熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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午前0時の大争奪戦

本日3月28日は一昨年昨年と2年連続で全国ランナー評価第1位に輝いたオホーツク網走マラソンの今年の開催日である9月29日の前日の6か月前。すなわち、オホーツク網走マラソン前日の東横INNの会員予約が始まる日です。大会前夜のホテルはどこもめちゃくちゃな料金になるのは毎年のこと、1万円以下で泊まれるのは東横インだけなので、今年も午前0時になると同時にサイトにアクセスし、かろうじて、喫煙ダブルを確保しました。

午前0時10分過ぎには、全館満室になりました。



午前0時になると同時に入って6か月先の9月28日が選択できるようになっていたのに空室なし表示が出たことに驚き、それであればとりあえず北見でいいから抑えておかねばと北見の予約をしてから再び網走の空室検索をしたら今度はちゃんと空室表示が出て、禁煙シングルにトライするも到着時刻を入力した次の画面で空室なしになり(そんなことあるのかと思うかもしれませんがあるんですよ)、また最初に戻って今度は禁煙ダブルにトライしたもののやはり同じことになって、喫煙ルームはキツいなあと思ったもののそんなことを言っている場合ではないので諦めて喫煙ダブルを予約した次第(予約確認メールの時刻は0時05分でした)。

北見の予約なんて余計なことしてなければ、せめて禁煙ダブルは取れたんじゃないかと思うんですが、そんなことは今さらどうしようもないわけで、喫煙のしかもダブルで料金が高いとはいえ(全国各地どこも宿泊料金が高騰しているから仕方ないのですが東横INNも高くなりましたねえ)、1万円以下の部屋を確保できたのだから、よしとしましょう。今年は2年連続ランネット評価第1位効果に加えてコロナ禍で参加を控えていた人も来るだろうから(それは流氷物語号×「オホーツクに消ゆ」を見ていてつくづく感じたこと)、もしかすると取れないんじゃないか、北見に泊まらざるを得ないのではないかと覚悟してました。喫煙でも、取れただけ、よかったです。過去の経験から「あきらめちゃダメ!」作戦で当日までの間に禁煙の部屋に変更できる可能性はかなりあるとみていますが、どうなることか。

去年は(去年も?)往復飛行機利用にしたらバチが当たって帰りは強制的に鉄道を利用させられることになったので、今年は帰りの飛行機はまだ取ってません。たまにはマラソンを終えた後も網走に泊まってゆっくりしてくるのも悪くないと思ってますが、こちらもどうなることやら、です。まだ半年も先の話だからね。

今年のオホーツク網走マラソンは10周年企画も用意されているそうで、楽しみです。

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祝!優勝!

場所前に芦野公園の桜と津軽鉄道の列車が描かれた化粧まわしを贈られた尊富士関(Web東奥2024年3月6日)と、能生中学校から新潟県立海洋高校に進んだ大の里関(えちごトキめき鉄道鳥塚社長の3月18日のブログで紹介されています)の「津鉄vsトキ鉄対決」が注目を集めた大相撲三月場所は、青森県五所川原市出身の尊富士関が優勝を飾りました。新入幕での優勝は110年ぶり(こういう数字が出てくる大相撲はやっぱりすごいと思う)、初土俵から10場所での優勝は最速記録のこと。おめでとうございました。

尊富士関は五所川原市の金木の出身です。金木というのは津軽鉄道の津軽五所川原駅(JR五所川原駅に隣接)から20分ほどの場所で、太宰治の出身地として多くの観光客を集める町です。



尊富士関が卒業した中学校がある場所は木造(きづくり=地名)で、木造といえば夏の甲子園で完全試合を食らいそうになりながら9回2死からデッドボールで完全試合を逃れた木造高校を思い出すのですが、それはあまりに古い話でありますね。木造はJR五能線で五所川原の隣の駅で、以前は木造町でしたが平成の大合併で「つがる市」になりました。

