熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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地図を歩く 堀淳一

1974(昭和49)年初版の本が、新装版として復刊。めでたい。価格がちょっと高いのと、本文に地図の色のことが何度も出てくるわりにはカラーページがないのが不満ではあるけれど(どうせ値段の高い本なんだからもっと高くなってもカラーページを入れたほうがよかったんじゃないかとは思うけれど)、この本が提供しているのはいわゆる情報ではないから、これはこれでいいのでしょう。

情報ではない、というのは、たとえばロングセラーになったJTBキャンブックス『鉄道廃線跡を歩く』シリーズ(全10巻)は、廃線跡がいまどうなっているかという記録であるとともに、そこへ行く人のためのガイドブック的要素もあったのに対し、この本(地図を歩く)にも廃線跡を歩く話は出てきますが、この本が提供しているのはあくまでも著者流の地図の楽しみ方(=地図を眺めて気になったらそこへ行ってみる)である、という意味です。

最初のほうに出てくる「堀」の地図(著者が子供のころに自宅の敷地を計測して地図にしたもの)なんて、情報としてはなんの役にも立たないし、情報だというのであれば、この本に収録されている著者の旅行記は昭和40年代のものなのだから、現在にあっては役に立つはずがない。当時の貴重な記録になっているとしても、それは、おそらく、著者が意図したことではなく、結果的にそうなっているにすぎません。

それでもおもしろいのは、誰かが作ったフォーマットに乗っかることなしに、自身の関心を究めつつ自己流の旅の形を切り開いていく喜びが読みとれるからです。自分の中から自然にあふれだす思いを行動につなげていく心地よさ。趣味って本当はこういうことなんですよね。

著者は、地図をこのように定義しています。

(p.46〜47)
 地図というものは、地表の本質的な様相の抽出を意識的に行なったものと考えられる。したがって、空から地上を見たときの感動は、ふだんはほとんど不可能なこの本質の抽出を、地図が行なっているのと同様になし得た、というよろこびの表出なのだ、と理解することができよう。
 漫画でしか知らなかった人物に実際に会って、ワァ漫画そっくりだ、と思わずふき出したくなることも、大いにありそうだ。美しい景色を見て、まるで絵のようだと感嘆するのも、同工異曲であろう。絵画は実在の風景の単なる描写ではなく、そこから美を抽出して、それを鮮烈に表現するものなのだから。
 話がやや飛躍するようだが、物理の実験をやってみて、物理の法則がちゃんと成り立っていることに感銘するのも、またこれらと似たことと思われる。
 多くの場合、物理法則は、複雑な自然現象をありのままに観察しただけで発見できるものではない。問題となっている物質の性質ができるだけ純粋に現れるような、単純化した条件のもとで実験を行なって、初めて見出されるものである。
 これは、現象を支配するさまざまな因子から、重要でないものを取り除いて、本質的なものののみを抜き出す、という操作を行なっていることにほかならない。実験によって受ける感銘は、先人と同じく自分もこの操作に成功した、というよろこびの現れと考えられる。

この本の巻末の「解説」を書いている今尾恵介さんもこの箇所に着目しており、おおそうなのか、地図の専門家でもこのとらえ方は新鮮なのかと驚かされたのですが、さらに驚いたのは、僕が読みながら付箋を貼った箇所が、今尾さんが解説で引用している箇所と一致していることでした(笑)。それはたとえばこんな箇所。

(p.181)
少し下ると、川岸の低い段丘の上に開けたひわ色の水田と、真白な小石を敷きつめた河原の中に翡翠の絵具をひと刷毛塗ったような付知川とが、足下に見えてきた。宮島を過ぎると川幅はぐんと広がり、河原は輝きを増し、水の色はいっそう冴え、また深味をおびてきて、やがてエメラルド・グリーンの美しい弧を描いて川が大きく曲流する、まぶしいように白く広い河原を直下に見下す地点に出た。河原を濃くふちどりながら向う岸の急崖をおおうつややかな黒翠の森の上に山腹の宮の上集落の整然とした棚田を前景としてそびえる、暗緑色のまだらを無造作に斜面に置いたような雨乞棚山を一望に収め、その左手遠くには雪をのせた井出ノ小路岳をはるかに望む大観に、私は思わず息をのみ、しばし足を止めた。

文字だけなのに読み手が映像を見ているかのように描けるのは、著者が地図を読む技術に長けているからでもありましょうし、また、上に引用した箇所のように多くのごちゃごちゃした要素を切り捨てて必要なものだけを抽出能力にすぐれているからでもありましょうが、堀淳一さんは、もともと、文章がうまいんですよね(<僕がいまさら言うまでもないことなんですけど)。

解説の今尾さんと引用箇所がかぶったのは、そうした中にあって、この箇所が抜群にうまいってことです。2012年の感覚からするとちょっと古く感じられる表現もあるかもしれませんが、風景描写を心理的情景にすることなく(心理的情景で表現すれば楽なのですがそれはよほどうまく書かないと読み手に伝わらないです)、見えるものをやさしい日本語で正確に伝えようとする姿勢は、ものすごく参考になります。
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