北海道だけど被災地
東日本大震災の大津波で工場が壊滅した株式会社ヤマジュウ(北海道浜中町霧多布=きりたっぷ=)の再建を応援する「北海道網元浜中丸サケファンド」の募集が始まりました。1口10,500円から申し込めます(5口以上の申込で、時不知鮭の切身など「網元浜中丸特製セット」の送付がある由)。
東日本大震災の津波といえば三陸海岸という印象が強いかと思いますが、北海道の太平洋側でも大きな被害が出ました。それがほとんど報道されていないのは、三陸海岸の被害があまりに甚大だったことに加え、死者・行方不明者が1名だったことや、もしかするといかにも津波で押し流されましたという「絵」がなかったことも、理由なのかもしれません。
私にとって、霧多布というのは、学生時代に何度も訪れた思い出の地でもあります(大学4年の秋にぶらぶらしていて「その辺の山を買わないか」と言われたこともあります)。
ヤマジュウの工藤社長とは、そうしたこととはまったく無関係に、数年前、ご縁ができました。「鮭の切り身を1600円で売っている」と聞いて「そんなもん誰が買うんだよ」との思いを抱きつつ、約20年ぶりに霧多布を訪れ、ヤマジュウさんで超高価格の鮭(一切れ1600円)を焼いていただきました。
うまいんだ、これが。
霧多布岬の灯台(2011年1月)。

今年3月11日の大地震(私は札幌にいましたが長い時間の揺れがありました)の3日後、つまり3月14日月曜日の朝、ヤマジュウの工藤社長から電話がありました。
「うち、工場全滅だわ。もう笑うしかないですよ」
すぐに行ったところで何ができるわけでもなし、私が現地を訪れたのは3月24日でした。片づけてだいぶきれいになった、とはいうものの、工場の中はこんな状態。

津波が通過した高さでめくられたシャッター。

津波により使用不能となった高圧電源装置。

津波の高さは2.8メートル。この装置は上部まですべて海水に浸かってしまった。真水ならまだしも海水だったゆえに復旧不可能となり、現在も使えない状態が続いている(ゆえに現在は高圧電源を必要とする製品は製造できない)。
土台ごと流されてきた物置。

左奥が海、右手前にあるのが被災した工場。

津波直後は、上の写真中央の電柱の脇に漁船があったとのこと(このときはすでに撤去されていたが、写真を見せてもらった)。
なにしろきつかったのは、北海道内ですらこの被害が知られていなかったことで、4月26日に北海道ローカルで放送されたNHKニュースの取材記者も、霧多布でこのような被害があったことは、4月になるまで知らなかったようです。同じ北海道内といっても、札幌と霧多布の間は400km近く離れていて、東京から名古屋や仙台よりも遠いのです。
津波に遭ったヤマジュウの工場の場所。
大きな地図で見る
きりたっぷ、って、響きがいいでしょ。エトピリカという、日本国内ではほぼここでしか見られない海鳥がいることでも知られていて、私も初めてここを訪れたとき(1980年代の話です)には、わざわざ双眼鏡を持って断崖絶壁にあるエトピリカの巣を見に行きました。
ぜひ、みなさまの応援をお願いいたします。
セキュリテ被災地応援ファンド
北海道網元浜中丸サケファンド
北海道浜中町 霧多布の津波被害(2011年3月24日の私のブログ)
もどかしい話(2011年4月26日の私のブログ)
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私にとって、霧多布というのは、学生時代に何度も訪れた思い出の地でもあります(大学4年の秋にぶらぶらしていて「その辺の山を買わないか」と言われたこともあります)。
ヤマジュウの工藤社長とは、そうしたこととはまったく無関係に、数年前、ご縁ができました。「鮭の切り身を1600円で売っている」と聞いて「そんなもん誰が買うんだよ」との思いを抱きつつ、約20年ぶりに霧多布を訪れ、ヤマジュウさんで超高価格の鮭(一切れ1600円)を焼いていただきました。
うまいんだ、これが。
霧多布岬の灯台(2011年1月)。

今年3月11日の大地震(私は札幌にいましたが長い時間の揺れがありました)の3日後、つまり3月14日月曜日の朝、ヤマジュウの工藤社長から電話がありました。
「うち、工場全滅だわ。もう笑うしかないですよ」
すぐに行ったところで何ができるわけでもなし、私が現地を訪れたのは3月24日でした。片づけてだいぶきれいになった、とはいうものの、工場の中はこんな状態。

津波が通過した高さでめくられたシャッター。

津波により使用不能となった高圧電源装置。

津波の高さは2.8メートル。この装置は上部まですべて海水に浸かってしまった。真水ならまだしも海水だったゆえに復旧不可能となり、現在も使えない状態が続いている(ゆえに現在は高圧電源を必要とする製品は製造できない)。
土台ごと流されてきた物置。

左奥が海、右手前にあるのが被災した工場。

津波直後は、上の写真中央の電柱の脇に漁船があったとのこと(このときはすでに撤去されていたが、写真を見せてもらった)。
なにしろきつかったのは、北海道内ですらこの被害が知られていなかったことで、4月26日に北海道ローカルで放送されたNHKニュースの取材記者も、霧多布でこのような被害があったことは、4月になるまで知らなかったようです。同じ北海道内といっても、札幌と霧多布の間は400km近く離れていて、東京から名古屋や仙台よりも遠いのです。
津波に遭ったヤマジュウの工場の場所。
大きな地図で見る
きりたっぷ、って、響きがいいでしょ。エトピリカという、日本国内ではほぼここでしか見られない海鳥がいることでも知られていて、私も初めてここを訪れたとき(1980年代の話です)には、わざわざ双眼鏡を持って断崖絶壁にあるエトピリカの巣を見に行きました。
ぜひ、みなさまの応援をお願いいたします。
セキュリテ被災地応援ファンド
北海道網元浜中丸サケファンド
北海道浜中町 霧多布の津波被害(2011年3月24日の私のブログ)
もどかしい話(2011年4月26日の私のブログ)
この記事に対するコメント
ヤマジュウさんも被害を受け,札幌大丸デパートの売り場が品薄になっているのは知っていました.しかし,工場が全滅だったとは・・・
ヤマジュウさんの社長とは同級生です.
「サケファント」に応募したいと思います.
再建を願うのみです.
世の中が厳しい折、企業経営者の中には安直な道を選ぶ人も少なくないのですが、工藤社長はがんばっておられます。
幸栄の伊藤くんから聞きました。天草の自社工場にずーっと行ってたのでサイトをゆっくりみれませんでした。工藤さん大変だったんですね。
ファンドについて良くよみこんでみます。