熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
<< December 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< 広尾駅って知ってますか | main | 疲れたので >>

スラントノーズが登場したころ

「北の国から」には、ときどき、列車が登場しますが、登場人物が利用するのは、ことごとく、急行列車です。当時はまだ石勝線の開通前で、札幌と釧路を結ぶ特急列車は富良野を経由していたから、特急を利用することも可能だったはずなのですが、特急列車はまだ特別な存在だったということなのでしょうか…って書きながら思ったんですけど、当時ぼくは埼玉県民で福島県内の東北本線沿いに親戚がいて夏休みはいつもそちらに行ってましたが、《ひばり》に乗るのはちょっと特別で、《まつしま》《ざおう》が定番でしたね、そういえば。

富良野を通る特急列車は《おおぞら》であり、《おおぞら》といえばキハ183系、というのが、35年前に初めて北海道を訪れたぼくのイメージ。そのキハ183系の初期型、いわゆるスラントノーズと呼ばれる車両は、現在もなお、石北本線を中心に活躍中です。

「スラント」「スラントノーズ」なる言葉はマニア用語と思われがちですが、キハ183系のデビュー直後の鉄道ジャーナル(1980年5月号)の巻頭ルポに、「スラントノーズ」という言葉が登場しています。

鉄道ジャーナル1980年5月号

《183系はいかつい角張った顔を引きしめるようにして、吹きさらしの函館運転所の留置線で道東への遥かなる旅立ちを待っていた。降りしきる雪が屋根や前面の突起物につもり、時おり乱れ飛ぶ雪片が特徴あるスラントノーズの真紅の肌に白く散った》(「80年代の国鉄ニューフェイスに試乗 氷雪の大地の新鋭ランナー 183系ディーゼル特急<おおぞら> さいはての旅路…」鉄道ジャーナル1980年5月号)

《おおぞら》なのに、なぜ函館?と疑問に思うかもしれませんが、当時は、函館から釧路行きの《おおぞら》がありました。鉄道ジャーナルに乗車ルポが乗っている《おおぞら》は、函館11時40分発で、釧路21時55分着。走行時間、10時間15分。

記事 氷雪の大地の新鋭ランナー

この記事の中に、車掌さんが183系を紹介したアナウンスの全文が載っていて、ここでも、「スラント」という言葉が使われています。「スラント」は、最初から、国鉄公認だったわけですね。

《183系の紹介アナウンス/御承知と思いますが御乗車いただいておりますこの車両は2月10日から運転の、北海道の雪と寒さに十分たえられるように新しく開発しました、183(イチハチサン)系の新型特急車両でございます。先頭の形はスラント形と言いまして高運転台でございます。安全性をかねた斬新なデザインの車両(くるま)となっております。座席は回転式のリクライニング方式でございまして、座席間隔も新幹線と同じ94センチメートルでございます。通路の出口は自動ドアとなっております。車体には耐寒耐雪の空気バネを、またゴムでつつんだコイルバネを使用し、揺れは少なくなっております。そのほか自動消火装置を搭載し、安全面にも万全を期しております。なお、食堂車はついておりませんが、車内販売ではお弁当や各地の名産物など各種とりそろえてございます。国鉄では今後も、このような新しい車両の導入を進めておりますので、みなさまの御利用をお願い申し上げます》(鉄道ジャーナル1980年5月号)

赤い帯に青地のヘッドマークは、いま見ても、じつに美しいデザインです。なにより、この、国鉄らしからぬカクカクした顔に、よく似合っています。

それにしても、このときの鉄道ジャーナルの表紙、攻めてるなあ。
旅と鉄道 | permalink | comments(4) | trackbacks(0) | - | -

この記事に対するコメント

釧路ー函館を修学旅行で乗った時はこの前の型式車両だったのかな。10時間ちょっとは速いなあと、修学旅行に飛行機という時代ではなく、当時はそれしかないので不思議ではなかったけど、朝五時過ぎに釧路を出て札幌で降りた記憶が無いのでそのまま車中で過ごしながら函館についたのは24:00を回っていたかもしれない。そこから1:00発くらいの青函連絡船に乗って青森は朝の3:00頃だったかな。さすがの若者も東北区間は記憶がなく、起きたのは宇都宮あたりだった。古い時刻表を見て確かめたくなりました。
岡山 | 2017/06/30 7:34 AM
私の勘違いだったみたいです。古い時刻表を検索したら、《便利な時代ですね)その移動は釧路発14:05で、札幌20:00,
函館0:25 青函連絡船が0:45発で青森着が4:35だったようです。すいません古い話で鈍行からまつか何かと混同していたようです。
岡山峰伸 | 2017/06/30 9:08 AM
すぐに調べられるのは便利なのですが、たとえ誤った記憶であっても自分の頭の中に残っているイメージであることは間違いないわけで、それが簡単に書き換えられてしまう(書き換えないで放置しているとネット上で親切?に指摘してくる人もいる)というのは、おもしろくない時代になってしまったのかなあと思ったりもします。
issei | 2017/06/30 1:36 PM
こんばんは。幼少期から札幌在住で、祖父母が十勝地方在住ですが、石勝線が開通するまでは急行狩勝がお盆と正月の定番でした。純君がお母さんを見送るシーンは、何度見ても自分の子供時代を思い出させてくれます。
割とお金のある家庭で育ったつもりですが、特急に乗ったのは石勝線が開通した後ですね。確か石勝線は急行がなかったと記憶しています。この記憶が正しければ、盆と正月の列車が格上げされたのは、それ以外に選択肢がなかったからだと思われます。
ちや | 2017/06/30 7:47 PM
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://work.kuma-i.com/trackback/1195385
この記事に対するトラックバック