NHKのニュースに出ていた馬肉屋さんがあるのは、津軽鉄道で金木の一つ手前(津軽五所川原からだと津軽飯詰の次の毘沙門の次)の嘉瀬駅のすぐ近くで、嘉瀬駅の駅舎内で広告を見たことがあります(今はどうかわかりませんがたぶんまだ掲げられているのではないかな?)。





尊富士関の化粧まわしに描かれている芦野公園駅(無人駅、金木駅の隣の駅)には、駅舎を使った「赤い屋根の喫茶店『駅舎』」というお店があって、金木特産の馬肉を使ったメニューが並んでいます。





「激馬かなぎカレー」は長時間かけて馬肉を煮込んだ名物メニュー。



NHKの解説の伊勢ヶ濱親方の「止められないでしょ、これを止めたら後悔します」には泣きました。稀勢の里のことがあるから、出ないほうがいいんじゃないか、でも本人はどうしても出たいだろうな、どうするのかなと、昨日の夜から、ずっと、気になってました。今日のお昼すぎに出場のニュースが流れたときは、楽しみというより、心配しました。でもでも、決定戦まで行かずに、本割での優勝決定は、見事でした。決まった直後の笑顔がよかったよねえ。

「石川県河北郡津幡町出身」と紹介される大の里関は中学校から高校は新潟県で過ごしており、昨日の14日目は富山県出身のいわば北陸からの刺客の援軍を受けながらも追いつけず、残念でした。でも、まだまだ、これからですよね。個人的には同じクマ属である(?)白熊関(福島県須賀川市出身で能生中学校〜海洋高校卒)も気になってます。須賀川市というのはぼくが生まれたところでもあります。

こんな楽しみ方ができるようになったのも、津軽鉄道さんやえちごトキめき鉄道さんとの縁ができたおかげです。いやぁ、地域鉄道って、本当にいいもんですね!
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敦賀ロマン

ぼくが生まれた頃、新幹線は新幹線でした。新幹線は東京と新大阪の間しか走っていなかったから、わざわざ東海道新幹線などと呼ぶ必要はなかったのでしょう。新大阪から岡山へ延長されたのはまだ小学校に入る前ですが、「ひかりは西へ」のキャッチフレーズは記憶にあります。その後の博多開業になると、交通公社の時刻表で何かを見た記憶もあります。当時、身近なところに鉄道愛好家はいなかったはずですが、我が家はマイカーどころか両親とも運転免許を持っておらず、出かけるときはつねに鉄道だったからなのか、時刻表はいつも置いてあったような気がします。

東北・上越新幹線(と一体で呼ぶのも今となっては不思議な感じですが当時はそういう表現が普通でした)の開業の頃はもう高校生だったし、川越に住んでいて大宮は身近な場所だったから、はっきりと記憶にあります。幼い頃からずっと、祖母宅への行き帰りに東北本線を使っていたから(福島県内の病院で生まれたぼくが最初に乗った路線は東北本線でおそらくは急行列車=現在えちごトキめき鉄道で走っている観光急行のような列車=だったはずです)、そこから特急や急行がなくなるのは大事件でした。

少し前に東北・上越新幹線の開業時の列車名を思い出そうとしたものの、やまびこ、あおば、とき、まではすぐに思い出せたのに上越新幹線の速達タイプの名前がまったく浮かんでこなかったのは、自分の記憶も利用実態も東北に偏っていたからなのでしょう。そんなものはネットで調べればすぐにわかるものの、そこまですることでもないのと、思い出せないのが少し悔しかったこともあって放置していたのですが、先日の鳥塚社長のブログを見て、思い出しました。

トキエア 新潟−仙台線 就航か? | えちごトキめき鉄道社長(いすみ鉄道前社長) 鳥塚亮の地域を元気にするブログ

その後、東北・上越新幹線が上野発になり、御徒町で道路が陥没して、東京発になって、山形新幹線がミニ新幹線で開業して、という頃まではわりとよく覚えていますが、秋田、長野(行き)、八戸あたりになると、それまでに比べると鉄道への関心が薄れたのか、社会人として働くようになっていてそれどころではなかったのか、開業の順番すら怪しくて、長野行新幹線に初めて乗ったのは金沢延伸後だったし、秋田新幹線に至ってはいまだ乗ったことすらありません。旧田沢湖線には40年以上前に複数回乗っているのですが。

