熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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石勝線ノスタルジー

昨年からJR石勝線に乗る機会が多く、そのたびに車窓から大構築物=道東自動車道の建設現場を目にしてきて、あの何もなかった土地をこんなふうにしてしまうのはやりすぎなんじゃないか、いや、しかし、先にこの自然を破壊してしまったのは鉄道のほうなんだよな、そういえば石勝線を秘境路線のようにとらえてきたのはあの鉄道ジャーナルがあったからなんだよな、等々と考えるうち、「あの鉄道ジャーナル」が見たくなって、先月、東京へ行った折、神保町の菅村書店に行って、買ってきました。

新夕張駅付近の車窓(2008年12月撮影)


「あの鉄道ジャーナル」


わざわざ古書を買い求めねばならないのは、1986年以前の鉄道ジャーナル誌は自宅の火災により消失してしまったためで、その後、自分の書いた記事が載っている号などは書泉グランデなどで買ったのですが、さすがにいまさらすべてのバックナンバーを揃えようと考えることはなく、こんな感じで、ときどき、何かを思い出したり何かを書くために必要になったりすると、買っている次第です。今はネットで古書店の在庫を検索して買えるようになったから、ずいぶん楽になりました(そういう仕組みがなければこんなお気楽な理由でこの1982年1月号をわざわざ買おうと考えることはなかったと思います)。
1982年1月号ということは1981(昭和56)年の11月21日に発売になった号であるはずで(きっと私は高田馬場駅前の芳林堂で買ったに違いない−あの店はまだあの場所にあるのだなあ)、石勝線はその直前に開通したばかり、さらに1年ほど前に国鉄千歳空港駅(現在の南千歳駅)が開業、といった時期です(千歳空港駅の開業は、国鉄がついに東京〜北海道の鉄道輸送をあきらめたという意味で、当時としてはかなりのエポックメイキングでありました)。

この号はよほど熟読したのか、どこにどんな記事が載っていたのかをおおよそ記憶しており、なかでももっとも読みたかったのが、石勝線撮影ガイドでした。当時まだ中学生だった私にとっては、本文に書かれている事柄の一つ一つがあまりに衝撃的でした。

もしかすると、高校生になってから、鉄道写真を撮影するために初めて北海道へ渡ったとき=初めてコダクロームを使ったとき=に、実際に行ってみようと検討したのかもしれません…それであれば、あの記事の中に1日2本しかないバスのダイヤが載っていたことの記憶が鮮明であることも、説明がつきます。

バスのダイヤというのは、撮影ガイドの記事の中で、
占冠−落合間には占冠村営バスが走っており、一日朝夕各1往復ではあるが占冠−トマム−石勝高原−上落合−幾寅に運転されているので利用するとよい。

という文章とともに紹介されているものです。当時の自分にとってはまったく想像のつかない、ものすごい山奥であるかように説明されている場所にバスが走っているという事実に驚き、そんなところを走るバスというのはどんなものなのか、いったいどんな道を走っているのか、想像を膨らますよりもさらに手前の、ただただ、興味を持つことしかできない状態で、「下トマム」「トマム6線」などの文字や、時刻を表す数字を、ひたすら眺めていました。

おそろしいことに、あれからもう30年近く経っているというのに、占冠村営バスは当時と同じように1日2往復の便が、占冠と幾寅の間を結んでいます(現在の時刻表)。当時は「石勝高原駅」だったのが「トマム駅」に変わっているものの、上り便に至っては時刻も1981年当時とほぼ同じままです。当時の日本国内の乗用車登録台数は、15歳以上人口比でみると26%(つまり15歳以上の4人に1台の割合)だったのに対し、直近(2007年)では52%(2人に1台の割合)にまで上昇しています。これほど乗用車利用が一般的になったというのに(当然、それに伴って、道路整備も進んでいるでしょう)、いまだ30年近く前と同じような時刻表で(=同じようなスピードで)同じ場所にバスが走っているのは奇跡です(<揶揄しているわけでも皮肉を言っているわけでもなく、単純に、なんだかすごいことだと思う、という意味です)。

かくいう私は、今年の初めに、仕事で幾寅へ行く機会がありました。鉄道ファン的には幾寅というと滝川〜富良野まわりを想像しますが、現実は、トマム駅までクルマで迎えに来てもらい、占冠村営バスの走るコースを自家用車でたどったことでした。幾寅(南富良野町の中心地)の住民が札幌との間を行き来する際には、これが標準的なルートであるようです。思えば、「北の国から」でも、シリーズの最後のほうになると、五郎さんは富良野から占冠にクルマを走らせ、占冠から石勝線の列車に乗って釧路へ向かっているのでした。

仕事で訪れたトマム駅。


 あー、こんなこと書いてると、いつまで経ってもこの文章は終わらんぞ。

話が前後しますが、撮影ガイドの記事は、こんなふうに始まっています。

北海道でも未開の地として残されていた夕張山地と日高山脈をトンネルでぶち抜き、道央と道東を最短距離でつないだのが石勝線である。工事を開始して19年目にやっと開通にこぎつけたわけで、種々の事情も加わって延びてしまったのだが、路線は近代土木工学の粋を集めた最新の線といえよう。(略)千歳空港−新得間132.4kmの開業は在来の幹線として本邦最後の大プロジェクトといっても過言ではあるまい。(略)この石勝線沿線に入ってみると占冠村前後は別にして、東オサワ(東長和)・トマム(苫鵡)の近辺は廃家や廃校となった家屋が目につき、まさしくゴーストタウンの様相。いかに過疎で、また冬のきびしさから開拓者も捨てざるをえない自然環境であったかを想像できる。


