熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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21年目も、よろしく。

礼文島の民宿海憧は、今年、20周年を迎えるそうです。

そうです、って、そんな他人行儀な言い方もないか。その前の船泊ユース・ホステルの時代から知ってて、民宿海憧の宿泊日数はたぶん上位10位以内には入るぐらいに使っているのだから、そうです、って言い方はないな。数えてみれば、たしかに、20周年だ。

民宿になる前の、ユースだった頃は、夏休みに行くといつも「うちは今年でユース終わり、来年から民宿にする」と言っていたから、あの年も、みんな、本気にしてなかった。

あの年も、というのは、1996年の夏で、記憶を辿れば、ぼくが東京の自宅を出発する朝は絶対王者だった田村亮子が無名の16歳ケー・スンヒに決勝で負けたニュースばっかりで、北海道に行こうとしているのにどうして東海道新幹線に乗ろうとしてるんだろう?と自分でも不思議に思いながら大阪に向かって、大阪駅からトワイライトエクスプレスのシングルツインという不思議な名前の個室に乗って北海道に上陸し、北大の近くのビジネスホテルの部屋で有森裕子の「自分で自分をほめたいと思います」を見て、サッカーでナイジェリアが優勝した試合は船泊ユースの食堂のテレビで見た…というのは、どこかに記録が残っているわけではなく、その年の帰り、香深港でみんなに見送られて帰った場面から記憶を巻き戻していくと、断片的に、そういう場面が出てきます。つまり、これは、アトランタオリンピックやってた年です。

その年だけじゃなくて、その前の年も、ユースの奥の部屋で、旅っていうのはね、とか、宿というのはね、とか、そんな話をしてました。ユース・ホステル協会の縛りとユース・ホステル協会に加盟していることのメリットのバランスがどうこうとか、民宿って本来はこういうものだよね、とか、そんな話を、昼夜を問わず、よく、やってました。

ユースやめて民宿にするってのを聞いたのは、その年の秋の東京大会でしたっけ?新宿で、まだ100人規模で大会やってた頃。違うかな?

そして1997年5月1日が民宿海憧の開業記念日(のはず)。ぼくは、開業祝に訪れた常連客のみなさんがあらかたいなくなった後、5月3日の朝に、船泊ユースあらため民宿海憧を初訪問しています。その年のカレンダーをみると、5月1日は木曜日。おそらく、月末月初の平日に、会社を休むわけにはいかなかったのでしょう。5月2日金曜日の夜の飛行機で千歳へ移動し、札幌から急行利尻に乗って5月3日の朝に入るのが、精一杯でした。

あれから20年。思い出話を綴りはじめたらキリがないほど、いろんなことがありました。礼文島も変わったし、礼文島を訪れる旅行者も変わったし、旅行者のスタイルも変わりました。そういう中で、民宿海憧も、時代の変化に合わせてスタイルを変えながら、営業を続けてきました。

21年目の民宿海憧、そして礼文島に、みなさまもぜひ、お越しください。

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この記事に対するコメント

ユースやめます→何だと!とばかりに100人以上東京大会に集まる→来年から民宿になります→一堂ズッコケる、で間違いないです。オイラもいたし。

去年はとうとう年間30泊(笑)今年もこのくらい行けそうだと言う有給・夏季・冬期休暇を全て注ぎ込む暇人
ワーハハハ(≧▽≦)ノシ バシバシ
Tシャツだらけ | 2017/03/08 11:30 PM
間違ってなかったですか。
あの年は、やたら、やめるやめるって言ってましたもんね。

年間30泊となると、バイトさん並みですな。
(やってることもバイトさん並み?(^^;)
issei | 2017/03/09 8:24 AM
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