熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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1982年の元沢木仮乗降場(その1)

先日のこのブログ(1日2食限定!流氷物語4号お楽しみ弁当|2020年2月15日)に書いたように、JR釧網本線で3月1日まで運行中の流氷物語号では、知床斜里駅13時48分発の列車内(知床斜里駅出発時)のみ、限定お楽しみ弁当が販売されていました(2月26日より観光ボランティアの乗車は中止となり、これに伴い、お楽しみ弁当の販売も中止となりました)。

お弁当の掛け紙は4種類あり、そのうちの一つ「食い倒れ本線 味のオホーツク周遊券」バージョンには、かつての駅入場券ふうのイラストが散りばめられています。



掛け紙の企画を手がけたのは、網走市の地域団体・MOTレール倶楽部。



掛け紙の右上、白い部分(流氷域?)には「元沢木駅」の入場券。



北海道内の国鉄駅の入場券が120円だったのは、昭和57年(1982)4月20日から59年(1984年)4月19日まで。その間に当たる昭和57年の7月に、ぼく、元沢木に降りてます。

元沢木といっても、べつに有名な駅でもなんでもないから、どこにあるのかわからない人のほうが圧倒的に多いと思いますが、元沢木は、オホーツク海沿いを走っていた国鉄興浜南線の途中駅でした。今は、オホーツク海沿いを走る鉄道路線は、釧網本線だけになりましたが、当時は、あとちょっと工事すれば、稚内から斜里まで、オホーツク海沿いを結ぶ長い鉄道路線ができるぐらいに、オホーツク海沿いに、線路がありました。

元沢木は、正確にいうと、駅ではなく「仮乗降場」でした。

《仮乗降場 国鉄時代に正式な駅として設置した施設ではなく、鉄道管理局長権限で設けた停留所。JR化で解消。 国鉄末期の北海道に80か所ほどあり、全国版時刻表では分からないが、道内時刻表には、そのほとんどが載っていた。(中略)その駅発着の運賃は、外側の駅を基準に計算されるので、実際の乗車距離より高くつくことがある。実態は駅と変わりないのに、このような格差をつけるのはおかしく、国鉄はJR移管前日の'87年3月31日に仮乗降場のほとんどを駅に昇格させたが、同日付で廃刊になった「鉄道公報」に公示もできないあわただしさだった。》(『種村直樹の汽車旅事典』実業之日本社ブルーガイドL、1987年)

国鉄監修 交通公社の時刻表 1982年7月号


弘済会の道内時刻表 1982年7月号


中央あたりにある「興浜南線」をみると、全国版では、雄武、栄丘、沢木、興部の4駅(中間駅は2駅)しかないのに、道内版には、そのほかに、雄武共栄、元沢木という2つの駅があります。興部から先の名寄本線や、中央から下に伸びている渚滑線も同様で、全国版と道内版では駅の数が違うことがわかります。この、道内版にしか載っていない2つの駅が、仮乗降場です。

仮乗降場は、列車が停車するホームはあって、実際に列車は停車していたものの、国鉄は正式な駅として認めておらず(上の説明にあるように仮乗降場は国鉄がJRになったときに「駅」に切り替わったのですが元沢木を含む興浜南線はJR化になる前に廃止されたため元沢木は最後まで仮乗降場のままでした)、当然、駅員さんもいないから、入場券は、存在しません。お弁当の掛け紙に描かれている「元沢木駅」の入場券は、現実にはなかった、ファンタジーです。

(その2に続く)

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