熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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【言葉】要は、安売り化のドツボに嵌らないことだ。

そんなわけで今日は(あえて仕事のことは考えないようにして)だらだらと、ほぼ終日、惰眠と読書を繰り返して過ごしました(が、土曜日なのに仕事関係のとても手間のかかる事項をメールで送ってきてくれた方には、放置しては申し訳ないので、中身を検討しつつ返信させていただきました)。

怒りは正しく晴らすと疲れるけれど
怒りは正しく晴らすと疲れるけれど
日垣 隆

この本、半分ぐらいは「WiLL」誌の連載で読んだと思うのですが、タイトルに引かれて購入しました。が、付箋を貼ったのは、タイトルとは関係のないところ。
(第9章「得意なことで食う」から:)
要は、安売り化のドツボに嵌らないことだ。時給なんぼの世界では、コンピュータ化や、海外のより安い労働市場に太刀打ちできない。時給が固定されている世界は、同じことでも早くやればやるほど単価が下がる。異様だと思わないか?


思いますよ。私はそれで会社に入って2年目だか3年目に暴れたんだもん。あのとき会社を辞めなかったのは、明確な理由があってのことなのですが、これはこういうところに書くことではございません(が、これについては私はけっこうあちこちでしゃべっているので−あれは今でも忘れることのできない出来事ですから−、聞いたことのある人は少なからずいると思います)。

同じ章から、もう1箇所。
人はただ「好きなこと」ではなく、世間に「必要とされること」で稼ぐのが道理だと思う。自分にはつまらないからと言って職場を次々に変えていったら、スパイラルに陥っていくのはあたりまえだ。必要とされることを長くやり続けて初めて「そこそこ一人前」になる。


結局、会社を辞めようと思ったときから(辞めようと思ったのがいつなのかはもはや明確にはわからなくなってますが)、現在に至るまで、私がずっと抱えているテーマは、これなんです。会社勤めをしていた頃は「自分がやるべきことはもうここにはない」と考えて退職に至るわけですが、これを別の角度からみると「自分はもうここでは必要とされていない」だったんじゃないかなと、上の引用部分を読んで気がつきました。

ここで大事なのは、自分は「もう」必要とされていない、と考えたことで、最初から「自分は必要とされていない」と考えるのとは違うのです。間違いなく必要とされた時間があって、そこで与えられた仕事に傾注したうえで、「もう」必要とされていない、なのです。その当時、自分では、これを「もはや自分の居場所はここではない」と、ひどく思い上がった、自己中心的な考え方をしていたのですが。

その点では、たとえば「○歳までに○○を達成する、今はそのために○○を学ぶ期間」なんてことは私は考えたこともなくて(そういうキャリアの積み方を否定はしませんが私はそうではない、という意味です)、そういう意味では職人的人生が合っているのかもしれません。

職人というのは仕事の依頼(受注)があって初めて生きていけるわけで、それじゃ下請けじゃないですか、と考えるのは、違うんですね、これが(だけど大きな会社でサラリーマンやってる人はわりとそういうふうに考えちゃうみたいなんだよね)。私はその辺は会社勤めをしているときにさんざん考えたことがあって、というのは、自分の給料はどこから出ているのか、自分の会社の売上はどこから来ているのか、マクロの経済が拡大するというのはどういうことなのか、というのを、経済学の教科書的にではなく、身近なところから考えてみたのですが、結局のところ、よくわかんないままです(一時期は「やっぱり大蔵省でお金を握っているのがいちばん強いんじゃないか」と真剣に考えていました)。

いや、しかし、上の文章は、自分の中でしかつながってないな(すみません)。

で、なんでそんなこと考えたのかというと、私は仕事(会社の業務)として、たとえば「巨人優勝の経済効果」なんてのを計算したことがあるわけですが、(これは過去にも何度も書いていますが)マクロ経済でみれば、そんなものはたぶんほとんどないんです。巨人が優勝したからYGマークの野球帽を買ったとしても(そんなもん誰も買わないだろという突っ込みはさておき)、おそらくその家庭においてはその分だけ日常の生活費を削るわけで、つまり消費支出の金額は全体でみれば変わらない、からです。

それでそういうことを考えるうち、自分の会社の売上が増えるってどういうことだ?と考えるようになって(これは「複合不況」でそれまでの日本経済ではあり得ない低成長時代に入った−その後の言葉でいうと「失われた10年」が訪れた−ことが大きかったのかも)、なるほど信用創造ってそういうことか、しかしこうなったらもう限られたパイの中でお金をぐるぐるまわすしかないんだから売上なんか伸ばせないじゃん!じゃあ辞めちゃったおれどうするんだよ!!と、だから、これは、やっぱり、辞めてから考えたことなのかな?

そんななかで、日垣氏の本に戻ると、最終章の渡部昇一氏との対談の中で、日垣氏がこんなことを言っています。

ですから、その仕事がなくなっても大丈夫だという状況、他に五重にも六重にも収入が確保されているという状態を作らなければならないと考えています。


経済のパイが拡大し続けていた頃は、こういうのを「経営の多角化」と呼んでいたわけですよ。それが経済低迷期になると「本業回帰」とかになるわけですが、多角化というのは、多方面で売上伸ばしましょうという話ではなく、リスクマネジメントの問題としてとらえなければいけなかった、というのは言い過ぎで、こういう時代になったからそういうとらえ方をしましょうということなんでしょうけど、これもまた、私にとっての大きな(過去から現在に至るまでずっとある)テーマです。

言いっぱなしだけど、ブログだからこれで許してね。
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