熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
<< June 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>

安平町追分SL保存協力会への感謝

以下に記すことは、北海道鉄道観光資源研究会や、今後キハ183系車両保存活動を行う団体の公式見解ではなく、あくまで大熊の個人的なお話です。


キハ183系気動車の初期型(スラントノーズ型)の廃車体を買い取りたいとの北海道鉄道観光資源研究会からの申し出に対し、JR北海道からはすぐにOKをもらえたものの、それは「設置場所が確保できたら」との条件付きだった、という話は、このブログで何度か書きました。

条件は、もう一つありました。

2017年9月末までに、設置場所を確定させること。

しかし、9月末までには、場所を確定させることができなかった…けれど、われわれが場所探しに奔走する姿を見てくれていたJR北海道の担当の方が、12月末まで期限を延ばしましょう、と言ってくれました(社内的にはいろいろあったと思います〜あのときの担当者の判断には本当に感謝しています)。

だけど、もう、当てはなかった。

これは行けるだろう!と、勝手に好感触だと思っていた場所から、正式なお断りがあったのが、10月6日のこと。もう、手持ちのカードはまったくない。ここはどうだ、いや、ここなら可能性があるんじゃないかと、関わっていたメンバー間で意見を出し合うものの、出てくる候補地は、もはや、妄想に近いレベルばかり。

そんな中で、ある人から「安平町の道の駅はどうだろう?」とのアイデアをもらいました。いわく、安平町のホームページに載っている道の駅の完成予想図には、D51と客車が描かれている、ダメ元でトライしてみる価値はあるんじゃないか…

10月13日の夜、NHK(北海道ローカル)で放送された「北海道中ひざくりげ」のテーマは、「鉄道のまち いつまでも〜安平町・追分地区〜」。番組の中では、鉄道のまち・安平町追分の成り立ちや、町内の鉄道資料館に保管されているSLをぴかぴかに磨き続ける国鉄OB=安平町追分SL保存協力会=の活動などが紹介されていました。

その翌日、10月14日は鉄道記念日。安平町追分鉄道資料館の特別開館日でもあり、北海道鉄道観光資源研究会のメンバーが、資料館を訪ね、SL保存協力会の工藤事務局長とお話させていただきました。

鉄道ジャーナル2010年11月号掲載「メモワール紀行『鉄道の町』の記憶 17 室蘭本線追分駅界隈 国鉄最後の蒸気機関車を見送った石炭輸送の中継基地」(文 伊藤丈志)から引用:
《1976年(昭51)3月2日、9600形3両が追分機関区で入換の業務を終え、国鉄の蒸気機関車はすべて幕を閉じた。その前年の1975年12月14日に室蘭本線の旅客列車、12月24日には夕張線の貨物列車で、それぞれ役目を終えている。追分は最後まで蒸気機関車が活躍した場所である。現在、機関区跡の一部には安平町鉄道資料館(旧追分町鉄道記念館)が建ち、D51 320号機が保存されている。そのSLの整備や資料館の運営を手伝っているのが、追分機関区のOBを中心とした「安平町追分SL保存協力会」である。》
 

「このD51、道の駅ができたら、どうなるんですか?」
「道の駅の新しい鉄道資料館に持っていくよ」
「そのあと、この車庫、どうするんですか?」
「車庫はこのまま」
「壊さないんですか?」
「壊さない」
「何か違う車両を入れるんですか?」
「いや、何も決まってない」
「じゃあ、キハ183を置かせてもらえませんか?」
「それなら、町に聞いてみたらどうだい?」

鉄道資料館を管理しているのは安平町の教育委員会であること、担当は及川次長であることを教えてもらいました。7ヶ月後には及川次長が安平町長になるのですが、それはまた別の話。

そこから非常に濃い2ヶ月半があって(これはまた別途書きます)、翌年(2018年)の元日に、クラウドファンディングが始まりました。SL保存協力会からは、こんなメッセージを頂戴しました。

