熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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お噂はかねがね

礼文島船泊ユースホステルがJYHとの契約を解消して民宿(海憧)に転じたのは、1997年のこと。その頃、ボクは、常連さんの間では「レアキャラ」だったらしい。

当時から、ボクは、毎年、夏休みになると礼文島を訪れ、船泊ユース(のち民宿海憧)に泊まってました。夏休みでない時期に行ったこともありました。毎年行くうちに、ユースの常連さんとも知り合いになり、その縁で船泊ユース東京大会(東京で開催されるユースの常連客による大規模飲み会)にも呼ばれてましたが、ボクはお酒が飲めないからその輪の中心に入ることはないし、積極的に誰かとなかよくなろうとするタイプでもない。そして、当時のボクは、わりといつでも休める環境にあったから、夏休みは、7月に取ってました。かたやで、常連さんの多くは8月のお盆休みの時期に礼文島を訪れていたから、ユースで常連さんに会うこともほとんどなかった。

しかし、なんか毎年来ているオオクマという人がいたことは、ボクは名前だけしか知らないような有名な常連さんの間でも、わりと、知られていたらしい。思えば、ユース時代の最後の頃、まだ、ダイヤルアップでテレホーダイとかあった頃から、礼文島を紹介する個人ホームページを作ってたし、民宿海憧の宿泊予約用のページも、最初はボクが(頼まれたわけでもないのに)原始的なcgiを組み込んで作ってました。

そんなこともあって、なのでしょう。先日、二十数年ぶりに民宿海憧(もと船泊ユース)を訪れたという有名な常連さんから「あなたがオオクマさんですか!名前はよく聞いてました」と言われたのでした。

よく聞いていたって、どういうことだよ?

と思ったけどさ、その常連さんのことだって、ボクは、会ったことないのに、存在は知ってたわけですよ。だから、その有名な常連さんから見たボクも、同じような存在だった、ってことなのでしょう。

同じタイミングで、もうひとり、別の、ユース時代の常連さんにも、お会いしました。こちらの方は、ユースでは会ったことはないけれど、別の飲み会などなどで、何度か、お会いしたことがある方。ボクは、この人のお宅に行ったこともある。ただ、それは、もう、25年ぐらい前の話で、その後はまったく接点がなかったから、宿主から「明日**さんが来るよ」と言われたときに考えたのは、**さんはオレのこと覚えてるかな?ってこと。

そこは、しかし、これまた、お互いさま、なんだなあ。**さんは、まず、宿の予約の電話をかけてきたとき、「**ですが、覚えてますか?」と言ったらしい。ユース時代、つまりは二十数年前の常連客とはいえ、**さんもまた、よく知られた存在でしたから、忘れるわけないんだが、その謙虚さがあるから、四半世紀の時を越えても温かく迎えられるのでしょうね。

そんな**さんとの、たぶん25年ぶりぐらいの出会い。それほど親しかったわけでもないから(年賀状のやり取りすらしたことないと思う)、ちょっと戸惑いはあったけれども、**さんは、面影が残っている、どころではない、当時の**さんがそのままに、年を取っていて、いろんな話ができました。帰り際、**さんは「昔ながらの方法だけど」と言って、自分の住所を書いたメモ帳のページを破って、ボクに手渡してくれました。いまどき、連絡先の交換といえば「ふるふる」なんだろうけど、そうだよね、あの頃は、みんな、ノートに名前と住所を書いて、旅から帰ったら写真を送って、そこから文通したり、ときどきみんなで集まったりしていたのでした。

いま思うと、LINEもメールもない時代に、よく、あんなことやってたよなあ。

というような、昔話に、なっちゃうわけですよ、古い常連さんが集まったりすると。で、宿主さんが「昔の話をするようになったらオレたちも終わりだなあ(笑)」と爆笑してたんですが、そこで盛り上がりつつも、自虐的になれるうちは、まだ、大丈夫。ダメだよ、そんな昔話ばかりしていたら、まだまだ、ぼくらには未来があるんだ!って気持ちになれる人たちが身近にいるのは、とても、ありがたい。

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