熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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高円宮杯U-18サッカーリーグ2011チャンピオンシップ コンサドーレ札幌U-18-サンフレッチェ広島F.Cユース

高円宮杯U-18サッカーリーグ2011チャンピオンシップ@埼玉スタジアム2002
12月17日(土)15:00/3,775人
コンサドーレ札幌U-18[EAST1位] 1(0-0,1-3)3 サンフレッチェ広島F.Cユース[WEST1位]
[得点]
(広島)後半04分 野津田岳人(0-1)
(広島)後半06分 藤井貴之(0-2)
(広島)後半18分 末廣浩暉(0-3)
(札幌)後半42分 中原彰吾(1-3)



<札幌>
-----近藤(勝)--下田-------
----榊-------------中原---
-------荒野----堀米-------
-前(貴)-永井--奈良-小山内-
----------阿波加----------
(交代)
後半10分 小山内→深井
後半21分 近藤→中川   
後半34分 榊→鈴木

<広島>
-----------越智-----------
-----野津田-----末廣------
--藤井--野口--川辺--森保--
---平田----脇本----柳川---
-----------有賀-----------
(交代)
後半27分 末廣→宮原
後半31府 森保→石坂
後半38分 野津田→浅野間
後半45分+4 越智→重行



今年いちばんの冷え込み&強い北風でとても寒いなか、15時キックオフ(この日は埼玉第2および埼玉第3で来季のプレミアリーグ参入決定戦が開催されていた〜両会場とも第一試合は10時開始、第2試合は12時40分開始)。立ち上がりは、広島がワントップの34越智大和に入れて、そこから攻撃を組み立ていく形が何度もみられるなど、広島のリズム。しかし、24分に札幌右SB2小山内貴哉が爆発的なオーバーラップから相手ゴール前でのワンツーを経てシュートを放ったあたりから、札幌がボールを持つ時間が長くなり始め、30分頃からは完全に札幌のペース(なのだが、そうなったら広島は前からボールを奪いには来ないでリトリートして守備に専念する、というところが、試合巧者だなあとも思った)。

35分、左サイドで札幌9近藤勝成から裏のスペースへ縦パスに11榊翔太が抜け出し、榊の高速ドリブルからゴール前への折り返しに近藤が詰めて広島GK21有賀洋平と交錯、有賀がボールを前にこぼしたところにさらにたたみかけるも広島DFがクリア。39分には札幌3奈良竜樹のインターセプトからカウンターで一気にゴール前へ迫り、さらに41分には札幌の右CKからファーサイドで10荒野拓馬がヘッドで合わせるがシュートは枠をはずれた。

結果的には、札幌は、この時間帯に先制点を奪えなかったことが痛かった。逆に広島はこの時間帯をしのいだことで再び攻勢に転じ、43分に久々に札幌ゴール前に迫ると、右サイドから7森保圭悟のアーリークロスにペナルティエリア内中央で34越智が右足で合わせたがシュートはクロスバーを叩いてゴールラインのわずかに手前に落ちた。44分はやはり右サイドで最終ラインから上がってきた5柳川が7森保を追い越し、森保から柳川への縦パス、柳川のクロスにゴール前中央でフリーになっていた13末廣浩暉がヘディングシュートを放つも札幌GK21阿波加俊太の正面。さらにアディッショナルタイムにはセンターサークルからわずかに相手陣内に入った場所から7森保が無回転FKでゴールをねらったが、札幌21阿波加がかろうじて外にはじき出した。

この最後の森保のFKは、直後にオーロラビジョンでゴールに正対した角度からのVTRが流れると、場内にどよめきが起きたほどだった。40メートルはあろうかという距離をぐいーんと伸びたボールは、GKの手前でぐいっという感じで急激に曲がりながら落ちていた。

ハーフタイム。



後半も、前半終了間際の勢いのままに、広島が攻め立てる。

後半が始まってすぐの49分、PKで広島が先制。



その直後、広島攻撃陣がふたたびペナルティエリアに侵入し、札幌は3人がかりでどうにかクリアしてCKに逃れたものの、このCKから2点目を決められてしまった。

それでもまだ時間はある。札幌は、53分に17中原彰吾が右からシュート、59分には相手のクリアミスを拾った11榊がペナルティエリアへ切れ込み左からシュート、が、いずれも、枠をとらえられない。さらに攻勢を強める札幌に対し、広島は63分に中盤で札幌のパスまわしをカットし、そのままカウンターを仕掛けて3点目を奪った。

広島は、とにかく、守から攻への切り替えが早い。前半は最前線に構える34越智に中盤から浮き球を入れることが多かったのだが、2点のリードを奪ってからは、ボールを奪うとともに4〜5人の選手が一気に前に向かって走り始めることが多くなった(イビチャ・オシムのときのジェフみたいな感じ<もしかするとペトロビッチの広島もこんな感じなのかもしれませんが生で見たことがないからわからんのです)。細かいパスワークでは札幌のほうが上じゃないかと思うし、札幌のカウンターだって十分に鋭いのだが、広島のこの切り替えの速さはすさまじい。