私たち安平町追分SL保存協力会は、鉄道のまち追分のシンボルである蒸気機関車D51 320号機を日本一の車両にしようと42年間磨きをかけ、元国鉄OBで運転、整備等の経験や知識により動く状態で保存し、未来を創る子ども達に残すことを目指し活動しています。

このたび、追分へ保存しようとする特急キハ183系気動車両は、SLが姿を消したあと、昭和56(1981)年に石勝線が開通してから、私たちも運転したゆかりのある車両です。

北海道の鉄道遺産を残し伝えていくためにも、車両運転の経験などで少しでも協力していきたいと考えています。

安平町追分SL保存協力会

(この文章はクラウドファンディングサイトで今も見ることができます)


SL保存協力会の工藤事務局長は、クラウドファンディングの開始後も、お金の集まり具合をずっと気にしてくれていました。キハ183の2両目も購入できるだけの金額が集まったときには、すぐに「よかったね」と電話をいただきました。

ふたたび、鉄道ジャーナル2010年11月号の記事から引用:
《資料館は駅からだと構内を跨ぐセンターブリッジを渡って徒歩15分ほど。5〜10月の第2・4金曜、13〜15時にはD51が屋外(雨天中止)で公開される。》

なぜ「雨天中止」なのか?というと、雨に濡れることは、車体の錆びにつながるからです。屋外公開の日時を限定しているのも、車体が傷むことを避けるため。それほどまでに大事に保管し、SL保存協力会のみなさんが定期的に車体を磨いているから、あのD51 320は、日本国内屈指の美しさが保たれているのです。

新しい鉄道資料館(道の駅)でのD51公開初日となった6月16日(日)、いったん屋外に出されたD51は、14時前に屋内へと戻っていきました。このときは、小さなディーゼル機関車が後部に接続され、そのディーゼル機関車での移動でした。

それから30分後、道の駅は、激しい雨に見舞われました。



雨の中、安平町出身の橋本聖子参議院議員と及川秀一郎安平町長がお見えになり、予定ではそこでD51を再び屋外に出して、キハ183と並べて、その前で関係者全員で記念撮影…だったのですが、こんな雨の中では、D51は外に出すわけにはいきません。再びの屋外展示に向けて一度は開いた車庫の扉は、予定時刻の直前に閉められ、来場中のお客様に「これから屋外展示をします」とアナウンスしてしまったスタッフは大慌て。

ところが、それからしばらくして、雨が小降りになったら、なんと!車庫のシャッターが上がり始めるではないですか!

「そんなところで写真撮ってる場合じゃないって!急げ急げ、すぐにD51をしまわにゃならんのだから、D51が183と並んだらすぐ記念撮影だから、早く、みんなあっちにまわって!」

走る走るおれたち。少し遅れて、D51を所定の位置に停止させたSL保存会のみなさんもやってきて、今回の鉄道車両輸送プロジェクトに関わった全員がD51とキハ183の間に並んで、みんなで記念撮影。

記念撮影が済んで、屋内へと引き上げるD51。



このときは、ディーゼル機関車を従えることなく、自力で移動しました。

D51が機関庫に入るや、SL保存協力会のみなさんは、大勢で、濡れたところを拭き取っていました。この地道な作業があるから、D51 320は、引退から40年以上経っても、美しいのです。

みたび、鉄道ジャーナル2010年11月号の記事からの引用:
《車庫の後ろにはスハ45 25が保存され、その車内には、古い写真などが掲げられている。》

旧鉄道資料館の敷地内(屋外)には、スハ45という古い客車が置いてありました。現在キハ183が展示されている場所は、もともとは、このスハ45が展示されることになっていた場所です。

D51に似合うのは、キハ183よりも、こちらの客車だったのかもしれません。

しかし、長年にわたって屋外に展示されていた客車は、傷みが激しく、道の駅への移設には大きなリスクが伴いました。実際、今回の一連の車両輸送の中で、この客車をクレーンで吊り上げる場面があったのですが、吊り上げた瞬間はへんな音がして、その場にいた人たちからは「ああ〜っ」と声が上がったそうです(が、スハ45は壊れることなく、今も旧資料館に置いてあります〜スハ45は道の駅への移設対象ではなかったのですが、D51の輸送の際、重機の作業場所確保のために移動させる必要がありました)。

