熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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道北ローカル線乗りつぶし(2)

9時23分に浜頓別に着いても、次の天北線は、上りも下りも、2時間以上ない、という中で、ぼくは、ベニヤ原生花園に行ったのでした。北海道の動植物の名前やら生態やらに多少詳しくなるのはもう少し後、ユースでヘルパーやったりしてからのことで、当時は何も知らないから、暑い中(興浜北線で写真を撮っていたときはガスっていて肌寒かったのがこの時間帯には太陽がギラギラしていた)、えっちらおっちら、重い荷物を持って歩いていった先のベニヤ原生花園がただの草原で、なんだよこれ原生花園でもなんでもないじゃないか!と、騙されたような気分になったものでした(今ならばもう花の時期は終わっていたのだとわかるのですが)。

浜頓別駅に戻って、11時41分発の天北線音威子府行きに乗り、音威子府では3分接続の旭川行き普通列車324レに乗車。美深に13時47分に着いて、13時58分発の美幸線に乗り、仁宇布まで単純往復。この日の朝の興浜北線や、同じ旅の最初のほうで訪れた興浜南線は、夜行列車を使って朝の時間帯に訪れることで全線乗車と走行写真の撮影の両立が可能だったのですが、さすがにここは無理でした。

昭和57年の北海道鉄道路線図

美幸線に乗ったのは、このときだけ、生涯だったの一度(1往復)だけで、それほど深い思い入れがあるわけでもないのに、終着の仁宇布の一つ手前が辺渓であることが記憶に深く刻まれているのは、『時刻表2万キロ』を繰り返し読んでいるからでしょう。

《私は周遊券を持っているけれど、仁宇布駅発行の切符を入手しておきたいので窓口へ行く。
「ぺんけ」と私は言った。つぎの駅は辺渓である。
「入場券なら三〇円」と窓口氏は言う。ああそうかと思ったが、意地をはって「いや、辺渓まで」と私は無愛想に言った。すると窓口氏は、
「一枚だけでいいの?」と聞く。もちろん一枚でいいから「一枚」と答えると、こんどは、
「ハサミ入れる?」と聞く。私はうなずいて七〇円払った。
 私は、あくまで辺渓まで乗る必要があるのだという顔で押し通し、四〇円損をしたが、どうやら窓口氏にはすべてがわかっているらしい。私みたいな連中を扱いなれているような応対である。》
(『時刻表2万キロ』第7章 美幸線・興浜北線・興浜南線・名寄本線・渚滑線・歌志内線・「上砂川線」・万字線)

宮脇俊三さんが美幸線に乗ったのは昭和51年で、ぼくが乗る6年前です。その時点でもすでにこうだったのだから、ぼくが乗ったときは推して知るべし、この旅ではいわゆる盲腸線に行っても鉄道ファンばかりということはほとんどなかったのですが、美幸線だけは例外でした。本数が限られていたからでもあるのでしょうが、ここだけは、終着駅でわずかな折り返し時間に入場券を買うのが慌ただしかった記憶があります(それがゆえにそれ以外の記憶がほとんどない)。

この5年後、国鉄再建法で廃止対象となった路線が本当に廃止になり始めた頃は、どこへ行っても鉄道ファンだらけだったことを思うと(そのときはユースに泊まっても「鉄ちゃん」という言葉が普通名詞として通じた)、昭和50年代は、まだまだ、牧歌的でした。

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