さすがに3点差となると勝負は厳しくなるが、この試合が素晴らしかったのは、これで終わらなかったことだ。札幌は、自分たちのスタイルを崩すことなく、けっしてパワープレーのようなことはせずに、愚直なまでにショートパスをつなぎボールを持っていない選手がスペースに動いていく形を続けた。80分を過ぎると、広島に足を攣る選手が続出し、札幌がほとんど2バックのような状態で攻め始める。84分に3奈良のインターセプトを起点に最後は15中川雄貴から18下田康太へとつなぎ下田がシュートも広島DFにクリアされる。続く85分は10荒野が右からドリブルで広島守備陣を切り裂いてペナルティエリアに侵入、シュートを放ったがわずかに枠をはずれた。87分には3奈良から7鈴木貴大へとつないで鈴木がシュート、GKがキャッチ。ようやく猛攻が実ったのはその直後、6堀米悠斗がドリブルでボールを運び、堀米からのパスを受けた17中原の右足のシュートが決まった。

アディッショナルタイム4分の表示が出てからも、札幌の選手の足はまったく止まることなく、何度もチャンスを作った。



しかし、追加点は奪えなかった。時間はほとんど残っていなかったにもかかわらず、もう1点取ればまだわからないと思えるほど、広島は足が止まり、札幌は攻め続けたのだが、2点目は奪えなかった。

でも、最後まで戦い続けた札幌U-18は立派だった。両チームとも、適当に長いボールを蹴ったり、中盤で肉弾戦やってがちゃがちゃしたりすることなく、ショートパスとカウンターを中心に守る時間帯と攻める時間帯とをチーム全員で使い分けており、とてもおもしろい試合だった(選手個々のレベルを別にすれば、J2リーグの試合よりもレベルの高い試合だったと思う)。

広島ユース、優勝おめでとう。


札幌ユースだって準優勝だ。十分、胸を張っていいぞ。


みなさんおつかれさまでした。


試合には敗れましたが、Challenge for Smileってことで。



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でも素直に喜ぼう

コンサドーレ札幌のJ1復帰が確定してから1週間、ようやく落ち着いてきたというのに、またしても嬉しいニュース。

コンサドーレ札幌U-18が高円宮杯U-18プレミアリーグでEAST優勝を決め、WEST優勝のサンフレッチェ広島F.Cユースとチャンピオンシップをかけて戦うことになった。勝ったほうは全国優勝。U-18プレミアリーグは高校チームも加わったリーグ戦だから、いわば高校生年代で今年いちばん強かった、ってことになる。

EASTの最終戦は、勝たなきゃ優勝はない、っていう状況で、相手はFC東京U-18。これだけでもすごい因縁なのに、試合結果も(先週末の札幌ドームと同じ)札幌2-1東京だって。

(以下、私が言わなくてもファンの間では周知のことなんですが)この大会は昨年までは一発勝負のノックアウト方式だったのが、今年から総当たりリーグ戦に変更になったもの。そうすると遠隔地の札幌U-18は遠征が増えて不利だろう…というのはきわめて常識的な考え方だと思うのが、じつは逆で、近隣に同レベルのチームがない(=練習試合の相手がいない)札幌U-18にとっては、昨年までは大きな大会でしか強い相手と試合する機会がなかったのが、このリーグ戦の創設によって、日常的に高いレベルの試合を経験することができるようになり、チーム力をぐんぐん伸ばすことが可能になった(まあ、もともと、今年の札幌U-18は優勝候補ではあったのですが)。

来季、札幌U-18(ユース)チームから5人がトップチームに昇格する(プレスリリース)のではあるが(うち1人はもうすっかりトップチームのレギュラーなんですけど)、じつは、トップチームに上がって公式戦に出られないとなると、強い相手と試合をする機会がまったくなくなってしまうという問題がある(<この間書きましたけど)。以前はJサテライトリーグという二軍戦があったからそこでカバーできたのだが、現在はサテライトリーグは廃止されてしまった。本州以南であれば、近隣に他のJチームがあったりJFLチームがあったりするから、それなりの練習試合の相手は見つかるのだが、北海道では難しい…というのが、コンサドーレのサポーターはみんな理解しているんだけどそれ以外の人にはたぶんほとんど知られていない、すごく大きな課題なんです。

ちょっと待て。

武智幸徳さんの『サッカー依存症』に、こんなことが書いてある。

要するにバルサは「15歳の大会で優勝した」とか「17歳の大会で優勝した」などとチームとしての戦果を誇るより、あくまでも「その選手」にとってどういう環境に置くことが将来につながるかを常に考えているのだ。それを思うと日本のJクラブのユースやジュニアユースのチームがそれぞれのカテゴリーで「日本一」になって胸を張っているのが残念に思えてくる。そんなことより何人の人格的にも優秀なタレントを毎年(自分のクラブであれ、よそのクラブであれ)プロの世界に送り込めたかの方がよほど大事なのだ。

