山あいに忽然とあらわれる町
これまた2009年9月5日撮影。
上の地図の左側(西側)の、留萌とか小平のほうから入ったのであれば違和感はなかったのかもしれませんが、地図の下(南)から入ったので、しかもこの辺がどんなところかはほとんど下調べなしに行ったので、露天掘りの石炭を運ぶダンプカーが行き交う以外にはまったくの無人の山の中を抜けた先に突然あらわれた「町」にびっくりし、こんなところにこんな町があるのは炭鉱があったとしか考えられない…とかなんとか言いながらさらに進んだその先に、ホッパー(の遺構)が登場して、納得したのでありました。
帰宅してからあらためて調べてみれば、この「達布」地区には、かつて天塩炭鉱があり、その石炭を運搬する手段として鉄道も敷設されていました(「天塩鉄道(→その後「天塩炭礦鉄道」に改称)」留萌〜達布25.4km、1967年7月31日廃止)。その辺は、JTBの『鉄道廃線跡を歩く』シリーズだと第6巻に掲載されていますが、建設の背景なども含めてより詳しい記述があるのはネコ・パブリッシングから2004年に刊行された「消えた轍」(NEKO MOOK 718)です。
消えた轍―ローカル私鉄廃線跡探訪 (1) (Neko mook (718))
寺田 裕一
同じくネコ・パブリッシングから出ているRM LIBRARY58「昭和29年夏 北海道私鉄めぐり(上)」には、若き日の青木栄一氏によるレポートに加え、当時の天塩鉄道の時刻表も掲載されています。
昭和29年夏 北海道私鉄めぐり〈上〉 (RM LIBRARY(58))
青木 栄一
ついでに書いておくと、この種のことを調べたかったら(もちろん古い一次資料に当たるのがベストなのですが)、鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション11「北海道の鉄道 1950〜60」がとても役に立ちます。amazonのリンクは見当たりませんが、平成18年7月発行なので、まだまだ十分に入手可能ではないかと思います。
世は鉄道ブームだそうですが、このレベルまで来ちゃうと、かなりマニアな男だけの世界なんだろうな〜(^^;)
上の地図の左側(西側)の、留萌とか小平のほうから入ったのであれば違和感はなかったのかもしれませんが、地図の下(南)から入ったので、しかもこの辺がどんなところかはほとんど下調べなしに行ったので、露天掘りの石炭を運ぶダンプカーが行き交う以外にはまったくの無人の山の中を抜けた先に突然あらわれた「町」にびっくりし、こんなところにこんな町があるのは炭鉱があったとしか考えられない…とかなんとか言いながらさらに進んだその先に、ホッパー(の遺構)が登場して、納得したのでありました。
帰宅してからあらためて調べてみれば、この「達布」地区には、かつて天塩炭鉱があり、その石炭を運搬する手段として鉄道も敷設されていました(「天塩鉄道(→その後「天塩炭礦鉄道」に改称)」留萌〜達布25.4km、1967年7月31日廃止)。その辺は、JTBの『鉄道廃線跡を歩く』シリーズだと第6巻に掲載されていますが、建設の背景なども含めてより詳しい記述があるのはネコ・パブリッシングから2004年に刊行された「消えた轍」(NEKO MOOK 718)です。
消えた轍―ローカル私鉄廃線跡探訪 (1) (Neko mook (718))
寺田 裕一
同じくネコ・パブリッシングから出ているRM LIBRARY58「昭和29年夏 北海道私鉄めぐり(上)」には、若き日の青木栄一氏によるレポートに加え、当時の天塩鉄道の時刻表も掲載されています。
昭和29年夏 北海道私鉄めぐり〈上〉 (RM LIBRARY(58))
青木 栄一
ついでに書いておくと、この種のことを調べたかったら(もちろん古い一次資料に当たるのがベストなのですが)、鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション11「北海道の鉄道 1950〜60」がとても役に立ちます。amazonのリンクは見当たりませんが、平成18年7月発行なので、まだまだ十分に入手可能ではないかと思います。
世は鉄道ブームだそうですが、このレベルまで来ちゃうと、かなりマニアな男だけの世界なんだろうな〜(^^;)
この記事に対するコメント
お役に立てたようで嬉しいです。
この辺は、北海道内でもとくに雪深い場所で、今でも冬は雪に埋もれていると思います。ましてや、炭鉱がまだ現役だった頃は、今よりも雪は多かったでしょうから、さぞ、大変だったのではないかと思います。
秋吉台は近くではありません。