多感な時期でしたからね。この文章がかなり強く頭の中に刷り込まれ、石勝線は国鉄最後のビッグプロジェクトだ、との思いが、今でも残っているのでしょう。

廃家や廃校が云々、という記述にも、時代を感じます。近年、私はあの辺をかなり(クルマで)通っていますが、もはや廃屋や集落の跡地はすっかり自然に還っています。2009年の現在しか知らなければ、あの辺はほぼ人跡未踏の地だったと思うことでしょう。だから、国道274号線(いわゆる石勝樹海ロード)を走っていると、すぐ上をまたぐ石勝線の立派な高架橋に出会うたび「よくこんなところにこんな線路を造ったものだ」と感心するのですが、実際には、それよりもはるかに前に、あんな山奥に分け入って生活していた(そして敗れた)人たちがいたのですね。

撮影ガイドは、さらに、こう続きます。

人間の敵、そして北海道で唯一の猛獣であるヒグマの生息地帯でもある。試運転が始まったあとでも線路のそばに足跡があったなど、撮影に行った人や保線の人たちからぶっそうな話が出ており、十分警戒しなければならない。特に俯瞰写真をとるために山中をかきわけて山に登ろうというときは、笛やカンシャク玉(火事に注意)などが必要となり、もし生々しい植物の折れた足跡を発見したときはすぐ退散すべきである。ヒグマの恐しさは本州の人や都会人には縁遠いが、よく知っている人たちは気配を感じるだけで即退散するのが常識となっている。そばで出合ったときはまず生きて帰れるとは考えられない。


この後、何年かして、北海道内のユース・ホステル(YH)に泊まり歩くようになり、意味不明に(けっして観光コースでもなんでもない)山の中を自分の足で歩くようになって、とくに春先の藪の中での「ごそごそ」という音に血の気が引く思いをする、という経験を何度かするようになるのですが、これを読んだ当時は、これまた、想像することすらできない世界でした。でも、これもまた、私を北海道にいざなった出会いの一つ、なのだろうと思います。



当時はまだ観光客(とくに若者)がレンタカーを使うことはさほど一般的ではなく(要するに「贅沢」だった−それは上述の乗用車の普及率の数字からもわかるでしょう)、また、鉄道を撮影するのに自動車を利用するなんてけしからんといった風潮もありましたし、ましてや私なんぞは運転免許を取得する前でしたから、クルマ利用の撮影ガイドは参考にすらならず、該当部分はほとんど読み飛ばしだったと思うのですが、2009年のいま、あらためて読み直してみると、こんなことが書いてあります。

占冠−新夕張間は道路が串形にしかなく、占冠から道道610号線を走り赤岩青巌峡を通って15kmほど行くとやっと清風山(ニニウ)の近辺に出る。清風山からは福山まで道道といっても林道のような砂利道をうねうねと回って、福山の部落に入る。福山からは夕張方面へ抜ける林道があるが、国道の工事関係者しか入れず悪路で通行は無理。福山から夕張・東オサワに行くには、さらに道道610号線を富内まで行き、道道518号線に入って穂別に、さらに道道514号線を進み稲里に着く。稲里を右に折れると東オサワに、そしてまっすぐ進み全線未開通の国道274号線で峠を越えると登川・新夕張も目の前である。清風山−東オサワ間は列車で6〜8分にくらべ、クルマでは1時間30分もかかる辺地である。


この30年ほどの間に、道路整備がいかに進んだか、が、わかります。占冠−新夕張間は道路が串形にしかなく、といわれても、今の地図しか知らなければ、意味がわからないでしょう。いまや、日高町〜樹海ロード経由のほかに、福山から占冠市街へとショートカットする道路(上記の引用箇所では「林道のような砂利道」とされている箇所を含む区間)が、道東道トマムIC〜十勝清水ICの開通とともに整備され、さすがにスーパーおおぞらのスピードにはかなわないものの、他のもろもろの条件を考慮すれば、けっして比較対象にならないような差はありません。

しかも、あと2年もすれば、この区間の高速道路がつながります。石勝線に乗っていても、国道274号線を走っていても、どちらにおいても感じることですが、高速道路は、石勝線よりもさらに立派です(そりゃ、30年も経ってるんだから、いろいろ技術も進歩するでしょうね)。おそらくは、石勝線の車窓から見た高速道路は目障りだが高速道路から見た(見下ろすことになる!)鉄道は絵になる、という、かつて宮脇俊三氏がどこかで書いたようなことが、ここでも実現することになるのでしょう。

とはいうものの、石勝線の開通から今年で28年、そして、石勝線の開通からさらに28年さかのぼると1953(昭和28)年になってしまう、ということを考えれば、むしろ、それほど大きくは変わっていないといったほうがいいのかもしれません。
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