はい、そうですね。

と納得しかけちゃうんだけど、ここはバルセロナじゃないからなあ。

しかし、いま、コンサドーレ札幌というクラブにとっては、すごく大事な局面を迎えていることも確かなんだよなあ。J1昇格だ、U-18優勝だと過去に積み上げてきたものの成果に浮かれてる場合じゃなくて(<浮かれてるとは思ってませんけど)、これをここから先どうやって使っていくのか、これまで通りに(業界内では評価の高い)育成&選手売却クラブで行くのか、本気でビッグクラブを目指すのか。どうしても、過去の(経営破綻同然だった)ネガティブな記憶や、地方から世界を目指したがM畑社長の失脚でえらいことになってしまった某クラブの事例なんかがあって、身の丈経営、って言葉が心地よく聞こえてしまうんだけど、それでいいんだろうか?

いや、それでもいいのかもしれないんですけど、そういう結論になるのだとしても、ここで(いろんなことがうまくまわっているときだからこそ)一度、あらためて覚悟を決め直してほしいと思うわけであります。10年に1回ぐらいしかない、大きなチャンスの山が来てるように思うんだよなあ。

U-18プレミアリーグチャンピオンシップ(12月17日@埼玉スタジアム2002)の対戦カード・札幌U-18vs広島ユースは、じつはJユースカップ(Jリーグのユースチームの大会)の準々決勝(11月27日@刈谷)の再戦(そのときの試合評監督、選手コメント)。いや〜、楽しみだ。

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そして8年と6日の月日が流れ去り


(2003年12月3日発表資料)

JリーグアフターゲームショーFINAL第3部「JAGS討論会2011」@スカパーがあまりにおもしろくて、録画したのをまた見てしまった。

見ているうちに(なんでこれまた見たくなったんだろう?と考えつつ)、コンサドーレ札幌の今回のJ2脱出(J1復帰)がどうしてこんなのに楽しいのか、わかってきた。

JAGS討論会2011の全体テーマはあくまでも今シーズンのJリーグの総括ではあったのだが、だからといって今シーズンの話ばかりをするわけではなく、終わってみれば昨シーズン以前から続く中期的な話が多かった。あたりまえのことのようだが、今シーズンの結果は今シーズンの話だけで完結するものではないのだ。

そこでわれらが札幌である。CM含め2時間のJAGS討論会2011ではJ2で3位の地方クラブの話なんて議題にするほどの時間はなく、札幌について触れられたのは「河合は足がでかい」ぐらいだったが、柏レイソル、ガンバ大阪、サンフレッチェ広島、セレッソ大阪、浦和レッズ、FC東京、ジェフユナイテッド千葉etc.について論じられるのを見ながら、今季の札幌がじつに正しい昇格をしたことに気づき、だからこんなに楽しいのだと理解したのである。

もうみなさんすっかり忘れてますけど(忘れてない人は絶対に忘れてないだろうけど)、8年前(2003年)の今ごろ、札幌はクラブが消滅する寸前だった。コンサドーレ札幌強化計画(いわゆる五段階計画)が発表されたのがこの頃なのだが、この計画は「清算か継続か」から始まっている(上の写真)。

そこで出てきた結論は、もちろん、クラブを存続することであり、存続のために選択した戦略は、育成型クラブを目指すことだった。

ま、この辺は、季刊サッカー批評に永井謙一郎氏のすばらしい論考が掲載されましたから、ご存知の方はよくご存知ですわね。

育成型にするんだからトップチームの成績が上がらないことは覚悟しなさいと言われて(言われてないかもしれないけど観客的にはそういう意識になって)、04年に育成が得意とされる柳下正明監督を迎えて、04年は本当に勝負を捨ててシーズンを過ごしたら、J2最下位というじつにわかりやすい結果が出た(が、最下位といっても12チーム中の12位であって、昨年=2010年=の13位よりは上なんだけど)。

同じ頃に日本ハムファイターズが移転してきて北海道日本ハムファイターズとなり、観客とマスコミをごそっと持っていかれたコンサドーレ派としては「けっ。」と思ってたんだけど(とくにマスコミは極端だったからねえ)、そういう状況だったから、札幌はJ2最下位になっても柳下体制を継続できたのではないかと、今になってみるとわかる。

あの年の終盤、寒風吹きすさぶ厚別のスタンドには「へたくそ!」という野次に「下手なんだからしょうがねぇだろ!」と言い返す人がいた。ガラガラのスタジアムで「おれたちバカだねえ」と言いながら試合を見ていたときにはやりきれなさしかなかったが(でも信じてついていくぞという思いだけが最後のよりどころだった)、あそこに今季最終戦のような熱気があったら、柳下監督が3年間も指揮をとり続けることはできなかったのではないか。