さらに、西鹿児島が鹿児島中央になり、八戸から新青森に延伸し、博多と新八代の間がつながり、金沢が終着になり、津軽海峡を越えて、西九州新幹線が開業しても、わざわざ初日に訪れる友人知人の様子をSNSで見てああそうなのかと思う程度で(さすがに地元の北海道新幹線は初日に乗りましたが)、西九州新幹線に至ってはこの文章をもう少し下まで書いてから思い出した(それで付け加えた)ぐらいの認識でしたが、今回の北陸新幹線の延伸には、これまでにない感慨を抱きました。

だって、敦賀ですよ。

これまでの新幹線の開業は、いずれも、在来線でも行ける(行けたのを知っている)ところばかりでしたが、東京から敦賀は、自分の記憶の中では直通列車がなかった区間です。その昔の「白鳥」に上野系統があったのは知っていますが、それは自分が生まれる前の話。ぼくが実体験として知っているのは、上野と福井を結んだ「越前」が精一杯です。

▼年表記がありませんが「越前」に乗ったのは昭和56年(1981年)のこと。


さらに遡れば、東京と敦賀の間には、国際連絡列車が走っていました。

▼時刻表復刻版1925年04月号より


まず新幹線があって、次にエル特急があって、寝台特急があって、その次に「連絡早見表」があって、その後から東海道線・山陽線を皮切りに各路線のページになるというのがぼくが慣れ親しんできた「国鉄監修 交通公社の時刻表」でしたが、1925年04月号(鐵道省運輸局編纂 汽車時間表 附汽舩自動車發著表 大正十四年四月號)は、まず「本土主要驛間聯絡」のページがあって、次が「海外聯絡」です。その最後にあるのが「日本・西比利亞間(浦塩経由)聯絡」で、東京から米原経由で敦賀へ向かい、敦賀からは浦塩斯徳行きの航路が週に1回あって、浦塩斯徳からは哈爾賓、さらには満州里へと至る接続時刻表が掲載されています。



敦賀駅の先にあった敦賀港駅までの海外聯絡(欧亜国際連絡列車)は、太平洋戦争が始まる直前まではあったらしい(←現時点で手元にちゃんとした資料がないため「らしい」と書いておきます)。

北陸新幹線の延伸区間に乗るとすれば、何かの用事で北陸方面へ行ったついでかなと考えていたのですが、いざ開業が迫って「敦賀」という文字を目にしたら(前から目にしてたはずなんだけど直前になってからなぜか)急にそんなことに気がついて、これは東京方面から通しで乗るべきではないかと考えたところで、そういえば来月には東海地方へ行く用事があったことを思い出しました(ぼくが遠くに行く用事といえばアレしかないんですけど)。

それは帰りに東海道新幹線に乗るのが楽しみでもあったから行くことにした用事であったのですが、東海道新幹線には(ふだんはほとんど縁がないのに)今年は1月にも2月にも乗ったからわくわく感が小さい。それなら塩尻経由はどうだと考えてから、そうだ、北陸まわりという手もあるじゃないかと調べたら、さすがは新幹線、なんと、米原から金沢、富山と大回りをしても、中央本線経由より速いのでした。



惜しむらくは紙のきっぷは発券できないであろうことで、「敦賀→大宮」の文字の記されたものを(写真でもいいから)残そうと思うとチケットレスが使えないことになり、運賃・料金がかなり高くなってしまいます。高いお金を払ってまで紙のきっぷを手元に残そうとは思わないわけで、そもそもかつての国際連絡列車は米原経由だったのですから東京から敦賀といっても違うわけで、そこまでこだわるつもりはありません。でも、ルートは異なるとはいっても、東京と敦賀が一本の列車で結ばれるということには、青函トンネルを介して上野と札幌が結ばれたこととはまた異なる感慨を抱くのであります。

