熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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北海道マラソンまで251日

氷点下のランニング。

北海道大学北20条西門

時節柄とても忙しくていろんな面で余裕がなくなっているのですが、『それからの僕にはマラソンがあった』の中の言葉を借りれば「やっぱり、走る自由だけは、取り上げられたくない」わけで、晴れる日が少ない日本海側の冬にあって、こんなに天気のよい日に巡り合えば、走らないわけにはいきません。

北大構内 雪の積もった道

日差しの下なら、それほど、寒くないです(もちろんそれなりの防寒はしてますが)。ただ、足元は、けっこう、滑ります。雪道用のランニングシューズは優秀ですが、薄く積もった雪の下がガチガチに凍っている場合はズルっと行くし、駐車場の出入口とか交差点とか、車のタイヤが積雪面を磨いて凍結面になっているところは、走ったらだめです。そういう意味では、本格的なマラソンの練習には、やっぱり、適してないと思います(で、本格的にやる人は、体育館で走っているわけですね)。

テレビ北海道「コンサにアシスト」2017年12月15日放送)
開幕まで71日
 
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文化系ランナーの呪縛

ジュンク堂で出会いました。

本 それからの僕にはマラソンがあった

『それからの僕にはマラソンがあった』というタイトルだけで、なんとなく、わかっちゃいました。初めて会った人なのに、おお!と言いながら握手しちゃうような。

マラソンって、そういうものなんですよね。日常のあれやこれやで、擦り切れそうになっているとき、マラソンは、自分を助けてくれるのです。

自分のよりどころになるのは、マラソンなのです。

本を読む時間なんてないんだよ!と言いながら、この本は、買ってすぐに、ソファの上にごろんと横になって、貪るように、読みました。それは、ある意味、現在の状態がかならずしもよい状態ではないから、かもしれないのですが。

《四十代までは、ただ与えられていることを一生懸命やっているだけですが、五十代からは自分が本当にやりたいことに情熱を傾けることができるのです。そこで自分の思いを実現させるには体力が必要ですし、精神的なメンテナンスも欠かせません。その意味でも、ランニングは役に立つと思います。》(p.162)

中盤には対談もあって、そこには、こんなことも書いてあったりします。

《僕らのような文化系ランナーは村上春樹さんのように「少なくとも最後まで歩かなかった」と墓標に刻みたい呪縛がありますから(笑)。》(p.109)

わはは(笑)と笑える人は、文化系ランナー、ってことなのかな(笑)。「少なくとも最後まで歩かなかった」は、村上春樹さんの『走ることについて語るときに僕の語ること』の中の第9章のタイトルにもなっている言葉で、それが、マラソンの途中で歩いたり止まったりしてはいけないってところにぼくらを縛り付けている、そこから逃れるのは…というのが、ここで議論されているテーマです(議論というほど小難しい感じじゃないですけど)。
 

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北海道マラソンまで258日

スノーランニングシーズンの到来。



少し前までは、昼間になると雪がとける→夜になると水になっていたところが凍るというサイクルがあって、とても走りづらかったのですが、この前の月曜日から観測上の長期積雪(いわゆる根雪)の状態になって(長期積雪は積雪が30日以上継続した状態だからまだ根雪になったとはいえないのですがこれだけ積もったらもう春まで消えないでしょう)、昼間の気温もあまり上がらなくなって積雪の表面がとけたり凍ったりすることもなくなりました。本格的な雪のシーズンになったから、除雪も入るようになりました(感謝)。

そうはいっても寒いことは寒い。不思議なことに雪が積もると積雪前に比べて寒く感じなくなるのですが(そういう意味では冬の精神的な辛さの第一関門突破って感じ)、こんなに晴れていても気温は氷点下。長い距離をたらたら走ったり歩いたりすると体が冷えて風邪をひいたりしかねないから、おそるおそる、ちょっと近所をひとまわり、ぐらいのつもりで出たのですが、意外にいけそうだったもんで、北大の縁(北海道マラソンのコースでいうと往路の12キロあたり)を経由して、北側から北大構内(北海道マラソンのコースでいうと復路の39キロあたり)へと入ってみました。

