熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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29分の記憶

明日から3月です。

昭和の名列車カレンダー 3月 新快速電車 昭和50年撮影

153系の新快速、いわゆるブルーライナー。ぼくは関東に住んでいたから、これはリアルタイムでは知りませんが、新快速という不思議な響きは、インパクトがありました。そして、なんといっても、117系は、衝撃的でした。あれほどの衝撃を与えてくれた電車は、117系のほかには、500系新幹線電車ぐらいしか思いつかないかもしれない(どちらも関西だなあ)。

本の見出し 昭和55年 117系電車

当時の新快速は京都と大阪の間がノンストップで、ぼくは(住んだことがないからなおさらその記憶が強くなって残ってるってことなのか)いまだに高槻に停車したりすると「あれ?」と思ったりします。ぼくの印象では、いまだに、大宮の次は十三で、七条の次は京橋だったりします(それっていつの時代の話だよ!って突っ込まれそうだけど)。

京都〜大阪間の29分という時間を明確に記憶しているのは、その頃ぼくが使っていた東武東上線の池袋〜川越間が、同じく、29分だったからです。いま調べてみたら、現在の東武東上線の列車種別は当時とはぜんぜん違っているんで比較は難しいんですが、あの頃の29分は、かなり速かったんじゃないかと思います。「池袋から29分」というと、けっこう、驚かれたこともありました。

ただし、29分というのは、当時の急行の所要時間でありまして、当時の急行は(日中は)20分に1本でした。池袋の次が成増で、その次が志木、次が川越。そりゃ、止まらないのだから、速いわけです。有楽町線はまだ池袋〜銀座一丁目間の時代だから和光市に停車する必要はないし、朝霞台で武蔵野線に乗り換える人も多くなかったし(なにしろ当時の武蔵野線は40分おきぐらいにしか走ってなかったですからね)、鶴瀬と上福岡の間の新駅はまだ計画すらなかった(けど当時からあの駅間の長さは不思議で、土地もたくさんあるんだからここに駅作ればいいのに…と思ってたら、駅ができて、あっという間に住宅地になったらしい<ぼくは新駅ができてからのことは知らんのです)。

まだ、床が板張りで吊掛モーターの電車がパワー全開で走っていた頃の話です。

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