えきねっとトクだ値が取れなければ普通にきっぷを買うことになるだろうから(そこもまた必ずしも安いきっぷにこだわっているわけではない)、そうしたら「敦賀→大宮」の文字が表記された紙のきっぷを手にすることになると思われ、それならそれも悪くないと考えれば、えきねっとトクだ値が取れるかどうかを心配することもなかろうと都合よく解釈する自分はまったくもってオメデタイ人だと思うばかりであります。
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まだ流氷

昨年の3月21日(春分の日)は、釧網本線の網走〜知床斜里間に団体臨時列車「海明け物語号」が走りました。



海明けとは何か?というと、気象庁のウェブサイト(天気予報等で用いる用語>海氷)では「全氷量が5以下になり、かつ沿岸水路ができて船舶の航行が可能になった最初の日」と定義されています。では「全氷量」とは何か?というと「観測地点における視界内の全海域(港内を含める)に対して、海氷の占める割合。10分位で表す」というのが気象庁の定義です。

「海明け物語号」で配布されたパンフレットでは、こんな説明でした。



《オホーツク海を覆っていた流氷が去り、船が沖へ出られるようになることを、地元では「海明け」と呼びます。流氷が運んできた豊富なプランクトンを食べ、たっぷりと栄養を蓄えた、毛ガニやホタテなどの海産物。流氷がもたらす豊かな恵みを感じる、待ちわびた春。そんな歓びの季節を、釧網本線の車窓から楽しむ観光列車です》

網走の海明けの平年値は、1981〜2010年平均では3月20日でしたが、1991〜2020年平均では3月15日と、5日早まりました。海明けの観測は2021年に終了しましたが、最後の観測となった2021年は3月5日でした。

「海明け物語号」が走った昨年3月21日も、流氷はとっくに去ってました。



ところが、今年は、こんな時期になっても、網走市観光課のSNS(おいしいまち網走)によると《例年であれば、少しずつ春の息吹を感じる時期ですが、今年は流氷が絶好調です》とのことで、遠くに見える程度ではなく、手前の海岸線までびっしり海を埋め尽くす流氷の写真が上がっています。

今年は流氷の接岸が早くて、ぼくが最初に訪れた2月の最初の週末は個人的には何十年ぶりかという見事な流氷に出会うことができました。それで「今年は流氷の当たり年だ!オホーツクへ急げ!」とばかりに喧伝したら2月後半には流氷が離れてしまい、最初が早かった分、終わるのも早いんだね、なんて話になっていたのが、もうお彼岸だというのに、また真冬のような流氷が押し寄せているわけで、やっぱり今年は流氷の当たり年であったようです。

今からでもまだ間に合います。どうしても流氷が見たい!という方は、今すぐ、網走を目指しましょう!
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あと10日!キハ28-2346の修繕。夢の「鉄道パーク」建設への第一歩を共に。

いすみ鉄道気動車保存会によるクラウドファンディングプロジェクト「キハ28-2346の修繕。夢の「鉄道パーク」建設への第一歩を共に。」は、残りあと10日です。1千万円の目標に対し、現時点で8百万円の手前まで来ました。



プロジェクトの意義や、なぜクラウドファンディングで資金を募るのか?については、ぼくがここで中途半端な講釈を垂れるよりも、プロジェクトページを読んでいただくのがよいと思います。ただ単に「やりたいことに対する資金が足りないからクラウドファンディングを始めました」ではなく、さまざまな資金調達の方法がある中でなぜクラウドファンディングを選んだのかということが真摯に語られていることにも注目して、読んでみてください。そして、できれば、無理のない範囲で結構ですので、クラウドファンディングに参加してください。

ぼくがなぜこのクラウドファンディングに参加し、目標達成まであと少しというところでこうしてブログで取り上げているのかというと、もちろんプロジェクトの意義には賛同していますが、これまでにお世話になった方々が関わっていたり、あるいは、プロジェクトを紹介したりしているから、ということに尽きます。実際にお会いした方々が勧めているのだから、それはやっぱり答えなきゃいけないよねと、それだけのことです。これからの時代は、そういう時代になっていくのだろうと思っています。

キハ28-2346の修繕。夢の「鉄道パーク」建設への第一歩を共に。
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