熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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知られざるさよなら運転

本日、北海道内では(愛好家的には全国的にも)JR旧夕張線の新夕張駅〜夕張駅間の廃止や、釧路の太平洋石炭販売輸送臨港線の石炭輸送列車の廃止が、大きなニュースとなっていますが、函館バスの太櫓線も、本日をもって、1950年の運転開始から69年の歴史に幕を下ろしました。

太櫓(ふとろ)というのは、種村直樹氏の「日本外周気まぐれ列車の旅」の、ハイライトの一つとなった場所です。種村氏が書かなかったら「太櫓」なんて、知ることはなかった。

種村直樹『気まぐれ列車に御招待』(実業之日本社,1989年)から:


《バスは海岸線沿いの狭い道へ下り、波しぶきをかぶりそうな感じでゆっくり走る。軒の低い家が何軒か並んでは途切れ、また黒い岩礁がつづく。弁天岬の標示が見え、小さな漁港の先に雪まみれのチョコレートケーキのような岬が首を出していた。ここを歩きたいという衝動に襲われたとたん、バスはトンネルに突っ込んだが、なんと手掘りのままの洞窟だ。ほどなく道の両側に民家、商店、役場のような建物など驚くほどしっかりした家並みが現れ、バス停は太櫓(ふとろ)と読めた。
太櫓の集落を抜けると、また岩礁。息をのんで見つめるうち鵜泊漁港となり、ここが終点かと思ったら、バスは急坂に挑んで段丘上に出た。開拓部落のような数十軒の民家がひっそり雪をかぶり、人影も動く。別世界へつれ込まれたような思いだ。
(中略)
弁天岬から手掘りトンネル、太櫓の集落、鵜泊とつづくこの地に心をひかれた。これといって何がありそうな気配もないが、このまま北檜山へ戻っては、うしろ髪を引かれそうだ。》(同書、p.228-229)

太櫓線の最終便は、夕張や釧路のような賑わいにはほど遠いものの、地元の方々が集まって、手作りのヘッドマーク〜「69年間 ありがとう 函館バス 太櫓線」の文字が描かれたもの〜を掲げて、美しい夕焼けの海岸線を走ったそうです。長年にわたって地域を支えてきた路線バスにとっては、幸せな終焉だったことでしょう。

長い間、お疲れさまでした。
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