熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
<< October 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< 『プライド』金子達仁 | main | この時期の大雪 >>

20年目の『28年目のハーフタイム』

金子達仁氏の『プライド』の「あとがき」に、『28年目のハーフタイム』の初版は3000部だったという話が書いてあります。あの金子達仁の出世作が、なんと、初版3000部!amazonもなかった時代にあっては、地方では、入手することすら難しかったかもしれない。ぼくは当時は東京にいたから、気づいてませんでしたけど。

うちにあるのは、1997年9月25日第1刷。3000分の1。



『28年目のハーフタイム』の頃、ぼくはニフティの某フォーラムでスタッフやってて、そのフォーラム内では、この単行本が出る前の、元になったNumberの記事が絶賛されてました。金子達仁すごいぞ!って盛り上がっていて、「ぼくたちは金子達仁を発見した!」的な空気すらありました。

それだけに、その後、金子さんの作品が、ただ有名選手と仲がいいことを書いただけのものになっていくに従って、フォーラム内では、金子作品への批判がどんどん激しくなり、また、ぼく個人的にいえば、その後の金子達仁は、なんだか「いけすかないヤツ」になっていって、なんだかなあと思ってました、が、本は買ってたし、『泣き虫』も、もちろん、読みました、けど、サッカーライターとしての金子達仁には、すっかり、関心がなくなってたように思います。

そしたら、この『プライド』ですよ。作品が素晴らしいことに加えて、「あとがき」が、衝撃(笑撃?)でした。

「あとがき」から、いくつか、書き写してみましょう。

《『28年目のハーフタイム』の初版は3000部で、出版事情に詳しい方によれば、これはほぼ間違いなく初版絶版で終わってしまう部数だという》

《日本が初めてのワールドカップ出場を果たしたおかげで、その立役者の一人だった中田英寿がメディアに対してほぼ完全黙秘を貫いたおかげで、なぜか彼の言葉を聞ける立場にあったわたしの本は、出版のプロの予想を完全に裏切り、売れに売れた。》

《前年度の年収が90万円、皮膚感覚としてケンタッキーフライドチキンはセレブの食いもんだと感じていた極貧スポーツライターは、一千数百万円の現金を抱えてジャガー屋さんに乗り込み(それもふんぞりかえって)、「このXK8っていうオープンカーください。色はブリティッシュ・レーシング・グリーンで」とかのたまってしまうほどの成金におなりになられたのでありますよ。感じ悪かっただろうなあ、あの頃のわたし。》

《書いてる文章のレベルや内容は売れてない頃とほぼ変わっていないはずなのに、単行本が売れた途端、びっくりするぐらいの勢いで新規の仕事が舞い込んで来る。「お書きいただけるなら原稿用紙1枚4万円で」などと、目の玉が飛び出しそうな条件を持ってきてくれた出版社もあった。》

あー、やっぱり。本人もそう思ってたのか(笑)。このあと、高田延彦から自伝を書いてくれと頼まれて実際に書いた経緯や、『プライド』を書くことになって取材を始めたらこんなことあんなことが、という経緯が、こんな感じの口調(文体)で綴られていくのですが、そこもまた、おもしろいんです。金子達仁、こんなに苦しんでたのかと。いや、そんなの、当たり前なんだけど、すっかり売れてからの金子氏は、イケイケのブイブイいわせるヤツ、みたいな印象でしたからねえ。そんなの当たり前だろうというのは、まあ、自分がトシとったからわかるんですけどね。

トシとったから、というのは、この年齢になってみると、一見、成功したように見える人も、見えない(見せていない)ところではいろんな苦労をしているのが当然だということがわかってくるから、なのですが、そういうのって、わかる人はわかるけれどわかんない人はわかんないというのも、自分がこの年齢になってみて、ようやく、わかりつつあることです(だから幸せを他人と比べてもしょうがないんだよ、というのが、近年、よく考えることです)。

『プライド』の「本文」には、こんな一節があります。

《「もうね、こっちはいろんなところを削られて削られて、肋骨も脛もかじられまくっちゃってる気分なわけですよ。あの田村の言葉を聞いた時は、ただただ勘弁してくれよとしか思えなかった。肉体的にも精神的にもそんなもんできる状態じゃねえよって」
 コミカルなキャラクターでバラエティ番組などでも活躍するようになる引退後の高田であれば、ストレートに向かってきた田村の言葉を笑いに変えることもできたかもしれない。
 現役時代の高田には、無理だった。》(p.117〜118)

こういう振り返りは、同時代を生きてきて、書き手自身もいろんな経験をしてきてからでないと、できないと思うのです。そういう点も含めて、この本は、50歳を過ぎた金子達仁にしか書けなかった。

再び、『プライド』の「あとがき」から。

《アトランタ・オリンピックが行われた1996年当時、その28年前に行われたメキシコ・オリンピックは、わたしにとって江戸時代や戦国時代に等しい存在だった。そこで起きたことや登場人物のことは知っていても、所詮はテレビや映画、書物の中での存在というか、とんでもなく遠い時代の出来事でしかなかった。(略)榊原さんにとって、高田さんにとって、そしてわたしにとって、20年前は「つい最近」だった。(略)かつて28年という年月をはるか彼方のようにとらえていた人間が、50歳を超えると20年という月日を手が届くかのように感じている。
 自分が生きてきた時間って、知識として理解してる時間とは、まるで別物なんですね。》

そうそう、そうなんですよ!!!ぼくも、これ、最近、よく感じることです。10年前ですら、気づかなかったことです。だけど、いまは、よくわかる。ぼくは20年前のワールドカップ初出場もPRIDE・1も拓銀破綻もついこの間のように感じるけれど、自分が生まれる20年前というのは終戦直後であり、その時代は、ぼくの中では(江戸時代とは言わないまでも)明治維新と同じくくりの中に入ってる。

そんなふうにいろんなことを語りたくなる「あとがき」。この感覚、同世代(以上)の人とでないと、共有できないだろうなあ(若いヤツにはわかんねえだろ!と言いたくなっちゃう自分は、まだまだ、頭の中が幼稚だ(^^;))。

これからもこういう発見をたくさんし続けていくんだろうなあと考えると、年を取るのも悪くない…と考えるのは、このところ、体力が落ちているのを実感することが多いからで(徹夜で仕事すると翌日使いものにならないとか)、自分自身の働き方、ひいては生き方を見つめ直しながら、もっともっと、世のため人のために尽くさねばならぬ…と、高田とヒクソンが表紙になった『プライド』(の「あとがき」)を読んで、考えたのでありました。
読書 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

この記事に対するコメント

コメントする









この記事のトラックバックURL
http://work.kuma-i.com/trackback/1195593
この記事に対するトラックバック