熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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思い出は美しすぎるとともに悔しすぎて

東京マラソン2024はもう遠い過去の出来事のはずなのですが、僕を忘れた頃に君を思い出にできないという手紙が届くがごとく、忘れかけていた先週金曜日になって日経夕刊の鏑木毅さんの連載「今日も走ろう」のタイトルが「『ランナーの日』東京マラソン」だったわけです。大手メディアが東京マラソンを取り上げるときは、とかくオリンピック代表の選考レースといった視点になりがちですが、鏑木さんはMGCファイナルチャレンジに触れるともに市民ランナーのことも書いてくださっているのがさすがです。

鏑木さんが《ゴールの大手町の高級ショッピング街でカラフルな完走ポンチョをまとったランナーが誇らしげに闊歩する姿があった。「ランナーの日」という国民の祝日ができたのかと思うほど。その日、都心はマラソン一色になった》と書いている「完走ポンチョというのは、こういうものです。



今回はぼくは皇居側から有楽町へ地下道を抜けたのでこれを着た人たちが誇らしげに闊歩する姿を目にすることができなかったのですが、一昨年は、東京駅前がこれを纏った人たちで埋め尽くされた姿を目の当たりにしました。それはもう壮観としか言いようがなく、また、一昨年はまん延防止等重点措置下での開催だったので(何度も同じことを書きますがあの状況下で開催に踏み切った関係者のみなさまのご努力にはいくら感謝しても感謝しきれません)ランナー以外の人の数が相対的に少なかったこともあって、とくに多く見えたのだと思います。



金曜日にそんなのを読んじゃったものだから、この週末は、また、東京マラソン2024の録画を見ちゃって、あー、楽しかったなあ、また走りたいなあ…と思いつつ、やっぱり、多少ならぬ悔しさも出てきちゃうんだな。ろくに準備してなかった去年より2分半も遅いというのはダメだよなあ。やるだけのことはやったのだから、そこは納得してるんだけど、納得はしてもいいけど、満足はしちゃいけないというか、いや、まあ、1つ年を重ねているのだから2分半落ちるのは自然体のような気もするんだけど、勝負レースのつもりだった東京を3週連続の3週目にしたのは間違っていたんじゃないか、とか、もう2週間も経ってるのに、まだ、すっきりしてないんだな。



そんなもやもやは、たぶん、走れば、解消するんです。だけど、大阪で痛めた右足はまだちょっとへんだし、なにより屋外はまだまだ積雪が多くて、走れないことはないけれど走りづらい。そんなところを走っても楽しくない。とりあえずしばらくは大会がないから無理をする必要もないわけで、もうしばらく、ゆるゆると過ごすことにしましょうかね。
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東京マラソン2024(その5)

32kmの日本橋から銀座へと入っていくあたりでは、かなり疲れが出てました。それでもチームメンバーが沿道にいるはずだから歩くわけにはいかないと頑張って走り続けたのですが、メンバーの姿が見えない。あとで聞いたところでは応援ナビが固まってぼくを捕捉できなくなり、ぼくが走っているのを見つけたときにはもう通り過ぎていたとのこと。同じようなことを言っていた人はほかにもいて、今回の東京マラソンはコロナ後では最大規模だったから、応援ナビが同時アクセスに耐えきれなかったのか。

沿道といえば、ここまでいちいち書いてませんが、あちこちで見知らぬ方から「コンサドーレがんばれ」「コンサがんばれ」「札幌ナイスラン」などなど声をかけてもらいました。秋葉原では「こーんさどーれ!」とコールまでもらいました。みなさん本当にありがとうございました。

チームメンバーがいなくてがっかりしたわけでもないのでしょうが、セイコーの時計塔を曲がって33.5km収容関門用の黄色いバス(はとバス)がたくさん止まっているところで、ついに歩いてしまいました。が、後ろから来た人に「コンサファイト!」と声をかけられ、顔を上げれば背番号88BABAのコンサドーレユニランナーさんの笑顔が。

走らないわけにいかないでしょう!

