熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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今日は何の日(平成元年の浜小清水)

ちょうど30年前、1989年(=平成元年)の3月9日のアルバム。



30年前の今ごろは、中山記念小清水ユース・ホステルでヘルパーをやってました。ヘルパーといっても、介護でもないし、運転代行でもありません。宿のお手伝いです。「アルバイト」ではなく「ヘルパー」なのは、無給であったからで、あの頃のユースがああいう形で成り立っていたのは、無給なのにわざわざ遠くから働きに来てくれるオレみたいな人がたくさんいたからでもあったのですね。もちろんそういう供給サイドの事情だけでなく、それ以上に、需要サイド、すなわち、旅人の嗜好や世の中の環境が大きく変わったことが、あの頃のようなユースが廃れていったことの大きな原因であるのですが、それはまた別の話。

今は別の名前でまったく別の方が経営されている小清水ユースは、すぐ前に濤沸湖があって、ほんの少し歩くと、その向こうに釧網本線の列車が見えました。ぼくは、当時(今でもときどき)、網走から列車に乗ると、多くの乗客が(オホーツク海が見える)左側の窓の外に注目している中で、いつも、反対側の窓に顔を寄せて、赤い三角屋根の小清水ユースを探してました。

こんな写真もありました。



ときどきこのブログに書いてますけど、この年は、観測史上ただ一度、流氷が一度も接岸しなかった年です。3月に入ってからでも、いくらなんでもそろそろ流氷来るはずだと、強い北風が吹くたびにユースの裏の山に登ってオホーツク海を眺めていたのですが、北風に当たりながら(=ものすごく寒い思いをして)山に登っても、ついに流氷は来ないまま、春になってしまったのでした。

「'89.3.9(THU) 」と書かれたページの下には、こんなのが貼ってあった。



その昔、長距離電話というのは、高かったのです。いまや携帯端末でメッセージをやり取りすれば電話なんかしなくていいんだけど、あの頃の少年が遠い旅先から親に連絡を入れる(=電話をする)というのは、大変なお金のかかることで、10円玉ではなく100円玉を用意しておかないと何の話もできないぐらいに、あっという間にお金が減っていく。だから、短時間で話が済むように(とにかく自分は無事であることを伝えられればよいのだから)、暗号のような会話をしてました。

アルバムから剥がして、裏を見てみたら、これ、1989年のカレンダーでした。



も〜っともっと〜 あ〜な〜たを〜 の頃よりは少し後みたいなんですけど(その歌が発売されたのは1985年であるとウィキペディアに書いてある)、NTTでこの方が登場しているとなると、思い出すのはあの歌だよね〜(ベルが〜鳴る〜ってやつだ)。

「もしもし?わたし?誰だかわかる?」なんてのは、今は、もう、成り立たない会話ですよね。着信したら、画面に相手の名前が出ちゃうんだもんねえ。

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