柳下監督は、ユースから昇格したばかりの選手をいきなり開幕スタメンで使ったり、同じくユースから上がったストライカーに試合中に頭の上から水をかけるという荒療治を施したりして、就任2年目の05年には昇格に手が届きそうなところまで行ったのだが、ロスタイムに3点とられる逆伝説試合もあったりして、3年間やったけど、昇格はできなかった。


(2006.12.02/このときの対戦相手は鳥栖だった)

いま思えば、そんなに短い時間でポンポンとうまくいくわけないんだけど、当時は、それがわかっていなかった。

3年間やった柳下監督の後が三浦俊也監督で、この人が就任1年目にして6シーズンぶりのJ1復帰という結果を残してくれたのだが(07年)、正直、なんだかなあ、という思いは、心の奥底にはあった(出さないフリしてたけど)。育成に重きを置くといって、実際に柳下監督で3年間それをやってきたのに、結果が出なかった−と書くと「結果って何ですかね」と福田さんに言われそうなので表現を変えよう−昇格できなかったからといって、レギュラーメンバーをベテラン中心にして(あの年のサイドバックは池内友彦と西澤淳二ですよ)、サッカーのスタイルもまったく正反対なものに変えてしまうなど、継続性はゼロだった。

ただ、昇格しちゃったものだから、これはこれで受け入れなきゃいけないのだろうと考えて、いやいやいや育成といったって試合にはベテランも必要なんだよ、だの、健全経営のためには観客増が必要で観客を増やすためには内容なんかどうでもいいからとにかく勝利なんだよ、だの、そんな理屈をこねて、むりやり自分を納得させていた。

それに加えて、きわめて個人的な話だが、当時は私はクラブと仕事をさせていただいていて、クラブ事務所に出入りしながらクラブの方々が一人一人はみな一生懸命に仕事に取り組んでいるのを目の当たりにしていたもので、現実を合理化せざるを得なかった。そうしないとクラブの人と関係が悪くなるとかの次元の低い問題ではなく、自分自身の仕事に対する意識を高く保つためには、多少無理をしてでも自分の気持ちを現実に合わせていくしかなかった(一般論としてそうだと思います)。

1年目でJ1昇格を果たした三浦監督は、2年目には他のチームから(申し訳ないがいまいちぱっとしない)若手選手や中堅選手を移籍させてJ1に臨んだが、あっさり惨敗した。収穫といえるものは、ユース出身の西大伍がJ1の試合に出続けたことで大きく成長したことぐらいだった。


(2007.05.05/宮の沢でこういう名前のケーキが売られていた)

三浦監督の後が現在の石崎信弘監督。うまくやりくりしながら目の前の結果だけを取りに行く(その能力はものすごく高い)三浦監督でもやっぱりダメだったから、原点に戻って若手育成に定評のある石崎監督、という判断だったのかどうかはわからない(そうであってほしいとは思うが)。たまたま、石崎監督だった、のかもしれない。そして、そのまま3年間にわたって監督が変わらなかったのも、クラブの強い意志はあったにせよ、ほかに適任者がいなかった(いても呼べるだけのお金がなかった)という理由もあったのかもしれない。

理由はともかく、3年間にわたって監督を変えなかったのは事実であり、その結果が(いろんな「たまたま」がまわりまわった結果であったとしても)3年目の昇格であり、若手の成長だった。高卒4年目の宮澤裕樹は押しも押されぬ中心選手に成長し(もう少しムラがなくなるといいんですけどねぇ)、ユース時代から大事に扱われてきた高卒2年目の古田寛幸もレギュラー格に育った。三上陽輔、櫛引一紀、奈良竜樹といった10代の選手も、トップチームの試合で使える選手になった。

そこは石崎監督だけの功績ではなく、以前からクラブ全体でそういうところを目指してきた結果なのだが、昨年のJ2で13位という成績を問題視して監督を変えていたならば(いや、問題視はしてもらわなきゃ困るんだけど)、リーグ戦終盤のセンターバックが現役高校生(奈良)なんてことはなかっただろう。

今回の昇格が楽しいのは、サッカーのスタイルが、とか、若手の活躍が、とか、そういうことではなく(もちろんそれもあるけど)、8年前のシーズンオフにクラブが目指しはじめたことが(とりあえずの)結実を見せたことにあるのだと思う。

次に大事なことは、石崎監督が何度も言っているように、育った選手を定着させるチームにしていくこと(J1定着というのはそのための戦術の一つである)。だから、来季以降、すぐに考えなければいけないのは、レベルの高い練習相手を確保する仕組みづくり。難しい問題だけど、ここを解決しないと、たぶん、状況は変わらんよ。
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2011 J2 第38節 コンサドーレ札幌-FC東京

2011 J2第38節@札幌ドーム 12月3日(土)12:32/39,243人
コンサドーレ札幌 2(2-0,0-1)1 FC東京
[得点]
(札幌)前半40分 内村圭宏(1-0)
(札幌)前半45分+2 内村圭宏(2-0)
(東京)後半35分 谷澤達也(2-1)