でも、やっぱりきつくて、日比谷通りに入ってすぐ、また歩き始めたら、今度は背番号99のコンサドーレユニランナーさんが声をかけてくれました。99番がすーっと先に行ってしまった後、少し距離が離れてからでしたが「ありがとう!」と呼びかけたら、背番号99のランナーさんは、前を向いたまま、左手を上げてくれました。

そんなわけで、30kmを過ぎてからは励まされるばかりになっていたのですが、30kmまでは、Jリーグのチームのユニフォームを着たランナーさんを追い越すとき、苦しそうな人には、ぼくもけっこう声をかけてました。背番号と名前の入ったユニフォームを着た人が多いから、選手の名前を呼んで、「ファイト!」とか「がんばりましょう!」とか。みんな疲れているだろうに、ちゃんとこちらに顔を向けて「ありがとう!」と返してくれます。応援しているチームは違っても、みんな仲間なのですね。

88番と99番に抜かれた少し先で、沿道の人が「コンサドーレ多いな」「たまたまじゃないの」と言っているのが聞こえました。はい、その通りです、たまたまです。でも、X(旧ツイッター)には「マリノスとコンサドーレとカープが桁違いに多い」といった投稿もあったから、このときの3人連続はたまたまにしても、実際に多かったのかもしれません。まあ、カープは、どこのマラソン大会に行っても多いんですけど。

35kmあたりで道路の反対側(復路側の歩道)から「おおくまさ〜ん!」と呼ばれたような気がして、「ありがとう!」と返事をしたものの、誰だか全然わからず、心当たりもなかったから、別のオオクマさんなんじゃないか、あるいは、大久保さんだったんじゃないかと思ってました。同じようなことは前半の上野か秋葉原あたりでもあったのですが、どなたか心当たりのある方がいらっしゃいましたら、認識できず申し訳ございませんでした。

37km過ぎ、田町駅前。



このとき「サブ4は無理かも」と口にしちゃったんだ、たしか。

逆に言うと、ここまではまだ諦めてなかったのだ。35kmの通過タイムは想定を4分も超過していたからもう諦めるしかないのに、35km以降はキロ6分以上に落ちる想定にしていたから、ここから5:40/kmぐらいで走ればまだ取り戻せると思ってました。2週間前の京都マラソンは、残り3kmになってからでも5:40/kmで走れましたから。

田町駅のすぐ先の折り返し直後には、Jリーグのいろんなチームのユニフォームの方がいらして(東京マラソン財団の公式アカウントでも紹介されてました)、コンサドーレのフラッグを振っていた方からは、なんと!「な〜にもおそ〜れず むねをはりたた〜かえ♪」とチャントまで歌っていただきました。ありがとうございました!

40km付近で、笑顔のHくんが登場。そうか、さっき反対側で「おおくまさ〜ん!」と呼んでくれたのは、Hくんだったのか!Hくんとはコロナ禍の初期に会ったのが最後だから4年ぶりぐらいだったはずで、もうタイムはどうでもよくなっていたのだから立ち止まって少し話をすればよかったと今は思いますが、あのときはまだ何かを追いかけていたんだよな。自己ベストだったのか、自己ベストは無理でも4時間10分は切らなきゃと思っていたのか、思い出せないけど、とにかく、レースを捨てちゃいけないと考えてました。いつもは目標未達が明らかになるとレースを投げちゃうのに、今回は、最後までがんばれました。

さらにその先ではオレンジ色のシャツに身を包んだチームメンバー(サブ3.5ランナー)が並走してくれました。並走といっても、こっちがすっかり疲れ切っているから、完全に並んで走るのではなく、彼が先に走っていってぼくを待っていてくれることの繰り返しでした。

サブ4どころか自己ベストも難しくなって、こんなにいい条件なのにこんなタイムでしか走れないのでは東京マラソンに出た意味がないじゃないか…という気持ちがなかったとは言わないものの、そんなことはどうでもいいぐらいに、幸せでした。去年もそうだったのですが、日比谷公園の脇、帝国ホテルの前あたりの、広々とした通りを走っていると、タイムなんかどうでもいい、まだまだ走っていたい、ずっとこの幸せな世界の中にいたいと思えてきます。東京マラソンは今回で終わりのつもりだったのに、また来年も出たい!と思いはじめた自分に驚きました。

話が前後しますが、4:00のフラッグを付けたペースセッターには、数寄屋橋(33km付近)で抜かれました。33kmですでに4時間切りは非現実的になっていたわけです(それでも諦めなかった自分をほめたい<ようやく馬鹿になれた)。4時間以降のペースセッターはネットタイムなのでぼくの後ろにも4:00のフラッグのペースセッターがいたのですが、こちらの人たちにも日比谷公園の脇で抜かれました。ただ、これは沿道で待っていた人たちにはいい目印だったらしく、アプリ(応援ナビ)でぼくのゴール予想タイムが4時間ちょっとになっていたから、4:00のフラッグの人たちが通過したのを見て、もうすぐぼくが来るだろうと待ち構えることができたようです。

