熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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そして8年と6日の月日が流れ去り


(2003年12月3日発表資料)

JリーグアフターゲームショーFINAL第3部「JAGS討論会2011」@スカパーがあまりにおもしろくて、録画したのをまた見てしまった。

見ているうちに(なんでこれまた見たくなったんだろう?と考えつつ)、コンサドーレ札幌の今回のJ2脱出(J1復帰)がどうしてこんなのに楽しいのか、わかってきた。

JAGS討論会2011の全体テーマはあくまでも今シーズンのJリーグの総括ではあったのだが、だからといって今シーズンの話ばかりをするわけではなく、終わってみれば昨シーズン以前から続く中期的な話が多かった。あたりまえのことのようだが、今シーズンの結果は今シーズンの話だけで完結するものではないのだ。

そこでわれらが札幌である。CM含め2時間のJAGS討論会2011ではJ2で3位の地方クラブの話なんて議題にするほどの時間はなく、札幌について触れられたのは「河合は足がでかい」ぐらいだったが、柏レイソル、ガンバ大阪、サンフレッチェ広島、セレッソ大阪、浦和レッズ、FC東京、ジェフユナイテッド千葉etc.について論じられるのを見ながら、今季の札幌がじつに正しい昇格をしたことに気づき、だからこんなに楽しいのだと理解したのである。

もうみなさんすっかり忘れてますけど(忘れてない人は絶対に忘れてないだろうけど)、8年前(2003年)の今ごろ、札幌はクラブが消滅する寸前だった。コンサドーレ札幌強化計画(いわゆる五段階計画)が発表されたのがこの頃なのだが、この計画は「清算か継続か」から始まっている(上の写真)。

そこで出てきた結論は、もちろん、クラブを存続することであり、存続のために選択した戦略は、育成型クラブを目指すことだった。

ま、この辺は、季刊サッカー批評に永井謙一郎氏のすばらしい論考が掲載されましたから、ご存知の方はよくご存知ですわね。

育成型にするんだからトップチームの成績が上がらないことは覚悟しなさいと言われて(言われてないかもしれないけど観客的にはそういう意識になって)、04年に育成が得意とされる柳下正明監督を迎えて、04年は本当に勝負を捨ててシーズンを過ごしたら、J2最下位というじつにわかりやすい結果が出た(が、最下位といっても12チーム中の12位であって、昨年=2010年=の13位よりは上なんだけど)。

同じ頃に日本ハムファイターズが移転してきて北海道日本ハムファイターズとなり、観客とマスコミをごそっと持っていかれたコンサドーレ派としては「けっ。」と思ってたんだけど(とくにマスコミは極端だったからねえ)、そういう状況だったから、札幌はJ2最下位になっても柳下体制を継続できたのではないかと、今になってみるとわかる。

あの年の終盤、寒風吹きすさぶ厚別のスタンドには「へたくそ!」という野次に「下手なんだからしょうがねぇだろ!」と言い返す人がいた。ガラガラのスタジアムで「おれたちバカだねえ」と言いながら試合を見ていたときにはやりきれなさしかなかったが(でも信じてついていくぞという思いだけが最後のよりどころだった)、あそこに今季最終戦のような熱気があったら、柳下監督が3年間も指揮をとり続けることはできなかったのではないか。

柳下監督は、ユースから昇格したばかりの選手をいきなり開幕スタメンで使ったり、同じくユースから上がったストライカーに試合中に頭の上から水をかけるという荒療治を施したりして、就任2年目の05年には昇格に手が届きそうなところまで行ったのだが、ロスタイムに3点とられる逆伝説試合もあったりして、3年間やったけど、昇格はできなかった。


(2006.12.02/このときの対戦相手は鳥栖だった)

