熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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欧風客車と北海道ワイド周遊券

最近また古い(きわめて個人的な)写真やら何やらが大量に発見されまして、目下、荷物をどんどん処分していかねばならない折、こういうのが出てくるとまったくもって扱いに困るのですが(一般的に言ったら「大量のゴミ」ですからねえ)、やっぱりこれは捨てるわけにはいかんだろうなあと思うのは、たとえばこんなもの。



中を開ければこんなものが。



常呂や佐呂間の途中下車印(駅名小印)があるのは、湧網線のさよなら列車に乗った(またはさよなら列車を撮った)ときのものです。その脇に計呂地の途中下車印があるのは自分でも驚きで、計呂地に降りたのは覚えてますが(そんでサロマ湖の脇で列車の写真を撮ってカメラバッグ=いわゆる銀箱=と三脚かついで歩いていたら地元の人の車に拾われたことがその後の道内各地でのヒッチハイクにつながっていくのですがその話はまたいずれ)、計呂地に駅員がいたんだなあ。

右の下のほうにある清水沢は、いうまでもなく、三菱石炭鉱業大夕張鉄道線に乗りにいったときのもの。左の下のほうの士幌は、これまた廃止間際だった士幌線に乗ったときだろうし(帯広ユースに泊まったら鉄道ファンだらけでみんな士幌線に乗ってたんだよね〜<思えばあの頃はもう「鉄ちゃん」という言葉は少なくともホステラー(死語)の間では普通に流通していて「道っちゃん」というそれこそ完全に死語になってしまった言葉もありました)、朱鞠内とか陸別があるのもわかるんだけど、自分でも不思議なのは士別の下車印。用事があって下車したはずはなく、たまたま乗っていた列車で停車時間があったのか、時間が余ってたまたま行ったのか…

というのは、まあ調べれば、わかるんですけどね。この切符が入っていたのと同じ袋の中に(この頃のものがいちいち封筒に入っているのは山根一眞さんの影響なんだろうか?この頃はもう山根式はあったもんね)、この旅で使っていたノートが入っているから、それを丹念に見ていけば(そうなのよ丹念に見なきゃ見つからないほどたくさん文字が書いてあるのよ)、いつ何のために士別駅に降りたのかはわかる、けれど、あまりにびっしりといろんなことが書いてあって、いまさら読むのはとても恥ずかしい。自分が死んだ後のことを考えると、こんなものは捨ててしまうべきなのではないかと思う(というようなことは確か村上春樹さんが「自分が死んだ後に発見されたときのことを思うと恥ずかしくて日記なんて書けない」とどこかに書いていたような気がする)。

念のため書き添えておけば、券面に真ん中にある「2割」というのは、北海道ワイド周遊券は冬季は2割引だったからで、上の写真には38,600円と書いてありますが、これが学割で2割引になって、さらに冬季割引でそこから2割引になったから、実際には24,700円だったはず。それで東京から北海道まで行けたうえに、北海道内20日間乗り放題だったのだから、そりゃあ、若者は旅をするわけですよ。宿代がなければ夜行列車の自由席に乗ればいいんだもの。

というわけで、こういう話を始めると一晩でも足りないぐらいに出てきちゃうんで、今朝はこの辺でやめておきます。

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