熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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死闘そして歓喜

1997年のワールドカップフランス大会アジア最終予選を描いた名作である。



後藤健生さんの著作の中ではこれがいちばん好き。腰巻のキャッチコピーもいいし(だから私にしては珍しく腰巻を捨てていない)、カバーを外すとちょっとした仕掛けがしてあるのも楽しい。この本がなければ、2002年から2003年にかけてコンサドーレ札幌の全試合を生観戦しようなんてバカなことを考えることはなかった。

今年(2011年)11月20日のJ2リーグの試合で札幌がザスパ草津に「まさか」の敗戦を喫した(と、そのときはみんな言ってましたけど、草津はその後の2試合も勝ち、最終戦に至っては今季途中まで首位争いをしていた栃木SC相手に4-0と大勝して、最終的には16勝13敗9分で20チーム中9位だったのだから、けっして弱い相手ではなかったのだ)後、この本を読みなおした(<だからそんなことしてないでちゃんと仕事しろよっ!と、2週間後の私は当時の私に言いたい)。

とりわけ、この本の「プロローグ」は、非常に印象深い。以下引用。

 最終予選が始まった頃には、リードされた時はもちろん、一点を先制しただけでパニックになってしまうようなナイーブなチームだったが、予選の最終段階では、一点リードすると落ち着いて後ろでパスを回すこともできるようになっていたし、このイラン戦のように一度は逆転されたにもかかわらず、まったく慌てずにいつものような攻撃を執拗に繰り返して、追いついて延長に持ち込むこともできるようになった。
(中略)
 たとえ、トップや二位のチームに引き離されかかっても、何試合も勝ち星に見放されていても、そこで諦めてはいけない。粘り強く、引き分けで勝点「1」を積み重ねていけば、いつか展望は開ける。
(中略)
 そして、試合を重ねていくと、結果は、不思議と実力通りに収斂してくるものだ。アジア最終予選のA組もB組も、いくつもの番狂わせがあった。…(略)…しかし、終わってみれば、…(略)…あまりにも順当な結果だった。
(中略)
 あるゲームでは、不運に見舞われることもある。絶対にゴールインというシュートに、オフサイドの位置にいた選手が足を出してゴールが認められないこともある。監督の采配ミスで、せっかくのリードをふいにしてしまうこともある。とんでもない酷暑の中の試合で苦しむこともある。ロスタイムに追いつかれてしまうこともある…。
 だが、一つのチームにいつまでも不運ばかりが続くはずはない。ロスタイムに追いつかれることもあれば、逆に終了寸前にゴールキーパーのミスで一点を拾って、勝点「1」を獲得することもある。相手のゴールキーパーの負傷に救われることもある。あるいは、ライバルチームの躓きに狂喜することもある…。
(中略)
 終わってみれば、たいていは、きわめて順当な結果が舞っている。しかし、どこかで諦めたり、戦いを放棄していたら、その結果は得られなかったはずだ。
 そのことを知った日本代表チームは、九試合の戦いの中で大きく成長した。三位に落ち、遠征の途中だというのに監督が突然交代した逆境にあっても、はるか遠い異境の地、中央アジアでのアウェーゲームで二引き分けと、勝てないまでもとりあえず負けずに乗り切ることができた。そうして1ポイントずつ積み重ねてきた勝点が、最後には日本を二位に滑り込ませた。サッカーを見るマスコミやファンも、最終予選のアップダウンを通じて、サッカーというゲームの本質を垣間見ることができたのではないか。日本のサッカー界にとっては、じつに有意義な十週間だった。

長いリーグ戦というものは、最後は収まるべきところに収まる。10月以降、一つ一つの試合の結果に文字通り一喜一憂しながらも、けっしてネガティブな方向に流れなかったのは、このアジア最終予選(と後藤さんの本)の記憶があったからだ(ついでにいうと、あの97年の最終予選は自分史上最大のおもしろさだったと思ってきたのだが、今季の札幌の戦いはそれに並ぶものだった)。

11月26日に平塚で湘南ベルマーレに2-0と勝利を収めた試合は(この試合のことばっかり何度も書いてすみませんね)、私にとっては、97年の韓国0-2日本@ソウルだった。日本がアウェーで韓国に勝ったその試合は、私は現地観戦したこともあってとても鮮烈な記憶として残っているのだが、アウェーなのにとんでもない数のサポーターがいたことや、ここで負けたらもうおしまいという状況で2-0というスコアで勝ったことは、今年11月の平塚の試合も同じだった(ソウルの試合については大住良之氏が素晴らしいコラムを書いているので、ぜひご覧ください)。

平塚で勝ったときは、2-0というスコアだったこともあって、じつは、すぐにあのソウルの試合後のことを思い出していたのだが、言葉にしてしまってうかれるとロクなことがないと考えて、あえて誰にも言わなかった。97年のソウルでの2-0勝利のときは(帰りの飛行機でハイテンションのまま松木安太郎に声かけたら返事してもらえたりして楽しかったのだが、それはさておき)、次の試合でUAEの猛攻をウズベキスタンのGKブガロが止めてくれて、日本が救われた。平塚の帰り道、「明日の試合で鳥栖が3-0ぐらいで勝ってくれるといいんだけど…」と言ったのは、あのときのことを思っての願望でもあったのだ。

そして帰宅後にまた後藤さんの本を出してきて(そんなことばかりやってたんだから仕事になるわけがないわね)、上の写真にある帯を眺めて「光明、死闘、そして歓喜。」の文字に思いを馳せて、そうだ、次は死闘だ、そしてその先には歓喜があるのだと思い込んでいた。

そういう意味でも、試合前日だったかに河合竜二がインタビューで言っていたように、最終戦の相手がFC東京であったことはよかった。これが最下位のFC岐阜との対戦だったとしたら、楽勝ムードが出ちゃって、選手というよりは見守る観客の側に緊張感がなくなって、ぬるい試合になっちゃってたかもしれない。もちろん、最終戦がホームゲームだったこともよかったし、相手が東京だったことで迫力あるチャントを繰り出してくれるたくさんのアウェーサポーターがいたことも、試合を盛り上げた(観客を試合に集中させてくれた)大きな要因だった(最終戦の相手が東京なのは厳しい、なんてことを言う人が多かったなか、道内ローカルのラジオ番組で「最後に昇格をかけていちばん強い東京とホームで戦えるなんて最高ですよ」と言っていた野々村芳和にあらためて拍手!)。

『アジア・サッカー戦記』の表紙には、キングがいて、J1で優勝した柏レイソルのコーチがいて(どっかで監督やらないんですかね?)、町田ゼルビアを経て川崎フロンターレの監督になった人がいて、横綱とモンゴルでサッカーやってた人がいて、ユニクロのCMで暖かいズボン履いてる人がいて(あれ一般人は誰だかわからんだろ)、「戦」の字の左上にはゴン中山選手がいる。これ見ると、やっぱり、この人は、今季の札幌の苦しい戦いを歓喜で結実させるには必要不可欠な存在だったのだなと思う。

↓文春文庫版も絶版になってるようで残念。
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