2両のキハ183は、苗穂工場でトレーラーに積まれたとき、JR北海道から北海道鉄道観光資源研究会に引き渡されました。そして、安平町に到着した後、北海道鉄道観光資源研究会から安平町教育委員会に譲渡されました。16日の夕方、道の駅でのすべての作業が終わったとき、「われわれの持ち物だったのは2時間だけだったねえ」と、笑い合ったことでした。

いま思えば、もし、最初に、安平町追分SL保存協力会の工藤事務局長に話をしたときに、キハ183の受け入れを断られていたならば、あるいは、鉄道資料館を所管する安平町教育委員会をご紹介いただくことがなければ、このプロジェクトは、そこでおしまいでした。あの時点ではもう手持ちのカードがなかったから、スラントノーズのキハ183が残されることはなかっただろうと思います。

キハ183は、今後、安平町が中心になって、新たに設立されるであろう団体が管理していくことになると思われます(赤い電車711系では、北海道鉄道観光資源研究会がクラウドファンディングで輸送資金の不足分を集めて車両購入と輸送を担当した後、車両は道下産地さんが所有し、維持管理は新たに設立された岩見沢赤電保存会が担当しています)。

じつは、クラウドファンディングを開始する前の段階で、安平町に対し、SL保存協力会に管理をお願いできないかと、軽く打診したことがありました。それに対し、安平町からは「SL保存協力会はD51だけで手一杯、キハ183の面倒をみることはできない、キハ183を受け入れるにあたっては『維持管理をSL保存協力会に依存しない』ことを条件としてほしい」との回答をいただいています。

自分が逆の立場だったらどうだっただろう?と考えることがあります。SL保存協力会は、これまで長年にわたってD51を守ってきたからこそ、車両を保存することがいかに大変であるかを知っている。でも、鉄道車両保存のノウハウは持っている。だからといって新しく持ち込まれる車両のメンテナンスを押し付けられるのは困る。そう考えるのは、自然なことです。自分たちの家(D51が保管されていた場所)に、呼んでもいない他人(キハ183)が押しかけてくることへの感情的な反発だって、あってもおかしくない。

それでも、SL保存協力会は、キハ183を、北海道の鉄道遺産を残し伝えていくものとして、認め、受け入れてくれました。ぼくらとの記念撮影のときには、車体を雨に濡らすことを心配しながら、D51を屋外に出して、キハ183と並べてくれました。

繰り返しになりますが、安平町追分SL保存協力会との最初の出会いが次につながるものだったから、今があるのです。

SL保存協力会のみなさん、本当に、ありがとうございました。

道の駅あびらD51ステーション

旅と鉄道 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

「αと旅するオホーツク釧網本線」ギャラリートーク

15日(土)の午後、「石黒明作品展 αと旅するオホーツク釧網本線」のギャラリートークに行ってきました。ギャラリートークといえば、作家さんが会場に展示されている作品の前で語る場合が多いかと思いますが、今回は、写真展の会場(ソニーストア札幌2階)とは別の、ソニーストア札幌の入ってすぐのスペースに椅子を並べての開催でした。土曜日の午後、札幌まつりで賑わう南1条通りを行き交う人の波が見える場所は、開放感と賑わいが同居していて、素敵な会場でした。

石黒さんと初めて会ったのは、まだ20世紀の頃の、礼文島船泊ユースホステル(のち民宿海憧)です。当時、石黒さんはまだ学生で夏休みのアルバイトに来ていて、ぼくは1週間ぐらい滞在している宿泊客でした。そのときは住所を交換するでもなく、その後の接点もなかったのに、それから20年近く経ってから、たまたまお会いする機会があり、近年はぼくが仕事で釧網本線に関わらせてもらっていることもあって、親しくお付き合いさせていただいています。

