熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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『80's エイティーズ ある80年代の物語』

心身ともに疲弊しきって壊れかけていたとき、ぼくが逃げ込んだ本。

本の表紙

とはいえ、

《僕はべつに、それほど熱心なプロレスファンではないし、巷にあふれる自薦他薦のプロレス評論家ほど、この”格闘技”に対して深い知識を持っているわけではない》(本書 p.73)

という、この本の中の著者の言葉を借りれば、ぼくはべつに、それほど熱心な橘玲ファンではないし、むしろ、橘玲氏の著作は、肌に合わないものが多いと感じてきたほうです。まわりにたくさんいる氏のファンに比べれば本もそんなに読んでないし、ちょっとこの人とはなかよくなれないかなと思っていたほど。

だから、その程度のヤツが言ってる戯言だと思って聞いてもらえばいいんですけど、橘玲さんが内田樹さんや平川克美さんと接点を持っている(というエピソードがこの本の中に出てくる)のは、すごく、不思議でした。違和感、というのとは、また、違うんだよな。あまりにも主張が違うような気がして(と言いきれるほど橘玲氏の本を読んでいるわけではないから「気がして」などと逃げているわけですが)、まったく結びつかない。でも、そういうものなのかなとも思ってみたり。主張が違うからお互いを排除しちゃうのがいちばん危ない。危ないだけでなく、つまらない。異質な人がいるから、世の中は成り立っていて、新たな何かが生まれてくるわけで。

この本みたいな、自分よりちょっと年上の人(そして大学卒業→就職→定年みたいな人生からは外れた人)が書いた回顧物がおもしろいのは、ぼく自身がその時代に触れていて、だけど、ぼくはまだ若かったから(若いとすら言えない幼い時代すら入っているから)、そのときは世の中で起きていたことがよくわかってなくて、自分より少し年上の人に教えてもらうと、ああそうか、あのときのあれはそういうことだったのかと、実感を持って理解できるから、なのだと思います。

それをまっとうなサラリーマン人生送ってる人に言われると、あんまり現実感がないんだけど(ということをわざわざ言ってるあたりにやっぱり自分はドロップアウトしちゃったっていうコンプレックスがあるんだよなあ)、こうやって、流されるがままに生きてきた人から教えてもらえると、ああ、それでいいんだと、コンプレックスが消えていく。そこで安心しちゃうのはまずいんだけど、揺らいでいた自信をまた固定してくれるぐらいの効果はある。

著者が大学に入学した頃、ぼくは同じような場所を毎日行き来していて、具体的にいえば、毎日、川越から池袋まで東上線の急行電車に乗って(たしか急行は川越6時25分発が最後でそれからしばらくは準急しかなかった)、池袋から高田馬場の間はラッシュアワーの山手線内回りに乗って(外回りは空いていていいなあといつも思っていた)、そこから地下鉄に一駅乗って、帰りはその逆で、たまに高田馬場の駅前の芳林堂書店で鉄道ジャーナルを買ったり、という日々を送っていて、学校の地下の食堂でうどん食べたりカレーライス食べたり、そこから時間が経過して自分が大学に入る頃になると、構造と力、朝日ジャーナル、などなどのアイテムが思い出されて…

という、もうずいぶん長い間呼び起こすことのなかった記憶の断片が、数珠つなぎに出てくる。これは、鉄道趣味とか、北海道への旅と憧れとか、そういうのとは別の場所に収納されている記憶なんだな。

ぜんぜん書評になってませんけど、これが、この本の、ぼくの感想です。

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