熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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安平町追分SL保存協力会への感謝

以下に記すことは、北海道鉄道観光資源研究会や、今後キハ183系車両保存活動を行う団体の公式見解ではなく、あくまで大熊の個人的なお話です。


キハ183系気動車の初期型(スラントノーズ型)の廃車体を買い取りたいとの北海道鉄道観光資源研究会からの申し出に対し、JR北海道からはすぐにOKをもらえたものの、それは「設置場所が確保できたら」との条件付きだった、という話は、このブログで何度か書きました。

条件は、もう一つありました。

2017年9月末までに、設置場所を確定させること。

しかし、9月末までには、場所を確定させることができなかった…けれど、われわれが場所探しに奔走する姿を見てくれていたJR北海道の担当の方が、12月末まで期限を延ばしましょう、と言ってくれました(社内的にはいろいろあったと思います〜あのときの担当者の判断には本当に感謝しています)。

だけど、もう、当てはなかった。

これは行けるだろう!と、勝手に好感触だと思っていた場所から、正式なお断りがあったのが、10月6日のこと。もう、手持ちのカードはまったくない。ここはどうだ、いや、ここなら可能性があるんじゃないかと、関わっていたメンバー間で意見を出し合うものの、出てくる候補地は、もはや、妄想に近いレベルばかり。

そんな中で、ある人から「安平町の道の駅はどうだろう?」とのアイデアをもらいました。いわく、安平町のホームページに載っている道の駅の完成予想図には、D51と客車が描かれている、ダメ元でトライしてみる価値はあるんじゃないか…

10月13日の夜、NHK(北海道ローカル)で放送された「北海道中ひざくりげ」のテーマは、「鉄道のまち いつまでも〜安平町・追分地区〜」。番組の中では、鉄道のまち・安平町追分の成り立ちや、町内の鉄道資料館に保管されているSLをぴかぴかに磨き続ける国鉄OB=安平町追分SL保存協力会=の活動などが紹介されていました。

その翌日、10月14日は鉄道記念日。安平町追分鉄道資料館の特別開館日でもあり、北海道鉄道観光資源研究会のメンバーが、資料館を訪ね、SL保存協力会の工藤事務局長とお話させていただきました。

鉄道ジャーナル2010年11月号掲載「メモワール紀行『鉄道の町』の記憶 17 室蘭本線追分駅界隈 国鉄最後の蒸気機関車を見送った石炭輸送の中継基地」(文 伊藤丈志)から引用:
《1976年(昭51)3月2日、9600形3両が追分機関区で入換の業務を終え、国鉄の蒸気機関車はすべて幕を閉じた。その前年の1975年12月14日に室蘭本線の旅客列車、12月24日には夕張線の貨物列車で、それぞれ役目を終えている。追分は最後まで蒸気機関車が活躍した場所である。現在、機関区跡の一部には安平町鉄道資料館(旧追分町鉄道記念館)が建ち、D51 320号機が保存されている。そのSLの整備や資料館の運営を手伝っているのが、追分機関区のOBを中心とした「安平町追分SL保存協力会」である。》
 

「このD51、道の駅ができたら、どうなるんですか?」
「道の駅の新しい鉄道資料館に持っていくよ」
「そのあと、この車庫、どうするんですか?」
「車庫はこのまま」
「壊さないんですか?」
「壊さない」
「何か違う車両を入れるんですか?」
「いや、何も決まってない」
「じゃあ、キハ183を置かせてもらえませんか?」
「それなら、町に聞いてみたらどうだい?」

鉄道資料館を管理しているのは安平町の教育委員会であること、担当は及川次長であることを教えてもらいました。7ヶ月後には及川次長が安平町長になるのですが、それはまた別の話。

そこから非常に濃い2ヶ月半があって(これはまた別途書きます)、翌年(2018年)の元日に、クラウドファンディングが始まりました。SL保存協力会からは、こんなメッセージを頂戴しました。

私たち安平町追分SL保存協力会は、鉄道のまち追分のシンボルである蒸気機関車D51 320号機を日本一の車両にしようと42年間磨きをかけ、元国鉄OBで運転、整備等の経験や知識により動く状態で保存し、未来を創る子ども達に残すことを目指し活動しています。

このたび、追分へ保存しようとする特急キハ183系気動車両は、SLが姿を消したあと、昭和56(1981)年に石勝線が開通してから、私たちも運転したゆかりのある車両です。

北海道の鉄道遺産を残し伝えていくためにも、車両運転の経験などで少しでも協力していきたいと考えています。

安平町追分SL保存協力会

(この文章はクラウドファンディングサイトで今も見ることができます)


SL保存協力会の工藤事務局長は、クラウドファンディングの開始後も、お金の集まり具合をずっと気にしてくれていました。キハ183の2両目も購入できるだけの金額が集まったときには、すぐに「よかったね」と電話をいただきました。

ふたたび、鉄道ジャーナル2010年11月号の記事から引用:
《資料館は駅からだと構内を跨ぐセンターブリッジを渡って徒歩15分ほど。5〜10月の第2・4金曜、13〜15時にはD51が屋外(雨天中止)で公開される。》

なぜ「雨天中止」なのか?というと、雨に濡れることは、車体の錆びにつながるからです。屋外公開の日時を限定しているのも、車体が傷むことを避けるため。それほどまでに大事に保管し、SL保存協力会のみなさんが定期的に車体を磨いているから、あのD51 320は、日本国内屈指の美しさが保たれているのです。