丸の内仲通り、残り900メートル。



ここで初めて、沿道側に寄って行って、立ち止まりました…と本人は思っていたのですが、動画を見ると(この写真は動画を加工したものです)、少しスピードを緩めただけでした。ずっと走ってきていると、これが立ち止まったと思えちゃうんだな。

で、今さら気づいたのは、自分では「ずいぶん歩いちゃったなあ」と思っていても意外にそうでもないのはそういうことなんだということで、あの区間はけっこう歩いちゃったなあと思っていても結果を見ると意外にタイムが落ちていないということは、よくあります。歩いたことのインパクトが強すぎて、実際にはそれほど歩いていないのに、自分の頭の中ではものすごく歩いた、という記憶に変換されるのでしょう。

東京マラソンの最後の丸の内仲通りは、何度走っても最高です。東京マラソンそのものが最高なんだけど、ラスト1kmの丸の内仲通りは狭いコースの両側に人がびっしりで、たくさん声をかけてもらえて、最高に気持ちがいい。脚が動かなくなっていたぼくが立ち止まったら(これも自分的記憶の「立ち止まった」だから実際には止まってなかったのかもしれないけど)、沿道の人(どこかのランニングチームの人)が「あとちょっと!がんばろう!」とスマイルをくれました。そんなふうに応援されたら、また、走るしかないじゃないですか。コース幅が狭くて沿道応援の人たちとの距離が近いから、沿道とランナーの一体感が半端ないのよ、東京のラスト1kmは。

そんなわけで、今年も楽しく走らせていただきました。せっかくの東京なのだからタイムなんか気にしないで途中で写真を撮ったり給食もちゃんと取ったりしながら走ればいいんじゃないかと、スタート前、ちょっとだけ考えてましたが、終わってみれば、4時間を切れなくても去年のタイムに届かなくても、そんなことはどうでもよかった。全力を出しきった、やれるだけのことはやったのだから、いいんです。

ぼくより後ろのブロックの人(=サブ4)に撮ってもらいました。



3年続けて出たからもういいかと思わないでもないけれど、やっぱり出てみたいような気もする。旅費がかかるといっても、今回なんて、ANAのセールのおかげで、往路の千歳→羽田は8,440円、復路は9,540円なのだから、大阪から新幹線で来るより安かったのですよ。来年もセールがあるかどうかはわからないし、チャリティの仕組みも年々変わってきていて来年どうなるかはわからないけれど、東京マラソンのチャリティは年に一度、寄付について考えるよい機会でもあるので、少なくとも大会要項が発表になったらまた検討することになるに違いない。他の大会に出るのをやめてその分の参加費や旅費をまわしてでも、東京は、出る価値のある大会なのですよ。

みなさん、ありがとうございました。
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東京マラソン2024(その4)

雷門前は、一昨年、サブ5ペースで走ったときは大撮影会状態でしたが、サブ4ペースだと立ち止まっている人がいないどころか、カメラを手にしている人すら皆無。東京マラソンは最初から最後まで人がいないところはないのですが、最も密集度が高かったのはこの辺り、雷門から神谷バーの前までの間でした。

20km過ぎの給水所でジェルを取り出し、開封しようとしたらうまく切れず、どうして切れないのかと焦るあまりにさらに切れなくなって、ちょっと余計な時間を使ってしまったのは誤算でした。うまく切れなかったのは手袋をしたままだったからで、外せばよかった、というのは後で気づいたこと。手袋着用という普段やらないことをやるからには、こうした細かいところまでシミュレーションをしておくべきでした(ということがわかったのは今回の収穫だとして前向きにとらえよう)。

中間点を過ぎて、森下駅前で沿道にYさん発見。今朝「市ヶ谷に行く予定」とメッセージをもらっていたのに見つけられなくて気になっていただけに、突然の登場がうまく受け止められず、驚きとか嬉しさとか感激とかいろんな感情がごちゃ混ぜになったまま、何も声を出せずに手を振っただけで通過してしまいました。あとで聞いたらぼくのペースが速くて市ヶ谷では追いつかず、森下まで来てくれた由(で、これまたいま書きながら気づいたのですが、新宿→市ヶ谷→森下は都営新宿線で一本なんですね)。

