熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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流氷観光

この間も紹介した『ドキュメント 流氷くる!』(菊池慶一著、2000年1月刊)の中には、こんな一節があります。

《私が流氷見聞記の「白いオホーツク」を最初に出版した二十五年前には、奇人変人の部類に入れられた。今でもそんなに変わりはないが……。当時流氷が早く来て欲しいなどと言おうものなら、石つぶてが飛んできそうだった。流氷は漁業を妨げ、寒さを運んでくる邪魔物という観念が、わずか二、三十年の間に変化したのだから、今世紀に特筆されるべき文化構造の様がわりである。》(p.34)

ということは、ぼくが初めて流氷を見に行ったのは、その様がわりのちょうど中間ぐらいの時期、ということになります。紋別の「ガリンコ号」は登場したばかりで、網走の「おーろら」は、まだ、なかった頃。釧網本線を走る流氷ノロッコ号も、まだ、なかった。流氷はそれなりに観光資源として意識されてはいたと思うけれど、冬の観光の目玉ってほどではなかったような気がします。

…と書きながら、気になったので調べてみたら、「ガリンコ号」の登場が1987年、「流氷ノロッコ号」が1990年、「おーろら」は1991年。ぼくが小清水でユースのヘルパーやったのは1989年の冬だから、その辺から、流氷観光が本格化してるってのは、そんなに間違っていない。

なんでいまさらそんなことを言っているのかというと、今年の冬、「流氷ノロッコ号」の後継として運行されている「流氷物語号」の評判がよいのは、その頃からの積み重ねがあるからなのだろうと思うからです。だから、ただのラッピング車両じゃないか、指定席もないのに何が観光列車だ、などなどの声があっても、びくともしない。先人の努力があって、地域の人たちが長い時間をかけて流氷観光という資源を育て上げてきたから、いまがある。

批判のための批判をするつもりではないけれど、よく言われるように、そこは、北海道の、とても弱いところです。わーっと盛り上がるけれど、育てていくことができない。最初からどかんと打ち上げ花火を上げようとして、うまくいかないと、すぐにあきらめちゃう。

もちろん、ビジネス的な視点でいえば、助走期間は赤字でもいい、なんてことではなくて、最初から収益が出るようなモデルを作ることは必須なのですが(ここを間違えると事業はうまくいかない)、最初からどーんと大きくするようなものを目指すのではなく、大事なことは、小さく生んで長い目で見ていくこと、そして、単発の大きな花火を打ち上げるのではなく、小さなタマを次々に繰り出していくこと(何が当たるかわからないのですから…それを決めるのはマーケットなのですから!)。当たり前のことではあるのですが、自分の頭の中にある流氷観光の記憶を引っ張り出してみて、あらためて、そんなことを考えています。

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