熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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1982年の急行利尻

サッポロビールが道外でキャンペーンをやっていることは知っていたけれど、うちの両親はお酒飲まないし、北海道歴代特急といわれてもいまいちピンとこないし、まあいいやと、すっかり忘れていたら、道外に住む友人が「利尻」を送ってきてくれました。

 

サッポロビールの北海道歴代特急コレクションヘッドマークコースター「利尻」と道内時刻表

 

さすが、よくわかってる(笑)。このラインナップなら、「利尻」だよねえ。

 

もっとも、ぼくにとっての「利尻」は、特急「利尻」というよりは、急行「利尻」のイメージなんだけど、そんなことはどっちだっていい。急行「利尻」にヘッドマークはなかったと思うんだけど、そんなこともどっちでもいい。北海道ワイド周遊券で旅しているとき、宿代わりに使った列車は「利尻」「大雪」「まりも」の3本があったけど、「大雪」や「まりも」は、終着駅の先に乗り換える路線があったのに対して、「利尻」の終着である稚内は、先のない、純然たる終着駅。これがいいんです。

 

上の写真で後ろにあるのは、弘済会の道内時刻表の1982年7月号です。つい最近、たまたま、入手しました。1982年の7月というのは、ぼくが初めて北海道を訪れた年で、当時の記録はもう何も残っていないのですが、この時刻表があれば、自分の記憶を手繰り寄せることができます。

 

急行「利尻」に初めて乗ったのは、7月25日の日曜日でした。その日の朝、釧路からの急行「まりも4号」で札幌駅6時25分着、7時35分発の急行「えりも2号」で様似駅11時31分着、11時40分発の国鉄バスに乗って、えりも岬に12時45分着、13時35分発の国鉄バスで広尾駅14時42分着(たしか高校野球の南北海道大会の決勝戦のラジオ中継が駅前で流れていた)、広尾15時31分発の広尾線普通列車で帯広駅17時24分着、17時40分発の急行「狩勝4号」に乗って、21時21分着の岩見沢で下車…という行程だったはずです。様似や帯広の乗り継ぎがそんなに慌ただしかったのかどうかの記憶がないのですが、広尾ではけっこうな時間があったのは覚えています(だからラジオ中継のことも記憶に残っている)。

 

岩見沢駅のだだっ広い(と記憶に刻まれている)待合室で、しばらくぼんやりとしてから乗った稚内行きの「利尻」の自由席は、日曜日の晩だったからなのか、ガラガラといっていいぐらいに、空いていました。

 

急行利尻の時刻表(札幌付近)

 

いま、そのときの時刻表を見て、ちょっと驚いたのは、「利尻」の稚内到着が6時22分であることでです。「利尻」が稚内に着くのは6時ちょうどだとばかり思っていたのは、大きな思い違いでありました。

 

急行利尻の時刻表(稚内付近)

 

それから34年後の現在、なぜか礼文島に年に何回か(何回も)行くヒトになってしまった自分が不思議に思うのは、稚内到着が6時22分だったら利礼航路の最初の便に間に合わないじゃないか!ということで、当時の急行「利尻」には利尻島や礼文島を訪れる若者が大勢乗っていたというイメージがあるんだけど、近年の稚内発利尻島または礼文島行きの船の初便は6時20分とか6時30分とかに出るから、これだと間に合わない。

 

答えは、利礼航路の時刻表にありました。

 

利礼航路の時刻表

 

当時は、いちばん早い利尻行きの船でも7時10分発(しかも沓形行き)、その10分後に利尻行き(鴛泊行き)がもう1便あって、礼文に行く船は7時40分発。さらに驚くのは、礼文まで2時間半もかかっていることで、船も現在では考えられないほど小さい(けど、船の大きさについては、多少、実感があります−ぼくはこの5年後に初めて礼文島を訪れるのですが、そのときも「第5宗谷丸」は、まだ、現役でした)。

 

さらに驚いたのは、2つ上の画像にちらっとありますが、急行「利尻」の前を走っていた臨時急行「利尻51号」の音威子府到着時刻です。この「利尻51号」は、ぼくの記憶によほど強いインパクトを残しているらしく、ついこの間、第三モッキリセンターで昔話に興じた際にも「利尻51号はキハ40で、ぼくはそれを音威子府で降りて…」という話をしたんですが、いま見てびっくりですよ。

 

音威子府到着は、午前2時40分なのです。

 

とんでもない時刻に下車したという印象は残っていたものの、まさか2時台だったとは、そりゃ、強いインパクトを残しますわね。で、こんな時刻に下車してどうしたのかというと、音威子府4時16分発の天北線の列車に乗って、興浜北線に行って、斜内で下車して、斜内〜目梨泊間のいわゆる斜内山道で、車輪と線路のこすれる音がキーキー響いていたキハ22を撮ったのでした。いまは北見神威岬って言い方のほうが一般的なようですが、ぼくの(34年前の)記憶にあるのは、斜内山道、です。

 

 

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この記事に対するコメント

懐かしいものお持ちですね。羨ましい限りです
実際に自分も51号は自分も乗ってました。夏休みの帰省の時に使ってましたが、常便の利尻と違い、夜間でも車内放送がある列車だったんですよね。
夏はカニ族の移動手段としてかなりの満席状態で運行されてましたっけ。
編成もいかにも臨時。40系もあれば27系も56系も繋ぐ。外見のカラーリングがまぁすごいすごい(笑)ただ共通の「国鉄色」であったことだけはよく覚えてます。
この時刻表の時代は利礼航路は利尻島まで2時間5分、礼文島まで2時間半でしたね。(第5宗谷・第7宗谷・第10宗谷クラスはそんなもんでした)それ以前はなんと!3時間超えの時代があったんです。(フェリー化〜第1宗谷就航〜になって前述の時間です)
利尻の下り終着時刻は結構変動していたと思いますよ。45系客車時代、14系客車時代、キハ400系+客車時代でそこそこ違ってますよね。6時ぴったりというのは結構後期かもしれません。
monkiti papa | 2018/11/14 11:01 AM
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