22km過ぎ、清澄白河駅近く。半袖に手袋のサンパイオ状態。



富岡八幡宮前で折り返して、門前仲町で右に曲がって、首都高の下をくぐるあたりで、ああ、去年はここで歩いちゃったんだよなあと思い出しました。去年よりおさえて走っていたことはあるにせよ、今年は歩こうなどとはまったく考えることはなかったので、走力は去年よりも上がっていたのかもしれなくて、そうだとすれば、フィニッシュタイムが去年より遅かったのは、気にしなくてもいいのかもしれない(ということもまた、いま、ブログを書きながら気づいたことですが)。

30kmは想定通りに通過できたものの、右のふくらはぎが痛くなってきて、ペースを維持するのが苦しくなってきました。これはおそらく2週間前の京都マラソンで上り坂が続いたときの疲れが抜けきっていないためで、でも京都を走らなかったら積雪のないロードを走る機会が失われて、練習不足でもっと走れなかった可能性のほうが高いだろう、だから京都を走ったのは無駄ではなかったのだ…と、このときは思っていたのですが、またまた今になって考えてみれば、京都の翌週の大阪はふくらはぎは気にせずに走れていたのだから、京都の疲れではないはず。どうしてあんなことを考えたんだろうな。

さらに今にして思えば、あの辺で足が攣らなくてよかったです。ふくらはぎの妙な痛みは、あとから思えば、攣る寸前でした。単純に疲れなのか、ミネラル不足なのか。気温は低かったけれど日差しは強かったから、じわじわと体力が奪われていたのかもしれない。

30km給水所そば。駅でいうと水天宮前の近く。



半蔵門線だと清澄白河の次が水天宮前だったのだということに、これもまた今こうしてブログを書きながら気づきました。

東京マラソンの給水所は5km以降、7km、10km、12km、15km、17km…と設定されていることになっているのですが、実際にはそのポイントよりも数百メートル先にあることがほとんどで、少し戸惑いました。おまけに一つの給水所がやたらと長い。上の写真の場所は30km給水所のすぐ先ですが、実際には30.8kmぐらいの地点です。

(続く)
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東京マラソン2024(その3)

スタートブロックはFブロックでした。



これ以上ないマラソン日和!



スタートラインを越えたのは号砲の8分39秒後。意外に早かった。



マーティ・フリードマンは近すぎるとよくわからない(笑)。



今回、自分で撮った写真はここまでです。というのは、ランニンググローブ(平たく言うと手袋)を着用していてそのままではiPhoneを操作できなかったからで、ランニングパンツの後ろポケットからiPhoneを出すだけでも手間なのに、そこに手袋を外すという動作まで加わるとなると、面倒なことこのうえない。途中、雷門、スカイツリー、東京タワーなどなど、魅力的な風景はたくさんあったものの、今回は写真よりもタイム優先で走りました。

タイム優先だったから左の手首に巻かれたランニングウォッチ(ガーミン)に目をやる回数はいつもより多かったのですが、高い建物の多い東京都心部ではGPSの電波が安定しないのか、4:45/kmだの6:40/kmだのといった数字が出てきて、使いものになりませんでした。スタート直後は自分の見える範囲に3時間45分のペースセッターがいて、曙橋あたりで4時間のペースセッターが自分に追いついてきた、というぐらいの中を走っていたのだから、6分40秒なんてのは絶対にあり得ない。

おもしろかったのは、4:00のフラッグ(こんなやつ)を掲げたペースセッターの近くを走っていると、沿道から「サブフォーがんばれ!」とか「4時間行けるよ!」とか、4時間切りを意識した声援があちこちから飛んでくるのですね。もちろんこちらはそのつもりで走っているのですが、沿道からそう言われると、より一層、「そうだ、4時間を切るのだ!」との思いが強くなります。

15kmを過ぎたところで無人の反対側の走路に先導車の姿が見え、ほどなくしてトップのランナーが駆け抜けていきました。

おっ、これは、もしかして、作.AC北海道の2人に会えるんじゃないか?

ぼくが彼らとすれ違えるとすれば日本橋から蔵前一丁目の間、わずかに3.5kmほどの区間しかありません。だから、レース前は、難しいだろうと思ってました。



でも、これなら、会えるかもしれない。

作.AC北海道の2人は女子のトップの少し後ろだろうと予想し、新谷仁美選手を含む集団とすれ違ってからしばらく、反対側の走路に視線を送りながら走っていたら、おお!澤井玄選手がやってきた!聞こえるかどうかわからないけれど名前を呼んだら、すれ違いざまに右手を上げてくれました。しばらくして、山中一輝選手がやってきて、ここでも名前を呼んだら、わざわざ振り向いて手を上げてくれました。彼らは誰に呼ばれたのかわからなかっただろうけれど(笑)、思いが伝わってよかったです。