終わったから言うのだが(ということを言うと「終わってから言うのはどうのこうの」と言ってくる人がいるんですが終わってからでないと言えないことだってあるわけで)、最後に昇格が得失点差で決まるようなおもしろいことは起きないだろうと思っていたし、そうならないとすればきっと札幌が東京に勝って徳島は岡山と引き分けるまたは負けるのだろうと思っていた。

そんなことは、始まる前には、言えませんよ。

自分の周囲のリアル世界では、ふだんからコンサドーレの試合をよく見ている人ほど「東京には勝つよ」と言い(そこにはもちろん願望もかなり含まれてはいるのだろうが)、あまり見ていないがJリーグのことをそこそこ知っている人は大半が「FC東京に勝つのは難しいだろう」と言っていた。今シーズン後半の札幌の粘り強さをもってすれば、リーグ最終戦にこれといった目標があるわけではない東京に勝つのは、やさしくはないけど難しくもないように思えた(むしろ前節の湘南戦のほうがよほど難しかったのだが、そこを乗りきってきた以上、負けるわけはないのだ)。

負けるわけはない、というフレーズが頭に浮かぶと、「負けるわけはないさ た〜た〜かえ〜 おれのとうき…」というチャントが出てきてしまう私は、試合中、一度だけ、東京サポーターのチャントのリズムに合わせて手を打ってしまった(笑)。川越まつりの山車のひっかわせで相手のお囃子に負けたような気分だった。



<札幌>
-----------近藤-----------
--砂川-----内村-----古田--
-------宮澤----河合-------
--岩沼--奈良--山下--高木--
----------ホスン----------
(交代)
後半25分 内村→岡本
後半38分 砂川→芳賀   
後半45分 近藤→上原

<東京>
---------ルーカス---------
--田邊-----坂田-----谷澤--
-------羽生----高橋-------
--椋原--今野--森重--徳永--
-----------権田-----------
(交代)
HT 坂田→ロベルトセザー
HT 田邊→石川
後半24分 高橋→上里

今シーズン初めて先行入場のありがたみを感じつつ、ホーム側のゴール裏下へまわったら、ジオゴが募金のブースに立ってて驚いた。当日のスポーツ紙の予想では近藤先発になっていたものもあったが、それでもジオゴの名前はベンチ入りメンバーの欄に書いてあった。

この1週間、平川さんがいろんなところで「ジオゴでなく近藤を先発で」と言っていたのではあるが(少なくとも私は新聞に書いてあったのとテレビの生放送でそう言っているのを見た)、それはジオゴにボールが収まらないからというよりは前節の後半のGKへのバックパスみたいなヘディングシュートのことを言っていたのだが、ジオゴがベンチからもはずれてサブに横野を入れたってことは(横野のコンディションとかわかんないからなんともいえないけど)、気持ちに重きを置いたってことなのかなと勝手に想像していた。

立ち上がりの札幌は、ずいぶん前から行くなあ、という印象。砂川や宮澤がかなり激しく前からプレスをかけていく。守備のスタートのラインがふだんよりもかなり高い感じで、これで大丈夫かいなと心配したが、15分ぐらいからはいつものところに落ち着いた。

かたやの東京は「あれっ?」みたいな凡ミスが何度かあって、やっぱりそういうものなのかなと思った(まあ、こちらはいつも以上に札幌に入れ込んで見てるから、そう見えちゃうのかもしれないけど)。あとレフェリー。松尾一さん、って、前節では徳島対鳥栖の主審を務めた方で、2試合続けてこういうしびれる試合って大変だろうなと思うのだが、この人が接触プレーをかなり流してくれたので(これは徳島対鳥栖でも同じで、ペナルティエリア付近以外ではよほど危険なものでない限りファウルはとらなかった)、へんなストレスはなかった(厚別の鳥栖戦もこういう人が裁いてくれれば…って、まだ言うか)。

私のまわりはみんな「時間の経つのが早い」と言っていたのだが、私は前節の湘南戦に比べればそうでもなくて、徳島の試合経過如何とはいえ(徳島が勝つにしても岡山ホーム最終戦なんだから大量得点はなかろうと思っていた〜岡山にはPRIDE OF 中四国の優勝もかかっていたことだし)、前半のうちに先制するよりは終盤まで緊張感の高い状態で戦ったほうが失点しづらい(負けにくい)だろうなと思いながらも、でも前半のうちに点をとれれば楽なんだよなと、どっちだよ!な状態で迎えた前半40分。