ランスマで亮さんが「ご入学」と言われていたのはこの辺。


ここを右に曲がると(夏なら気持ちのいい)木陰に入ります。


構内を抜けるまでに、すれ違ったランナーは、10人ぐらい。


雪が積もったというと「もうしばらく走れませんね」と言われることが多い今日このごろですが、かように、走っている人は、けっこう、います。本格的にやる人は屋内施設で走り込むのでしょうが、ぼくは、雪が消えるまでの間は、土日のどちらかに軽く走れればいいなあ、ぐらいの、適当な感じで、筋力が落ちない程度にやっていこうと思ってます。

というのは、去年の晩秋から今年の春にかけては、ほとんど走らなかった、けれど、北海道マラソンは制限時間内に完走できました。だから、冬の間はそんなに気合入れなくても、そこそこやっていれば、1歳の加齢の分はカバーできるだろうと考えています(念のため書き添えておくと、これは制限時間内にゴールできればいいという人の選択であって、タイムを目指すなら、そんなんじゃダメだろうと思ってます)。

なお、この記事のタイトルは、TVh「コンサにアシスト!」の、2017年12月8日放送の回(今季最終戦とシーズン終了のセレモニーのダイジェスト)のエンディングを真似させていただきました。


 

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走る話の続き

江上剛氏の『56歳でフルマラソン、62歳で100キロマラソン』は、今年の2月刊。

56歳でフルマラソン、62歳で100キロマラソン

今年の冬、アブラソバの夜にマラソン談義をした頃に、たまたま、紀伊國屋書店札幌本店の文庫の棚に並んでいるのを見つけました。よく覚えてないけど、たぶん、不安だったのでしょう。そうか、56歳でフルマラソンか、その体験談なら、きっと役に立つに違いない…と、中身もよく見ないで手にとって、読みはじめたら、著者は、最初から、とんでもない練習をしているじゃないですか。あー、そこまでやらなきゃだめなのか、それは無理だと思っちゃって、そういう意味では、役に立たなかったんですけど(むしろ自信がなくなっちゃったぐらいなんですが)、フルマラソンに向けた練習法、という以外の部分では、とてもいいことが、たくさん書いてある本です。

《自分の人生、こんなものだったのか。五十歳を過ぎて人生の黄昏どき、今さらなぜこんなに辛く、悔しく、嫌な目に遭わなければならないのか?…(略)…なにもやる気が起きない。なんだか仕事が面白くない。人前、特に厳しい上司の前に立つと冷や汗が出て、動悸が激しくなる。…(略)…私自身は鬱病にならなかったが、そうなってもおかしくない状況でマラソンに救われた。…(略)…マラソンは、完走するという目標を持つことができる。その目標は絶えず新しい。毎回のレースの度に、完走という目標を立てねばならないから。人は目標に向かって努力している時が最も充実する。気持ちにも張りが出る。そして人と接触することが苦手な人でもマラソンは可能だ。…(略)…サッカーや野球のように器用にボールを扱わなくてもよい。スポーツも人間関係も不器用な人へのハードルが低い。》(p.39〜40)

読み直してみて、そうか、この間、走りながら考えたのは、この本の記憶がベースにあったのかもしれないと、気づきました。でも、それがわかったのは、自分が走っているという身体的感覚があったから。走りはじめて、なんだ、これ、どんなことよりも楽じゃないか(ということをブログに書こう→書いたら誰か来年の北海道マラソンに一緒に出ましょうって言い出さないかな(^^;))と思ったのです。