だから、石黒さんの最近の活動については、そこそこ知っているのですが、なぜこのような活動をしているのか?といったことを、あらたまって聞く機会はこれまでなく、今回、初めてそうしたお話を聞くことができました。とても高い志を持って活動されている姿には感銘を受けるとともに、オレももっともっと頑張らなきゃ!と、元気をもらって帰ってきました。ありがとうございました。

αと旅するオホーツク釧網本線」はソニーストア札幌で20日まで開催中です。

旅と鉄道 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

ドラマチックトレイン

6月15日深夜(16日未明)のキハ183の輸送の様子が、昨日のSTVニュース(どさんこワイド)で放送されました(SLと特急 あびら道の駅にやってきた 被災地の復興けん引 北海道安平町(北海道))。ニュース動画の中で「輸送業者」として登場するアチハ株式会社には、その前のD51も運んでいただきました(道の駅「あびらD51ステーション」にSL移送 安平=北海道新聞どうしん電子版)。

作業終了後、アチハで今回の輸送を担当された方々とお話をする機会がありましたが、みなさん口々に(人によっては興奮気味に)お話されていたのは、D51の輸送を見守る安平町の地元住民のみなさんの歓迎ぶりに感激した、ということ。

先日も書いたとおり、D51の輸送日時は非公表ではあったのですが、もともとD51が保存されていた旧安平町鉄道資料館ではその前日から大型クレーンが入ってD51を吊り下げるなどの作業が行なわれていたのですから、近くにお住まいの方であれば、今夜あたりかなあ、ぐらいの想像はついたはず。上のリンク先の動画にもあるように、輸送当日、安平町追分の市街地では、大勢の地元の方が、D51が旧資料館から道の駅へと運ばれていく様子を見守りました。

アチハさんによれば、鉄道車両の輸送時に大勢のギャラリーがいることは珍しくないらしいのですが、今回は、とくに、沿道に詰めかけた地元の方々の興奮や熱気、歓迎ムードが伝わってきたとのことで、D51を積載したトレーラーの運転手さんは、市街地に入った途端に沿道の人の数が急増したこと、とりわけ大勢のお子さんが目を輝かせているのを見て、できるだけ長い時間D51を見せたい!と思い、市街地を抜ける間だけ、本来はやらない減速をしたそうです。

さすがは新しい道の駅の名称に「D51」を冠するだけのことはある町です。この町では、蒸気機関車が、鉄道が愛されています。鉄道で発展してきた町だけあって、キハ183設置に向けた一連のプロジェクトの中でお会いしてきた方の多くが、家族や親戚の誰かが国鉄で働いていた方でした。

STVニュースの見出しにもある「被災地の復興けん引」は、他の地域で暮らす人からみれば「どうして鉄道車両を展示することが復興のけん引なんだ?」と疑問に思うことかもしれません。でも、この町にとっては、鉄道車両は、復興のシンボルとなり得るのです。

復興、というのも、また、最近ではずいぶん軽い言葉になってしまったような印象があるのですが、今回の一連のプロジェクトでお付き合いしている安平町役場の方々の中には、いまだにほとんど休みを取れていない方もいらっしゃいます。また、役場の方は、みなさん、昨年9月6日の地震から1ヶ月ぐらいの間の記憶が飛んでいるというお話をされます。まだまだ、大地震の被害からの立て直しは続いており、そのためにプライベートを犠牲にしてでも身を粉にして働いている方が、たくさんいらっしゃいます。

道の駅あびらD51ステーションを核とした観光振興(役所的にいうと交流人口の増加)は、まだまだ、これからですが、まずは車両が搬入されて一区切りがついたところで、関わった方々と話をしてみると、いろんなところにドラマがありました。現場はいつでもドラマチックなのです。

旅と鉄道 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

長い昼

昨日(6月16日)、道の駅あびらD51ステーションへの車両設置が完了しました。

キハ183スラントノーズ車と、D51 320が、並びました。



キハ183はこの場所で固定ですが、D51は、基本的には、車庫内で展示されます。昨日は、公開初日ということもあり、時間を限定してですが、屋外での展示も行なわれました(上の写真は屋外展示した時間帯に撮影したものです)。屋内から屋外へ、その逆に屋外から屋内へと、この大きな蒸気機関車が動いたときには、あちこちから歓声やため息が聞こえ、あらためて、動く蒸気機関車の観光資源としての威力を見せつけられた思いです。

