熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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あれは33年前

先週土曜日の音威子府で、MOTレール倶楽部さんの販売品の中に「さようなら湧網号」のキーホルダーがあったのを見て、ぼくは思わず「この列車、乗ったんだよ〜」なんて口にしてしまったのでした。

そんなこと言っちゃったら、なんとなく、買わなきゃいけないような気がして、この通り、購入させていただきました。



中湧別(湧)と網走(網)の間を結んでいた国鉄湧網線が廃止になったのは昭和62年(1987年)3月19日。去年、仕事で佐呂間町を訪れた際、30代の同行者が「え!ここに鉄道なんてあったんですか?!」と言ったことに少し驚いたものの、廃止になってからもう33年にもなるのだから、30代であれば(べつに鉄道好きというわけでもない限りは)知らないのが当然なんですね。

湧網線の廃止前日、ぼくは、札幌から夜行列車に乗りました。そして、その翌日、すなわち、湧網線の営業最終日となる昭和62年3月19日は、未明の遠軽で下車し、名寄本線(これももう廃止になりました)の一番列車で中湧別に出た後、芭露〜計呂地間で網走発の「さようなら湧網号」を撮りました。






その後、折返しとなる中湧別発の「さようなら湧網号」に乗りました。





この頃はお金もなかったからポジじゃなくてネガフィルムで撮ってました。だから、プリントが残ってます。当時は、長いレンズにモードラ付けてリバーサルで撮ってる人が羨ましかったけれど、いま、こうしてすぐに写真を見ることができるのは、ネガで撮ってプリントしていたからで、30年以上経ってもこんなふうに残っているのだから、これでよかったのだと、33年後のぼくは思うのであります。

このときのアルバムを見ると、午前5時前の中湧別駅に鉄道ファンがひしめいている写真があったりするのですが、それでも、今に比べれば、のんびりしていたなあと思います。旅行者にとってレンタカーはまだまだ贅沢品だったし、沿線でカメラを構えている人の数も、今とは比べものにならないぐらい少なかった。撮影地ガイドのような情報も限られていたから、ぼくは、自分で地図を眺めてこの辺にしようと考えて、現地に行ってからあちこち歩いて撮影ポイントを決めたのですが、その間、同じように列車を撮影する人とは、一人も出会っていません。今では考えられないよなあ〜

ぼくが湧網線に初めて乗ったのは、昭和57年の夏でした。



今はもう、もちろん、湧網線の列車に乗ることはできませんが、毎年9月の最終日曜日に開催されるオホーツク網走マラソンの終盤では、湧網線の廃線跡を利用したサイクリングロードを走ります。35kmを過ぎてからのだらだら上りゆえ、列車に乗っている気分を想像できるような余裕はないのですが、年に一度、大勢の人が湧網線の線路があった場所を行き来する日があるというのは、嬉しいことです。

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