熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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1982年の元沢木仮乗降場(その2)

昭和57年(1982)7月20日、1学期の終業式の夜に、上野駅19時08分発の急行八甲田の自由席で旅立ち、青函連絡船八甲田丸で北海道に渡り、倶知安まわりの客車急行ニセコで札幌駅に着いたのが21日の20時07分。

その次に乗ったのは、札幌駅22時15分発の網走行き急行大雪5号でした。



いま見ると、観光用やイベント列車ではなく、ごく当たり前の移動手段として、こういう列車が走っていた(しかもそれを自分が使っていた)というのは、なんとも不思議な気がします。もっと不思議なのは、午前4時13分着の遠軽駅で下車する人が大勢いたことで、そんな時刻に降りてどうするんだ?と今なら思うでしょうが、当時は、ちゃんと、接続する列車がありました。



遠軽駅4時28分発の名寄行き普通列車に乗り換えて、興部駅に6時03分に着いて、乗り換えたのが6時07分発の雄武行き。そして、2つ目の停車駅である元沢木(6時21分着)で列車を降りて、線路際の撮影ポイントまで歩いてから、その折り返しとなる824D列車(雄武6時45分発→興部7時14分着)を撮り、元沢木8時18分発の雄武行きに乗ったのでした。

元沢木では、駅の近くのお店(いわゆる「なんでも屋さん」)でトイレを借りて、そのお礼がてら菓子パンを買ったのですが、当時は、そんな小さな集落でも、食料品を扱うお店があったんですねえ。全国チェーンのコンビニがそこらじゅうにできるのはもっと後のことで、この旅からしばらく後でも、北海道ワイド周遊券で旅するときに重宝したのは、各地のAコープでした。

雄武からは興部に戻って、名寄本線で中湧別まで戻って、そこから湧網線に乗り継いで常呂へ行って駅前でラーメンを食べた、という話は、また、いずれ。

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