もう、あの先制点の場面は、何度もテレビで見ちゃってるわけだが、文字にすると、左サイドの高い位置で岩沼が相手ボールを奪って(なんで岩沼はあんなところにいたの?)河合に戻し、河合が入れた縦パスを相手を背負った近藤が砂川に落とし、砂川が相手の裏の大きくあいたスペースに縦パスを入れて、そこへ(本来は右サイドのポジションである)古田が走り込んでドリブルで持ち込んでゴールラインぎりぎりから低いグラウンダーの高速クロスを入れて、内村が合わせた、という、まあ、じつにすばらしいゴールで、とくに内村のゴール前で消える動き(今野を完全に幻惑)なんて最高なんだけど、現場で見ていたときは、バックスタンドだったこともあって、目の前のスペースに出てきた古田がすばらしかった。湯浅健二的表現を借りれば「爆発的なフリーランニング」ってやつですよ。

古田って、ここんとこ(というのがいつからなのかはわかんないで書いてますけど)、ボールを持ったらフリーの味方を見つける、味方が上がってくるまで待つ、みたいなのが多かったように思うんですけど、前節の湘南戦のどっかんゴール以降、すごく自信を持ってドリブルしてるように見える。この試合の後半でも、右サイドでボールを持ってから相手がたくさんいる中央へと入っていったのがあって、まあ、あれなんかはスコアの問題もあるんだろうけど、湘南戦のゴールで一皮むけたんじゃないか(と思いたい)。私はああいう古田をもっと見たい。

前半45分+2の内村の2点目は、ドームにいた人でも見てない人がけっこういます。混んでたし、その直前に先制してほっとひといきっていうのもあったし、もうハーフタイムを待つだけだと誰もが思っていたから、トイレとか喫煙とかに席を立っていた人が少なくなかった。

でも、選手は、これでハーフタイムだなんて、思ってなかったんだな。

今度は右サイドの低い位置で、純平と古田がボールを奪って縦に出し、近藤が今野をかわしてドリブルでぐいぐい前進、中をフォローした内村に横パスを送ると、内村は最初のタッチで相手守備の届かないアウトサイドにボールを置いて、そこからGKのニアを抜くすばらしいシュート。これぞザ・ストライカーですよ。私はこのゴールはすごく好きだ(が、サッカーやってた人の場合は、1点目の内村のボールを受ける前の動きのほうを絶賛する傾向があるようだ)。

岡山対徳島はその時点でまだ同点だったから、このままいけば昇格(正確には3位以内)決定なんだけど、前半で札幌が2点リードなんて、はたしてチームの想定の中にあったのか、それが心配だった。ドーハの悲劇のとき、ハーフタイムにオフトが何を言っても選手がざわざわしちゃってどうしようもなかった、っていうのがあったじゃないですか。私は、コンサドールズ見ながら、いまロッカールームはどうなってるのかなあ、あんなことになってなければいいけど、と、内心、かなり心配してました(もちろんそれは口には出さないんだけど)。

後半開始から東京はセザーと石川を入れてきた。サンキュー坂田はイエロー1枚もらってたし、田邉はほとんど何もできなかったから、まあ、わからないでもないのではあるが、ああ、東京はやっぱり勝ちに来てるんだなと、すごくあたりまえのことを考えてしまった(試合しに来てるんだから「札幌さんもがんばってください」なんて考えるわけないのに)。

2点リードしていようがいまいが、相手が東京だろうがどこだろうが、攻め込まれ続けるのは今季のデフォルトなんだからしょうがない。アタッキングサードというかいわゆるバイタルエリアは今季の札幌にとってはvitalではなく、そこで相手に持たれるのは承知のうえで、その後ろを人数かけて守るのが今季のやり方なんだから、それを見守るしかない。

でもでも、4万人近い観衆となればそんなことは知らない人のほうがほとんどであるわけで、「ああやっぱり」みたいな声がどこかから聞こえてくると「おいおいやめてくれよ、ピンチだからってキャーとかワーとか言うなよ」と思うのだが(思うだけじゃなくて「そういうこと言うなっ!」って叫んでたような気もする(笑))、その一方で、バックスタンドアウェー側の私の周辺でもがんばって手拍子を打ち続けたりポジティブな声援を送ったり、中には(バックなのに)チャントを歌ってる人もいたりして、いつも来ている人の思いがいつも以上に強かったことが、空気が沈滞することを許さなかった。

後半35分の失点(セザーのシュートのリバウンドを谷澤がきれいに蹴り込んだ)は、まあ、想定内でしょう。東京だってあれだけのサポーターの前で、無得点で帰るわけにいかんだろう。でもとにかく1点返しておけば最低限の仕事はしたようなものだし、万が一同点に追いつかれることはあったとしても、逆転はなかろうと勝手に考えていた(それ以上に、最初に書いたように、徳島が勝つとは思っていなかった)。

私は試合中は他会場の試合経過をチェックするようなことはしたくなかったのだが、近くにいる友人たちの誰かは知っているのだろうと「うちらはこのままでいいのか?」と尋ねたら、頷きとともに「ぜろぜろ」との答えが返ってきた。