D51の輸送の話はまた後日書くとして、キハ183の輸送は、15日(土)の昼間に大型クレーンでキハ183(2両)を2台のトレーラーに積むところから始まって、16日(日)の午後に旧安平町鉄道資料館の車庫に保管するまで、2日がかりの大仕事でした。昨日も書いたように、2両のキハ183は安平町への移設とともに北海道鉄道観光資源研究会から安平町教育委員会へと寄贈されたのですが、JR北海道苗穂工場を出場するところから安平町に設置するまでは、北海道鉄道観光資源研究会の持ち物でしたから、輸送が安全かつ円滑に実施されるよう、北海道鉄道観光資源研究会のメンバーが輸送ルート上のいくつかのポイントに分散して待機し、撮影及び沿道の安全監視を行いました。

ぼくは、それらには参加せず、自宅にいて、メンバー間を行き交う情報の交通整理をやってました。自宅にいたのだから現地組より楽だったはずなのですが、とはいえ、キハ183を積んだトレーラーが苗穂工場を出発したのは(予定より遅れて)日付が変わってから、2台のトレーラーが安平町に到着して所定の位置に駐車して落ち着いたのは午前3時近くでしたから、そして、その間はずっとスマホの画面とにらめっこで現地情報の把握に務めていましたから、作業が終わったからといってバタンキュー的に寝ることはできない(眠りの質を高めるためには就寝直前にスマホの場面を眺めないというのは本当のことなのだと実感しました)。3時を大きくまわってから、なんとなくうとうとしたような気がして、ハッと気がつけば6時過ぎ。

でも、現地組は、みなさん車中泊(といっても実態はほぼ徹夜)。楽をしているオレがぶつぶつ言ってるわけにゃあいかんぜよ、というわけで、バタバタとブログ記事を書いて(それが昨日の「安平町鉄道車両輸送大作戦」です)、そのうちに現地からの情報が入ってきて、キハ183の設置作業が意外に早く進んでいるようだったので、急いで出かけて、現地に着いて、みなさんへろへろのはずなのにそれがゆえにテンションが高いという状態でいろいろやってて、そうこうするうちに作業がすべて完了して、作業が終わったと思ったら大雨が降ってきて(天気予報では前日から大雨だと言っていたのがここまではほとんど降らなかったのだ)、ほんの短い間だけ雨が上がった時間帯を使って今回のプロジェクトに関わった人全員がD51とキハ183の前に並んで記念撮影をして…などなどで、最後の最後は(意図したわけではなく結果的にそうなったのですが)一昨年の11月に初めて安平町役場と交渉をしたときの研究会メンバー3名と、そのときに対応してくれた役場の方4名で、これまでのことを振り返りつつ、今後の課題などについて話し合い、追分21時24分発の特急スーパーとかち10号で帰ってきたことでありました。

「オレ1時間しか寝てないから飲んだらすぐ寝るよ」と言っていた**さんは、最後のお店でも(みんながビールを飲んでいる中で)焼酎の水割りを飲んで、語ってました。あの元気の源はどこから来るのか。ああいう姿を見せられちゃうと、年下のぼくは、大変だとか疲れたとか言えないのですよ(^^;

いろいろ、おもしろい話、興味深い話、楽しい話、嬉しかった話、などなど、たくさんのお話を、多くの方から聞くことができました。その中には、書いていいもの、書いたほうがいいもの、書いてはいけないもの、書けないもの、などなど、これまたいろいろなお話があるのですが、その辺は、もう少し、頭の中を整理してから、折に触れて、ご紹介できればと思っています。

長い一日が終わりました。
みなさま、ありがとうございました。

旅と鉄道 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

安平町鉄道車両輸送大作戦

本日未明、道の駅あびらD51ステーションに、キハ183-214が到着しました。現時点ではまだトレーラーの上にありますが、本日このあと、展示される線路の上への移設が行なわれる予定です。

