やっぱりスーパースターだよね。

ナンバー1000号の表紙

スポーツグラフィックナンバーの創刊号は、表紙に大きく「Number 1」の文字が描かれていて、「ナンバーワン」というタイトルの雑誌が出たのだと思った、という話は、Numberの歴史になるとよく見るエピソードですが、その頃のことは知りません。高田延彦とヒクソン・グレイシーが戦った試合が「PRIDE 1」だったのはその逆で、あれはPRIDEの1回目ではなくPRIDE 1というイベントだった、ということは、リアルタイムでよく覚えてます。いまだあれこれ語られるPRIDE 1ですが、ヒクソンとやった高田は偉かった。

Numberという雑誌を意識するようになったのはいつ頃だっただろうと考えるに、少なくとも1980年代の後半のラグビーブーム(本城吉野時代の後の堀越今泉吉田時代)の頃にはときどき買っていたのですが、今回の創刊1000号記念特集を見ながら、もしかするとこれが最初かもしれないと思ったのが、1987年4月7日発行の増刊号。

JRスタート記念号

創刊1000号記念特集の中の「珍ナンバー大集合! 炸裂する異色の特集」というページに堂々と掲載されている「Number special ニューJRスタート記念号 さよなら国鉄」。自分では買ってないです。でも、これは、竹ノ塚のレイルウェイ・ライター事務所で、見かけたレベルではなく、熟読というか、リサーチ的に、かなり見た(読んだというより見た)記憶が、はっきりと、あります。当時、ぼくは竹ノ塚の種村直樹先生の仕事場でアルバイトをしていて、そのときに、先生の背中の後ろの本棚(周遊券タリフとか入っていたところ)越しの大きなテーブルの上で、これ、何のためだったか、じっくり、見ていたのでした。

あの頃は、後年になってバブルと称される異常な好景気の時代であり、加えて出版業界は現在のような構造的な問題に直面するよりもはるかに前だから紙媒体の発行部数は(今からみれば異常なほど)多く、そこに来て鉄道関係は(現在のように趣味的な面ばかりではなくジャーナリスティックな側面からも)注目を集めており、法人でもプロダクションでもない一人でやっているフリーランスの作家に過ぎない種村先生のところにも、サラリーマンの年収みたいな金額でムック1冊作ってほしい、みたいな、まるで編集プロダクションを相手にするような仕事が持ち込まれることがあって、ぼく、そのうちの1冊、何か、やったんですよ。ひどく曖昧な記憶だけど、そのときに、このNumber増刊号に接したんじゃなかったかなあ。

とにかく、この、新幹線100系と黄色地と「JR」のロゴが大きく描かれている表紙は、あの竹ノ塚の事務所のあのテーブルの上で見た、という記憶が、強烈に残ってます。もしかすると、こんな(鉄道とも社会とも無関係な)雑誌ですら国鉄で1冊出しちゃうのか!と驚いたから、よく覚えているのかも。
 

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