熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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旅行読売臨時増刊 昭和の鉄道旅



眺めているだけで、いろんなことを語りたくなってきます。なんだか、ふだん目にしている雑誌類と違うな…と思いながら、あらためてよく見れば、広告がほとんど入ってなくて、ゆえに、最初のページから最後のページまで統一感があって、眺めていても頭の中がごちゃごちゃにならない。一度にたくさんの情報を処理することが厳しくなってきたお年頃には、これがまた、心地いいのです。

数少ない広告の一つが、表紙の次のページの、これ。



ぼくはいわゆる田舎のおばあちゃんちが福島県の中通りにあって、夏休みに家族で行ったときのお土産は、たいてい、「ゆべし」でした。まだ東北新幹線がなかった頃、基本は「まつしま・ざおう」または「まつしま・ばんだい」で、たまに「ひばり」。黒磯で釜めしとなめこ汁。

…という具合に、この広告だけで、いくらでも語れてしまうのですが、さらにネタの宝庫なのが、付録の「昭和39年・東海道新幹線開業当時の全国鉄道路線図」。昭和39年にはぼくはまだ生まれていませんが、ぼくの最も古い鉄道路線図の記憶は、幼い頃に我が家にあった平凡社の百科事典の日本地図でありまして、この付録の昭和39年の路線図は、それに近いものがあるから、見れば見るほど、いろんなことを語りたくなってきてしまいます。



鉄道に関するぼくのいちばん古い記憶は、東上線の「大和町」駅が「和光市」駅に改名されたことで、この路線図には(当然のことながら)「大和町」駅が載っています。

これは大人になってからわかって驚いたことなのですが、「大和町」が「和光市」に改名されたとき、ぼくは、まだ、3歳だったのですね。でも、駅名が変わったという記憶は、はっきりと、あります。その頃、ぼくは通勤定期券を持っている父親にくっついて、タダだからと東上線の電車にちょっと乗ってくるようなことをよくやっていたらしいです。

埼京線(通勤新線)はもちろん、まだ、武蔵野線もない路線図。そういう話をすると、当時、この界隈に住んでいた人ならば「武蔵野線は最初は本数が少なくて…」という話になるわけで、いや、ホント、この路線図、いくら見ていても飽きないわ。

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