熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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昭和最後の日から30年

今からちょうど30年前、1989年=昭和64年1月7日の朝6時半過ぎのことは、とてもよく覚えています。これは今でも母がときどき言うことなのですが、ぼくは、起きるなり「天皇陛下が亡くなった夢を見た」と、母に言ったのです。

Wikipediaによると、当日は午前5時24分から「容態深刻報道」がNHKで流れていたそうですが、その朝、我が家ではまだテレビもラジオも付いておらず、寝床でそうした放送を耳にすることはなかったはずなのですが、ぼくの頭の中に、どこか遠くで流れていた音声が聞こえていたのかもしれません。脳の働きはいまだ未解明なことが多いのだから、そういうこともあり得るのではないかと思います。

「天皇陛下崩御」のニュースを知ったのは、埼京線の電車の中でした。その頃、ぼくは川越に住んでいて、身分はまだ大学生で、その日は朝から大宮でバイトだったので、午前8時前後は、埼京線に乗っていました。車内で珍しくラジオを聞いていたのは、自宅を出る前に「危篤」のニュースに接していたからなのでしょう(その辺はまったく記憶にない)。

いまだよく出てくる小渕官房長官の「平成」は、生で見たような気もするけれど、朝からバイトに行っていて、その日の14時36分(発表時刻)にテレビを見ていたというのは、どうにもよくわからない。でも、見たような気がする。

その翌日、平成元年の初日となる1月8日は、種村直樹先生の事務所の新年会でした。1月の第2日曜日の午後、竹ノ塚の先生の事務所(仕事場の上の階にあった書庫的な部屋)で新年会が開催されるのが毎年恒例になっており、ぼくは当時は事務所のバイト君だったから(大宮のバイトとは別です)、新年会の準備要員として、朝から竹ノ塚に行ってました。

あの頃の「空気」は、今となっては40代以上の人でないとわからないと思うのですが、とにかく、なんでもかんでも、自粛、でした。その前年の、昭和天皇の病状が深刻な状態になられてからずっと、世の中は、自粛でした。あれほどの自粛ムードは、自分の人生の中では、後にも先にもありません。

そんな中での昭和天皇崩御の翌日、新年会用のお酒が無事に事務所に届いたとき、種村先生が「無事に届いてよかったな」と冗談を口にしていたことを思い出します。今となっては意味不明の冗談ですが、当時は、あの状況下で新年会を開くのは不謹慎だとの誹りを受けるんじゃないかと心配するぐらいに、世の中は「自粛」だったのでした。


 

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