熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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第1回日本最北端わっかない平和マラソン(番外編)

第1回だからいろいろ不備があるだろうと予想していたのに対して(お天気に恵まれた幸運もあって)きわめてスムーズな運営が行われた日本最北端わっかない平和マラソンでしたが、多少の混乱はありました。

その一つが、スタート地点の宗谷岬へのバス輸送の事前案内。

当初の案内では「バス乗り場は北防波堤ドームのみ」だったので、南稚内のホテルも空いていたけれど、稚内駅近くの宿を取っていました(予約時点では南稚内にはまだ宿泊料金の安いホテルもあった)。それが、直前になって「南稚内からもバスを出す」との案内が来て、なんだよ、それなら南稚内でもよかったじゃないか!と思ったけれど、時すでに遅し。

と、書いてから言うのもなんですが、大会全体からすれば、そんなのはたいしたことではありません。ちょっと高くついたけど、北防波堤ドームのフィニッシュ会場の周辺を前日にぶらぶらできたのは楽しかったし、前日の参加賞受取場所や当日のバス乗り場のすぐ近くに宿が取れたのは、楽だったから、べつに、文句を言っているわけではありません。

参加賞(Tシャツとタオル)の前日受取ができるフィニッシュ会場へは、稚内駅を出たら右の広い道を行くのが自然ですが、今回は、あえて、懐かしのフェリー乗り場への道を通ってみました。



今となっては、ここはまず通ることのない道ですが、2002年の中央レンバイ大火、2008年の利礼航路フェリー乗り場移転、2012年の稚内駅新駅舎全面開業を経て、すっかり様変わりしてしまった稚内駅周辺にあって、ここには、まだ、昭和の頃の面影があります。

大会前日のフィニッシュ会場



10年ちょっと前まで、ここには、利尻・礼文へのフェリー乗り場がありました。

2005年6月


2007年8月(下2枚とも)


大会当日(2018年9月)の、上の写真と同じ場所(角度は違います)



今回泊まったホテルの部屋の窓の外



この駐車場には、かつては、「せがわ」の建物がありました。



(これ↓は今回=2018年9月=の同じ場所)


「せがわ」は、1986年の8月、種村直樹レイルウェイ・ライター友の会のみなさんと、稚内から西大山経由枕崎までの乗り継ぎ旅をしたとき、稚内を出発する前夜に泊まった宿です。



(種村直樹『日本縦断鈍行最終列車』1986年刊)


今回の宿が、このときの宿(の跡地)の隣接地であることは、現地に行ってみるまで、知りませんでした。たまたま、ここで、しかも、自分の部屋の窓が、「せがわ」の跡地に面していたというのは、出来過ぎの偶然でした。それで大会当日は朝からあの青空なのだから、そりゃ、テンション上がりますって。

ついでにいえば、上の写真にあるように、その1986年の乗り継ぎ旅で最初に乗ったのは、国鉄天北線の鈍行列車でした。先日も書いたように、日本最北端わっかない平和マラソンの折り返し地点は、天北線の恵北駅(があった場所)の、すぐ近く。かつての天北線がどの辺を走っていたか?は、稚内空港を利用するたびに気になっていたものの、これまで、わざわざ調べることもなかったのですが、今回のコースの折り返しに「恵北」という地名があるのを見て、いろいろ調べて、ものすごくひさしぶりに、天北線に対する関心が蘇ってきています。



さらについでにいうと、ラジオの気象情報でよく出てくる「稚内市沼川」というのも、この辺です。天北線にも沼川駅がありました。天北線の駅でいうと、声問(今回のマラソン大会の私設エイドで冷えたスイカをいただいたところ)の次が恵北(折り返し地点)で、その次が樺岡、その次が沼川でした(さらにその次が曲淵で、その次の小石までの間が日本の鉄道の最長駅間距離だったから、鉄道好きのみなさんの中には小石〜曲淵をセットで記憶している方も多いのではないでしょうか)。

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