熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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1970年のクラウス17号

昨日のブログで紹介した『昭和四十一年日本一周最果て鉄道旅』に、こんな写真が載っています。



ちょっと長いけど、以下、『昭和四十一年日本一周最果て鉄道旅』から引用:
《こうして沿線諸炭鉱が相次いで閉山すると、雨竜炭田の運炭線たる存在理由を失い、昭和四四年五月一日留萠鉄道の恵比島〜昭和間全線一七・六kmが休止して会社更生手続きに入った。(中略)本社である明治鉱業株式会社は東証・大証一部に上場する大企業で、一般には安泰と見られていたが、昭和ほか所属炭鉱閉山直後の昭和四四年五月上場廃止、会社解散となった。金目になるモノを狙う債鬼の目に珍品と映ったのか、終点の引込作業に黙々と従事していた明治鉱業所有のクラウス一七号(車籍は留萠鉄道)は昭和四四年池袋の百貨店でなんと”競売”に掛けられる始末。遠く離れた見知らぬ地に引きずり出され、”晒し者”にされる名機を見るに忍びず、心ある数寄者が大枚を叩いて同機を救出したと伝えられる。この価値ある産業遺産を私蔵することなく、翌昭和四五年の万博への出展を模索、幸いに関係方面の支援もあって晴れ姿を世界中からの数多くの来園者に披露できた。》

クラウス17号の話は、道民雑誌クオリティの2019年9月号・10月号に「沼田町で活躍したSL『クラウス』の数奇な物語」として詳しく紹介されているのですが、クオリティの記事では、こんなふうに書かれています。

《同鉄道のシンボル的存在だった「クラウス」もスクラップを免れないとみられていたのだが、折からのSLブームを追い風に保存を求める声が高まり、東京・池袋の西武百貨店で競売にかけられることになったのである。》

クオリティの記事を読んだときは、スクラップにならなくてよかった!と感じたのですが、同時代を生きてきた方は「名機が晒し者になった」という感覚なのですね。これはクオリティの記事が間違っているということではなく、それを現実の出来事として知っているか、文献から読み取ったかの違いです。だから、些細なことであっても、その当時のことを知っている方の証言は、貴重なのです。

ふたたび『昭和四十一年日本一周最果て鉄道旅』から引用:
《すでにカマを落とし物言わぬ蒸機だったが、今にして思い返せばクラウス一七号は恐らく、昭和炭礦にととまらず天塩・羽幌を含め北海道のヤマで数年前に起きた悲劇・炭礦哀史を切々と当時の来園者たちに語っていたことかと推察する。かような数寄者たちの尽力のお蔭で著者も他の廃止鉄道と同様、二度と会えまいと諦めていた北海道奥地に潜んでいた名機を身近に拝観できるとあって、万博会場へは何度となく足を運んだ。しかし正規の出展扱いを受けられなかったせいか、名機の前には何らの解説もなく、単なる子どもだましのSLのオモチャ同然のシロモノ視されたのは返す返す残念で、今回の旅の際の写真ではないが掲載した次第である。》

この記述に目が留まったのは、先月、沼田町でシンポジウムに参加させていただき、その際に沼田町が保存している「クラウス15号」(日本遺産「本邦国策を北海道に観よ!〜北の産業革命『炭鉄港』」の構成文化財12市町45施設の一つ)についてお話をお聞きした後だからだと思います。その前だったら、この箇所は、読み流していたでしょう。

クラウスを巡る物語、まだまだ、いろんな展開がありそうです。
 

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