あとでJリーグアフターゲームショーFINAL(この時刻に多言中継的に生放送されていたスカパーの番組)を見たら、東京が1点返した時点で平畠啓史さんが「東京がもう1点とって徳島が1点とったら昇格するのは札幌ではなく徳島になる」と騒いでいたのだが、現場にいる私はそんなことはまったく想像していなかった(札幌が勝つだろうと思い込んでいたというよりも、そのときの自分の頭の中にはそうしたことを考えられる余地が残されていなかった)。

ただ、ね、最後は、キープでもよかったんじゃねーか、とは、現場で見ているときも思ってました。そんなことしたらあの盛り上がりに水を差すことになるんじゃないかとも思えるのだが、柳下監督の最初の年だったか、札幌ドームの最初の試合で、最後の最後に市村がシュート打っちゃってそこからカウンターでやられたことがあったじゃないですか。私はあれがいまだに忘れられなくて、それとロスタイムに3点取られたのも忘れられなくて(あのときのニットマフラーを身に着けている人は多かったなあ〜誰かハウスメイトさんに教えてやってくださいよ)、まあ、この日の東京がそこから3点取りに来るとは思えないんだけど、でも、あそこは、シュート打っちゃいけなかったような気がする。

主審が試合終了を告げた直後は、スカパーのCMの権田みたいな感じで両手あげちゃって(おれが)、自分でも意外なことに、ほんの少しだけ涙が出てきちゃって、びっくりした。2000年の平塚での昇格決定時(正確には2位以内決定時)は終了間際に気持ちがおろおろしたし、2007年のときは隣にいた友人と握手した後に気が抜けたみたいにどかっと座り込んだ。今回は、もう3回目だし、前回と違ってJ2で戦ったのは3シーズンだけだったし、感覚的には「J1昇格」じゃなくて「J1復帰」だったから、さほど気持ちが動くことはなかろうと思っていたのだが、出ちゃったんだから仕方がない(で、ホントのことを言うと、それより少し前〜まだインプレーだった時間〜から涙がこぼれそうになっていて必死にこらえていたのであった<だから私は西武球場の一塁ベースに立っていた清原を笑えない)。



ホスンが膝をついて前のめりになったまま立ちあがれなくて(泣いていたのだろう)、それを起こしにいったのが岡山だった(その後で横野が行ったんだよね<やっぱりいいやつだ)。あのとき、誰が岡山の言っていることを本気でとらえていただろう。岡山がいなければ、やっぱり、昇格はなかった。

39,000人超となると、座りきれないんだね(11月28日のスポーツ報知の記事には札幌ドームのサッカー定員は37,000人強だと書いてあるが、はからずもそれが証明されたわけです)。エレベーターで上がったところに観客がいるのを見たのは、たぶん岡田監督が挨拶したとき(最後に藤ヶ谷が大柴に股抜きシュート打たれて負けたとき)以来だよ。

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死闘そして歓喜

1997年のワールドカップフランス大会アジア最終予選を描いた名作である。



後藤健生さんの著作の中ではこれがいちばん好き。腰巻のキャッチコピーもいいし(だから私にしては珍しく腰巻を捨てていない)、カバーを外すとちょっとした仕掛けがしてあるのも楽しい。この本がなければ、2002年から2003年にかけてコンサドーレ札幌の全試合を生観戦しようなんてバカなことを考えることはなかった。

今年(2011年)11月20日のJ2リーグの試合で札幌がザスパ草津に「まさか」の敗戦を喫した(と、そのときはみんな言ってましたけど、草津はその後の2試合も勝ち、最終戦に至っては今季途中まで首位争いをしていた栃木SC相手に4-0と大勝して、最終的には16勝13敗9分で20チーム中9位だったのだから、けっして弱い相手ではなかったのだ)後、この本を読みなおした(<だからそんなことしてないでちゃんと仕事しろよっ!と、2週間後の私は当時の私に言いたい)。

