熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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去年の今ごろ

ちょうど1年前、去年の12月28日は、金曜日でした。



その翌日の土曜日という、いかにも混みそうな、自分としては珍しい日に、新千歳空港から、東京へ、向かいました。高齢の両親とともに新年を迎えるのはそろそろ終わりかもしれないなという予感があって、今回は年末年始の帰省の日程を少し長めにとろうと、8月(の年末年始の航空券の発売開始直後)に、29日の新千歳発羽田行きを、確保していました。

少し前まで、年末年始を東京で両親と一緒に過ごすというのは、非常に、苦痛でした。行くたびに機嫌が悪くなり、体調が悪くなって帰ってくるのが常でした。もう長い間、まったく別の生活をしている大人どうしなのですから、お互いが普段と同じように過ごそうとすれば、衝突が起きるに決まってます。

ようやく、そういうことがなくなったのは、わりと、最近のことです。

ともあれ、去年は、いつもより長めの日数を取ったのですが、孝行のしたい時分になんとやら、とは、よく言ったもので、去年の秋に父が倒れ、本人にとっては(90歳の手前にして)初めての長期入院。年末年始は母と過ごしつつ、連日の病院通い。

年齢を考えれば体力的に持つわけないのに(というのは今だからわかるんですが)、当事者はそうは思わないのだということが、当事者になってみて、はじめて、よくわかりました。夏ぐらいまでに病院から出られればいいねえと言っていたけれど、夏どころか春までも持たずに、最期は、唐突に、やってきました。でも、遠くに住む子(ぼく)や孫が集まってくるのを待ってから、みんなに見守られながら息を引き取ったのですから、幸せな最期でした。なるほどねえ、人が亡くなって、悲しくないというのはへんな言い方なんだけど、幸せな最期、っていうのは、こういうことなのかと、これまた、よくわかりました。

そんなことがあったのは、年度末が近づき、自分の仕事的には超多忙期、でした。連日、道内道外への出張や、講演の講師、会議の仕切りなどなど、どうしても自分がいなければならない仕事の予定が詰まっていた時期なのに、その直後の週だけは、たまたま、そうした仕事が一つも入っていない週でした。生前には迷惑をかけ続けた父でしたが、最後は迷惑をかけないような時期を選んでくれたんだねと、母と、笑ったことでした。

四十九日を終えてからの初めての旅で、足の神様にお参り。



おかげさまで、北海道マラソンで、自己ベストを更新できました。



法事やら何やら、いろんなことで東京へ行かねばならないことも多かった中で、学生時代に4年間通った種村先生の事務所があった竹ノ塚へも、ひさしぶりに、行くことができました。



遅い夏休みと称して台湾に行っているとき、金崙温泉の宿で、種村先生の奥様が亡くなられたとの電話を受け、台湾にいたのではどうしようもないのでお香典は大先輩に託し、四十九日が明けてから、ご仏前に手を合わせてきました。あちこちで、お世話になった方とお別れをしなければならない年齢になった、ってことなのでしょう。寂しいことではあるけれど、それは、順番なので、仕方ないです。残された者は、残っているなりの役割を果たさなければならない、というよりも、まだ元気で生きているということは、何かをやらせてもらえるチャンスがまだまだある、ってことです。

種村先生の膨大な遺品の一部は、諸先輩方のご尽力のおかげで、しばうら鉄道工学ギャラリーに種村直樹コレクションのコーナーを設けて展示・保管していただくこととなりました(ぼくもほんのちょっとだけお手伝いさせていただきました)。公開は新年1月7日からの予定です。

ぼくは今年は平常どおりの運転なので、まだしばらく、札幌にいます。

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