こちらもどうぞ→東京マラソン2024│作.AC北海道

(続く)
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東京マラソン2024(その2)

東京マラソン前日は東京ビッグサイトで受付。



前日(土曜日)の12時30分過ぎに行きました。

アスリートビブス引換窓口は待ち人ゼロ(ぼくは4番でした)。



リストバンドを巻かれます。
これがないと、当日、スタートエリアに入れません。



エキスポもあるけれど、今回は、前日に脚を使うのはできるだけ避けたい。



大会によってはすべてのブースの間を通らないと(=人混みの中を歩いていかないと)受付会場の外に出られないエキスポ会場もあって、スポンサーさんが大事なのはわかるけれどこれでは逆効果ではないか?と思うこともあります。その点、東京マラソンEXPOはよくできていて、ブースに寄らない人の通路が確保されているから、ほぼスルーすることも可能です。要は、0か1か、ではなく、EXPOを楽しみたい人も、EXPOには興味のない人も、どちらも満足できるような設計にすればよいだけのことで、それができている東京マラソンは、やっぱり国内最高の大会です。

一夜明けて、大会当日、日曜日。

朝の勝負食として、網走銘菓ニポポもなかをバッグに詰めて、新宿へ。



朝ごはんではありません。朝ごはんは普通に食べたうえでのニポポもなかです。

スタートブロックに並んでから食べました。



スタートエリアに入ったのは8時ちょっと前でした。東京マラソンはスタートエリアに入る前に手荷物検査があって、金属探知機をくぐらねばなりません(空港の保安検査場と同じ仕組み)。検査をスムーズに行うためなのか、今回の手荷物預け袋は大規模大会では見たことのない小ささで、中に入るのは着替えとタオル程度でした。

当日朝からの水分補給はトイレ対策としてOS-1のみにしました。ただし、ペットボトルはスタートエリアには持ち込めないので、スタートエリアに入ってからは給水所の水をクエン酸と一緒に少しだけ飲みました。また、膀胱は冷えると容量が減るとのことなので、スタートするまでの間は使い捨てカイロをお腹のあたりに入れて、冷えるのを避けました(その結果、今回は一度もトイレに寄ることなくゴールできました)。

【参考】
フルマラソンの尿意は我慢できる!?内科専門医が対策を解説 − RUNNET − 日本最大級!走る仲間のランニングポータル

さらに、これまた冷え対策として、手袋を着用しました。手袋というのは寒いから使うものだと思っていたのですが、マラソン選手の手袋はそうではないらしいと気づいたのは、今年の箱根駅伝のテレビ中継を見ていたとき。箱根駅伝の選手は大半がノースリーブのシャツで、アームカバーもしていないのだから、さほど寒さを感じてはいないだろうに、手袋をはめている(北海道的に言うと「履いている」)選手が少なくない。それで、なぜ手袋?と調べてみたら、体の先端部分が冷えると血のめぐりが悪くなって体全体に影響するから、手は冷やさないほうにしたほうがいい、ということらしい。

それで、1月のハーフマラソン(昭和記念公園)ではひさしく使っていなかったランニンググローブを引っ張り出して試してみて、違和感なく走れた。

▼1月13日@昭和記念公園


それで、今回もこれを使うことにしました。

閑話休題。前週の大阪で低体温症になったのは、手袋も原因だったのかもしれないと、いま、このブログを書きながら気づきました。体の先端部分を冷やさないようにする手袋ですが、冷たい雨に晒され続ける中では、逆効果だったんじゃないか。大半のランナーは低体温症にはなっていない中で自分が救護所のお世話にならざるを得なくなったのはどうしてなんだろう?他のランナーと何が違ったのだろう?と、いまだにもやもやしているのですが、大半のランナーは手袋を着用していないのに対し、自分は手袋を着用していたことが、その答えなんじゃないか?

大阪の途中、給水のときにドリンクが少しこぼれて手袋が濡れたことがあって、その後しばらく手が冷たかったので(ということがあったのを今になって思い出した)、今回の東京では、途中の給水のときは、かならず手袋を外すようにしました。考えてみれば、雨の大阪はドリンクをこぼさなくとも手袋は濡れていたはずで、でも走っている間は気づかない(気にならない)だけで、雨に濡れた手袋を長時間着用し続けたことで手が冷たくなってしまい、体全体が冷たくなることにつながったのではないか…と、1週間以上が過ぎてから、はじめて気づきました。

まあ、それも、経験、だな(と、前向きに考えよう)。

(続く)
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