もう一箇所。

《そこに集まった何千、何万という人が、老いも若きも、男も女も、みんな平等に同じ目標に向かう。これほど単純なものはない。駆け引きも何もない。頼りになるのは自分の足だけ。足を動かし続ければ、必ずゴールが来る。速いも遅いも関係ない。完走の喜びを味わいたいだけ。誰もが自分を励ましてくれる。練習は裏切らない。ちょっと練習が足りなかったけど、それもしょうがない。言い訳はしない。ただ足を動かし続けろ。歩いてもいい。立ち止まるな。みんなと同じゴールを目指すんだ。息が上がれば、休んで整えろ。追い抜かれても気にするな。自分のペースでいいんだ。どこの世界に、自分のペースでいいと心の底から励ましてくれる社会があるだろう。会社で自分のペースでやりますと言ったら、その途端にアホかと罵られるだけだ。自分の人生に欠けていたもの。それは自分自身を応援する、ベタなまでの応援歌だ。マラソンにはそれがある。それが走る理由だ。》(p.112〜113)

いいなあ。書き写しながら、新川通の復路の光景が浮かんできちゃったよ(笑)。絶対に言い訳しない!と心に誓って、苦しいとか、無理だという言葉が頭に浮かびそうになったら、まだまだ、まだまだ、とにかく足を動かしていれば終わるんだと言い聞かせて、ネガティブワードを頭の中から消し去っていく。そして、何も考えるな、オレはいまマシンなのだ、とにかくゴールを目指すこと以外は考えるなと、ぶつぶつ、つぶやく。

さらに、もう一箇所。

《世の中、複雑すぎる。人脈や情報や何やかや、努力以外のことが多すぎる。努力すれば、真面目にコツコツやれば幸せになれるというほど、世の中は甘くない。そんなことはわかり切っている。しかし、マラソンの中には、コツコツ努力すれば報われるという誰もが信じている、信じていたいプロセスがあるのだ。タイムの評価は、誰かと競うものではない。自分自身と競い、よく努力した、と自分の結果を自分でほめる。もらえるのは似たり寄ったりの完走Tシャツと完走証だ。それでもいい。前より良かったではないか。フィニッシャー(完走者)という称号が、汗ばみ、披露した体になんと心地よいことか。》(p.122)

単純なんですよね。ただ、走ればいいんだもの。走ったら走っただけ、完走に近づいて、タイムが縮まっていく。そうだ、そのとおりだ、世の中、複雑すぎるんだ。マラソンは、そうじゃないから、心地よいんだろうな。
 
 

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走ることぐらい簡単なことはない

仕事にしても家庭にしても、思うようにならないことだらけです。

いま、ぼくはいま悩んでます、って話じゃなくて、一般論として、他人は、自分の思うようには動いてくれません。当たり前です。

その点、ランニングは、楽です。

「走るなんてよくできますね」と言われると、いやいや、日常生活の多くのことよりも、よほど簡単ですよと答えます。だって、他人の気持ち、他人の行動といった、自分でコントロールできない要素は、何もないのです。フルマラソンを完走したければ、それに向けて準備をしていけばいいだけで、それは、自分で決めて、自分でやればいいだけなのだから、仕事よりも、ずっと、簡単なことです。

日曜日、3週間ぶりに走りながら、そんなことを考えてました。

だから、日常的な仕事が忙しかったり、人間関係に疲れたりしている人ほど、走ったらよいと思います。

走るのは、楽です。

べつに誰かと競う必要はない。自分のペースで、自分がやりたいように走ればいい。最初は(ぼくもそうでしたが)こんなものを用意して、こんなところをこんなふうに、このぐらいの時間で走らなきゃいけないとか、難しく考えてしまいがちですが、やり方なんか、ないんです。

しかも、ランニングは、一人でやれます。人間関係は絡まない。仲間がいないと恥ずかしいとか、そんなことを考える必要はない。その辺を走ってる人って、たいてい、一人で走ってるじゃないですか。

だから、走ることは、心の平安につながるのです。

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