新しい鉄道資料館(道の駅)でのD51公開初日となった6月16日(日)、いったん屋外に出されたD51は、14時前に屋内へと戻っていきました。このときは、小さなディーゼル機関車が後部に接続され、そのディーゼル機関車での移動でした。

それから30分後、道の駅は、激しい雨に見舞われました。



雨の中、安平町出身の橋本聖子参議院議員と及川秀一郎安平町長がお見えになり、予定ではそこでD51を再び屋外に出して、キハ183と並べて、その前で関係者全員で記念撮影…だったのですが、こんな雨の中では、D51は外に出すわけにはいきません。再びの屋外展示に向けて一度は開いた車庫の扉は、予定時刻の直前に閉められ、来場中のお客様に「これから屋外展示をします」とアナウンスしてしまったスタッフは大慌て。

ところが、それからしばらくして、雨が小降りになったら、なんと!車庫のシャッターが上がり始めるではないですか!

「そんなところで写真撮ってる場合じゃないって!急げ急げ、すぐにD51をしまわにゃならんのだから、D51が183と並んだらすぐ記念撮影だから、早く、みんなあっちにまわって!」

走る走るおれたち。少し遅れて、D51を所定の位置に停止させたSL保存会のみなさんもやってきて、今回の鉄道車両輸送プロジェクトに関わった全員がD51とキハ183の間に並んで、みんなで記念撮影。

記念撮影が済んで、屋内へと引き上げるD51。



このときは、ディーゼル機関車を従えることなく、自力で移動しました。

D51が機関庫に入るや、SL保存協力会のみなさんは、大勢で、濡れたところを拭き取っていました。この地道な作業があるから、D51 320は、引退から40年以上経っても、美しいのです。

みたび、鉄道ジャーナル2010年11月号の記事からの引用:
《車庫の後ろにはスハ45 25が保存され、その車内には、古い写真などが掲げられている。》

旧鉄道資料館の敷地内(屋外)には、スハ45という古い客車が置いてありました。現在キハ183が展示されている場所は、もともとは、このスハ45が展示されることになっていた場所です。

D51に似合うのは、キハ183よりも、こちらの客車だったのかもしれません。

しかし、長年にわたって屋外に展示されていた客車は、傷みが激しく、道の駅への移設には大きなリスクが伴いました。実際、今回の一連の車両輸送の中で、この客車をクレーンで吊り上げる場面があったのですが、吊り上げた瞬間はへんな音がして、その場にいた人たちからは「ああ〜っ」と声が上がったそうです(が、スハ45は壊れることなく、今も旧資料館に置いてあります〜スハ45は道の駅への移設対象ではなかったのですが、D51の輸送の際、重機の作業場所確保のために移動させる必要がありました)。

2両のキハ183は、苗穂工場でトレーラーに積まれたとき、JR北海道から北海道鉄道観光資源研究会に引き渡されました。そして、安平町に到着した後、北海道鉄道観光資源研究会から安平町教育委員会に譲渡されました。16日の夕方、道の駅でのすべての作業が終わったとき、「われわれの持ち物だったのは2時間だけだったねえ」と、笑い合ったことでした。

いま思えば、もし、最初に、安平町追分SL保存協力会の工藤事務局長に話をしたときに、キハ183の受け入れを断られていたならば、あるいは、鉄道資料館を所管する安平町教育委員会をご紹介いただくことがなければ、このプロジェクトは、そこでおしまいでした。あの時点ではもう手持ちのカードがなかったから、スラントノーズのキハ183が残されることはなかっただろうと思います。

キハ183は、今後、安平町が中心になって、新たに設立されるであろう団体が管理していくことになると思われます(赤い電車711系では、北海道鉄道観光資源研究会がクラウドファンディングで輸送資金の不足分を集めて車両購入と輸送を担当した後、車両は道下産地さんが所有し、維持管理は新たに設立された岩見沢赤電保存会が担当しています)。

じつは、クラウドファンディングを開始する前の段階で、安平町に対し、SL保存協力会に管理をお願いできないかと、軽く打診したことがありました。それに対し、安平町からは「SL保存協力会はD51だけで手一杯、キハ183の面倒をみることはできない、キハ183を受け入れるにあたっては『維持管理をSL保存協力会に依存しない』ことを条件としてほしい」との回答をいただいています。

自分が逆の立場だったらどうだっただろう?と考えることがあります。SL保存協力会は、これまで長年にわたってD51を守ってきたからこそ、車両を保存することがいかに大変であるかを知っている。でも、鉄道車両保存のノウハウは持っている。だからといって新しく持ち込まれる車両のメンテナンスを押し付けられるのは困る。そう考えるのは、自然なことです。自分たちの家(D51が保管されていた場所)に、呼んでもいない他人(キハ183)が押しかけてくることへの感情的な反発だって、あってもおかしくない。

それでも、SL保存協力会は、キハ183を、北海道の鉄道遺産を残し伝えていくものとして、認め、受け入れてくれました。ぼくらとの記念撮影のときには、車体を雨に濡らすことを心配しながら、D51を屋外に出して、キハ183と並べてくれました。

繰り返しになりますが、安平町追分SL保存協力会との最初の出会いが次につながるものだったから、今があるのです。

SL保存協力会のみなさん、本当に、ありがとうございました。

道の駅あびらD51ステーション

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