以前にも書きましたが、JR北海道のキハ183系ディーゼルカー(スラントノーズ型)の終焉を前に、車両を残そう!という話が出たのは一昨年(2017年)の3月31日の夜でした。ぼくは、たまたま、その場に居合わせちゃったもので、そこから否応なくこの動きに巻き込まれていったのでした。

これも以前に書きましたが、JR北海道からの車両譲渡(のためのクラウドファンディング開始)の条件は、提示された期限までに、保存場所を確定させることでした。ところがその場所がなかなか見つからず、もうキハ183に関係のないところでもなんでもいい、もはやこれまでか…と、時間切れぎりぎりのところで、最後の最後に出てきた候補地が、安平町でした。

安平町役場を訪れ、最初の話し合いをしたのは、その年の11月。



ここからはとんとん拍子で話が進み(その後も含めて安平町役場の仕事の速さはすごかった!)、キハ183スラントノーズ車は、1981年の本格デビュー(石勝線開業)時にその登場を町を上げて祝った町であり、国鉄蒸気機関車の終焉の地であり、そして明治時代から鉄道の町として拓けてきた町である安平町(旧追分町)の、新たに開業する道の駅に、しかも、蒸気機関車の隣という、最高の場所に、置いていただけることになりました。

道の駅の基本設計は、ぼくらが最初に安平町役場を訪ねた一昨年11月には、すでに、できあがっていました(このときの計画ではキハ183ではなく客車が展示されることになっていました)。安平町鉄道資料館の蒸気機関車(D51 320)を道の駅に移設し、そこで展示することも決まっていたのですが、安平町は、大きな課題を抱えていました。

ものすごく重たいD51を、どうやって移動させるのか?

D51を分解して、車輪やボイラーを分割すれば、重量は軽くなります。京都鉄道博物館の開業前、交通科学博物館に展示されていた蒸気機関車を移設する際には、そうした方法が使われています。しかし、安平町追分のD51 320は、まだ、動くのです。だから、分解はしたくない。

D51 320の重量は、テンダーを切り離しても、70トン以上あります。キハ183の2倍以上です。鉄道資料館から道の駅への移動の際には、線路を横切らねばならない箇所もあります。踏切を通過するにしても、あるいは跨線橋を渡るにしても、踏切や跨線橋がその重さに耐えられるのか?そもそも、そんな重たいものを、クレーンで吊り上げてトレーラーに積むことは可能なのか?

どうしたらいいでしょう?

キハ183の保存場所の話をするために訪れた安平町役場で、そうした話を聞いて、それならばと紹介したのが、鉄道車両輸送ではおなじみ、北海道鉄道観光資源研究会では北斗星車両の輸送時にもお世話になったアチハさんでした。

その翌月(2017年12月)、大阪から、アチハさんが来てくれました。



安平町追分SL保存会の方々の説明を受けながら、鉄道資料館の車庫に格納されたD51 320を、何も言わずにじーっと見ていたアチハの部長さんが、突然「これは、日本一だね…日本一きれいな機関車だ…」と呟いたのは、今でも脳内で音声が再生できるほどの、鮮明な記憶です。



寒空の下、輸送ルートの調査。



鉄道資料館がある小さな公園の敷地内に重機を搬入することは可能なのか?重機を入れられたとして、D51を載せた大型トレーラーは住宅地の中の狭い道路の角を曲がれるのか?線路を越えるにはどうすればよいのか?…

そうした課題に対し、アチハさんは「ここをこうすればいけるんじゃないかな」と、事も無げに、回答を出していきました。できないことは考えずに、どうすればできるのか?だけを追求し、ときには役場の方に「ここの角の縁石を削ることはできますか?」とまで尋ねたほどでした(最終的には縁石を削ることはせずに済みました)。