いま思えば、そんなに短い時間でポンポンとうまくいくわけないんだけど、当時は、それがわかっていなかった。

3年間やった柳下監督の後が三浦俊也監督で、この人が就任1年目にして6シーズンぶりのJ1復帰という結果を残してくれたのだが(07年)、正直、なんだかなあ、という思いは、心の奥底にはあった(出さないフリしてたけど)。育成に重きを置くといって、実際に柳下監督で3年間それをやってきたのに、結果が出なかった−と書くと「結果って何ですかね」と福田さんに言われそうなので表現を変えよう−昇格できなかったからといって、レギュラーメンバーをベテラン中心にして(あの年のサイドバックは池内友彦と西澤淳二ですよ)、サッカーのスタイルもまったく正反対なものに変えてしまうなど、継続性はゼロだった。

ただ、昇格しちゃったものだから、これはこれで受け入れなきゃいけないのだろうと考えて、いやいやいや育成といったって試合にはベテランも必要なんだよ、だの、健全経営のためには観客増が必要で観客を増やすためには内容なんかどうでもいいからとにかく勝利なんだよ、だの、そんな理屈をこねて、むりやり自分を納得させていた。

それに加えて、きわめて個人的な話だが、当時は私はクラブと仕事をさせていただいていて、クラブ事務所に出入りしながらクラブの方々が一人一人はみな一生懸命に仕事に取り組んでいるのを目の当たりにしていたもので、現実を合理化せざるを得なかった。そうしないとクラブの人と関係が悪くなるとかの次元の低い問題ではなく、自分自身の仕事に対する意識を高く保つためには、多少無理をしてでも自分の気持ちを現実に合わせていくしかなかった(一般論としてそうだと思います)。

1年目でJ1昇格を果たした三浦監督は、2年目には他のチームから(申し訳ないがいまいちぱっとしない)若手選手や中堅選手を移籍させてJ1に臨んだが、あっさり惨敗した。収穫といえるものは、ユース出身の西大伍がJ1の試合に出続けたことで大きく成長したことぐらいだった。


(2007.05.05/宮の沢でこういう名前のケーキが売られていた)

三浦監督の後が現在の石崎信弘監督。うまくやりくりしながら目の前の結果だけを取りに行く(その能力はものすごく高い)三浦監督でもやっぱりダメだったから、原点に戻って若手育成に定評のある石崎監督、という判断だったのかどうかはわからない(そうであってほしいとは思うが)。たまたま、石崎監督だった、のかもしれない。そして、そのまま3年間にわたって監督が変わらなかったのも、クラブの強い意志はあったにせよ、ほかに適任者がいなかった(いても呼べるだけのお金がなかった)という理由もあったのかもしれない。

理由はともかく、3年間にわたって監督を変えなかったのは事実であり、その結果が(いろんな「たまたま」がまわりまわった結果であったとしても)3年目の昇格であり、若手の成長だった。高卒4年目の宮澤裕樹は押しも押されぬ中心選手に成長し(もう少しムラがなくなるといいんですけどねぇ)、ユース時代から大事に扱われてきた高卒2年目の古田寛幸もレギュラー格に育った。三上陽輔、櫛引一紀、奈良竜樹といった10代の選手も、トップチームの試合で使える選手になった。

そこは石崎監督だけの功績ではなく、以前からクラブ全体でそういうところを目指してきた結果なのだが、昨年のJ2で13位という成績を問題視して監督を変えていたならば(いや、問題視はしてもらわなきゃ困るんだけど)、リーグ戦終盤のセンターバックが現役高校生(奈良)なんてことはなかっただろう。

今回の昇格が楽しいのは、サッカーのスタイルが、とか、若手の活躍が、とか、そういうことではなく(もちろんそれもあるけど)、8年前のシーズンオフにクラブが目指しはじめたことが(とりあえずの)結実を見せたことにあるのだと思う。

次に大事なことは、石崎監督が何度も言っているように、育った選手を定着させるチームにしていくこと(J1定着というのはそのための戦術の一つである)。だから、来季以降、すぐに考えなければいけないのは、レベルの高い練習相手を確保する仕組みづくり。難しい問題だけど、ここを解決しないと、たぶん、状況は変わらんよ。
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