熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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札沼線廃止区間の現在 2009年9月(その2)

その1に続き、いずれも2009年9月5日の撮影です。

旧碧水駅。

中央上部の四角いところは「碧水駅」の駅名が掲示されていた跡?

これもまた見つけにくいのですが、周囲はこんな感じ。

場所は、例によって農業倉庫を探すと「たぶんこの辺だろう」とわかるのですが、上の建物がわかんないんです。

碧水駅跡の少し先(石狩沼田寄り)に残るコンクリート橋。

これは国道からはっきり見えます(すぐわかります)。

ところで、雨龍駅跡と石狩追分駅跡は(その1)のような標柱があって、駅舎も残っている碧水駅跡にはそれらしいものが何もない、というのは、雨竜町には廃止モニュメントを遺そうとした人がいて、北竜町にはいなかった、ということではないかと思われます。

田中和夫著『北海道の鉄道』(北海道新聞社、2001年)に、こんな記述があります。

(p.212)…ところが翌(引用者注:大正)十三年五月に行われた第一五回総選挙で与野党の勢力が逆転し、東が所属する政友会に代わって「改主建従策」をとる憲政会内閣が成立した。たちまち札沼線敷設三年繰り延べ案が提出された。連絡を受けた同盟会や関係町村の代表団が急いで上京し、繰り延べ案の阻止に奔走した。雨竜村の蜂須賀農場主の侯爵蜂須賀正韶らの支援もあって、札沼線の敷設工事は大正十五年から八カ年の継続事業で実施されることが確定した。


北海道の鉄道
北海道の鉄道
田中 和夫

現在の雨竜町と北竜町は、大正末期には、すでに別の村となっていました。蜂須賀農場は雨竜町の歴史を語るうえでは絶対に無視できない存在ですが(めんどくさいからここでは説明しません−興味があったら検索してみてください)、こんなこともあって、両町の間で、札沼線に対する思いの温度差があるのかもしれません。
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