熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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『昭和四十一年日本一周最果て鉄道旅』

傑作。読みましょう

本の表紙

昭和41年、といっても、今の若い人にはピンとこないかもしれません。ぼくだって、まだ、生まれてませんから。1966年、戦後まだ20年ちょっとのときに、20歳の鉄道好きの若者二人が、上野からただひたすら列車を乗り継いで稚内を目指し、稚内で反転して今度は枕崎を目指し、枕崎から神戸へと戻る17日間の旅の記録が、第一部「昭和最果て巡礼記」。これだけだとただの個人の旅行記で終わってしまうところ、それに続く第二部「巡礼から五〇年。最果ての鉄路は今…」があることで、第一部、すなわち、50年前のこの旅で著者が見聞きしたものが貴重な記録として浮かび上がってきます。

自分よりも二回りの上の方に対してこんなことを言うのはおこがましいのですが、著者にへんな使命感や意気込みが感じられず、むしろ、《所詮は著者の体験を振り返る懐古趣味の所産に過ぎない》(p.186)、《死に行くシニア層の「引かれ者の小唄」だと軽く聞き流して頂きたい》(p.187)というスタンスで書いていることが、マニアものにありがちな独善性を排することにつながっています。そして、懐古趣味だろうがなんだろうが、とにかくこの本を書きたかったんだ!出したかったんだ!という思いが伝わってくる。この「熱」ですよ、出版物(に限らず世に出すもの)に必要なのは。

第二部の第二章「日本一周旅行のその後」の《観察した愛すべき昭和の風景が旅行後の約五〇年間にどのように変貌したのかを以下に順次述べる》の「以下」を読むだけでも、勉強になります。ここには、いろんなことを考えるためのヒントが、たくさんあります。

本の裏表紙と帯に書かれた目次

「日本一周旅行のその後」には、たとえば、こんな見出しが載ってます。

ヤマの消滅
雄別炭礦
羽幌炭礦
天塩炭礦
昭和炭礦ほか留萌炭田(雨竜炭田)のヤマ
悲劇を語るクラウス一七号
私鉄帝国主義の終焉
定山渓鉄道の興亡
「五島ドクトリン」との訣別
高知県交通の消滅
網走交通の変容
駅前風景の消滅

ここを読むだけでも十分におもしろいのですが、これをさらに理解する(頭の中でわかったような気になるだけでなく「腹に収める」状態にする)には、やっぱり、旅行記を読まねばなりません。旅行記を読めば、さらによくわかります。そして、いまぼくらの目の前で起きていることはこういうことなのかと、これまで気づかなかった視点が見えてきます。

この本の最後は、こう結ばれています。

《令和元年一〇月八日、鉄路のみで道内を再巡礼後、我ら信徒の西の総本山・梅小路の鉄博にお礼参り、園内のC六二出発ドラフト音に聞き入りつつ傍らの旧型客車オハフ五〇内で往時を偲び校正の朱筆を執る》
 

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