熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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文化系ランナーの呪縛

ジュンク堂で出会いました。

本 それからの僕にはマラソンがあった

『それからの僕にはマラソンがあった』というタイトルだけで、なんとなく、わかっちゃいました。初めて会った人なのに、おお!と言いながら握手しちゃうような。

マラソンって、そういうものなんですよね。日常のあれやこれやで、擦り切れそうになっているとき、マラソンは、自分を助けてくれるのです。

自分のよりどころになるのは、マラソンなのです。

本を読む時間なんてないんだよ!と言いながら、この本は、買ってすぐに、ソファの上にごろんと横になって、貪るように、読みました。それは、ある意味、現在の状態がかならずしもよい状態ではないから、かもしれないのですが。

《四十代までは、ただ与えられていることを一生懸命やっているだけですが、五十代からは自分が本当にやりたいことに情熱を傾けることができるのです。そこで自分の思いを実現させるには体力が必要ですし、精神的なメンテナンスも欠かせません。その意味でも、ランニングは役に立つと思います。》(p.162)

中盤には対談もあって、そこには、こんなことも書いてあったりします。

《僕らのような文化系ランナーは村上春樹さんのように「少なくとも最後まで歩かなかった」と墓標に刻みたい呪縛がありますから(笑)。》(p.109)

わはは(笑)と笑える人は、文化系ランナー、ってことなのかな(笑)。「少なくとも最後まで歩かなかった」は、村上春樹さんの『走ることについて語るときに僕の語ること』の中の第9章のタイトルにもなっている言葉で、それが、マラソンの途中で歩いたり止まったりしてはいけないってところにぼくらを縛り付けている、そこから逃れるのは…というのが、ここで議論されているテーマです(議論というほど小難しい感じじゃないですけど)。
 

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