役場に行ったら、担当の方が携えていた資料の中に、この本がありました。



安平町にはもともと鉄道資料館がありましたが、こちらの所管は教育委員会。一方、車両の輸送を扱うのは道路関係の部署で、こちらの担当の方は、鉄道とは無縁です。その方が、この、いかにもマニア向けっぽい本を持ってきたことに驚かされました(さきほど書いた交通科学博物館から京都鉄道博物館への蒸気機関車の輸送のことは、この本の中に書いてあります)。

その後、さまざまな調整や関係当局への届出等々があって、輸送計画が決まり、さあ、あとは運び出すだけだ、というタイミングで、昨年(2018年)9月6日の地震が発生。車両の搬入は延期せざるを得なくなり、道の駅の開業には間に合わなくなったことで、安平町では、それならいっそのこと車両輸送をイベントにしようかといった話も出ていました。今年4月の道の駅の開業後、車両の輸送はいつ行うのか?との問い合わせが、安平町役場に多数寄せられていたとのお話も聞いています。

でも、それは、できなかった。車両の積み込みや積み下ろしは、危険と隣り合わせの作業です。輸送の最中は、万が一、移動車両に接触でもしたら、大変なことになってしまいます。とても珍しいものであるがゆえに、とても多くの方が詰めかけることが予想され、そこで何も起きないようにするには、大掛かりな警備が必要です。そうなれば、多額の経費がかかってしまいます。それは、小さな町にとっては、負担が大きすぎました。

役場の方々は、道の駅へのD51の搬入を楽しみにしている町民のみなさんに輸送の日時を伝えられなかったことを、心苦しく感じていたと思います。6月13日の深夜、D51が道の駅に到着した直後の道の駅あびらD51ステーションのフェイスブックの投稿には、その苦悩があらわれていました。

【主役が到着しました】 皆様、大変お待たせいたしました。 先程、D51ステーションの主役「D51 320」が到着いたしました。 多くの方よりお問い合わせを頂いておりましたが、住宅地や市街地を通過するため、日程をお伝えすることができず、本当に申し訳ございませんでした。線路へ移動し、鉄道資料館内に格納するまで今しばらくお時間をいただきますが、まずは無事に運搬を終了いたしましたことをご報告申し上げます。 よく来たね!320!お疲れさま!

専属の広報担当などいるはずもない、限られた数の担当者が何から何までやっている、小さな町です。D51の輸送を無事に終えたときは、もう、くたくたであっただろうと思います。そんな中でも、こうした文章をしたため、町民のみなさんに情報を公開できなかったことへの理解を求めるとともに、リアルタイムの高揚感も伝えていることには(この投稿には動画も付いていました)、本当に感心しました。

今回、目立ったのはD51とキハ183でしたが、それ以外にも、鉄道資料館にあった客車や貨車、ディーゼル機関車などの移動もあり、全車両の移動に関わる作業は、ほぼ1週間がかりの大プロジェクトでした(完全終了するのは本日夕方の予定です)。このプロジェクトの実施にあたって、北海道鉄道観光資源研究会は、キハ183以外の部分でも、記録撮影や沿道の安全見守りなどの面で、お手伝いをさせていただきました。その際、北海道鉄道観光資源研究会で保有していたキハ183はともかく、D51をはじめとする他の車両の作業や輸送に関しては、あらかじめ決めた撮影班だけが撮影に当たり、他のメンバーは撮影しないこととするとともに、撮影班のメンバーも撮影したものは個人的には使わない、撮影したものはすべて安平町に提供する、といったルールを定めて作業に当たりました。車両の輸送中、沿道で見学や撮影をされた皆様には、安全な輸送にご協力いただきましたこと、感謝申し上げます。

さて、これまで北海道鉄道観光資源研究会が保有していたキハ183は、今回の移設とともに安平町教育委員会に寄贈され、今後は、安平町の地域団体が活用していくことになります。屋外展示ゆえにさまざまな問題が出てくることと思いますが、今後も美しい姿が保たれるよう、このブログをお読みの皆様におかれましては、道の駅あびらD51ステーションを訪れ、安平町にたくさんのお金を落としていってください。ここからは、また、新たなステージの幕開けです。

旅と鉄道 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -