熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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安平町鉄道車両輸送大作戦

本日未明、道の駅あびらD51ステーションに、キハ183-214が到着しました。現時点ではまだトレーラーの上にありますが、本日このあと、展示される線路の上への移設が行なわれる予定です。

以前にも書きましたが、JR北海道のキハ183系ディーゼルカー(スラントノーズ型)の終焉を前に、車両を残そう!という話が出たのは一昨年(2017年)の3月31日の夜でした。ぼくは、たまたま、その場に居合わせちゃったもので、そこから否応なくこの動きに巻き込まれていったのでした。

これも以前に書きましたが、JR北海道からの車両譲渡(のためのクラウドファンディング開始)の条件は、提示された期限までに、保存場所を確定させることでした。ところがその場所がなかなか見つからず、もうキハ183に関係のないところでもなんでもいい、もはやこれまでか…と、時間切れぎりぎりのところで、最後の最後に出てきた候補地が、安平町でした。

安平町役場を訪れ、最初の話し合いをしたのは、その年の11月。



ここからはとんとん拍子で話が進み(その後も含めて安平町役場の仕事の速さはすごかった!)、キハ183スラントノーズ車は、1981年の本格デビュー(石勝線開業)時にその登場を町を上げて祝った町であり、国鉄蒸気機関車の終焉の地であり、そして明治時代から鉄道の町として拓けてきた町である安平町(旧追分町)の、新たに開業する道の駅に、しかも、蒸気機関車の隣という、最高の場所に、置いていただけることになりました。

道の駅の基本設計は、ぼくらが最初に安平町役場を訪ねた一昨年11月には、すでに、できあがっていました(このときの計画ではキハ183ではなく客車が展示されることになっていました)。安平町鉄道資料館の蒸気機関車(D51 320)を道の駅に移設し、そこで展示することも決まっていたのですが、安平町は、大きな課題を抱えていました。

ものすごく重たいD51を、どうやって移動させるのか?

D51を分解して、車輪やボイラーを分割すれば、重量は軽くなります。京都鉄道博物館の開業前、交通科学博物館に展示されていた蒸気機関車を移設する際には、そうした方法が使われています。しかし、安平町追分のD51 320は、まだ、動くのです。だから、分解はしたくない。

D51 320の重量は、テンダーを切り離しても、70トン以上あります。キハ183の2倍以上です。鉄道資料館から道の駅への移動の際には、線路を横切らねばならない箇所もあります。踏切を通過するにしても、あるいは跨線橋を渡るにしても、踏切や跨線橋がその重さに耐えられるのか?そもそも、そんな重たいものを、クレーンで吊り上げてトレーラーに積むことは可能なのか?

どうしたらいいでしょう?

キハ183の保存場所の話をするために訪れた安平町役場で、そうした話を聞いて、それならばと紹介したのが、鉄道車両輸送ではおなじみ、北海道鉄道観光資源研究会では北斗星車両の輸送時にもお世話になったアチハさんでした。

その翌月(2017年12月)、大阪から、アチハさんが来てくれました。



安平町追分SL保存会の方々の説明を受けながら、鉄道資料館の車庫に格納されたD51 320を、何も言わずにじーっと見ていたアチハの部長さんが、突然「これは、日本一だね…日本一きれいな機関車だ…」と呟いたのは、今でも脳内で音声が再生できるほどの、鮮明な記憶です。



寒空の下、輸送ルートの調査。



鉄道資料館がある小さな公園の敷地内に重機を搬入することは可能なのか?重機を入れられたとして、D51を載せた大型トレーラーは住宅地の中の狭い道路の角を曲がれるのか?線路を越えるにはどうすればよいのか?…

そうした課題に対し、アチハさんは「ここをこうすればいけるんじゃないかな」と、事も無げに、回答を出していきました。できないことは考えずに、どうすればできるのか?だけを追求し、ときには役場の方に「ここの角の縁石を削ることはできますか?」とまで尋ねたほどでした(最終的には縁石を削ることはせずに済みました)。

役場に行ったら、担当の方が携えていた資料の中に、この本がありました。



安平町にはもともと鉄道資料館がありましたが、こちらの所管は教育委員会。一方、車両の輸送を扱うのは道路関係の部署で、こちらの担当の方は、鉄道とは無縁です。その方が、この、いかにもマニア向けっぽい本を持ってきたことに驚かされました(さきほど書いた交通科学博物館から京都鉄道博物館への蒸気機関車の輸送のことは、この本の中に書いてあります)。

その後、さまざまな調整や関係当局への届出等々があって、輸送計画が決まり、さあ、あとは運び出すだけだ、というタイミングで、昨年(2018年)9月6日の地震が発生。車両の搬入は延期せざるを得なくなり、道の駅の開業には間に合わなくなったことで、安平町では、それならいっそのこと車両輸送をイベントにしようかといった話も出ていました。今年4月の道の駅の開業後、車両の輸送はいつ行うのか?との問い合わせが、安平町役場に多数寄せられていたとのお話も聞いています。

でも、それは、できなかった。車両の積み込みや積み下ろしは、危険と隣り合わせの作業です。輸送の最中は、万が一、移動車両に接触でもしたら、大変なことになってしまいます。とても珍しいものであるがゆえに、とても多くの方が詰めかけることが予想され、そこで何も起きないようにするには、大掛かりな警備が必要です。そうなれば、多額の経費がかかってしまいます。それは、小さな町にとっては、負担が大きすぎました。

役場の方々は、道の駅へのD51の搬入を楽しみにしている町民のみなさんに輸送の日時を伝えられなかったことを、心苦しく感じていたと思います。6月13日の深夜、D51が道の駅に到着した直後の道の駅あびらD51ステーションのフェイスブックの投稿には、その苦悩があらわれていました。

【主役が到着しました】 皆様、大変お待たせいたしました。 先程、D51ステーションの主役「D51 320」が到着いたしました。 多くの方よりお問い合わせを頂いておりましたが、住宅地や市街地を通過するため、日程をお伝えすることができず、本当に申し訳ございませんでした。線路へ移動し、鉄道資料館内に格納するまで今しばらくお時間をいただきますが、まずは無事に運搬を終了いたしましたことをご報告申し上げます。 よく来たね!320!お疲れさま!

専属の広報担当などいるはずもない、限られた数の担当者が何から何までやっている、小さな町です。D51の輸送を無事に終えたときは、もう、くたくたであっただろうと思います。そんな中でも、こうした文章をしたため、町民のみなさんに情報を公開できなかったことへの理解を求めるとともに、リアルタイムの高揚感も伝えていることには(この投稿には動画も付いていました)、本当に感心しました。

今回、目立ったのはD51とキハ183でしたが、それ以外にも、鉄道資料館にあった客車や貨車、ディーゼル機関車などの移動もあり、全車両の移動に関わる作業は、ほぼ1週間がかりの大プロジェクトでした(完全終了するのは本日夕方の予定です)。このプロジェクトの実施にあたって、北海道鉄道観光資源研究会は、キハ183以外の部分でも、記録撮影や沿道の安全見守りなどの面で、お手伝いをさせていただきました。その際、北海道鉄道観光資源研究会で保有していたキハ183はともかく、D51をはじめとする他の車両の作業や輸送に関しては、あらかじめ決めた撮影班だけが撮影に当たり、他のメンバーは撮影しないこととするとともに、撮影班のメンバーも撮影したものは個人的には使わない、撮影したものはすべて安平町に提供する、といったルールを定めて作業に当たりました。車両の輸送中、沿道で見学や撮影をされた皆様には、安全な輸送にご協力いただきましたこと、感謝申し上げます。

さて、これまで北海道鉄道観光資源研究会が保有していたキハ183は、今回の移設とともに安平町教育委員会に寄贈され、今後は、安平町の地域団体が活用していくことになります。屋外展示ゆえにさまざまな問題が出てくることと思いますが、今後も美しい姿が保たれるよう、このブログをお読みの皆様におかれましては、道の駅あびらD51ステーションを訪れ、安平町にたくさんのお金を落としていってください。ここからは、また、新たなステージの幕開けです。

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