熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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30年前のオホーツク流氷ノロッコ号

昨日のブログに載せた「さっぽろ名物 地下鉄もなか」の包み紙が入っていたのと同じ書類袋の中に隠れて想い出がいっぱい。



北海道周遊券(いわゆる「北海道ワイド」)のB券(平成2年2月10日発行)、札幌発上野行き北斗星2号の特急券・B寝台券(平成2年2月27日)、オホーツク流氷ノロッコ号の乗車証明書(平成2年2月25日)、北斗星の食堂車・グランシャリオのコースター。

平成2年=1990年は、オホーツク流氷ノロッコ号の運転初年度でした。



そうなんです。
当時は「流氷ノロッコ号」ではなく「オホーツク流氷ノロッコ号」でした。

手元に90年冬の時刻表がなかったので、91年2月号の時刻表を見てみましょう。



オホーツク流氷ノロッコ号は、斜里(まだ「知床斜里」ではなかった)を9時42分に出発、浜小清水と北浜に停車して10時57分に網走着、折り返しの網走発は(上の写真のとおり)11時49分発で、北浜と浜小清水に停車して斜里に12時59分着、という1往復だけの運転でした。

我が家にあった時刻表で、98年冬までは「オホーツク流氷ノロッコ号」の名称で運転されていたことは確認できましたが、99年は(時刻表がないので)不明。2000年になると「オホーツク」が取れて「流氷ノロッコ号」だけになり、指定席が設けられています。



ノロッコ号の車両は99年に新型に変わりましたから、それと同時に、「オホーツク」のない「流氷ノロッコ号」になったのかもしれません。

98年の「オホーツク流氷ノロッコ号」は斜里→網走→斜里→網走という1.5往復の運転でしたが、2000年の「流氷ノロッコ号」は2往復。「オホーツク流氷ノロッコ号」は、いずれも北浜と浜小清水以外は通過でしたが、「流氷ノロッコ号」では、網走発の1本だけは、原生花園を除くすべての駅に停車するようになっています(その代わり流氷ノロッコ号の運転期間中は網走10時41分発の普通列車が運休)。

この頃は、まだ、網走〜斜里は、そこそこの本数がありました。列車以外の選択肢として、網走〜浜小清水間では、1時間に1本程度の路線バスも走ってました。だから、鉄道やバスで、行ったりきたりができました。90年2月にオホーツク流氷ノロッコ号に乗ったときは、その前後、当時おなじみさんだった美幌ユースホステルに泊まってますが、周遊券があれば、美幌から釧網線沿線へ通うことも容易にできました(で、当時、いつも見ていた網走駅待合室のテレビに、30年後、自分がアップで写っていたのだから、人生どこで何が起きるかわからないものです)。



それが現在のような姿になったのは、もちろん人口減少が大きな理由でしょうが、マイカーの普及率がぐんと上がったことも原因だろうと思います。1990年から2000年の10年間というのは、(ちゃんと調べてないんで感覚の話ですが)1家に1台だったマイカーが、1人に1台になっていった時期だったような印象があります。2000年になって、流氷ノロッコ号が走る時期は普通列車を運休させているのは、JR側の事情もありましょうが、そんなことも背景にあるのではないかと思います。釧網線はもともと輸送密度が低くて国鉄再建法のときでも第一次廃止対象の基準以下だったのがいわば例外措置で残ったような線区ですから、乗客数の減少はもっとずっと前から続いているのではありますが、オホーツク流氷ノロッコ号あらため流氷ノロッコ号の運転と引き換えに普通列車を運休させているあたりは、何か象徴的な出来事であるようにも感じられます。

おまけ。



道内時刻表91年2月号の中村敦夫さん。
隣の女性も含めて、バブル!って感じですね〜

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