とりわけ、この本の「プロローグ」は、非常に印象深い。以下引用。

 最終予選が始まった頃には、リードされた時はもちろん、一点を先制しただけでパニックになってしまうようなナイーブなチームだったが、予選の最終段階では、一点リードすると落ち着いて後ろでパスを回すこともできるようになっていたし、このイラン戦のように一度は逆転されたにもかかわらず、まったく慌てずにいつものような攻撃を執拗に繰り返して、追いついて延長に持ち込むこともできるようになった。
(中略)
 たとえ、トップや二位のチームに引き離されかかっても、何試合も勝ち星に見放されていても、そこで諦めてはいけない。粘り強く、引き分けで勝点「1」を積み重ねていけば、いつか展望は開ける。
(中略)
 そして、試合を重ねていくと、結果は、不思議と実力通りに収斂してくるものだ。アジア最終予選のA組もB組も、いくつもの番狂わせがあった。…(略)…しかし、終わってみれば、…(略)…あまりにも順当な結果だった。
(中略)
 あるゲームでは、不運に見舞われることもある。絶対にゴールインというシュートに、オフサイドの位置にいた選手が足を出してゴールが認められないこともある。監督の采配ミスで、せっかくのリードをふいにしてしまうこともある。とんでもない酷暑の中の試合で苦しむこともある。ロスタイムに追いつかれてしまうこともある…。
 だが、一つのチームにいつまでも不運ばかりが続くはずはない。ロスタイムに追いつかれることもあれば、逆に終了寸前にゴールキーパーのミスで一点を拾って、勝点「1」を獲得することもある。相手のゴールキーパーの負傷に救われることもある。あるいは、ライバルチームの躓きに狂喜することもある…。
(中略)
 終わってみれば、たいていは、きわめて順当な結果が舞っている。しかし、どこかで諦めたり、戦いを放棄していたら、その結果は得られなかったはずだ。
 そのことを知った日本代表チームは、九試合の戦いの中で大きく成長した。三位に落ち、遠征の途中だというのに監督が突然交代した逆境にあっても、はるか遠い異境の地、中央アジアでのアウェーゲームで二引き分けと、勝てないまでもとりあえず負けずに乗り切ることができた。そうして1ポイントずつ積み重ねてきた勝点が、最後には日本を二位に滑り込ませた。サッカーを見るマスコミやファンも、最終予選のアップダウンを通じて、サッカーというゲームの本質を垣間見ることができたのではないか。日本のサッカー界にとっては、じつに有意義な十週間だった。

長いリーグ戦というものは、最後は収まるべきところに収まる。10月以降、一つ一つの試合の結果に文字通り一喜一憂しながらも、けっしてネガティブな方向に流れなかったのは、このアジア最終予選(と後藤さんの本)の記憶があったからだ(ついでにいうと、あの97年の最終予選は自分史上最大のおもしろさだったと思ってきたのだが、今季の札幌の戦いはそれに並ぶものだった)。

11月26日に平塚で湘南ベルマーレに2-0と勝利を収めた試合は(この試合のことばっかり何度も書いてすみませんね)、私にとっては、97年の韓国0-2日本@ソウルだった。日本がアウェーで韓国に勝ったその試合は、私は現地観戦したこともあってとても鮮烈な記憶として残っているのだが、アウェーなのにとんでもない数のサポーターがいたことや、ここで負けたらもうおしまいという状況で2-0というスコアで勝ったことは、今年11月の平塚の試合も同じだった(ソウルの試合については大住良之氏が素晴らしいコラムを書いているので、ぜひご覧ください)。

平塚で勝ったときは、2-0というスコアだったこともあって、じつは、すぐにあのソウルの試合後のことを思い出していたのだが、言葉にしてしまってうかれるとロクなことがないと考えて、あえて誰にも言わなかった。97年のソウルでの2-0勝利のときは(帰りの飛行機でハイテンションのまま松木安太郎に声かけたら返事してもらえたりして楽しかったのだが、それはさておき)、次の試合でUAEの猛攻をウズベキスタンのGKブガロが止めてくれて、日本が救われた。平塚の帰り道、「明日の試合で鳥栖が3-0ぐらいで勝ってくれるといいんだけど…」と言ったのは、あのときのことを思っての願望でもあったのだ。

そして帰宅後にまた後藤さんの本を出してきて(そんなことばかりやってたんだから仕事になるわけがないわね)、上の写真にある帯を眺めて「光明、死闘、そして歓喜。」の文字に思いを馳せて、そうだ、次は死闘だ、そしてその先には歓喜があるのだと思い込んでいた。

そういう意味でも、試合前日だったかに河合竜二がインタビューで言っていたように、最終戦の相手がFC東京であったことはよかった。これが最下位のFC岐阜との対戦だったとしたら、楽勝ムードが出ちゃって、選手というよりは見守る観客の側に緊張感がなくなって、ぬるい試合になっちゃってたかもしれない。もちろん、最終戦がホームゲームだったこともよかったし、相手が東京だったことで迫力あるチャントを繰り出してくれるたくさんのアウェーサポーターがいたことも、試合を盛り上げた(観客を試合に集中させてくれた)大きな要因だった(最終戦の相手が東京なのは厳しい、なんてことを言う人が多かったなか、道内ローカルのラジオ番組で「最後に昇格をかけていちばん強い東京とホームで戦えるなんて最高ですよ」と言っていた野々村芳和にあらためて拍手!)。

『アジア・サッカー戦記』の表紙には、キングがいて、J1で優勝した柏レイソルのコーチがいて(どっかで監督やらないんですかね?)、町田ゼルビアを経て川崎フロンターレの監督になった人がいて、横綱とモンゴルでサッカーやってた人がいて、ユニクロのCMで暖かいズボン履いてる人がいて(あれ一般人は誰だかわからんだろ)、「戦」の字の左上にはゴン中山選手がいる。これ見ると、やっぱり、この人は、今季の札幌の苦しい戦いを歓喜で結実させるには必要不可欠な存在だったのだなと思う。

↓文春文庫版も絶版になってるようで残念。
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