熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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礼文島船泊診療所 升田鉄三先生 地上波テレビ全国放送に登場

ぼくが初めて礼文島を訪れたのは昭和62年の夏。当時は、夏になると全国から若者が訪れる島でした。その後、中高年を中心とした離島ブームがあり、年間の観光客が30万人に達した頃には、宿泊施設が不足して観光客が車の中で寝泊まりしていた、なんてこともありました。現在は、観光客数は10万人ちょっと。若い人は来なくなりました(というのは、礼文に限った話ではないですが)。島の人口は、ぼくが初めて訪れた頃の半分以下になりました。

礼文島の診療所の常勤医師として、升田鉄三先生が着任されたのは、昭和61年のこと。それから34年間にわたって、升田先生は、お一人で、礼文島の医療を支えてきました。そんな升田先生のご活躍が、昨夜、テレビ朝日系列の番組で取り上げられました。

名医とつながる!たけしの家庭の医学〜「おらが村の名医SP 北海道・礼文島の島民約2500人の命を守る令和の赤ひげ先生に密着!」




いい番組でしたね。正直にいえば、テレビのバラエティ番組だからな〜と、期待してなかったんです、が、きわめて真面目な、とてもいい番組でした。最近のテレビ番組では当たり前のようになっている、出演者のタレントさんが画面の隅に写っている時間も少なく、いかにも過疎で不便だということを強調するような過剰な演出もなく、礼文島旅人歴33年のぼくの目から見ても、とても自然な、本当にいい番組でした。



以前にもこのブログで書きましたが(2017年8月4日『島医者 礼文島船泊診療所』)、ぼくは、礼文島内で、自らの不注意で大怪我をして、救急車に乗せられて船泊診療所に運び込まれたことがあります。血まみれで動けなかったぼくは、当然、そのまま入院だろうと思っていたのですが、升田先生に「自分で歩けるなら札幌に帰りなさい、紹介状を書きます」と言われました。

そして、ぼくは、包帯ぐるぐる巻きの誰が見ても重傷者という状態で礼文島香深港から稚内まで船に乗ること2時間、稚内からは23時発の札幌行き深夜バスに乗り、痛み止めの薬で気持ち悪いのか痛みで気持ち悪いのかわからないまま、早朝に札幌の自宅に戻り、北大病院へと向かい、入院、手術という経過をたどったのでありますが、あのとき、升田先生が応急処置をしてくださったうえに(合計3箇所で20針ぐらい縫った)、「札幌に帰りなさい、自宅に近い大きな病院で診てもらったほうがいい」と判断してくださったから、ぼくは、今も、普通に生活ができてます。

今回、テレビ番組の特集を見て、あんな状況でぼくの処置をしてくださったことは、本当にありがたいことだったのだと、よくわかりました。番組のサブタイトルは「島民約2500人の命を守る」でしたが、升田先生は、礼文島を訪れる旅人の命も守ってくれているのです。

国防上の観点から国境に近い離島には一定数の人口の確保が必要、だから云々、という、いわば机上のアイデアだけでは、人は、暮らせないのです。自分の生活のすべてを仕事に捧げる升田先生のような方がいて、また、地域医療を守るために研修医や看護師や技師の確保に奔走する地域の方々がいるからこそ、地域の生活が維持され、ぼくらのような旅人も受け入れてもらえるのです。

礼文島のお隣、利尻島を一周する53kmのウルトラマラソン第20回悠遊覧人Gは、6月7日の開催が決定しています。例年どおりなら、礼文島の第29回最北フラワーマラソンはその前日、6月6日の開催となると思われます。今年のフラワーマラソンでは、ぼくは、親子ペアの部に、足掛け33年にわたってお世話になっている民宿海憧のお子さんの親代わりとして出場しましたが、来年はもう子どもたちが(親子ペアの部ではなく)単独で出場する年齢になることから、ぼくの役目はもう終わりだ、これでもうフラワーマラソンは卒業だと考えていたのですが、こういうテレビ番組を見せられちゃうと…まあ、それは、そのときになったら考えましょうかね。8ヶ月も先のことなんて、考えても仕方ないさ。



 

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